株式会社ヤマナカは、愛知県名古屋市中村区に本社を置く企業。同県を地盤として岐阜県・三重県にスーパーマーケットを展開する。名古屋証券取引所メイン市場単独上場銘柄である。
かつて本社が入居していた住友生命千種ビル(2010年3月) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | ヤマナカ |
本社所在地 | 日本 〒461-8608 愛知県名古屋市中村区岩塚町字西枝1-1 |
設立 | 1957年(昭和32年)7月16日 |
業種 | (小売業) |
法人番号 | 8180001018537 |
事業内容 | 食品を中心としたスーパーマーケットの運営 |
代表者 | 中野義久(代表取締役社長) |
資本金 | 42億2061万円(2016年3月20日現在) |
発行済株式総数 | 2042万5218株[2] |
売上高 | 連結:998億05百万円 単体:991億42百万円 (2021年3月期)[2] |
純資産 | 連結:165億73百万円 単体:155億64百万円 (2021年3月期) |
総資産 | 連結:421億63百万円 単体:404億57百万円 (2021年3月期) |
従業員数 | 社員 910名、パートタイマー 2,801名(8時間勤務換算) (2021年3月20日現在)[2] |
決算期 | 3月20日 |
主要株主 | (なかの) 10.41% ヤマナカ共栄会 9.69% 三菱UFJ銀行 4.71% みずほ銀行 4.35% 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口4) 3.99 (2018年9月20日現在[3]) |
外部リンク | ヤマナカ |
愛知県では老舗のスーパーであり、特に名古屋市内に店舗が多く名古屋全16区に出店しているほか、近年は岐阜県や三重県にも出店している。不採算店舗を閉店させる一方、高級スーパー「フランテ」を設立し随時出店するなど、引き続き地域密着型の経営を行っている。
概要
1922年(大正11年)2月7日に名古屋市中区正木町にて中野商店が食品店を開いたのが始まりである[4]。
生鮮食料品に強みを持ち、名古屋市を中心とする地域にドミナント出店する地域密着型の展開をしている[5]。
初期の出店は名古屋市を中心とする愛知県西部の尾張地区への出店が主体であったが[6]、1979年(昭和54年)5月に豊橋市に本拠を置くマルイと合併したため[7]、豊橋市など東三河地区へも進出したほか、愛知県西部と隣接する岐阜県や三重県にも店舗を展開している。
岡崎市のたつきビルに招聘されて出店する際に岡田屋(後のジャスコ)と一緒になり、その過程で当社の当時の社長であった中野富彦の人望の篤さについて岡田屋社長の岡田卓也が日本経済新聞の私の履歴書で記述するくらいであったため[8]、その後当社の鳴子ショッピングセンターやジャスコの瀬戸ショッピングセンター[9]、ダイヤモンドシティ名西 [10]など互いに出店しあう共同での出店も行われた時期があった。
リーマンショックによる経済状況の変化に対応するため、チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店の1号店として「ザ・チャレンジハウス太平通店」を2009年(平成21年)7月4日に開業した[11]。しかし2021年に同業態から撤退することを発表した[12]。
2010年(平成22年)11月には新ポイントカードのグラッチェカードを導入し、2011年(平成23年)2月には名古屋市港区のしおなぎ生鮮加工センターを稼動させるなど、顧客の囲い込みや経費節減を見据えた戦略も並行して進めている[13]。
沿革
- 1922年(大正11年)2月7日 - 名古屋市中区正木町にて中野商店が食品店を創業する[2][4]。
- 1951年(昭和26年)3月 - 合資会社ヤマナカ商店を設立する[2]。
- 1957年(昭和32年)7月 - 株式会社ヤマナカを設立する[2]。この年、セルフセクション方式へと店舗を改装する[14]。
- 1960年(昭和35年)12月3日 - セルフ方式導入により、中部地方初の本格的なスーパーマーケットを開店する[14]。
- 1962年(昭和37年)3月24日 - ヤマナカフードセンターの2号店として、庄内店が名古屋市西区庄内通に開業する[14]。
- 1972年(昭和47年)7月 - 全ヤマナカ労働連合組合が設立される。[要出典]
- 1979年(昭和54年)5月 - マルイと合併する[7]。
- 1981年(昭和56年)2月16日 - 名古屋証券取引所第二部に上場する[1][15]。
- 1984年(昭和59年)11月 - 衣料品部門「エスポ」を開設する[2]。
- 1985年(昭和60年)10月 - POSシステムを導入する。[要出典]
- 1986年(昭和61年)5月 - 店舗作業システムを導入する。[要出典]
- 1989年(平成元年)7月 - 名古屋商品サービスセンターを開設する。[要出典]
- 1991年(平成3年)4月 - 「アルテ」1号店を愛知県岡崎市に開店する。[要出典]
- 1993年(平成5年)5月 - 豊川商品サービスセンターを開設する[16]。
- 1994年(平成6年)2月 - プロセスセンターを開設する。[要出典]
- 1995年(平成7年)
- 5月 - 株式会社新乳館を設立する。[要出典]
- 8月 - ヤマナカメンテナンス株式会社を設立する。[要出典]
- 1996年(平成8年)
- 11月 - 医薬品部門「ハーブ」を開設し、医薬品の取り扱いを開始する。[要出典]
- ホームセンター事業を開始する。[要出典]
- 1997年(平成9年)11月21日 - 「フランテ」1号店(八事フランテ)を名古屋市天白区に開店する[17]。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 西三河商品サービスセンターを開設する[18]。
- 2001年(平成13年)11月9日 - 岐阜フランテ館を開店し[19]、岐阜県内に初出店する。
- 2005年(平成17年) - 大府東海商品センターを開設。これに伴い豊川商品サービスセンターを閉鎖する。[要出典]
- 2007年(平成19年)
- ヤマナカFranteカードの発行を開始する。[要出典]
- 11月 - ヤマナカ忠節フランテ館が開業する[20]。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)1月27日 - 当期連結決算が赤字となることなどを受け、店舗業態の再編や希望退職者募集などの経営刷新策を発表する[23]。
- 2013年(平成25年)
- 2015年(平成27年)
- 2021年(令和3年)
- 8月29日 - ザ・チャレンジハウス江南店の閉店により、「ザ・チャレンジハウス」の店舗が消滅。[要出典]
- 2022年(令和4年)
- 2月1日 - 本部を名古屋市中村区の八田フランテ館2階へ移転。[要出典]
ギャラリー
店舗ブランド
ヤマナカ
300坪から450坪の売り場面積を持つ食品スーパー[25]。
フランテ館
ヤマナカとフランテの中間的存在の食品スーパー[25]。高質・こだわり商品も多く取り揃える[26]。
なお、「フランテ」と「フランテ館」は品揃えが多少異なる。[要出典]
フランテ
新しい出会いと新しい発見という意味を込めた造語である[27]。上質商品を揃えた[28]高級食品スーパー[29]。標準の売り場面積は450坪である[21]。
アルテ
過去の店舗ブランド
ザ・チャレンジハウス
チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店[11]。
2021年7月に撤退の方針が示され[12]、最後まで残った江南店[12]が2021年8月29日に閉店となったため消滅した。
社会貢献活動
食育
2005年(平成17年)からファイブ・ア・デイ協会に加盟し[30]、栄養士による栄養相談や食事バランスガイドなどの食育活動を行っている[31]。
おかえりやさい
環境保護の一環として名古屋市内の店舗や施設から出る生ごみを堆肥化し、それを用いて栽培した野菜のブランドで2009年(平成21年)から名古屋市内の一部の店舗で発売している[32]。
業界活動
日本チェーンストア協会
中野富彦が中部支部長や食品衛生委員長、常務理事を歴任した後副会長兼組織委員長のまま死去した[33]。
オール日本スーパーマーケット協会
加盟企業の中ではサミットや関西スーパーマーケット、とりせんと並ぶ売上高上位であるため、同協会では無投票で役員を務めることになっている[34][35]。
睦(むつみ)会
ニッショーの堀内彦仁社長の紹介で「5社会」として発足したスーパーの勉強会で、サミットとニッショーの他、ヤマザワや千葉薬品が参加していた[36]。
経営者
前社長の中野富彦の長男中野義久が[37]、先代社長の急死後に社長に就任[38]。
同時に会長に就任した小出長徳は[38]、1961年(昭和36年)1月に中野家の長女との婚姻とともに入社した創業家の一員である[39]。
2010年(平成22年)3月21日付で代表取締役会長を退任し、取締役相談役になった[40]。
事業所
- ヤマナカ本部(名古屋市中村区)
- 大府東海物流センター(東海市)
- しおなぎ生鮮加工センター(名古屋市港区) - 精肉や鮮魚の加工を行なう[13]。
- ヤマナカ冷凍物流センター(名古屋市港区)
店舗
総店舗数70店のうち、大半の62店を愛知県内に出店している。なお、岐阜県と三重県にはそれぞれ4店舗ずつ出店している[41]。
現行店舗
かつて存在していた店舗
愛知県
名古屋市
中区
- 売場面積260m2[43]
- 製餡事業の売店[42]。
中村区
- 製餡事業の売店[42]。
西区
- 売場面積230m2[43]
- ダイヤモンドシティ名西の食品売り場として出店していた。当施設の跡地にイオンタウン名西が建てられた。
北区
- 売場面積660m2[47]
守山区
- 売場面積594m2[47]
- (2代目)小幡店(2000年(平成12年)11月10日開店[52] - 2012年(平成24年)9月2日閉店)
名東区
千種区
- 売場面積759m2[47]現在は富士見台フランテ
- 千代ヶ丘店
昭和区
- 売場面積528m2[50]
- 現在はマンションに建て替えられた[要出典]
瑞穂区
- 堀田店(瑞穂区堀田)
南区
緑区
- 売場面積1,911m2[62]
- 上新電機なども出店する近隣郊外型ショッピングセンター(敷地面積18,545m2、延床面積9,160m2、売場面積7,886m2)として開設した[62]。
- 白土フランテ館へ業態転換。
中川区
- アルテ太平通(1998年(平成10年)4月15日開店[63] - 2009年(平成21年)6月30日閉店)
- ホームセンター「コアラ太平通店」を併設[63]、2009年(平成21年)7月4日にザ・チャレンジハウス太平通へ業態転換[11]。
- 2021年(平成23年)7月16日にグラッチェタウンの核店舗としてヤマナカ太平通店として新装開店[64]。
- (初代)中島店(1972年(昭和47年)4月開店[58] - 2003年(平成15年)2月閉店[66])
- (2代目)中島店(2003年(平成15年)開店[66] - 2006年(平成18年)9月10日閉店)
- 初代店舗が道路拡幅に伴って閉店したため、全面的に建て替えられて開設された[66]。
- アルテ新中島 - 2006年(平成18年)9月23日に「新中島フランテ館」へ業態転換[67]。
- 2022年(平成24年)3月4日にヤマナカ新中島店として新装開店[68]。
港区
尾張地区
春日井市
- 売場面積528m2[50]
- 売場面積2,000m2[72]。
- 跡地にビー・アンド・ディー宮町店、オンセブンデイズ如意申店がオープンした。[要出典]
- ヤマナカホームセンター春日井西店(1991年(平成3年)4月開店[73] - 2003年(平成15年)10月閉店)
- 売場面積1,200m2[73]。
- 跡地に平和堂春日井宮町店がオープンした。[要出典]
- 売場面積1,469m2[74]。
- (2代目)味美店(2000年(平成12年)11月23日開店[75] - 2010年(平成22年)10月25日閉店)
- 2010年(平成22年)10月30日にザ・チャレンジハウス味美へ業態転換[76]。
- 2016年(平成28年)5月14日にザ・チャレンジハウスから再びヤマナカの店舗に戻る。[要出典]
- 高蔵寺店(春日井市)
- アオヤマとの共同出店[55]
瀬戸市・尾張旭市
- 共栄店(1978年(昭和53年)11月開店[58] - 2010年(平成22年)9月14日閉店)
清須市
尾張北部地区
- 一宮西店(1994年4月22日開店[79])
- 一宮フランテ館へ業態転換[要出典]
- 江南店(1995年(平成7年)10月6日開店[80] - 2021年8月29日閉店)
- 2010年3月9日にヤマナカとしての営業を終了し、2010年3月13日にザ・チャレンジハウスに業態転換したものの、2021年8月29日に閉店した。跡地には2022年2月24日にカネスエ江南西店が開店した。[要出典]
海部地区
知多地区
- 跡地に1994年9月9日にアルテ新舞子が開店した[82]。
- 売場面積1,491m2[69]。
旧愛知郡
- 日進フランテ館(2015年(平成27年)2月1日閉店)
- 跡地にフィール日進店がオープンした。[要出典]
- ヤマナカホームセンター日進店(1992年(平成4年)4月24日開店[83] - 2000年閉店)
- アルテ日進店に併設のカインズホーム日進店として開業[84]。
- 現在は、コパンアトレ日進。[要出典]
西三河地区
豊田市
- 豊田店(1971年(昭和46年)9月開店[85] - 閉店)
- 長崎屋豊田店地下1階に入居して食料品売り場を担当した[85]。
西尾市
- 売場面積1,499m2[53]
- 地元主導型ショッピングセンター「ファミリータウン・ミカ」に出店[86]。
- 跡地を建て替えて2014年(平成26年)3月21日にヴェルサウォーク西尾がオープンした[87]。
- ヤマナカは、近隣に2014年(平成26年)6月14日に西尾寄住店を開店している[88]。
岡崎市
高浜市・碧南市
- 新川店(1970年(昭和45年)開店[90])
東三河地区
豊橋市
- 売場面積521m2[91]
- 旧マルイ東田店
- ユーアイ店(1976年(昭和51年)4月28日[92])
- 殿田橋店
- 現在はビデオインアメリカ殿田橋店。[要出典]
- 小池店(2006年(平成18年)3月19日閉店)
- 現在はセリア小池店。[要出典]
- 売場面積588m2[93]
- アルテ二川店(1994年(平成6年)11月3日開店[94])
田原市
蒲郡市
岐阜県
- 岐南店(2003年(平成15年)12月開店[97] - 2010年(平成22年)11月24日閉店)
- 売場面積1,831m2[97]
- 跡地にはスーパーセンタートライアル岐南店が出店したもののこちらも閉店、2019年(令和元年)8月29日にカネスエ岐南店が開店した。[要出典]
三重県
鈴鹿市
- 開業時点では、ニチイとの共同出店であった[55]。
- 出店していた「S.C.アイリス]は、1996年(平成8年)3月22日に増床し、「売場面積5,576m2、駐車台数1,155台」となった[98]。
- 出店していたショッピングセンター閉店に伴う閉店。[要出典]
- エース店(1982年(昭和57年)9月28日開店[98] - 2006年(平成18年)2月8日閉店)
- ショッピングセンター(スズカエース)(売場面積5,576m2、駐車台数550台)にあかのれんと出店していた[98]。
- 閉店後はオークワの「プライスカット」が入ったもののこちらも閉店、その後ぎゅーとらが開店。[要出典]
- 白子店(鈴鹿市、1978年(昭和53年)開店[61])
- 玉垣店・磯山店も存在していたが現在は閉店。[要出典]
松阪市
- 松阪店(2003年(平成15年)8月閉店)
- 売場面積1,450m2[99]
- 売場面積3,400m2[100]
津市
- ヤマナカホームセンター津新町店
関連会社
連結子会社
- プレミアムサポート株式会社 - スポーツクラブの運営およびメンテナンス事業
- 株式会社アイビー - 生花販売
- サンデイリー株式会社 - 食料品製造
持分法適用関連会社
- アスティ開発株式会社 - 不動産管理
- 新安城商業開発株式会社 - 不動産管理
過去の関連会社
- アスティスポーツ株式会社 - スポーツクラブ運営
- 株式会社健康デリカ - デリカ事業とファーストフード店運営
- ヤマナカ商事株式会社 - 保険代理業
脚注
- ^ a b “話題の企業 食品総合スーパーヤマナカ”. 中部財界 1981年4月号 ((中部財界社)) (1981年4月).pp45
- ^ a b c d e f g h i j “有価証券報告書-第59期(平成27年3月21日-平成28年3月20日)”. EDINET. 2016年10月6日閲覧。
- ^ 四半期報告書(第62期第2四半期)
- ^ a b “ヤマナカ、創業70周年事業を展開。来年3月まで多彩な催し”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年1月29日)
- ^ “中部地区新春特集:スーパートップインタビュー=ヤマナカ・中野義久社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月11日)
- ^ 『東三河の経済と社会 第三輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1982年5月。
- ^ a b 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。(ISBN 978-4771002906)
- ^ a b 岡田卓也 『私の履歴書 小売業の繁栄は平和の象徴―岡田卓也 ―』 日本経済新聞出版社、2013年10月。(ISBN 978-4-532-28018-5)
- ^ 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。
- ^ a b c 『ダイヤモンドシティ「名西ショッピングセンター」6月20日(月)35年の歴史に幕』 ダイヤモンドシティ(2005年5月18日)
- ^ a b c d “ヤマナカ、初のEDLP店「ザ・チャレンジハウス太平通店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2009年7月13日)
- ^ a b c “ヤマナカ、低価格業態から撤退 生鮮や総菜強化”. 日本経済新聞 (2021年7月16日). 2022年8月3日閲覧。
- ^ a b c d 海野裕之 (2010年10月18日). “ヤマナカ、将来を見据え布石 PCセンター稼働・ポイントカード導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ^ a b c 中部飲食料新聞社・食料ジャーナル・名古屋文化センター, ed (1981-11-20). 中部の食品業界百年史. 中部食料品問屋連盟・愛知海苔問屋協同組合・名古屋乾栄会. p. 334
- ^ “上場銘柄情報 ヤマナカ”. 名古屋証券取引所. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “ヤマナカ、第2物流センター「豊川商品サービスセンター」が完成 静岡展開にらむ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年6月18日)
- ^ “ヤマナカが「八事フランテ」をオープン、ミールソリューション対応に挑戦”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年11月21日)
- ^ “ヤマナカ、西三河商品SCを開設”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年4月7日)
- ^ a b “ヤマナカ、高級SMフランテ2店オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年11月12日)
- ^ “中部流通特集:小売業界、出店相次ぐ=ヤマナカ「忠節フランテ館」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2007年11月30日)
- ^ a b “ヤマナカ、愛知県外初の「多治見フランテ」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年6月27日)
- ^ “ヤマナカ、「四日市富田フランテ館」オープン 三重県にフランテ館初出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年9月29日)
- ^ ヤマナカ 希望退職100人募集 - 読売新聞(2012年1月28日付、同年4月5日閲覧)[1][]
- ^ “ヤマナカ、「常滑青海店」オープン 水産とデリカが充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2013年10月16日)
- ^ a b “全国小売流通特集:2003年注目の新店舗戦略=ヤマナカ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年7月21日)
- ^ a b “中部流通特集:トピックス=ヤマナカ、「安城フランテ館」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月17日)
- ^ “ヤマナカ、複合型SC「八田フランテ館」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年7月28日)
- ^ “ヤマナカ、「覚王山フランテ」が開店、年間20億円目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年8月18日)
- ^ “村瀬勝己シェフの連続セミナーが好評 ひと味違うフランス料理に舌鼓”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年5月17日)
- ^ “ユニーとヤマナカ、ファイブ・ア・デイ協会に加盟 食育へ取組み高まる”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年10月17日)
- ^ “中部流通特集:地域密着型食品スーパー、食育活動に積極的取組み=ヤマナカ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2007年11月30日)
- ^ “ヤマナカ、なごや循環型野菜「おかえりやさい」が好評 店舗増やし販売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2009年12月14日)
- ^ “中野富彦氏(ヤマナカ・社長)の急逝を悼む”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月7日)
- ^ “オール日本スーパーマーケット協会、総会開催 荒井伸也会長を再選”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年6月20日)
- ^ “オール日本スーパーマーケット協会、総会開催 教育・商品開発の2本柱推進”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2009年6月26日)
- ^ “ヤマザワ特集:ヤマザワさんのさらなる発展を祈って=サミット・荒井伸也会長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年5月27日)
- ^ “故・中野富彦氏告別式26日に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月16日)
- ^ a b “ヤマナカ、新社長に中野義久氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年5月14日)
- ^ “食品産業功労賞受賞者プロフィル:流通部門=ヤマナカ・小出長徳氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月17日)
- ^ “ヤマナカ、小出長徳会長が相談役に就任 3月21日付”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年3月1日)
- ^ 2009年10月現在。
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp39
- ^ a b c d e f g h 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp183
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp38
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 (日本セルフ・サービス協会)、1968年。pp285
- ^ “ダイヤモンドシティ 名西ショッピングセンター 6月20日閉店へ 愛知県名古屋市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年5月23日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp374
- ^ “オープン情報=ヤマナカ「平安店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月30日)
- ^ 海野裕之 (2011年5月2日). “ヤマナカ、DS業態「ザ・チャレンジハウス平安」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp373
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- ^ “オープン情報=ヤマナカ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年11月17日))
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。p.431
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n (芝隆史) 『戦略形成プロセスの実証研究』 愛知学院大学論叢経営学研究 第9巻第2号 (愛知学院大学経営学会) (1999年12月)。pp127
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外部リンク
- 公式ウェブサイト