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亀井善行

亀井 善行(かめい よしゆき、本名:亀井 義行(読み同じ)、1982年7月28日 - )は、奈良県大和郡山市出身の元プロ野球選手外野手内野手)、プロ野球コーチ。右投左打。

亀井 善行(亀井 義行)
読売ジャイアンツ 打撃コーチ #79
2018年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本
出身地 奈良県大和郡山市
生年月日 (1982-07-28) 1982年7月28日(40歳)
身長
体重
178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト4巡目
初出場 2005年7月9日
最終出場 2021年11月12日
セ・リーグ クライマックスシリーズ
ファイナルステージ第3戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2022 - )
国際大会
代表チーム 日本
WBC 2009年

2022年からは、読売ジャイアンツの一軍コーチを務めている(2022年・外野守備兼走塁コーチ、2023年〜打撃コーチ)。

経歴

プロ入り前

保育園時代に7つ上の兄にキャッチボールを教えてもらい小学校1年で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「オール大和」のエースとして全国大会、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇。上宮太子高等学校でもエースとして2000年春の選抜に出場。1回戦で明徳義塾高に敗退。夏の甲子園府予選は準々決勝で北陽高に敗れる。東都中央大学商学部に進学後は内野手(主に指名打者)として1年春からレギュラーで出場。2年生になると外野手にコンバートされた。東都大学野球リーグでMVP1回・ベストナイン3回を受賞し、4年時には東都通算10人目の通算100安打を達成、主将として2004年秋季リーグで25年ぶりの一部優勝に貢献した[1]。同年の世界大学野球選手権大会日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献している。リーグ通算108試合出場、401打数101安打、打率.252、13本塁打、53打点。

2004年のドラフト会議読売ジャイアンツから4巡目指名を受け入団。背番号は「25」。

巨人時代

2005年、二軍で打率.320、10本塁打、6盗塁を記録し[2]、7月9日の広島東洋カープ戦でマイク・ロマノからプロ初安打を記録した[3]。シーズンオフに結婚を発表。

2006年、3月31日の横浜ベイスターズとの開幕戦に8番・右翼手で出場し、3打数2安打4打点と活躍。6月29日の対横浜戦で山口俊からプロ入り初本塁打を放った。しかし65試合の出場にとどまり、打率も辛うじて2割を超える程度しか残せなかった。

2007年李承燁が背番号25をこの年から着用することが決まったため、背番号を「35」に変更。1番打者候補と期待されたが、前年より出場機会を減らし20試合で23打席にとどまった。オフには高橋由伸沖縄県で自主トレを行った。

2008年谷佳知の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、4月3日の中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で1番・高橋、3番・小笠原道大と共に川上憲伸から球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献[4]。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦で右足関節を捻挫し[5]翌日出場選手登録を外れた[6]。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。この年は96試合に出場し、打率.268、5本塁打、23打点の成績を残した。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの日本シリーズ出場に貢献。日本シリーズにも出場し、第2戦では大沼幸二から同点適時打、第5戦は打線の7回の涌井秀章からの5連打の一人となったり、第6戦では帆足和幸からチーム唯一の得点となる適時打を放った。第7戦では5番を任され、初回に相手先発の西口文也が自身の打席で暴投して先制点が入り、なおも一死二・三塁のチャンスだったがセカンドゴロに倒れ得点できず、後続の李承燁も倒れてしまった。2回に坂本勇人のソロ本塁打で2点にリードを広げるも、これ以降西武投手陣の継投の前に走者を出せず、8回に逆転され日本一を逃した。第7戦は無安打に終わってしまい前述の暴投で先制後のチャンスを逃したのが響く形となってしまったが、一定の活躍を見せた。翌年からは清水隆行の移籍により空いた背番号「9」を着用することが決まった。

 
2009年9月15日、東京ドームにて

2009年は開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された。同大会では3試合の出場で1安打1犠打1盗塁を記録。

シーズンでは規定打席に達したことすらなく実績に乏しい亀井が選ばれたのは、守備を高く評価していた高代延博内野守備走塁コーチの強い推薦によるものだった[7]。レギュラーシーズンでは1番・右翼手で開幕スタメン出場。当初は調子が上がらず谷と併用されたが、4月25日の対中日戦で左腕の岩瀬仁紀から代打逆転サヨナラ3ラン本塁打を放った。それでもしばらくは併用での出場が続いたが、交流戦以降は投手の左右に関係なくスタメンで起用されるようになる[8]。中盤からは李承燁の不調により5番に定着、以降は一塁手としての起用も増えた。6月下旬に25打席無安打、8月には28打席無安打とスランプを経験したが、シーズン25本塁打のうち18本塁打、74三振のうち50三振を7月以降に記録した。球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放ち、初の規定打席に到達。自己最多の134試合に出場した。日本ハムとの日本シリーズでも第5戦での武田久からの同点本塁打を放つなど、日本一に貢献し優秀選手賞を受賞。オフには初のタイトルとなるゴールデングラブ賞に選ばれ、年俸も倍増となった。U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にはオーバーエイジで出場。日韓クラブチャンピオンシップも5番ライトで出場し勝利に貢献した。

2010年は開幕から5番に起用されたものの前年の活躍から一転して不振に陥り、度重なる故障もあってスタメン落ちや3度の二軍落ちを経験。この間にルーキー・長野久義が台頭した影響で出場機会を奪われ71試合の出場に留まり、打率.185、5本塁打、17打点の成績に終わった。11月6日、減額制限を上回る30%減の年俸4200万円で契約更改した[9]。秋季キャンプでは「たぐいまれな器用さがある」と評する原辰徳監督の意向で三塁手へのコンバートが決まり[10]、実戦における守備練習の機会を求めオーストラリアン・ベースボールリーグにも参加した[11]

2011年、1月に登録を外野手から内野手に変更。サードの開幕スタメンは新外国人のラスティ・ライアルに譲ったが、そのライアルの不調や他の野手の負傷が相次いだことなどで、徐々に出場機会が増えた。5月14日の対広島戦では、本塁打・三塁打・二塁打を打ち、あと単打を打てばサイクル安打達成となる活躍を見せた(第4打席で凡退し、サイクル安打ならず)。ところが、この試合前の練習中にノック打球の直撃を受けて右手薬指を骨折していたことが翌日に判明、チームを離脱した。6月11日に復帰して不振の坂本勇人に代わって1番でスタメン出場し、自身初の先頭打者本塁打を放った。しかし、一時は3割を記録していた打率もシーズン中盤以降急落。右翼手中堅手左翼手一塁手三塁手と守れるすべてのポジションでスタメン出場し、打順も1・2・6・7・8番を経験するなど111試合に出場したが定位置確保には至らなかった。

2012年、三塁手として新加入の村田修一とレギュラーを争う予定だったが[12]、チーム事情から主に外野手として出場。5月2日の対広島戦では自身の守備のミスでチームが敗北。試合後、原監督は「見苦しい。一晩中寝ないで反省してほしい」と厳しいコメントを出した[13]。しかし、翌日の同カードで汚名返上となる決勝本塁打を放ち、涙ながらにヒーローインタビューに応えた。また、このプレーで5月のジョージア魂賞を受賞した。9月22日対ヤクルト戦の9回表に公式戦で初めて二塁の守備に就いた。しかし、4月に頭部死球で鼻骨骨折、7月に左親指捻挫など怪我に苦しんだこともありレギュラー再奪取は果たせず。打率.236に対し長打率.409と長打力を発揮したものの、2010年を下回る60試合、117打席の出場に留まった。日本シリーズアジアシリーズ制覇に貢献。

2013年1月7日に登録名を「亀井 善行」に変更することが発表され[14]、登録も外野手に戻った。しかしキャンプイン直後の2月2日に練習のしすぎで左脹脛の肉離れを発症し戦線離脱。4月19日に二軍で実戦復帰し[15]公式戦7試合で打率.188だったものの、5月3日に一軍復帰[16]。同月10日の対横浜戦で4年ぶり自己最多タイの1試合4打点を記録し[17]、また25日のオリックス戦では球団通算5500勝を自身の4年ぶりの逆転サヨナラ打で決めた。復帰後はレギュラーに定着し、主に2番・右翼で先発出場するなど86試合に出場した。東北楽天ゴールデンイーグルスとの日本シリーズではファインプレーで最も大会を沸かせた選手として特別賞のベースボールヒーローズ賞を受賞した[18]

2014年2月26日の試合前練習中に内野ノックで捕球する際に右手に打球を受け、右手人差し指第一関節の骨折と診断される。その後手術を受け回復、5月17日の二軍戦で実戦復帰し、5月31日の対オリックス戦で一軍復帰。7番右翼手で先発出場すると0対0で迎えた延長12回表に馬原孝浩から決勝のソロ本塁打を放った[19]。その後も右翼手のレギュラーとしてスタメン出場を続け、勝負強い打撃と守備でチームの勝利に貢献。チームを2度目の交流戦優勝に導き、交流戦MVPを獲得した[20]。69試合の出場ながら3割近い打率を残した。クライマックスシリーズではファイナルステージで阪神と対戦。チームはストレートの4連敗で敗退したが、第3戦ではランディ・メッセンジャー、第4戦には能見篤史からそれぞれソロ本塁打を打つなど、不振だった打撃陣においてレスリー・アンダーソンと共に気を吐いた。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出されたことが発表された[21][22]

 
2015年

2015年7月7日のヤクルト戦でプロ入り初の4番打者を任され、巨人の第84代4番打者となった。これについては「全く、想像していなかった。巨人の四番ですから。簡単じゃないのは分かっているし」と述べた[23]。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[24]。また、シーズンを通しては規定打席にはあと11打席足りなかったものの、4年ぶりの100試合以上出場を果たし、打率.272、6本塁打、35打点の成績を残した。

2016年は開幕戦から6番・左翼としてスタメン出場を続けたが6月16日の出場登録抹消から9月2日の再登録まで下半身の故障などで約3か月二軍調整を余儀なくされるなど66試合の出場にとどまる。契約更改では、ほぼ減額制限並みの2000万ダウンの年俸5000万円でサイン。

2017年は開幕から代打出場が多く、6月18日の千葉ロッテマリーンズ戦では逆転サヨナラ3ランを記録するなどしばしば殊勲打を放った。後半戦からは左翼でのスタメン出場が多くなり、最終的に109試合の出場で打率自体は平凡だったものの得点圏打率は3割後半の高打率を記録したこともあり前年の倍以上の打点を記録した。

2018年は開幕二軍スタートだったものの、陽岱鋼の故障離脱で一軍に昇格すると、長野ら他の外野手の不振などもありスタメン出場が増えた。8月1日のDeNA戦で2009年以来9年ぶりの2桁本塁打を記録した。シーズン中盤までは好調をキープしていたもの、8月以降疲労もあり急失速した。対左投手時はスタメンを外れる機会も多く打率は.254にとどまったが、123試合に出場して自身9年ぶり2度目の規定打席に到達した。

2019年は前年と違い開幕当初からレギュラー外野手で使われる機会が増え、中盤戦からは1番打者として起用された。前年に続き規定打席に到達し、本塁打、打点は前年並みだったものの、キャリア2位の131試合に出場して打率は大きく上回る.284を記録し、優勝に貢献した。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、第2戦まで無安打も第3戦では初回にリック・バンデンハークから先頭打者本塁打、第2打席にも一時同点となるソロ本塁打を打ち、2打席連続本塁打を記録した。このシリーズでチームは勝ち星なしの4連敗で敗退したがこの2打席連続本塁打の活躍が評価され、シリーズ敢闘選手賞を受賞した[25]。オフの契約更改ではプロ15年目で初の大台を越える4000万増の1億1000万円でサインした[26]

2020年7月9日の阪神戦(阪神甲子園球場)で、9回表に藤川球児からライト前へ適時打を打ち、これが球団史上最年長(37歳11か月)での1000本安打に到達した[27]。8月13日に自身10度目のサヨナラ打を記録し、ヒーローインタビューでは「試合時間3秒だったんですけど」とコメントした[28]。この年は松原聖弥の台頭やゼラス・ウィーラーが加入したこともあり、スタメン出場は激減し代打での出番が増えた。さらに9月25日に左脚内転筋違和感のため登録を抹消された[29]。この抹消以降はシーズン中に一軍昇格できず51試合の出場に終わった。一方日本シリーズで復帰し、第1戦から第3戦までスタメン出場するも無安打に終わった。第4戦ではスタメン落ちし、9回表二死一・二塁のチャンスに代打で登場するもセカンドフライに倒れ、シリーズ最後の打者となってしまい日本シリーズは2年連続4連敗での敗退となった。

2021年3月26日の開幕戦(対DeNA・東京ドーム)で9回裏に先頭・小林誠司の代打で登場し、三嶋一輝からサヨナラ本塁打を打った。開幕戦での代打サヨナラ本塁打はプロ野球史上初のことである[30]。6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算100号本塁打を達成[31]。10月21日、同年シーズン限りでの現役引退を表明した[32]。10月23日のヤクルト戦(東京ドーム)で引退試合が行われた[33]。5回一死満塁の場面に代打で登場[33]。前年までの同僚・田口麗斗から2球目を打って三塁ゴロに終わった[33]。次の回は一度右翼の守備位置に就いたが、すぐに変更のアナウンスがあり、ライトスタンドのファンにお辞儀をし、目に涙を浮かべながら同僚とグータッチや抱擁をしてベンチに下がった[33]。試合後の引退セレモニーでは、自身のドラフト指名から活躍をまとめた映像がオーロラビジョンで流れた後、かつての同僚・高橋由伸小笠原道大アレックス・ラミレス内海哲也からビデオメッセージを受け[33]、チームの主将・坂本勇人から花束を手渡された[34]。挨拶では涙を流しながら関係者やファンに感謝を伝えただけでなく、「(吉川)尚輝、ポジティブにがんばれよ。(松原)聖弥、あんたは天才だから、もうちょっとだけ頭使っていけよ。きっしゃん(岸田行倫)お疲れ。(坂本)勇人、あとは任せた。3000本目指して頑張ってください。」と一部の後輩に対してユーモアも交えたメッセージを送った[34]。最後はグラウンド内を一周すると、本塁ベース上で背番号と同じ9度、胴上げされた[34]。引退試合後もチームに帯同し、クライマックスシリーズにも計3試合出場[35][36][37]。現役最後の試合はヤクルトと対戦した11月12日のファイナルステージ第3戦(神宮)で、自身は「2番・左翼手」として先発出場[37]。3回表の第2打席には、金久保優斗から右前に現役最後の安打を記録[37]。現役最終打席は7回表二死からアルバート・スアレスと対戦し、151km/hの球に空振り三振[37]。直後の守備からベンチに退き、現役生活の幕を下ろした[37]

現役引退後

2021年11月15日、読売ジャイアンツの一軍外野守備走塁コーチへの就任が発表された[38]

2022年10月13日、一軍打撃コーチへの配置転換が発表された[39]

選手としての特徴

打撃

無駄な動きの少ない安定したスイングから[40]「内角低めを事もなげに打ち返す」巧打が特徴[41]。2009年には第2回WBCで同僚となった稲葉篤紀の打撃フォームを参考にしペナントレースでは25本塁打を記録するなど自己最高の結果を残した[42]。だが、上述のように2010年から2012年にかけてスランプに陥ったが、その理由として「さらなる長打力を求めて上半身のトレーニングに励んだ結果、筋肉のバランスを崩したことが原因」との一説がある[43]。2013年からは長打へのこだわりを捨て、グリップの位置を下げてややオープンスタンス気味に構え、フォームを一本足打法からすり足打法に変更したことで低めの変化球にも対応できるようになったと言われている[44][45]バットミズノ社が製造するグリップが細いイチローモデルを使用している[46]

かつては左投手を苦手としていたため一軍に定着できずにいたが、2008年シーズンに対左打率.283を残したことから徐々に対応し始め[47]、以降も2010年までの通算対右打率.263に対して通算打率.257と投手の左右を苦にしなくなった。初球から積極的にスイングしていく打撃スタイルだが選球眼に課題があり、高めのボール球へのスイング率が高い[48]。一軍に定着した2008年から2013年にかけての通算得点圏打率を.270 としている[49]ように圧倒的な勝負強さが何よりの持ち味。

守備・走塁

巨人に入団した当初から遠投115メートルの強肩と守備範囲の広さを首脳陣から高く評価されており[50]、特に肩の強さに関しては12球団トップクラスとも言われ、第2回WBC出場時にチームメイトとなった日本人外野手屈指の強肩を誇るイチローからも称賛されている[40]。スタメンに定着した2009年には主な守備位置の右翼手と李承燁との日替わりで一塁手としても出場し、2010年からは三塁手二塁手としてもプレーしたが、2013年からは本人の希望で外野手としての出場に専念し、2019年からは再び一塁手としても出場している。走塁面では一塁到達3.87秒の俊足を誇るが[51]盗塁は最高でも2009年の12個と企図・成功ともに少ない。

人物

愛称は「カメ[52]、「イケおじ[53]

優しく穏やかで人懐っこい性格であり[54]、チームメイトからの人望も厚い[55]

2017年6月18日のロッテ戦では、好機で前の打者ケーシー・マギーが2打席連続で敬遠され、自身はいずれも凡退。その後、1点を追う延長12回。またも好機で相手バッテリーはマギーと勝負を避け、亀井との勝負を選択。3打席連続で前の打者が敬遠される屈辱を味わうも、逆転サヨナラスリーランを放ち、雪辱を果たした。ベースを一周する際は号泣しており、続くヒーローインタビューの途中まで涙が止まらなかったことから、非常に負けず嫌いで熱い一面を持っている。また、ヒーローインタビューの際には「これで最後だめだったら命を取られると思って、そのくらいの気持ちでいきました」とコメントを残している[56]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2005 巨人 20 45 42 1 6 2 0 0 8 1 0 0 1 0 1 0 1 15 0 .143 .182 .190 .372
2006 65 151 141 13 29 12 1 3 52 18 1 0 1 3 5 0 1 38 2 .206 .233 .369 .602
2007 20 23 19 3 3 1 0 1 7 3 1 0 0 1 3 0 0 7 0 .158 .261 .368 .629
2008 96 298 276 41 74 21 3 5 116 23 7 5 5 0 14 0 3 43 5 .268 .311 .420 .731
2009 134 547 490 79 142 25 4 25 250 71 12 7 4 3 45 3 5 74 7 .290 .354 .510 .864
2010 71 220 205 22 38 13 0 5 66 17 4 2 1 2 9 0 3 38 4 .185 .228 .322 .550
2011 111 308 284 27 70 13 2 3 96 24 7 1 8 1 14 3 1 43 5 .246 .283 .338 .621
2012 60 117 110 12 26 7 3 2 45 11 0 0 2 0 4 1 1 13 3 .236 .270 .409 .679
2013 86 324 296 31 76 17 0 3 102 25 3 2 9 1 17 0 1 36 5 .257 .298 .345 .643
2014 69 268 240 31 71 17 1 8 114 26 3 1 4 2 19 1 3 30 4 .296 .352 .475 .827
2015 109 432 382 42 104 21 0 6 143 35 8 1 3 6 40 0 1 59 6 .272 .338 .374 .712
2016 66 240 226 21 57 14 0 3 80 23 0 2 3 0 11 0 0 35 7 .252 .287 .354 .641
2017 109 277 247 20 62 16 0 6 96 47 1 0 0 2 27 1 1 38 4 .251 .325 .389 .714
2018 123 461 422 47 107 20 0 13 166 49 4 0 0 1 36 2 2 70 6 .254 .315 .393 .708
2019 131 503 450 67 128 27 2 13 198 55 9 1 3 5 45 3 0 91 6 .284 .346 .440 .786
2020 51 156 141 21 36 7 0 2 49 17 0 1 1 2 11 0 1 21 3 .255 .310 .348 .657
2021 92 206 186 15 40 12 1 3 63 17 1 1 2 3 13 1 2 47 3 .215 .270 .339 .608
通算:17年 1413 4576 4157 493 1069 245 17 101 1651 462 61 24 47 32 314 15 26 698 70 .257 .311 .397 .708

WBCでの打撃成績



















































2009 日本 3 2 1 0 1 0 0 0 1 0 1 1 1 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000

年度別守備成績



一塁 二塁 三塁 外野
















































2005 巨人 - - - 15 20 0 0 0 1.000
2006 - - - 52 61 4 0 1 1.000
2007 - - - 10 10 0 0 0 1.000
2008 - - - 85 119 1 2 0 .984
2009 47 345 23 3 22 .992 - - 104 194 5 2 2 .990
2010 22 115 12 1 3 .992 - - 58 94 5 0 3 1.000
2011 43 209 20 0 13 1.000 - 42 18 65 5 6 .943 49 34 1 1 0 .972
2012 17 81 8 0 10 1.000 1 0 0 1 0 .000 1 0 0 0 0 .000 32 28 1 0 0 1.000
2013 19 33 4 1 3 .974 - 3 0 1 0 0 1.000 83 103 3 1 0 .991
2014 4 8 0 1 0 .889 - - 65 94 6 1 1 .990
2015 8 23 0 1 3 .958 1 1 0 0 0 1.000 - 106 158 2 2 0 .998
2016 - - - 58 91 6 0 2 1.000
2017 - - - 82 102 2 0 0 1.000
2018 - - - 114 186 7 6 1 .970
2019 3 3 0 0 0 1.000 - - 126 187 6 1 1 .995
2020 2 12 1 0 2 1.000 - - 42 49 2 1 0 .981
2021 - - - 51 73 2 0 0 1.000
通算 165 484 45 4 34 .992 2 1 0 1 0 .500 46 18 66 5 6 .944 1132 1199 43 13 8 .990

表彰

BASEBALL HEROES賞 : 1回(2013年
  • 日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2019年
  • セ・パ交流戦 最優秀選手賞(MVP):1回(2014年)
  • アットホームヒーロー・オブ・ザ・イヤー:1回(2017年[57]
  • 月間アットホームヒーロー賞[58]:2回(2013年5月、2017年6月)

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 開幕戦代打サヨナラ本塁打:2021年3月26日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(東京ドーム)、9回裏に三嶋一輝から右越ソロ ※史上初[59]

背番号

  • 25(2005年 - 2006年)
  • 35(2007年 - 2008年、2009年WBC
  • 9(2009年 - 2021年)
  • 79(2022年 - )

登場曲

登録名

  • 亀井 義行(かめい よしゆき、2005年 - 2012年)
  • 亀井 善行(かめい よしゆき、2013年 - )

代表歴

脚注

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  2. ^ “2005年度 読売ジャイアンツ 個人打撃成績”. NPB. 2022年2月21日閲覧。
  3. ^ “【巨人亀井】鳥取から急きょプロ初スタメンで初安打/プレーバック”. 日刊スポーツ (2021年10月21日). 2022年2月21日閲覧。
  4. ^ “由伸!亀井!小笠原!3連発巨人逆転1勝”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). 日刊スポーツ新聞社 (2008年4月4日). 2023年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月24日閲覧。
  5. ^ “亀井離脱か…「右足首関節捻挫」”. スポニチ Sponichi Annex 野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年5月26日). 2023年2月24日閲覧。
  6. ^ “巨人亀井が出場選手登録抹消”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). 日刊スポーツ新聞社 (2008年5月27日). 2023年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月24日閲覧。
  7. ^ 「WBCに愛があった」(高代延博著、ゴマブックス刊)より。
  8. ^ “巨人亀井「あの1本で僕の人生は…」”. 日刊スポーツ (2009年11月25日). 2021年10月10日閲覧。
  9. ^ “亀井、制限超える大幅減…4200万円で更改”. スポーツニッポン (2010年11月7日). 2021年10月10日閲覧。
  10. ^ “亀井三塁コンバート 復活目指し練習開始”. 日刊スポーツ (2010年11月2日). 2021年10月10日閲覧。
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  51. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、347頁頁。(ISBN 978-4-331-51519-8)。 
  52. ^ “【巨人】亀井善行、軽度の腰の張りで広島戦出場を回避”. スポーツ報知 (2021年2月27日). 2021年3月17日閲覧。
  53. ^ “ナイツ塙 巨人亀井は「イケおじの人格者」”. 日テレNEWS (2021年4月17日). 2021年2月18日閲覧。
  54. ^ “ジャビット(うさぎ)の中で光る、遅咲きの1億円プレーヤー・亀井善行/川口和久WEBコラム | 野球情報”. 週刊ベースボールONLINE (2019年12月6日). 2021年3月17日閲覧。
  55. ^ “近大・佐藤逃した巨人が気をもむ亀井の去就「急に辞めるなんて言わないで」”. 東京スポーツ (2020年10月29日). 2021年8月29日閲覧。
  56. ^ “【巨人】亀井善行 マギー3連続敬遠から「命取られる」サヨナラ弾…ファンが選ぶ名シーン”. スポーツ報知 (2020年4月12日). 2021年3月17日閲覧。
  57. ^ . スポーツ報知. (2017年11月10日). オリジナルの2017年11月15日時点におけるアーカイブ。. 2017年11月14日閲覧。 
  58. ^ 2013年の表彰名は「月間アットホームクラッチヒーロー賞」
  59. ^ a b “巨人・亀井 史上302人目の通算100号!史上初開幕戦代打サヨナラ弾以来一発”. スポーツニッポン. (2021年6月5日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/06/05/kiji/20210423s00001173562000c.html 2021年6月13日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 亀井善行 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
  • 亀井 善行 - 読売巨人軍公式サイト
  • Yoshiyuki Kamei stats ABL.com (英語)
  • - ウェイバックマシン(2019年12月26日アーカイブ分)
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