来歴
ジュニアの時からゴルフの非凡さを認められ[1]、1964年の関西学生ゴルフ選手権では決勝戦で2連覇を果たしている中部銀次郎と対戦し、3-2で三上が高校生で初めての優勝を飾った[2]。
卒業後は明治大学に進学し、1967年には関東学生選手権・日本学生選手権を共に準優勝する[3]。
1979年の日本国土計画サマーズ[4]ではマンデートーナメントから勝ち上がり、同年のフジサンケイクラシック・佐藤正一に次いで2例目の本戦優勝[5] [6] [7] [8] [9]で、ツアー初優勝を飾る[10]。
30代半ばで身体を故障し、シード権を失うが、1986年の暮れからつるや専属プロとなる[1]。
1987年2月に雪の降る西宮高原GCで一緒にラウンドしたことがきっかけで、大阪大学の森勇蔵教授がクラブを作成[1]。同年4月に推薦出場したブリヂストン阿蘇オープンでデビッド・イシイ( アメリカ合衆国)、佐野修一、山本善隆、ブライアン・ジョーンズ( オーストラリア)を破って優勝[11]。シード権を再び獲得するが、インタビューでは「これは大阪大学の森教授のおかげです」と言っている[1]。同年の日本プロでは気温32度、時折10mを超えるような強風という厳しいコンディションの中、深いラフに何度か入りながらも打ちやすい順目という幸運もあり、初日に4バーディー、2ボギーの2アンダー70で首位に立つ[12]。最終的にはイシイ、金井清一、ジョーンズ、青木功に次ぎ、陳志明( 中華民国)・高橋勝成と並んで8位タイに入る[12]。
1988年の関西プロでは秋富由利夫と並んで倉本昌弘の2位タイ[13]、1989年の中四国オープンでは上野忠美の2位に入った[14]。
主な優勝
レギュラー
- 1979年 - 日本国土計画サマーズ
- 1987年 - ブリヂストン阿蘇オープン
その他
- 1990年 - 富山県オープン
脚注
- ^ a b c d 常識への挑戦一超軽量ゴルフクラブー
- ^ 小野ゴルフ倶楽部
- ^ 明治大学体育会ゴルフ部 ゴルフ部歴史
- ^ 【ゴルフ初物語】Vol.97 かつてKBCオーガスタ前週に行われていた日本国土計画サマーズ。第1回は中嶋常幸が青木功を抑えて逆転優勝
- ^ 母の日の親孝行。浅地洋佑が願ってもない初V - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ マンデーから来た平本セジュン。世界の中心で何を叫ぶ?? - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ ゴルフ界の裕次郎が嵐を呼ぶ!…大堀裕次郎、史上初の選考会からメジャー優勝へ2差7位 - GOLF報知
- ^ 19歳「黄金世代」小滝水音、デビュー戦で2差2位…藍超え最速Vへ浮上 - GOLF報知
- ^ 香妻首位発進、史上5人目マンデーVだ - 国内男子ニュース
- ^ “Morio (sic) coasts to easy win”. The Straits Times: p. 30. (1979年8月6日)2021年2月4日閲覧。
- ^ ブリヂストン阿蘇オープン 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b 第55回日本プロゴルフ選手権(1987年)
- ^ 関西プロ選手権 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 中四国オープン 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
外部リンク
- 三上 法夫選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR