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小出氏
小出氏の出自は、『藩翰譜』などでは藤原南家二階堂氏の流とされ、本貫の地は信濃伊那郡小井弖郷(小出郷)とされる。『吾妻鏡』によれば、寛喜元年(1229年)正月には、小井弖太郎兵衛尉と小井弖五郎が、嘉禎年(1236年)正月には、小井弖左衛門尉が、幕府の御成始の儀で馬曳きの役を務め、特に左衛門尉は以後度々登場する。
安土桃山時代、江戸時代に大名となった小出氏は、上述の小出氏の子孫が尾張中村(現名古屋市)に流れてきたものとされる[1]。他方、鈴木真年編の『百家系図稿』では同じ藤原南家でも工藤氏流とされるなど、系図上の流れは二つあり、小出秀政までの系譜も諸説あって定かでは無い。
小出氏の祖である能綱の父が為綱といった点に着目すれば、三日祝と呼ばれた大祝二郎諏訪為継(一に為綱)の後裔であったと考える説もある[2]。
はっきりしているのは小出秀政が豊臣秀吉の母大政所の妹(栄松院)の夫であったことで大名に取り立てられた後からである。秀吉没後、秀政は関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、秀政の一子遠江守秀家が東軍に属したため改易を免れ、江戸時代も大名として存続した。
家紋
この頃の家紋は、小出氏本家が「丸に額」「丸に額形」「丸に堅額」を用い、小出氏分家は「額に二八文字」を用い、替紋は「亀甲に小の字」を用いた。
系譜
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太字は当主、実線は実子、点線は養子。
嫡流(出石藩主家)
園部藩主家
脚注
注釈
出典
参考文献
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 小出 コイデ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2259-2261頁。(全国書誌番号):(47004572) 。 ( )
- 系譜参考
- “武家家伝_小出氏”. 風雲戦国史-戦国武将の家紋-. 播磨屋. 2017年5月30日閲覧。
外部リンク
- “127. 小出 英典さん(小出家14代当主・東京都)”. 丹波発 ふるさとの君たちへ. 京都新聞. 2017年5月30日閲覧。