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中山 忠能(なかやま ただやす)は、江戸時代末期から明治時代前期にかけての公家、政治家である。明治政府の議定。明治天皇の外祖父。
生涯
文化6年(1809年)11月11日、羽林家の中山忠頼の子として生まれる[1]。
天保11年(1840年)、参議となる。この年亡くなった光格上皇に対する諡号復帰の問題で、1人反対論を唱えて注目される[注釈 1]。
弘化4年(1847年)、権大納言となる。嘉永6年(1853年)にアメリカ合衆国のマシュー・ペリーが来航して通商を求めた際には攘夷論を主張し、条約締結を巡り、関白の九条尚忠を批判する。安政5年(1858年)、江戸幕府老中の堀田正睦が上洛して条約の勅許による許可を求めた際には、正親町三条実愛らと共にこれに反対した。
その後、議奏となる。公武合体派の公家として万延元年(1860年)、孝明天皇から和宮と14代将軍・徳川家茂の縁組の御用掛に任じられた。その経緯から翌文久元年(1861年)、和宮の江戸下向に随行するが、これが一部の過激な尊皇攘夷派からの憤激を生み、文久3年(1863年)1月に正親町三条とともに議奏を辞任した。だが八月十八日の政変によって赦免され、正親町三条、阿野公誠とともに議奏再任を命じられるも、三人はこれを固辞したため、「議奏格」にとどまった[2]。だが忠能は実際は、後述する二人の息子の不祥事を受け、また痔がひどくなったことから出仕せず、議奏格の任務を行わなかった[3]。
同年、子の中山忠光[注釈 2]が尊皇攘夷派を率いて、天誅組の変を起こすが敗れ、長州へ逃れた後、暗殺された。また忠能の次男で正親町実徳に養子入りしている正親町公董は、監察使として長州に下向した際、京都から脱走して官位を剥奪されている三条実美と三田尻で同宿したことが問題視され、差控の処分を受けた[3]。
元治元年(1864年)、長州藩が京都奪還のため挙兵した禁門の変では長州藩の動きを支持した。忠能は長州藩を支持して変事を成功させることで、復帰を考えていたらしいが、禁門の変は結果的に失敗し、忠能は孝明天皇の怒りを買って処罰された。慶応2年(1866年)、孝明天皇が崩御すると復帰を許される。
慶応3年(1867年)、中御門経之・正親町三条実愛らと組み、将軍・徳川慶喜追討の勅書である討幕の密勅を明治天皇から出させることにも尽力。その後も岩倉具視らと協力して王政復古の大号令を実現させ、小御所会議では司会を務めた。その後、曾孫にあたる嘉仁親王(後の大正天皇)の養育を担当。明治21年(1888年)、80歳で薨去。薨去直前に大勲位菊花大綬章を受章した。
官職および位階などの履歴
※日付は明治4年までは旧暦
- 文化7年(1809年)1月10日、従五位下に叙位。
- 文化9年(1811年)1月20日、従五位上に昇叙。
- 文化10年(1812年)2月7日、侍従に任官。
- 文化11年(1813年)1月27日、正五位下に昇叙し、侍従如元。阿波権介を兼任。
- 文化13年(1815年)
- 文化15年(1817年)
- 1月5日、従四位上に昇叙し、侍従阿波権介如元。
- 1月28日、阿波権介を去る。
- 文政3年(1820年)1月4日、正四位下に昇叙し、侍従如元。
- 文政4年(1821年)5月10日、左近衛権少将に転任。
- 文政5年(1822年)4月3日、伊予権介を兼任。
- 文政7年(1824年)6月19日、右近衛権中将に転任し、伊予権介如元。皇太后宮権亮を兼任。
- 文政13年(1830年)2月2日、伊予権介を去る。
- 天保2年(1831年)12月19日、内教坊別当を兼帯。
- 天保5年(1834年)
- 天保11年(1840年)3月27日、参議に補任。右近衛権中将皇太后宮権亮如元。
- 天保12年(1841年)
- 天保14年(1843年)1月4日、正三位に昇叙し、新清和院別当参議右近衛権中将如元。
- 弘化元年(1844年)12月22日、権中納言に転任し、新清和院別当如元。
- 弘化2年(1845年)2月18日、従二位に昇叙し、新清和院別当権中納言如元。
- 弘化3年(1846年)6月20日、新清和院崩御に伴い、同院別当を止む。
- 弘化4年(1847年)
- 安政5年(1858年)5月10日、議奏を兼帯。
- 文久2年(1862年)12月9日、朝廷の国事御用掛を兼帯。
- 文久3年(1863年)
- 1月27日、議奏を解く。
- 2月14日、権大納言を辞任。
- 慶応3年(1867年)
- 慶応4年(1868年)
- 明治2年(1869年)
- 5月15日、上局議定から神祇官知事に異動。
- 7月8日、官制改正により、神祇官知事から神祇伯に異動し、宣教長官を兼帯。
- 明治4年(1871年)6月25日、神祇伯宣教長官をともに辞し、麝香間祗候と就る。
- 明治13年(1880年)11月2日、勲一等旭日大綬章を受勲受章。
- 明治17年(1884年)7月7日、侯爵を叙爵。
- 明治21年(1888年)5月14日、大勲位菊花大綬章を受勲受章。
子女
栄典
墓所
著作
『中山忠能日記』(原題は『正心誠意』)全3巻
登場作品
映画
テレビドラマ
- NHK大河ドラマ
- 翔ぶが如く(1990年) - 演:松村彦次郎
- 徳川慶喜(1998年) - 演:真夏竜
- 新選組!(2004年) - 演:仲恭司
- 篤姫(2008年) - 演:神崎智孝
- 八重の桜(2013年) - 演:小川隆市
- 西郷どん(2018年) - 演:緒方賢一
- 青天を衝け(2021年) - 演:堀内正美
- 民放
脚注
注釈
出典
関連項目
- (孫文#号の由来)
外部リンク
- 『(中山忠能)』 - コトバンク