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ロータス・72

ロータス・72 (Lotus 72) とは、チーム・ロータスコーリン・チャップマンと(モーリス・フィリップ)がデザインしたフォーミュラ1カーである。

ロータス・72 / 72B / 72C / 72D / 72E / 72F
フィッティパルディが乗るゴールド・リーフ・カラー
時代のロータス72D(1971年ドイツGP)
カテゴリー F1
コンストラクター ロータス
デザイナー コーリン・チャップマン,
(トニー・ラッド)(英語版),
(モーリス・フィリップ)(英語版)
先代 ロータス・63
後継 ロータス・56Bロータス・76
主要諸元
シャシー アルミニウム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, トーションバー
サスペンション(後) パラレルトップリンク, ロウワーウィッシュボーン, ツインラジアスアーム, トーションバー
エンジン フォード-コスワース DFV, 2,993 cc (182.6 cu in) V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド製 FG400, 5速 MT
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ジョン・プレイヤー チーム・ロータス
ドライバー ヨッヘン・リント,
エマーソン・フィッティパルディ,
ロニー・ピーターソン,
ジャッキー・イクス
出走時期 1970年 - 1975年
コンストラクターズタイトル 3 (1970年, 1972年, 1973年)
ドライバーズタイトル 2 リント1970年, フィッティパルディ1972年
初戦 1970年スペイングランプリ,
ハラマ
出走優勝表彰台ポールFラップ
752039179
(テンプレートを表示)

1970年スペインGPでデビューし、1970年にはヨッヘン・リント1972年にはエマーソン・フィッティパルディドライバーズ・チャンピオンにつけ、3度のコンストラクターズ・チャンピオンを獲得し(1970年、1972年、1973年)、1974年までに通算20勝を挙げた(ヨッヘン・リント4勝、エマーソン・フィッティパルディ9勝、ロニー・ピーターソン7勝)。

概要

72,72B,72C

 
リントが乗る72(1970年オランダGP)

ロータス・72は(インボード・ブレーキ)を採用し、それまでフロントに設置されるのが常識だったラジエターをサイドポッド内に置いてボディ全体をウェッジ・シェイプ(クサビ型)にする革新的なデザインだった。チャップマンは、ガスタービンエンジンインディ・カーである56と、失敗作だった四輪駆動F1カー63で、すでにウェッジ・シェイプを試みており、ロータス・72のデザインは、それらを発展させたものだった。同じフォード・コスワース・DFVエンジンを使ったテストで、72は49より時速12マイル(時速19キロ強)速かった。

サスペンションは通常のコイル・ダンパーユニットを使用せず、トーションバーを採用し、リンクで駆動する事により1:1.2程度の強いライジングレートが与えられていた。これは、前後ウイングやモノコック上面のウェッジシェイプによるダウンフォースの大きさが速度の2乗に比例することに対し車高変化を一定に保つ、ガソリンの増減に対しばね上共振周波数を一定に保つ、などを狙って採用された。また空力上の要求から走行中の姿勢変化を抑える必要があり、アンチダイブ、アンチスクワットなどのジオメトリがサスペンションに組み込まれた。しかし初期型のサスペンション・ジオメトリーに組み込まれたフロントのアンチ・ダイブ機能(減速時にフロントが沈み込むのを防ぐ機能)、リアのアンチ・スクワット機能(加速時にリアが沈み込むのを防ぐ機能)が、かえって操縦を困難にする問題があり、デビュー戦は散々な結果だったので、改修が施された。ナンバーツードライバーである(ジョン・マイルズ)用の車からはアンチスクワット機能が取り外されて「72B」となり、ナンバーワンドライバーのリント用の車にはさらに徹底した改修が施され、アンチ・ダイブ、アンチ・スクワットの両機能とも取り外されて「72C」となった。

これらの改修後、ロータス・72の性能は改善され、リントは4連勝を収めたが、イタリアGPの予選をウィングなしで走行中に、フロントのインボード・ブレーキ・シャフト破損が原因とみられる事故で死亡した。リントの後任となったフィッティパルディがこの年のアメリカGPで優勝し、リントが死後のチャンピオンになるのに貢献した。

72D

 
フィッティパルディが乗るJPSカラー時代の72D(1972年オーストリアGP)

1971年には、BRMのデザイナーだった(トニー・ラッド)によりリア・サスペンションやリア・ウィングのデザインが手直しされ「72D」となったが、このシーズンは振るわなかった。しかし翌1972年にはフィッティパルディが「72D」で5勝を挙げ、F1史上最年少のチャンピオンとなった(それまでの記録はジム・クラーク)。なお、この1972年のシーズンから、ロータスのスポンサーであるインペリアル・タバコ社が、ロータスのカラーリングを、それまでの赤・白・金のゴールド・リーフ・カラーから、黒地に金色のストライプのJPSカラーに変更した。

72E

1973年のシーズンには安全性向上のためルールが改善され、新ルールが施行されるスペインGPから「72E」が投入された。この年、ロータスに加入したロニー・ピーターソンはロータス72とウマが合い、この年4勝したのに対し(年間通算成績3位)、フィッティパルディは3勝(年間通算成績2位)だった。そのため、この年のコンストラクターズ・チャンピオンはロータスが取ったが、ドライバーズ・チャンピオンはティレルジャッキー・スチュワートが獲得。フィッティパルディは翌1974年のシーズンにはマクラーレンに移籍した。

72F

1974年には、ロータスは「72」を、さらに野心的なロータス・76に交代させる予定だったが失敗作となり、すでに旧式化しかかっていた「72」にアップデートを重ねて使用し、ピーターソンは3勝を挙げた。しかし、1975年シーズンにはピーターソン用に”軽量版”の9号車を用意したが、年間で6ポイントを獲得するのみに留まった。シーズン中盤にはチームを去ったイクスに代わりドライブするルーキー(ヘントンら)向けに、ホイールベースを延ばしリアサスペンションにトーションバーではなくコイルスプリングを装着した「72F」も投入されたが、さすがに基本設計が1970年なので時代遅れとなり、1976年シーズンからはロータス・77を投入した。

72は9台が製作され、うち7台が現存する。72/1は72C仕様に改修され72/4としてロブ・ウォーカー・レーシング・チームに売却、72/2はモンツァでのリントの事故で失われた。また、フィッティパルディがチャンピオンを獲得した72/5は73年オランダGPのプラクティス中に失われたが、同じナンバーのタブが新造され再製されている。

基本スペック

 
1974年にピーターソンが乗ったロータス72E。ロータスは1973年のコンストラクターズ・チャンピオンだったため、カーナンバーが「1」だった。

シャーシ

エンジン

F1における全成績

ワークスエントリー

((key)) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1970年 72
72B
72C
フォード コスワース DFV F RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER AUT ITA CAN USA MEX 59*^ 1st
  ヨッヘン・リント Ret 1 1 1 1 Ret DNS
  (ジョン・マイルズ) DNQ Ret 7 8 Ret Ret Ret DNS
  エマーソン・フィッティパルディ DNS 1 Ret
  レイネ・ウィセル 3 NC
1971年 72C
72D
フォード コスワース DFV F RSA ESP MON NED FRA GBR GER AUT ITA CAN USA 21 5th
  エマーソン・フィッティパルディ Ret Ret 5 3 3 Ret 2 7 NC
  レイネ・ウィセル 4 NC Ret DSQ 6 8 4 5 Ret
  デイヴ・チャールトン Ret
1972年 72D フォード コスワース DFV F ARG RSA ESP MON BEL FRA GBR GER AUT ITA CAN USA 61 1st
  エマーソン・フィッティパルディ Ret 2 1 3 1 2 1 Ret 1 1 11 Ret
  (デヴィッド・ウォーカー) DSQ 10 9 14 14 18 Ret Ret Ret Ret
  レイネ・ウィセル Ret 10
1973年 72D
72E
フォード コスワース DFV G ARG BRA RSA ESP BEL (MON) SWE FRA GBR (NED) GER (AUT) ITA (CAN) USA 92 (96) 1st
  エマーソン・フィッティパルディ 1 1 3 1 3 2 12 Ret Ret Ret 6 Ret 2 2 6
  ロニー・ピーターソン Ret Ret 11 Ret Ret 3 2 1 2 11 Ret 1 1 Ret 1
1974年 72E フォード コスワース DFV G (ARG) (BRA) (RSA) (ESP) (BEL) (MON) SWE (NED) (FRA) (GBR) (GER) (AUT) (ITA) (CAN) (USA) 42* 4th
  ロニー・ピーターソン 13 6 1 Ret 8 1 10 Ret 1 3 Ret
  ジャッキー・イクス Ret 3 Ret Ret 11 5 3 5 13 Ret
1975年 72E
72F
フォード コスワース DFV G (ARG) BRA (RSA) ESP (MON) (BEL) (SWE) (NED) (FRA) (GBR) (GER) (AUT) (ITA) (USA) 9 7th
  ロニー・ピーターソン Ret 15 10 Ret 4 Ret 9 15 10 Ret Ret 5 Ret 5
  ジャッキー・イクス 8 9 12 2 8 Ret 15 Ret Ret
  (ジム・クローフォード) Ret 13
  ブライアン・ヘントン 16 DNS NC
  ジョン・ワトソン Ret

^ 総ポイントにはノンワークスエントリーも含む。
* 1970年の14ポイントは49Cが獲得した。
* 1974年の3ポイントは76が獲得した。

ノンワークス

((key)) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
1970年 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER AUT ITA CAN USA MEX
ブルックボンド Oxo レーシング 72C フォード コスワース DFV F   グラハム・ヒル DNS NC Ret Ret
ワールドワイド・レーシング 72C フォード コスワース DFV F   (アレックス・ソーラー=ロイグ) DNQ
1972年 ARG RSA ESP MON BEL FRA GBR GER AUT ITA CAN USA
スクーデリア・スクリバンテ 72D フォード コスワース DFV F   デイヴ・チャールトン Ret DNQ Ret Ret
1973年 ARG BRA RSA ESP BEL (MON) SWE FRA GBR (NED) GER (AUT) ITA (CAN) USA
スクーデリア・スクリバンテ 72D フォード コスワース DFV G   デイヴ・チャールトン Ret
1974年 (ARG) (BRA) (RSA) (ESP) (BEL) (MON) SWE (NED) (FRA) (GBR) (GER) (AUT) (ITA) (CAN) (USA)
チーム・ガンストン 72E フォード コスワース DFV F   パディ・ドライバー Ret
  イアン・シェクター 13
1975年 (ARG) BRA (RSA) ESP (MON) (BEL) (SWE) (NED) (FRA) (GBR) (GER) (AUT) (ITA) (USA)
チーム・ガンストン 72E フォード コスワース DFV G   (ガイ・タンマー) 11
  (エディ・ケイザン) 13

外部リンク

  • Lotus 72 race history 
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