略歴
旭川で日本人の母の元に産まれ、北海高校卒業後は日本大学経済学部に進学し、ゴルフ部では主将を務めるなど腕を磨く。大学卒業後は父の勧めにより1年間のサラリーマン生活を経験し、1975年5月1日にプロテスト合格[1]。練習熱心さと技術、用具などに関する研究心の旺盛なことに定評があり、プロ2年目の1976年にアジアサーキットの韓国オープンで初優勝。3年目の1977年にはマレーシアオープンでスチュアート・ジン( オーストラリア)の2位に入り、1979年には群馬県オープンで国内初優勝を飾る。1983年に初のシード権を獲得して以降15年連続で賞金シードを取り続け、シードの常連として活躍。「マッチプレーの鬼」の異名を持ち、日本プロゴルフマッチプレー選手権を2度制覇。特に1987年における尾崎将司との決勝は、日本ゴルフ史上に残る名勝負と言われ、「ジャンボキラー」として人気を集める。しかし、1980年代後半になって足の踵に痛みが起きるようになり、プレーに集中できる状態ではなかった場面が見られるようになる。1990年・1991年には北海道オープンを2度目の2連覇、1992年には生涯獲得賞金3億円を達成[1]。2000年からはシニアに転向し、日本プロシニアと日本シニアオープンのメジャー2冠を制覇して賞金王になり、以降2003年まで4年連続で日本シニア賞金王を獲得する。最近はスナッグゴルフの普及にも努め、2016年7月31日のマルハンカップにおいて初のエージシュート(65歳でスコア65)を達成。なお、この日のキャディはゴルフ番組で共演している阪神元監督の真弓明信が務めた。
主な優勝記録
- レギュラー (日本ツアー:通算14勝)
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- 群馬県オープン(1979年)
- 広島オープン(1983年)
- 北海道オープン(1983年・1985年・1986年・1990年・1991年)
- 日本プロゴルフマッチプレー(1985年・1987年)
- ミズノオープン (1985年)
- 茨城オープン(1986年)
- KSB瀬戸内海オープン(1987年)
- くずは国際(1987年)
- ABCラークカップ(1988年)
- 海外
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- 韓国オープン(1976年)
- シニア (日本シニアツアー:通算12勝)
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- 日本シニアオープン(2000年・2003年・2004年)
- 日本プロシニア(2000年)
- ファンケルクラシック(2001年・2002年・2003年)
- コマツオープン(2001年)
- フィランスロピーシニアトーナメント(2003年・2005年)
- アデランスウェルネスオープン(2007年)
- グランドシニア
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- 日本グランドシニアオープン(2010年)
出演番組
- (サンテレビジョン)
脚注
参考文献
- 三好徹 『開眼のゴルフ…10人の名手が教える上達のエッセンス』 プレジデント社
関連項目
外部リンク
- 高橋勝成 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール