富士見町(ふじみちょう)は、東京都板橋区の町名[4]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は174-0062[2]。
地理
板橋区の南東部に位置する。北で前野町および宮本町、東で大和町、南で双葉町、西で常盤台と隣接する。町域の北辺を富士見街道、南東辺を東京都道318号環状七号線(環七通り)が通じている。町域は学校のほかは、ほぼ住宅地である。
地形
歴史
廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡下板橋宿、上板橋村および前野村。
沿革
- 1749年(寛延2年):五十宮倫子(いそのみやともこ)女王が徳川家治将軍との婚儀に赴く行列が(縁切榎)前を通過しないための迂回路(根村道)が、現在の当町域内に普請される。
- 1871年(明治4年)11月:廃藩置県後に所属した浦和県から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡下板橋村、上板橋村、前野村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により、下板橋村は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋となる。上板橋村は併合対象とはならず、前野村は志村に併合される。
- 1920年(大正9年):北豊島郡立商工学校(東京府立滝野川商工学校を経て、1948年東京都立北豊島工業高等学校に改称)創立。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町十丁目、(旧)上板橋町二丁目、志村清水町となる。(1943年8月1日 東京都制施行)
- 1930年代:板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、練馬横丁(現在の大和町停留所付近)- 豊島園間の路線バスを運行する。
- 「練馬横丁」は、現在の富士見街道が練馬方面に向かう道で、中山道からの分岐点であることを意味している。
- 1956年(昭和31年)4月1日:地番整理により、(旧)板橋町十丁目、(旧)上板橋町二丁目、常盤台一丁目の一部地域が富士見町に再編される。
- 1960年(昭和35年):都営住宅板橋富士見町アパート竣工。1976年にかけて、第2・第3・第4板橋富士見町アパートが建設される。
- 1964年(昭和39年):東京都道318号環状七号線(環七通り)開通。
地名の由来
高層建築物が建てられる以前は、当町域からも石神井川方向に富士山を遠望できたと考えられるが、現在の「富士見街道」はかつて、富士講信者が往来する道であったことにも由来している。
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~27番 32〜33番 | 板橋区立板橋第八小学校 | (板橋区立板橋第三中学校) |
28~31番 34~39番 | 板橋区立富士見台小学校 | 板橋区立志村第一中学校 |
交通
鉄道
バス
道路
- 東京都道318号環状七号線(環七通り)
- 富士見街道
施設
- 東京都立北豊島工業高等学校
- 板橋区富士見地域センター
関連項目
脚注
外部リンク
- 板橋区