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ラーメンズ

ラーメンズは、日本のお笑いコントユニット。

ラーメンズ
メンバー 小林賢太郎
片桐仁
結成年 1996年
解散年 2020年
事務所 スタジオコンテナ(小林賢太郎)
トゥインクル・コーポレーション(片桐仁)
活動時期 1996年 - 2020年
出会い 多摩美術大学
芸種 コント
過去の代表番組 完売劇場
爆笑オンエアバトル
ピタゴラスイッチ(不定期出演)
など
同期 品川庄司すっちーライセンスロザン角田晃広東京03)など
公式サイト - ウェイバックマシン
受賞歴
2000年 爆笑オンエアバトル第2回チャンピオン大会 審査員特別賞
(テンプレートを表示)
YouTube
チャンネル
  • ラーメンズ公式[1]
活動期間 2016年
ジャンル コント
登録者数 24.2万人
総再生回数 5802万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年4月16日時点。
(テンプレートを表示)

1996年結成。2009年を最後にユニットとしての活動が休止状態となり、2020年にメンバーの小林賢太郎の芸能界引退によりコンビでの活動を終了した。

メンバー

身長182cm、体重70kg、血液型A型。劇作家、演出家。パフォーマーとしても活動していた。
身長176cm、体重62kg、血液型B型。俳優、彫刻家としても活動している。

略歴

共に多摩美術大学版画科の同級生。二人とも同大学の絵画科を志していたが落ちてしまい、版画科へと進学した。在学中、以前存在していた落語研究部を復活させるかたちで「オチケン」を設立。学業そっちのけでお笑いに打ち込んだ。

卒業間近の1996年、小林賢太郎が「絵を売りたいのならば名前を売ってからでも遅くない」と片桐仁を口説き、ラーメンズを結成した。結成当時は田辺エージェンシー所属だったものの、1998年に同社のお笑い部門の独立に伴いトゥインクル・コーポレーションに移籍。

1999年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に第1回から参加し、知名度を上げる。

前後して1998年に初の単独公演『箱式』を挙行。特に2000年から2002年初頭にかけては、全て新作で構成されるコント公演を約2年間で6作品(リメイクで構成された公演もさらに1作品)というハイペースで新作を発表。ツアー興行の規模や動員数も拡大してゆき、これらの「本公演」はラーメンズの代名詞となった。後にDVDや戯曲脚本集にまとめられ、YouTubeでも全編が公開されている。

二人とも既婚であり、小林は大学時代の同級生と2000年に、片桐は元モデルの村山ゆきと2003年に結婚している。

ラーメンズとしての舞台の本公演は2009年の『TOWER』が最後となった。それ以降は単独活動が増え、片桐は役者として舞台や映画テレビドラマで活躍。バラエティ番組に出演することもある。同じ事務所大学時代からの友人であるエレキコミックとのユニット「エレ片」としてもラジオ番組コントライブで活動。小林は小島淳二とともに映像製作ユニット「NAMIKIBASHI」を組むほか、ソロライブ「POTSUNEN」、コント公演「カジャラ」なども行う。過去には升野英知(バカリズム)とともにユニット「大喜利猿」を組んでいた。

2016年6月26日放送の、小林による年1回のコント番組『小林賢太郎テレビ』(NHK BSプレミアム)に片桐が初出演し、7年ぶりに2人が共演。2016年7月27日から行われた小林が作・演出を手がける新作コント公演『カジャラ#1「大人たるもの」』にも片桐が出演し、舞台でも共演した。これが小林と片桐が同じ舞台を踏んだ最後の機会となった。

2017年1月1日、各地の復興支援として、映像ソフト化されている自身のコント映像100本をYouTubeに公開した。この動画で得る広告収入日本赤十字社を通じ寄付される[2]。自主規制により一部シーンがカットされているコントもある。

2017年10月17日に小林賢太郎が著作物及びマネジメントを行う個人事務所「スタジオコンテナ」を設立してトゥインクルから独立。互いに所属事務所が異なるコンビとなった。これに従いラーメンズの公式サイトは閉鎖され、小林の個人サイトに吸収されている。その後も小林の個人サイトでラーメンズは紹介されており、プロフィール上はコンビが存続していることになっていた。

2020年12月1日、同年11月16日に小林が表舞台からの引退を表明したことを受け、小林・片桐両者および所属事務所のトゥインクルコーポレーションがコメントを同時に発表[3][4][5][6]。その理由の一つとして、足を悪くしてしまったことを挙げている。スタジオコンテナの閉鎖、小林の退社も併せて発表されたことで、正式にコンビとしての活動を終了することになったため、事実上の解散状態となっている。ただし、本人たちの口から「解散」と明言されたメディアは一つも無く、そのため報道では相方の不在による「事実上の解散」と取り扱われているという。それ以降、解散後、小林は芸能界引退後も執筆活動などの裏方として活動し、片桐は引き続きピン芸人、俳優として芸能活動を続ける。

芸風

  • 主に舞台で活動。テレビ番組は過去に『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)・『完売劇場』(テレビ朝日)などに出演していたが、近年は舞台公演を中心としている。小林は「自分がやりたいことだけやりたい。そのためには舞台が1番。評価もすぐわかる。そこがいい」「自分の目の届く範囲でやりたいんです」と語っている。
  • ラーメンズのコントは、しばしばお笑いと演劇の中間にカテゴライズされる。公演は6~10本程度のコントで構成されており、上演時間は約1時間半ほどである。また、他のお笑い芸人のようにシチュエーションにあった舞台装置(セット)を用意することはなく、舞台公演における空間や美術はシンプルで、モノトーンの衣装と裸足を基本とする。小道具を使わず、物事をパントマイムで表現するのが特徴(衣装を身に着けることはある)。
  • エレキコミックやついいちろうによれば、大学の落研に所属していた頃のラーメンズは毒舌漫才を得意とするグループだったという[7]。本格的にプロとして活動してからはコントのみに専念している。「爆笑だけがおもしろいわけじゃない」として幅広くコントを追求しており、脚本を手がける小林はコントの世界観について、「自分たちのコントは日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常。コントに出てくる人物にとっては当たり前のこと」と語っている。そのため「(ツッコミ)」「ボケ」といった役割がないコントが多く、「バカ二人」(小林談)というスタンスを保っている。
  • 小林は、声帯模写形態模写パントマイムも含む)・手品が得意で、コントの中で取り入れることも多い。
  • ラーメンズのコントには「歌」が入ることが多い。歌の幅は広く、シンプルな音に不思議な歌詞を載せるものから替え歌ラップに至るまで、様々な音楽が取り入れられている。コント全てが歌で占められているものもある。
  • 異国人に扮した設定で行うコントも多く見られる。文学作品をもじったコントや、アカデミックな言葉など、観客側にある程度の知識が要求されるネタも多い[8] 。特に2001年1月13日に放送された爆笑オンエアバトルで行った「日本語学校イタリア編」は当時『千葉!滋賀!佐賀!』としてFlash化され、インターネットミーム現象を起こした[9]
  • 「ドーデスと言う男」「ネイノーさん」「ホコサキ」などに代表される奇人キャラを扱うコントや、「怪傑ギリジン」「路上のギリジン」「タカシと父さん」「現代片桐概論」などに代表される、一人だけが良く喋り動くがもう一人はほとんどセリフを話すこともなく静止しているだけの形式のコントも多々ある(小林は「やってはいけないことではないのに、誰もやっていないこと」と称する)[8]
  • その作風から、しばしばシティボーイズと比較される。小林はシティボーイズを大好きと語っており[10]、また舞台「泥棒役者」のインタビューの際、きたろうの「俺たちの影響を受けているという感じがうれしい」というコメントに対し、片桐は「完全に影響されている」と返している。
  • 小林は「コントは生き物だ」と述べている。緻密に練られた脚本が特徴である一方でアドリブも多々あり、地方公演の時は地元ネタを演じるなど、観客を大切に考えている面が見受けられる(不思議の国のニポン など)[8]
  • 同世代の芸人であるバナナマンのコントにも影響を受けており、片桐は「バナナマンがいなかったらラーメンズを解散していた」と発言している[11] 。ちなみにバナナマンとは「genico」、「君の席」というユニットを組んだ事がある。

エピソード

  • お互いにいたるところで相方を褒めちぎっている[12]
  • 業界関係者のファンも多い。ミュージシャンのKREVAはファンを公言しており、ラーメンズの声をサンプリングした楽曲がある。KICK THE CAN CREWのライブにゲストとして招かれたこともある。小林個人では「国民的行事」のPVへ出演している[13]。他に、椎名林檎[14]高橋幸宏もラーメンズのファンであることを話している[15]。また、声優林原めぐみ雑誌の企画で片桐と対談し、ラーメンズのファンであると語っている。その模様は単行本にも収録されている[16]
  • スタイリスト伊賀大介。小林が短編映画百色眼鏡』へ出演したのをきっかけに知り合ったという[17]
  • ポスターなどのデザインは"good design company"の水野学が手がけている。彼も多摩美術大学の出身で、ラーメンズの2人とは学生時代からの知り合い[18]
  • 小林・片桐・やついいちろうの3人は、かつて同じアルバイト警備員)をしていた[19]
  • ライブの最後の挨拶で小林が観客に対してウソの告知をしたりドッキリを仕掛けたりする(例:実際は降っていないのに、外は大雨なので気をつけて帰るように、など)。「CHERRY BLOSSOM FRONT345」内で解散ドッキリを行った際に、その本格さから泣き出すファンも存在(はける際に小林がドッキリであることをバラした)。
  • どちらも眼鏡をかけていることがあるが、小林は伊達眼鏡である。

爆笑オンエアバトル

  • 『爆笑オンエアバトル』には、第1回目から出演し、『現代片桐概論』のネタを披露。1位通過及び、番組内における高評価の代名詞である「オーバー500」を初めて記録した。その後もオンエア経験を重ね、同番組のチャンピオン大会の第1回と第2回の予選に参加した。第2回のチャンピオン大会では本選に出場し、最終決戦には進出できなかったが、特別審査員の立川談志から、審査員特別賞を受賞している。この時は201KBだった[20]。15回目の挑戦で『心理テスト』のネタで2度目の「オーバー500」を獲得。しかし、その後16回目の挑戦では413KBの好記録だったが6位オフエア、17回目の挑戦(最後の挑戦)では221KB(自己最低KB)と初の連敗を記録したが、17回の挑戦のうち13回のオンエアを獲得。オンエア率は約7割6分となり、(ゴールドバトラー)に認定された。これらの記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「爆笑オンバト初期の立役者といえば、漫才のますだおかだとコントのラーメンズと言える」と番組プロデューサーから評された。また、『爆笑オンエアバトル』の最終回ではこの2組が「爆笑オンエアバトルのレジェンド」と紹介された[20][21]
  • 2001年1月13日に放送された「日本語学校イタリア編」で講師役がイタリア語なまりで日本の都道府県名を順に読み上げるフラッシュ動画を用いたコントのネタで「千葉滋賀佐賀」「ヒョギフ大統領の貴重」などが令和のネット(Twitter)上でトレンド入りするなど注目を浴びている。
  • オフエア4回のうち3回がボール1個差か2個差の僅差である[22]
  • 通常回においては2002年1月12日放送分が最後の出場となったが、その後2008年12月30日放送分の爆笑オンエアバトル10周年企画「ヒーローたちの伝説ネタSP」で約7年振りに2人揃って番組に出演し、インタビューに答えていた。また同回では2001年6月23日放送分において披露したネタ「心理テスト」もフルで流されていた。

ライブ

本公演

第5・6・7回は英文字三部作、第8・9・10回は漢字三部作。初期は非常に短期間の間に新作公演を発表。尚、第7回公演「news」は、ラーメンズ初の全国ツアーである。

特別公演「零の箱式」では、客演として西田征史室岡悟・三宅信太郎の3人が複数のコントに参加している。

第11回公演「CHERRY BLOSSOM FRONT345」は3,4,5月に桜前線と共に公演されたことが名前の由来である。

第17回公演「TOWER」において42000人を超える観客を動員し、これはお笑い単独ライブで最も多い。また、公演箇所が13箇所と最多であった。

演目タイトルはのちに発売された「小林賢太郎戯曲集」と異なるものもあるが、ここではDVD・VHSのエンドロールにあるものを表記する。

  • 第1回公演「箱式」(1998年6月27日-6月28日)
  • 第2回公演「箱式第二集」(1998年11月28日-11月29日)
  • 第3回公演「箱よさらば。」(1999年5月28日-5月30日)
  • 第4回公演「完全立方体〜PERFECT CUBE〜」(1999年9月3日-9月5日)
  • 超特別公演「RMS1」(2002年3月12日-3月14日)

プロデュース公演

その他の公演

客演

出演

コンビでの出演に限る

テレビ

映画

映像作品

CM

ラジオCM

ラジオ

作品

関連項目

  • ニイルセン 多摩美術大学の同級生。舞台美術を担当
  • 徳澤青弦 第9回公演「鯨」以降で音楽を担当。「鯨」では公演最終日に舞台上でチェロの生演奏(曲はバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番ト長調」より前奏曲)を行っている (この様子はVHSやDVDで見ることができる)。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 2000~2001年までに発表されたコントの中から、一万人のファンから募った人気投票によりセレクトされたベスト10作品集。
  2. ^ 第8回公演『椿』~第10回公演『雀』と特別公演『零の箱式』をDVD化し、収録した4本組DVD-BOX。
  3. ^ 第11回公演『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』~第14回公演『STUDY』をDVD化し、収録した4本組DVD-BOX。
  4. ^ それまでの作品は全てVHSかDVD-BOXでの発売のみに限られていたが、本作品からDVD単体で発売されるようになった(後に以前の作品も単体で発売されるようになる)。
  5. ^ この公演以降は、blu-rayでも発売されている。
  6. ^ 編集上、複数の公演を繋いでいるため、あるコントの中で片桐がシーンによって眼鏡をかけていたりいなかったりする(プーチンとマーチンなど)。
  7. ^ 結成初期に披露していたコントの作品集。
  8. ^ 公演当日に行われていた6番目のコント「マニアな二人」はVHS・DVDには収録されておらず(後に発売された戯曲集も)、また収録されていないこと自体説明されていない(このコントは手品の種明かしやガンダムプラモデルマニアックな知識が織り込まれたものだった)。そのため同VHS・DVDは実際の公演より時間が短く、その代わりに「バニーボーイ」の別バージョンが収録されている。
  9. ^ 第5回公演「home」〜第7回公演「news」までは全て販売会社が異なり、特に第7回公演「news」は他の公演とは違って版権がバップにあったため、長らくこの三部作をDVDとして発売することは難しいとされていたが、2009年に第5-7回公演のすべてがポニーキャニオンによりDVDで発売された。
  10. ^ 第7回公演『news』の舞台裏を映像化したもの。2015年現在、DVD化はされていない。
  11. ^ 本作品と第7回公演『news』のVHSは制作会社の都合上絶版となっている。その後、『news』と共に本作品は2009年3月にDVD発売されている。
  12. ^ 本作品では編集がおかしい部分が多々ある(具体的には、複数のカメラで撮影した同じシーンを連続して繋げてあったり、音声と映像があっていない等)。後に発売されたDVD-BOX内においても修正されていなかったが、2009年リリースの単品/レンタルDVDでようやく修正が施された。
  13. ^ 以前発売された『ラーメンズの日本語学校』に新録作品を加えて再発された。

出典

  1. ^ “KENTARO KOBAYASHI WORKS”. 2020年7月11日閲覧。
  2. ^ “ラーメンズ、コント映像100本をYouTubeで公開 広告収入で復興支援”. ORICON STYLE. (2017年1月1日). https://www.oricon.co.jp/news/2084035/full/ 2017年1月3日閲覧。 
  3. ^ (プレスリリース)小林賢太郎。 オリジナルの2020年12月2日時点におけるアーカイブ2021年4月29日閲覧 
  4. ^ (プレスリリース)片桐仁。 オリジナルの2021年1月24日時点におけるアーカイブ2021年4月29日閲覧 
  5. ^ (プレスリリース)トゥインクル・コーポレーション、2020年12月1日。 オリジナルの2021年1月24日時点におけるアーカイブ2021年4月29日閲覧 
  6. ^ 「小林賢太郎が芸能活動引退 裏方へ 09年以来ラーメンズ本公演叶わず 事務所引き留めも「強い希望」」『スポニチスクエア』スポーツニッポン、2020年12月1日。2020年12月1日閲覧。
  7. ^ やついいちろう『それこそ青春というやつなのだろうな』(PARCO出版) 94ページ
  8. ^ a b c 出典:「小林賢太郎戯曲集―home FLAT news」(幻冬舎、2002年1月)、「文庫版 小林賢太郎戯曲集―椿・鯨・雀」(幻冬舎、2007年8月)、「小林賢太郎戯曲集―CHERRY BLOSSOM FRONT345・ATOM・CLASSIC」(幻冬舎、2007年9月)、富山大学人間発達科学部紀要 177-187ページ(国立国会図書館で閲覧可能)、語文 第百二十五輯「ラーメンズ・小林賢太郎の『コント』について ―ラーメンズとその他のお笑い芸人の『コント』における台詞の比較-」(日本大学国文学会、90-102ページ 国立国会図書館で閲覧可能)
  9. ^ Inc, © ITmedia (2020年6月17日). “「Flash」終了目前、SNSで別れを惜しむ声 「名作コンテンツがごっそり消える」「一つの時代の終焉」”. ねとらぼ調査隊. 2020年12月1日閲覧。
  10. ^ 広告批評 2003年9月号 130-141ページ(小林賢太郎インタビュー)
  11. ^ テレビブロス 2014年2月15日号
  12. ^ 広告批評 2003年9月号 128ページ、134ページ など。
  13. ^ 広告批評 2003年9月号 111-112ページ
  14. ^ 広告批評 2003年9月号 113ページ
  15. ^ 広告批評 2003年9月号 114-115ページ
  16. ^ 『林原めぐみの愛たくて逢いたくて…ファイナルシーズン』(角川書店)66-75ページ
  17. ^ 広告批評 2003年9月号 66ページ
  18. ^ 広告批評 2003年9月号 102-103ページ、広告批評 2006年8月号 9ページ
  19. ^ 『新刊展望』(日販発行)2006年5月号 8ページ
  20. ^ a b 『爆笑オンエアバトル 10→11』(GAKKEN) 24-53ページ
  21. ^ 爆笑オンエアバトル公式本第1巻ではますだおかだとラーメンズの対談が収録されており、2002年の正月スペシャルではこの2組が合同コントを行っている
  22. ^ 289KBで初のオフエアとなった回ではますだおかだが番組史上初のパーフェクトを達成している

外部リンク

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