生涯
丹波国園部藩主・小出英教の次男として誕生した。初名は小出英周(こいで ふさちか)。
明治2年(1869年)6月26日、高須藩13代藩主・松平義勇の養子となる。同年7月27日、義勇の隠居により家督を相続する。それに伴い、高須藩知事に就任する。明治3年(1870年)12月24日、高須藩と尾張藩と合併させた。そのため藩知事は免職となった。明治8年(1875年)11月、徳川慶勝の養女・安子と再婚する。明治10年(1877年)7月、三等中警部心得となる。同年11月、一等少警部となる。明治11年(1878年)4月、権中警部となる。明治12年(1879年)4月、退職する。明治14年(1881年)5月、(宮中祗候)となる。同年9月、退職する。明治17年(1884年)7月8日、子爵となる。明治35年(1902年)、駒野城跡を城山村(現・岐阜県海津市)に小学校用地として寄付した。大正9年(1920年)に死去。享年66。
家族
父母
妻
子女
- (松平義為)(長男)
- (松平義忠)(四男)[1]