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天沼

日本 > 東京都 > 杉並区 > 天沼

天沼(あまぬま)は、東京都杉並区町名住居表示実施済み。現行行政地名は天沼一丁目から天沼三丁目。郵便番号は167-0032[2]

天沼
桃園川緑地
天沼
天沼の位置
北緯35度42分26.03秒 東経139度37分12.49秒 / 北緯35.7072306度 東経139.6201361度 / 35.7072306; 139.6201361
日本
都道府県 東京都
特別区 杉並区
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 15,488人
等時帯 (日本標準時)
郵便番号
167-0032[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 杉並

地理・歴史

東京都杉並区のほぼ中央に位置する。町域北部は天沼本通りに接し、清水本天沼になる。西部から南部は青梅街道JR中央線に接し、これらを境に上荻阿佐谷南になる。東部は阿佐谷北に接する。町域内は多くは住宅地として利用されるほかは、南部の青梅街道沿いは荻窪駅北口繁華街の一角に当たる。

地名の由来

「天沼」の地名は、現在の天沼三丁目にあった「弁天池」、あるいは「雨水が溜まった沼地」に因んでつけられたとする説がある。

『続日本紀』のみに現れる古代のである(乗潴駅)を、明治期に吉田東伍が当地に比定する説を唱えた。この説の有利さはその直線性と距離の配分にあり、律令制官道は今日の高速道路並に直線的であったこと[4]、現:府中市宮町にあったとする武蔵国府と、市川市国府台にあったとする下総国府とを、台東区谷中にあったとする豊島駅とちょうど等分する一直線上に並ぶ[5]ことから有力説とされている[注釈 1]

江戸期以降の歴史

江戸時代多摩郡天沼村で、寛永12年(1635年)、日枝神社領となった。

1889年明治22年)の町村制施行により、天沼村は高円寺村・馬橋村・阿佐ヶ谷村・田端村・成宗村とともに東多摩郡杉並村(のち豊多摩郡杉並町)となった。これにより、「天沼」は杉並村の大字となる。

1932年、杉並町・和田堀町・井荻町・高井戸町が東京市に編入されて杉並区になった際、杉並町大字天沼は天沼一-三丁目が起立。

住居表示の実施にあたって「天沼」表記を大字地域内で争い、南側の「旧:天沼一・二丁目」が「天沼」を、北側の「旧:天沼三丁目」が「本天沼」を名乗ることで決着して1965年1月1日に住居表示が実施された。語源とされた弁天池は現在の「天沼」側にある。

2012年、東京都は天沼三丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[6]

世帯数と人口

2019年(令和元年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
天沼一丁目 2,538世帯 4,077人
天沼二丁目 3,162世帯 5,370人
天沼三丁目 3,972世帯 6,251人
9,672世帯 15,698人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
天沼一丁目 全域 杉並区立天沼小学校 (杉並区立天沼中学校)
天沼二丁目 全域
天沼三丁目 全域

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)の公示地価によれば、天沼3-20-21 の地点で48万円/m2となっている[8]

交通

鉄道

町域内には鉄道駅はないが、町域南部は荻窪駅の駅北口に近い。北部では荻窪駅のほか、バスの便も利用される。

バス

関東バス
  • 阿02系統 荻窪駅北口経由白鷺一丁目行き、阿05系統 荻窪駅北口行きのバス停がある。停留所名は天沼。

施設

出身・ゆかりのある人物

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ a b “町丁別世帯数及び人口”. 杉並区 (2019年11月1日). 2019年11月21日閲覧。
  2. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月26日閲覧。
  3. ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月26日閲覧。
  4. ^ 武部 2004, p. 4.
  5. ^ 武部 2004, p. 79.
  6. ^ “客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月30日閲覧。
  7. ^ “区立学校学区域一覧”. 杉並区 (2016年1月14日). 2017年12月26日閲覧。
  8. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  9. ^ “ウェルファーム杉並”. 杉並区 (2019年5月20日). 2019年5月25日閲覧。
  10. ^ a b 『人事興信録 第11版 下』タ79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月17日閲覧。

注釈

  1. ^ 「乗」は「剰」に準じて「あま」と訓ませるが、ただし「乗潴」は他の古史文献では現れない。菊池山哉は「乗潴」を「のりぬま」と訓んで「練馬」の語源とする説を唱え、また他にも明治期に字名の「天沼」があった現:さいたま市大宮区天沼町大田区馬込(後者は武蔵国府のあった大國魂神社と(大井宿)とを結ぶ品川道の直線上にあった。)などと比定する説があるがこれらも決定的な確証がない。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
  • (武部健一)、木下良監修『完全踏査-古代の道―畿内・東海道・東山道・北陸道』吉川弘文館、2004年。 

外部リンク

  • 杉並区
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