吉備津(きびつ)は、岡山県岡山市北区の高松地域(北区役所高松地域センター管内)東部にある地区である。かつては真金(まかね)と呼ばれていた。
吉備津 きびつ | |
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国 | 日本 |
地方 | 中国地方、山陽地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 岡山県 |
自治体 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
旧自治体 | 吉備郡真金町 |
北緯34度40分11.69秒 東経133度50分42.61秒 / 北緯34.6699139度 東経133.8451694度座標: 北緯34度40分11.69秒 東経133度50分42.61秒 / 北緯34.6699139度 東経133.8451694度 | |
吉備津 |
概要
岡山市北区の高松地区中心部の東部にあたり、一宮地区の西隣に位置する。(吉備中山)北西麓となり、備中国と備前国の国境に接しており、これが一宮地区との境ともなっている。南は吉備中山、北は名越山大平山に挟まれ、平地は東西に横長になっているが、西部は平地が広がっている。
地区内は東西に国道180号と桃太郎線(吉備線)が通っており吉備津駅が設置されている。
かつて周囲は田園地帯であったが、幹線道路があり駅が近くにあるため(郊外型)ベッドタウンとして主要道路沿線を中心に急速に宅地化が進んだ。なお、主要道から離れた地区では今でも田園が多い。
また、この地区は吉備路の一角でもあり吉備中山の北麓に吉備津神社や(福田海)、吉備中山山中に吉備津彦命の陵墓を有し、他にも名所・史跡が多い。
付近には吉備津彦神社・最上稲荷・(神道山)(黒住教本部)があるため、国道180号と周辺道路は正月には大渋滞となり、生活道の一部は通り抜け防止のため一時的に一方通行の制限がされる。
小・中学校の学区
地名の由来
元は吉備津地区は「真金(まかね)」と呼ばれていた。由来は、『古今和歌集』で吉備中山について「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と歌われたことに由来している。この歌中の「真金吹く」とは吉備国を表す枕詞であり、「真金」は鉄という意味である。
その後、真金は高松町に編入合併し、そのときに現在の「吉備津」に改称した。由来は吉備津神社と吉備津駅からである。吉備津の地名の由来を、この付近に吉備国の津(港)があったこととする場合があるが、前述の通り吉備津の地名は高松町と合併してからであるので間違いである。また、この付近に港関連の遺跡もない。
歴史
まかねちょう 真金町 | |
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廃止日 | 1960年(昭和35年)4月1日 |
廃止理由 | 編入合併 真金町 → 高松町 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方、山陽地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 吉備郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 2,532人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 東:一宮町 西:高松町 南:吉備町、庄村 北:高松町、一宮町 |
真金町役場 | |
所在地 | 岡山県吉備郡真金町 |
座標 | 北緯34度40分23.1秒 東経133度50分19.7秒 / 北緯34.673083度 東経133.838806度 |
ウィキプロジェクト |
古代〜江戸時代
- 古代、この辺りは備中国賀陽郡(板倉郷)と呼ばれていた。桃太郎のモデルといわれ、吉備中山や吉備津神社も舞台となった吉備津彦命伝説が今に残っている。
- 吉備津地区北部、名越山麓は板倉と呼ばれており街道(山陽道)が通っていた。そのため宿場町(板倉宿)として繁栄し、今もその町並の雰囲気を残している。
- 吉備津地区南部、吉備津神社周辺は宮内と呼ばれ、古くから吉備津神社の鳥居前町として賑わっていた。江戸時代には遊廓が並ぶなど繁栄した。江戸時代の書物には、西国街道・京以西では随一の遊里・花街と記され、規模は縮小するも戦後辺りまで遊郭街として機能した[2]。
- 江戸時代は、板倉村と宮内村の一部は庭瀬藩領、宮内村の一部は吉備津神社領であった。