天沼町(あまぬまちょう)は、埼玉県さいたま市大宮区の町名。現行行政地名は天沼町一丁目及び天沼町二丁目。郵便番号は330-0834[2]。
地理
大宮区東部に位置する。芝川と見沼代用水西縁の間の低地は見沼の一部であった。芝川周辺の低地は市街化調整区域[注釈 1]である。見沼代用水の西側は大宮台地がある。堀の内町・大原[4]・北袋町・浅間町・吉敷町・東町、見沼区上山口新田・新右エ門新田と隣接する。地内は東部は主に学校や公園などの公共施設、西部は市街化区域[注釈 1]に指定され住宅地である。
地価
住宅地の地価は2019年(平成31年)1月1日の公示地価によれば天沼町1丁目257番4の地点で28万3000円/m2となっている[5]。
歴史
もとは江戸時代初期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する天沼村であった[6]。天正20年の史料には甘沼と記されているものもある。地名は沼が高い場所にあることが起源と云われている。村高は天正年間の『武蔵田園簿』では214石余、『元禄郷帳』では上天沼村では150石で下天沼村では60石、『天保郷帳』では下天沼村では74石余であった[7][8]。助郷は両村とも中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた[7][8]。化政期の戸数は上天沼村では18軒[注釈 2]で下天沼村では16軒[10]、村の規模は上天沼村では東西・南北とも5町余[9]で下天沼村では東西3町、南北4町余[10]であった[7][8]。村内を流れる見沼代用水西縁には上天沼河岸や下天沼河岸が設けられていた。
- 1593年(文禄元年)より村域に当たる一部領域の知行が旗本大岡氏となる[6]。
- 1633年(寛永10年)より天領となっていた天沼村の残りの部分が旗本朝比奈氏知行となり、天沼村は旗本2氏による相給となる[6]。
- 正保〜元禄年間より天沼町から旗本大岡氏知行が上天沼村、旗本朝比奈氏知行が下天沼村に分村する[6][7][8][注釈 3]。なお、検地時期は上天沼村、下天沼村とも不明。
- 1727年(享保12年)より見沼が干拓され[12]、翌年村内に見沼代用水が開削される。
- 1731年(享保16年) - 見沼通船が開始、村内に上天沼河岸および下天沼河岸が設置[13]。
- 1828年(文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属[7][8]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、上天沼村は大岡主水の知行、下天沼村は朝比奈鐘之助の知行[14]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡大宮宿・土手宿村・上天沼村・下天沼村・高鼻村が合併して大宮町となる。大宮町の大字上天沼および大字下天沼となる[7][8]。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 大宮町・宮原村・日進村・三橋村・大砂土村が合併し、大宮市となり[15]、大宮市の大字となる。
- 1949年(昭和24年)10月5日 地内に大宮市立大宮南中学校(現、さいたま市立大宮南中学校)が移転する。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 区画整理の実施により、大字上天沼・下天沼の全域、大字大宮・高鼻[注釈 4]・北袋の各一部から町名変更により天沼町一丁目及び二丁目が成立[16]。大字上天沼は天沼町一丁目及び二丁目の一部、大字下天沼は天沼町二丁目の一部となる[7][8]。これにより大字上天沼・下天沼は消滅する。
- 1974年(昭和49年)6月9日 - 地内に大宮市立芝川小学校(現、さいたま市立芝川小学校)が大宮市立片柳小学校(現、さいたま市立片柳小学校)の仮校舎より移転する[17]。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 地内に天沼児童センターが開設される[18]。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 地内に大宮市立第二東中学校(現、(さいたま市立第二東中学校))が開校する[19]。
- 1989年(平成元年)12月 - 地内に自治医科大学附属大宮医療センター(現、自治医科大学附属さいたま医療センター)が開院する[20]。
- 1990年(平成2年)4月 - 地内に防災センター[21](現、さいたま市消防局大宮消防署)が開設される[20]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の合併によりさいたま市が発足、さいたま市の町名となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に移行し、さいたま市大宮区の町名となる。
- 2007年(平成19年)11月4日 - 地内に合併記念見沼公園が開園する。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
天沼町一丁目 | 1〜329番地 | さいたま市立大宮小学校 | さいたま市立大宮東中学校 |
その他 | さいたま市立芝川小学校 | (さいたま市立第二東中学校) | |
天沼町二丁目 | 1〜855番地 | さいたま市立大宮南小学校 | さいたま市立大宮南中学校 |
その他 | さいたま市立芝川小学校 | (さいたま市立第二東中学校) |
交通
鉄道
町内には鉄道は敷設されていない。最寄り駅は大宮駅が天沼町1丁目257番4の地点よりおよそ1.4 km[5]の場所にある。地区によってはさいたま新都心駅が最寄り駅の場合もある。
道路
- 埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
- 地区中央部を縦断する産業道路のバイパス道路[注釈 1]の建設が進んでいる。
- 埼玉県道214号新方須賀さいたま線
地域
寺社・史跡
公園・緑地
- 合併記念見沼公園
- さいたま市天沼テニス公園
- 天沼公園 - 天沼町一丁目194に所在
- 天沼一丁目公園
- 下天沼公園
- なかよし公園
- 甚兵衛落し公園
施設
- 大宮消防署
- 自治医科大学附属さいたま医療センター
- 埼玉県立大宮高等学校
- さいたま市立大宮南中学校
- (さいたま市立第二東中学校)
- さいたま市立芝川小学校
- さいたま市天沼児童センター
- 東武バスウエスト天沼営業所
- 大宮天沼郵便局
- 天沼住宅
- 天沼集会所
- 天沼二丁目自治会館
脚注
注釈
出典
- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 大宮区側と浦和区側の双方
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 80頁。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 246頁。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 434頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 上天沼村.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 下天沼村.
- ^ a b 『大宮のむかしといま』 117頁。
- ^ 『大宮のむかしといま』 78-81頁。
- ^ 『大宮のむかしといま』 86-93頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 956頁。
- ^ 概要と沿革 - さいたま市立芝川小学校.2019年12月5日閲覧。
- ^ 天沼児童センター - さいたま市社会福祉事業団.2019年12月5日閲覧。
- ^ 学校の歴史とあゆみ - さいたま市立第二東中学校.2019年12月5日閲覧。
- ^ a b 『写真でみる大宮の昔と今』218-221頁。
- ^ 『写真でみる大宮の昔と今』 212頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ “文化財紹介 大日堂のシイノキ”. さいたま市 (2014年1月7日). 2019年12月5日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN (4040011104)。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。(全国書誌番号):(81007009)、NCID BN03449939。
- 大宮市立博物館『写真でみる大宮の昔と今』大宮市教育委員会、1990年11月3日。(全国書誌番号):(94008958)、NCID BN05592682。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 新編武蔵風土記稿
- 「上天沼村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ153足立郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):764000/59。
- 「下天沼村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ153足立郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):764000/60。
関連項目
外部リンク
- さいたま市地図情報 - さいたま市
- 大宮区ガイドマップ - さいたま市