» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

中原理恵

中原理恵(なかはら りえ、1958年6月17日 - )は、日本の元歌手女優タレント司会者。かつて田辺エージェンシーに所属していた。本名は目加田 貴美恵(めかた きみえ)[1]

なかはら りえ
中原 理恵
本名 目加田 貴美恵
生年月日 (1958-06-17) 1958年6月17日(64歳)
出生地 北海道函館市
国籍 日本
身長 160 cm
血液型 O型
職業 歌手タレント司会者
活動期間 1978年 - 2000年代
主な作品
歌手としての代表曲
東京ららばい
代表されるテレビ番組
(欽ドン!良い子悪い子普通の子)
ミュージックステーション(初代司会)
出演映画
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎
備考
1980年代欽ちゃんファミリーの一員として活躍。
(テンプレートを表示)

来歴・人物

北海道函館市出身。函館市立潮見中学校[要出典]遺愛女子高校卒業[2]文化放送主催『歌のフェスティバル』に北海道代表で出場、優勝は逃したが、そこで「何か光るものがある」とスタッフの目に留まり、デビューのきっかけを得る[1]1978年CBS・ソニーからアルバム『TOUCH ME』で歌手デビュー。アルバム発売後にリリースされた1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽っていた[3]。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。第二弾「ディスコ・レディー」もヒットとなる。

芸名は既に高校生時代に自ら考えていたというもので、本名が6文字で長いので、4文字で明るく軽い響きの名前に憧れていたということで姓名判断の字画も自分で調べて名付け、この名前で友人たちと呼び合って遊んでいたりしていたという[1]

1981年から1982年にかけて、フジテレビ系列『(欽ドン!良い子悪い子普通の子)』の人気コーナー「良い妻、悪い妻、普通の妻」で「よし子」「わる子」「ふつ子」の三役を演じ、それまでのシリアスなイメージを打ち破る弾けたコメディエンヌぶりで人気が爆発。演技力、カンの良さ、トークの切れが高く評価されることになる。『ドリフ大爆笑』でもセミレギュラーに近い扱いでたびたび出演しオチを任されることも多かった(『欽ドン!』を途中降板となったのは不倫騒動ゆえと話題にもなったが、実際は彼女が歌手としてもうひと花咲かせたいと訴え、萩本欽一がコメディエンヌとしての充電も必要、とその意を汲んだため[4][5])。これを受け、映画監督の市川崑エド・マクベインの『クレアが死んでいる』翻案に挑んだミステリ映画『幸福』で抜擢を受ける。原作のクレアにあたる役で、冒頭部と回想場面のみの出演だが、映画そのものが彼女のアップから始まるなど印象的な起用となっている。その後は、人気映画『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』のマドンナ役やサスペンスドラマの主演など、歌手・コメディエンヌ・女優とマルチに活躍するようになる。

1983年テレビ朝日日曜洋画劇場』で放映された映画『スーパーマン』の吹き替えを行っている(ロイス・レイン役)。第2作でも同じ役柄を担当した。声優としてはFMラジオドラマへの出演も有った。一方で、同じく1983年には映画『プロ野球を10倍楽しく見る方法』においてギャグアドバイザーという形で製作にかかわった。

1986年10月放送開始の『ミュージックステーション』(テレビ朝日)に、初代メイン司会者の関口宏と共にパートナーとして、司会進行役を務めた。その半年後の1987年4月からは、二代目メイン司会者がタモリとなり、タモリのパートナーとして務めていたが、同年12月末で降板。

その後は女優業(ドラマ出演等)を主に活動。また、1997年にはfaceというユニットを組み、一時歌手活動を再開した。

1982年発売のシングル『風が吹いたら恋もうけ』は元々演歌歌手の小高桂子に提供されていた楽曲だった。しかし、彼女の引退に伴い、正式に録音されていたがお蔵入りとなっていた。しかし、2023年『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK/NIAGARA ONDO BOOK』の『NIAGARA ONDO BOOK』にシングルB面収録予定の「アンアンストーリー」(後のアンアン小唄)と共に収録。陽の目を見た。尚、同作には中原版の「風が吹いたら恋もうけ」がシングルとは別の「ハチャメチャ・ヴァージョン」で収録されている。

ディスコグラフィ

シングル

発売日 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
CBS・ソニー
1977年9月21日 06SP-178 A ロックンロール・ランデブーのテーマ Too Fast To Live (Too Young To Die)[6] ジョニー大倉

内海利勝

B 愛の通り雨 Love Is Just Like Rain[6]
1978年3月21日 06SH-259 A 東京ららばい 松本隆 筒美京平
B TOUCH ME 竜真知子
1978年8月1日 06SH-366 A ディスコ・レディー[7] 松本隆 筒美京平
B SENTIMENTAL HOTEL
1978年12月5日 06SH-420 A マギーへの手紙 Letter To Maggie 松本隆 筒美京平 鈴木茂

梅垣達志

萩田光雄

B BOY HUNT 筒美京平
1979年3月21日 06SH-484 A 枕詞(ピロー・トーク)[7] 松本隆 筒美京平 矢野誠
B 卍BLUES
1979年8月1日 06SH-551 A SHOW BOAT 松本隆 筒美京平 佐藤準
B 聖三角形 矢野誠
1979年11月21日 06SH-657 A 寒い国から来た女 松本隆 筒美京平 萩田光雄
B やさしさの証明
1980年3月21日 06SH-735 A 懐しのジョージ・タウン 松本隆 筒美京平 船山基紀
B 螺旋階段
1980年7月21日 06SH-811 A 抱きしめたい 松本隆 筒美京平 筒美京平

梅垣達志

B ダイアン・キートン 鈴木茂
1981年1月21日 07SH-912 A シェイク シェイク・・・ ちあき哲也 鈴木キサブロー 船山基紀
B 時の片隅 吉田美奈子 林哲司
1981年5月21日 07SH-999 A 横浜ブギウギ娘 ちあき哲也 鈴木キサブロー (小泉宏)
B ミッドナイト・プレイタウン・東京 杉本真人 飛沢宏元
1981年9月21日 07SH-1054 A 死ぬほど逢いたい 松本隆 松宮恭子 大村雅朗
B Eマイナーのラブソング
1982年3月5日 07SH-1107 A 愛してクレイジー (麻木かおる) 井上堯之 甲斐正人
B やさしさの香り
1982年7月21日 07SH-1177 A 頬たたかれて 橋本淳糸井重里 井上堯之 甲斐正人
B い・じ・わ・る 麻木かおる
1982年9月22日 07SH-1215 A 風が吹いたら恋もうけ 伊藤アキラ 大瀧詠一 矢野誠

飛沢宏元

B 乱反射 麻木かおる 井上堯之 甲斐正人
1983年4月1日 07SH-1265 A さみしさ裏がえし 下田逸郎 村下孝蔵 甲斐正人
B 星のため息 康珍化 安部恭弘 水谷公生
1983年9月1日 07SH-1390 A 銀河系まで飛んで行け![8] 喜多條忠 吉田拓郎 瀬尾一三
B 涙のカクテル 松本隆 筒美京平 大村雅朗
1984年2月1日 07SH-1459 A さよなら冷たいひと 糸井重里 高橋幸宏
B 誘惑は忍び足で (實川翔) (木下伸司) 甲斐正人
1984年7月21日 07SH-1536 A 千年接吻[9] 売野雅勇 井上大輔 船山基紀
B SINGAPORE SLING
1985年9月1日 07SH-1683 A 私小説 かしぶち哲郎 矢野誠
B 生意気娘 中原理恵 高橋幸宏
Mash-U Recording
1997年10月29日 PODH-5004 1 吐息のオペラ[10][11] 森雪之丞 OGAWA 森岡賢
2 嵐(アンプラグド・ピアノ・ミックス)[10] (西尾佐栄子) OGAWA
3 吐息のオペラ(オフ・ヴォーカル・ヴァージョン) - 森岡賢

アルバム

※ すべてCBS・ソニー(Sony Records)より発売。

発売日 規格 規格品番 アルバム
1978年2月25日 LP 25AH-404 TOUCH ME
1978年12月5日 LP 25AH-652 KILLING ME
1979年8月1日 LP 25AH-772 夢つれづれ
1979年12月21日 LP 25AH-905 VIVID
1980年7月21日 LP 27AH-1017 Heart of Gold
1981年1月21日 LP 27AH-1159 夢合わせ
1982年4月1日 LP 28AH-1399 インスピレーション
1982年 LP 25AH-1477 The Best '83
1984年2月25日 LP 28AH-1689 LADY麗(REI)
1985年9月1日 LP 28AH-1903 UN ART DE VIVRE
2003年7月16日 CD MHCL-305 GOLDEN☆BEST 中原理恵 Singles

出演

映画

ドラマ

吹き替え

テレビ

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1978年(昭和53年)/第29回 東京ららばい 11/24 新沼謙治
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

ラジオ

CM

著書

脚注

  1. ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年3月9日号「芸名由来記」54頁
  2. ^ “遺愛女子中学・高校がキャロリング 函館市内にキリスト誕生の喜びを届けて”. 日刊キリスト新聞 (2018年12月11日). 2022年1月27日閲覧。
  3. ^ EP「東京ららばい」ジャケット記載のプロフィールには 1956年6月15日生まれ、とされている。
  4. ^ 日刊ゲンダイ プレイバック芸能スキャンダル史 中原理恵 人気の「欽ドン」をわずか1年で降板
  5. ^ 実際、制裁降板ではなかったことを裏付けるかのように1994年1月4日に放送された『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』には元レギュラーとして出演し、萩本とも普通に会話している。
  6. ^ a b RIE名義:プレデビュー盤。
  7. ^ a b サントリー「デリカワイン」CMソング。
  8. ^ キャンディーズが1977年に発売した5枚組アルバムBOX収録の同曲のカバー。梓みちよもその前にカバーしている。
  9. ^ 松竹映画『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』挿入歌。
  10. ^ a b Face名義。
  11. ^ フジテレビ系「ShimuraXYZ(志村X)」エンディングテーマ。
  12. ^ a b WOWOWでカット部分を追加録音して再放送された際は小林さやかが追加部分を担当。

関連項目

  • (1978年の音楽#デビュー) - 同じ年にデビューした歌手

外部リンク

  • 中原理恵 - ソニーミュージック
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。