» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

フィラデルフィア・イーグルス

フィラデルフィア・イーグルス英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。ホームスタジアムは、リンカーン・フィナンシャル・フィールド。イーグルスの愛称の由来はニューディール政策のシンボルのワシ[1]

フィラデルフィア・イーグルス
Philadelphia Eagles
創設 1933年7月8日 (89年前) (1933-07-08)
NFL参入 1933年シーズン
所属地区
  • NFL(1933-現在)
    • NFC(1970-現在)
    東地区(1970-現在)
    • 東カンファレンス(1953-1969)
    首都地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
    • 東地区(1933-1949)
チームデザイン
チームロゴ

ワシの頭部
チームカラー
  ミッドナイトグリーン
  シルバー
 
 
ユニフォーム
チーム名
  • フィラデルフィア・イーグルス(1933-1942, 1944-現在)
    • フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(1943)
ホームタウン
1933-現在

ペンシルベニア州フィラデルフィア(1933-現在)

リンカーン・フィナンシャル・フィールド(2003-現在)
ベテランズ・スタジアム(1971-2002)
(フランクリン・フィールド)(1958-1970)
コニー・マック・スタジアム
 シャイブ・パーク
(1940, 1942-1957)
フィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアム(1936-1939, 1941)
ベイカー・ボウル(1933-1935)

永久欠番
  • 5
  • 15
  • (20)
  • (40)
  • (44)
  • (60)
  • (70)
  • 92
  • (99)
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (4回)
NFC
地区優勝 (11回)
旧NFC東地区
NFC東地区
ワイルドカード(13回)
プレーオフ進出(24/57回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL東
地区優勝
NFL東地区
球団組織
オーナー (ジェフリー・ルーリー)
GM (ハウィー・ローズマン)
ヘッドコーチ (ニック・シリアニ)

歴史

NFL統合前

フィラデルフィアには1924年から1931年までフランクフォード・イエロージャケッツというNFLチームが存在した。イエロージャケッツは1926年にNFLチャンピオンに輝いたが、世界恐慌と本拠地の火災の影響から財政が悪化し、1931年のシーズン中に活動休止し、フランチャイズ権をNFLに返上した。

イエロージャケッツのフランチャイズ権返上以降、フィラデルフィアに本拠地を構えるオーナーを探していたNFLは、1933年バート・ベル、(ラッド・レイ)に25,000ドルでイエロージャケッツのフランチャイズ権を与える形でフィラデルフィアでのチーム創設を許可し、設立されたのがフィラデルフィア・イーグルスである[1]。チームの愛称は世界恐慌からの回復するためのニューディール政策のシンボルであった、ワシのようにチームを上昇させたいと願い、ベルが名付けた[1]。10月15日の最初の試合では、ニューヨーク・ジャイアンツに0-56で敗れた。ホームデビュー戦となった翌週のポーツマス・スパルタンズにも0-25で敗れた。11月5日のシンシナティ・レッズ戦で初勝利、この年3勝5敗1分に終わった[1]

チームは当初、イエロージャケッツのユニフォームを着用してプレーしたものの、あくまでもピッツバーグ・スティーラーズシンシナティ・レッズと共にエクスパンションチームとして加入したチームであるので、イエロージャケッツの記録は継承していない。

1934年、開幕から6連敗を喫したが、最後の5試合中4試合に勝ち、4勝7敗で終えた。1935年、2勝9敗と成績は下降した。シーズン終了後、バート・ベルは、ラッド・レイからオーナー権を獲得、単独オーナーとなった[1]

ベルオーナーは、カレッジフットボールの選手獲得に、ドラフト制度を実施することを提案、1936年、イーグルスは全体1位でハイズマン賞受賞の(ジェイ・バーワンガー)を指名した。しかしバーワンガーは入団を拒否、NFLでプレーすることはなかった。この年チームは、ベイカー・ボウルからフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムに移った。バート・ベルがヘッドコーチに就任し、開幕戦は勝ったものの残り11試合に敗れ、1勝11敗に終わった[1]

1937年、開幕から3連敗し、シカゴ・カージナルスの持つ連敗記録に並んだが、ワシントン・レッドスキンズに敵地で勝利、2勝8敗1分で終えた。1938年は5勝6敗と成績を改善させた[1]

1939年、オールアメリカンのクォーターバック、(デイビー・オブライエン)と12,000ドルで契約を結んだ。全試合に出場したオブライエンは、1324ヤードを投げてNFL記録を更新した。しかしチームは1勝9敗1分に終わった。10月22日のブルックリン・ドジャース戦がイーグルスの試合としては初めてテレビ放送された[1]

1940年に本拠地をフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムからシャイブパーク(1953年にコニー・マック・スタジアムに改称)に移した。この年チームは1勝10敗に終わった[1]

1941年、本拠地をミュニシパル・スタジアムに戻した。ヘッドコーチには、(グリージー・ニール)が就任した。チームは2勝9敗に終わった。1942年、チームは本拠地をシャイブ・パークに1年で戻した。チームは2勝9敗で最下位に終わった[1]

第二次世界大戦中の1943年には所属選手が不足したため、ピッツバーグ・スティーラーズと合同チームとなり、フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(Philadelphia-Pittsburgh Steagles)となった。この年チームは5勝4敗1分、シーズン終了後、合同チームは解消された[1]

1946年にバート・ベルは(NFLコミッショナー)となった。(アール "グリージー" ニール)ヘッドコーチに率いられたチームはスティーブ・バンビューレンなどの活躍で1947年から3年連続で(NFLチャンピオンシップゲーム)に出場を果たし吹雪の中行われた1948年にはシカゴ・カージナルスに7-0、1949年にはロサンゼルス・ラムズに14-0とNFL史上唯一2年連続相手チームを完封して優勝した。1957年に本拠地をペンシルベニア大学の(フランクリン・フィールド)に移した。同スタジアムは1969年に人工芝となりNFLチームとしては最初に人工芝球場を本拠地としたチームになった。

1960年、(バック・ショウ)ヘッドコーチの下、後にプロフットボール殿堂入りを果たした(ノーム・バン・ブルックリン)、(チャック・ベドナリク)らの活躍で3度目NFLチャンピオンとなった。また、この年無敗だったヴィンス・ロンバルディグリーンベイ・パッカーズを17-13で破った。

1963年、チームは(ジェリー・ウォルマン)に買収されたが1969年に(レナード・トース)が当時プロスポーツチームとしては最高額の1615万5000ドルで買収した。その後直ちに5シーズンで24勝41敗1分の成績しか残せなかった(ジョー・クハリッチ)が解任された。(ピート・レツラフ)がGMに(ジェリー・ウィリアムズ)がヘッドコーチに就任した。

統合後

1970年のNFLとAFLの統合後、NFC東地区に所属した。その後同地区のライバルであるダラス・カウボーイズワシントン・レッドスキンズの影に隠れプレーオフ出場はなかなか果たせず1962年から1975年に勝ち越したのはわずか1回であった。1976年UCLAから(ディック・ヴァーミール)を迎えると、1978年には18年ぶりにポストシーズンゲーム出場を果たした。11月19日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではイート・ザ・ボールされれば敗北必至のところ、相手オフェンスのファンブルを(ハーマン・エドワーズ)がファンブルリカバーTDをあげて勝利した[2]

1978年から1981年まで4シーズン連続プレーオフに進出した。1980年にはQB(ロン・ジャウォースキー)、WRハロルド・カーマイケルらの活躍で初のNFC東地区優勝を達成、チームは第15回スーパーボウル出場を果たしたがオークランド・レイダースに敗れた。この試合ではジャコウスキーのパスがロッド・マーティンに3回インターセプトされる(スーパーボール記録)を作られている[3]

1985年にチームはフロリダ州で自動車販売業で富を築いた(ノーマン・ブラマン)らに6500万ドルで売却された。この際トース前オーナーがカジノでのギャンブルで2500万ドルの借金を抱えたことが報道された。1986年には第20回スーパーボウルを制したシカゴ・ベアーズのディフェンシブコーディネーター、(バディ・ライアン)がヘッドコーチに就任した。強力ディフェンスなどでチームは1980年代終わりから1990年代初めにプレーオフにしばしば出場を果たした。しかしプレーオフで勝てないライアンは1991年1月7日に解任されオフェンスコーディネーターの(リッチ・コータイト)が後任となった。1992年のプレーオフでチームはニューオーリンズ・セインツを破ったが1994年に7勝2敗から終盤7連敗して7勝9敗に終わるとコータイトは契約延長されることなくチームを去った。1988年から1996年までチームは9シーズン中6回プレーオフに出場したが地区優勝は1988年の1回のみであった。この時代のオフェンスのスター選手は走れるQBの(ランドール・カニンガム)、(キース・ジャクソン)、ハーシェル・ウォーカーなど、ギャンググリーンと呼ばれたディフェンスはレジー・ホワイト、(ジェローム・ブラウン)、(クライド・シモンズ)、(セス・ジョイナー)、(ウェズ・ホプキンス)、(マイク・ゴーリック)、(バイロン・エバンズ)、(エリック・アレン)、(アンドレ・ウォーターズ)などである。この時代はNFC東地区がハイレベルであり強力な同地区ライバルチーム相手に善戦するものの上位進出を阻まれ続けた。エースQBのカニンガムは並外れた身体能力を生かした次世代のQBとして期待されたが故障も多く、あと一歩の殻を打ち破れずにいた。

1994年5月6日、ブラマンオーナーから1億8500万ドルで(ジェフリー・ルーリー)にチームは売却された。フォーブスの2006年版によると評価額は10億2400万ドルでありNFLで5番目に高いフランチャイズとなっている。チームユニフォームのカラーも明るいケリーグリーンとシルバー、ホワイトから濃色のミッドナイトグリーンにブラック、ホワイトへと変更された。レイ・ローズが指揮した4年間は世代交代の時期とも重なり、2度プレイオフに進出したのが限度であった。

アンディ・リードの時代

 
1999年から2012年までヘッドコーチを務めたアンディ・リード

1999年アンディ・リードがヘッドコーチに就任し、ドラフト全体2位で獲得したQBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンはぎりぎりでプレーオフ出場を決め前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならず、リードはまたしてもホノルルプロボウルの指揮を執る事になった。リードはチャンピオンシップ敗退のヘッドコーチとして4回もプロボウルに出ており元スティーラーズHCのビル・カウアーと並んでアロハコレクターと揶揄された。

 
2009年ジェッツ戦(QBマイケル・ヴィック)

2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月に(ショーン・マクダーモット)をディフェンスコーディネーターに昇格させた[4]。7月28日にジョンソンは68歳で亡くなった[5]

開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたQBマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにマクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。

2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った [6]

2011年には開幕前にCB(ナムディ・アソムーア)(英語版)ドミニク・ロジャース=クロマティ(ロニー・ブラウン)(英語版)、QBヴィンス・ヤングプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたがシーズンは負けが先行し、終盤盛り返すも8勝8敗でプレーオフを逃した。

2012年ドラフト3巡目にQBニック・フォールズを指名した。この年は開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど最後の12試合はわずか1勝で4勝12敗に終わり[7]シーズン終了後リードHCは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した[8]。この年、チームはQBヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、RB(ルショーン・マッコイ)が脳震盪で数試合欠場、WRデショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日には(ホアン・カスティーヨ)ディフェンスコーディネーターが解雇された[9]

チップ・ケリーの時代

2013年オレゴン大学のヘッドコーチ(チップ・ケリー)がヘッドコーチに就任した[10]。ケリーは正QBにニック・フォールズを据えカレッジ仕込みのアップテンポオフェンスと3-4ディフェンスを持ち込み10勝6敗で地区優勝を果たしたが、ワイルドカードプレーオフでニューオーリンズ・セインツに24-26で敗れた。翌2014年には人事権のあるGMを兼務しオレゴン大出身の選手を多く獲得するなど選手を大幅に入れ替えたが、ノーハドルで攻撃を短時間に繰り出す攻撃システムも対策が進み勢いを失い、守備選手の出場時間が長くなり体力を消耗するため終盤に失点を重ねてしまうというデメリットの方が目立っていた。シーズン途中に正QBだったフォールズは鎖骨骨折で戦線離脱してしまい、前ニューヨーク・ジェッツのQBマーク・サンチェスと契約して10勝6敗をあげたもののプレーオフ進出を逃した。2015年はGMの地位を剥奪されHC専任となる。QBフォールズをラムズへ放出して代わりに獲得したサム・ブラッドフォードを正QBに据えたが7勝9敗と負け越し、求心力を失ったケリーHCは解雇された

ダグ・ピーダーソンの時代

2016年には(ダグ・ピーダーソン)が新HCに就任した。ドラフトでは全体2位でQBカーソン・ウェンツを指名、開幕直前に正QBのサム・ブラッドフォードミネソタ・バイキングスへ放出した。新人QBらしからぬ落ち着いたプレイを見せたウェンツと守備をチーム伝統の4-3隊形に戻して安定感も取り戻し開幕から3連勝を飾ったが、その後失速し7勝9敗の成績を挙げながらも地区最下位に終わった。

2017年はベテランのWR(アルション・ジェフリー)、(トレイ・スミス)、RB(リギャレット・ブロウント)、CB(ロナルド・ダービー)らを獲得、ドラフトでは守備陣を中心に補強してランディフェンスが向上、シーズン途中には負傷で戦線離脱したRB(ダレン・スプロールズ)に代わり、RB(ジェイ・アジャイ)を獲得した。QBウェンツの成長もあってチームは8連勝を記録するなどして首位を独走していたが、第14週のロサンゼルス・ラムズ戦でウェンツが左膝の前十字靭帯断裂しシーズン絶望となり、3年ぶりにチームに復帰した控えのニック・フォールズが先発QBとなった。チームは13勝3敗で地区優勝、NFC第1シードを獲得しホームアドバンテージを獲得した。第1シードを獲得したもののエースQBのウェンツを失ったチームはフォールズがシーズン終盤に低調なプレーを見せた試合もあり、プレーオフでは苦戦が予想された。ディビジョナルプレーオフではアトランタ・ファルコンズを15-10で、NFC チャンピオンシップではミネソタ・バイキングスを38-7でそれぞれ破りカンファレンスチャンピオンとなり、2004年以来となるスーパーボウル出場を果たした。

第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツと対戦。戦力的にイーグルスが不利と思われていたが、その評価を覆してペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなった[11]

2018年は連覇が懸かるが主力選手・コーチ陣の移籍、厳しいスケジュール、全体32位の低いドラフト指名順により1巡指名を回避するなど苦戦が予想された。スーパーボウルMVPのフォールズが開幕QBとなるも不調により第3週からウェンツがQBに復帰するがチームの主力であるRBとDBに怪我人が続出しラン攻撃とパスディフェンスが弱体化した結果プレーオフ出場が厳しい状況に置かれた。シーズン終盤、再びウェンツが負傷してフォールズがスターターに復帰し残り3試合を全勝、最終週で第6シードの座を奪い取り9勝7敗でプレーオフ進出を果たした。ワイルドカードプレーオフでは第3シードのシカゴ・ベアーズと対戦、相手の決勝フィールドゴールをブロックし16-15で勝利、ディビジョナルプレーオフは第1シードのニューオーリンズ・セインツに14-20で敗戦した。

2019年はDEクリス・ロングが引退、QBニック・フォールズジャクソンビル・ジャガーズに移籍したがWRデショーン・ジャクソンのチーム復帰、ベアーズからRB(ジョーダン・ハワード)を獲得するなどの補強をした。しかしこのシーズンは攻撃陣に怪我人が続出、RB、WRは開幕時のスターター全員が故障で途中離脱となった。負けが先行する苦しい状態ながらもシーズン終盤の同地区対決を4連勝し最終週に地区優勝を決め、9勝7敗の成績で第4シードでプレーオフに滑り込んだ。プレーオフ初戦ではここまでチームを牽引してきたQBウェンツが脳震盪で退場して攻撃陣が破綻、シアトル・シーホークスに9-17で敗退した。

2020年はSの(マルコム・ジェンキンス)がセインツへ移籍、CBダリアス・スレイを獲得。開幕2連敗の後シンシナティ・ベンガルズと引き分け、4戦目のサンフランシスコ・49ers戦でシーズン初勝利となるが2020シーズンはNFC東地区の全チームが低迷、引き分けの差だけで地区首位をキープする状態が続く。前年地区優勝によるタフなスケジュールも影響し連敗が続き、第14週からはQBウェンツに代わりドラフト2巡のルーキーQBジェイレン・ハーツが先発、ニューオリンズ・セインツ相手に勝利するなどしたが終盤も連敗して同地区が全て負け越す中で4勝11敗1分の成績で地区最下位となり、2021年ドラフトは全体6巡指名となった。すでにイーグルスの地区最下位は決定済みながら、地区一位を決めることになった最終戦の対ワシントン戦では、第4クォーターで先発QBをベンチに置いて敗北し、ドラフトの順番を上げるために意図的に負けたのではないかと論議を呼んだ[12]。2021年1月11日、ピーダーソンHCは解雇された。

ニック・シリア二の時代

2021年、前インディアナポリス・コルツの攻撃コーディネーターであるニック・シリアニが新HCに就任した[13]。ドラフト指名権2つと引き換えにQBウェンツをインディアナポリス・コルツにトレードした。デショーン・ジャクソン、アルション・ジェフリーらの離脱でWRが手薄になり、ドラフトでは全体6位の指名権を12位にトレードダウンし、ドラフト当日にトレードアップしてWRデボンタ・スミスを全体10位で指名した。FAでQB(ガードナー・ミンシュー)やCB(スティーブン・ネルソン)などを獲得する。エースQBには2年目の若いジェイレン・ハーツが指名された。公式戦が1試合増え選手の移籍や厳しいキャップにも悩まされ劣勢が予想されたがアトランタ・ファルコンズとのシーズン開幕戦を勝利しシリアニHCの初陣を飾った。シーズン途中にTEザック・アーツがアリゾナ・カージナルスに移籍しさらに厳しい戦いを強いられたが終盤連勝して、第17週にプレーオフ進出を決め9勝8敗と勝ち越し、今季より1枠拡大された第7シードとなった。ワイルドカードプレーオフでは第2シードのタンパベイ・バッカニアーズに15-31で敗れた。

2022年はGブランドン・ブルックスが引退、Sロドニー・マクロードがコルツに移籍した他に若手WRを放出。ドラフトでは1巡でDTジョーダン・デービス、2巡でC/Gキャム・ユンゲンスを指名、攻守の主力であるDTコックス、Cケルシーの後継者を獲得した。LBハーソン・レディック、CBジェームズ・ブラッドベリーらがFA加入、トレードでWRのA・J・ブラウン、SのC・J・ガードナー=ジョンソンなどを獲得した。攻守に渡り好調で開幕からリーグ唯一の8連勝を記録し、第10週のワシントン・コマンダーズとの同地区対決にて今季初黒星を喫したものの、その後も勝ち続け第14週にはプレーオフ出場を決めた。終盤でハーツの負傷欠場があり連敗を喫したがハーツは最終週で復帰し勝利を挙げ14勝3敗でレギュラーシーズンを終え、地区優勝と第1シードを獲得した。NFCの週間最優秀選手を開幕からの5週連続を含め延べ9人が受賞[14]、QBハーツは9月、LBレディックは12月のNFC月間最優秀選手を受賞した。ディビジョナルラウンドからの登場となったプレーオフ初戦は第6シードのニューヨーク・ジャイアンツに38-7で圧勝、5年ぶりに進んだNFCチャンピオンシップゲームでは第2シードのサンフランシスコ・フォーティナイナーズに31-7で勝利し、第57回スーパーボウルの出場を決めた。だがスーパーボウルでは35-38でカンザスシティ・チーフスに敗れた。シーズン後、DCジョナサン・ギャノンがアリゾナ・カーディナルスHCに、OCシェーン・スタイケンがインディアナポリス・コルツHCにそれぞれ就任した。

文化

ビリーペンの呪い

フィラデルフィアにはかつて、フィラデルフィア市庁舎の尖塔に立つウィリアム・ペン像の高さ(167m)を超える建物を建てない、という紳士協定が存在した。しかし、1987年3月に高さ288mのワン・リバティ・プレイスが建設され、それ以来、イーグルスを含むフィラデルフィアに拠点を置くすべての主要なプロスポーツチームが優勝を果たすことができなかった。これは市民の間でビリーペンの呪い(Curse of Billy Penn)と称された。2008年、MLBフィラデルフィア・フィリーズワールドシリーズで優勝し、呪いは解けた[注 1]。その後、イーグルスも2018年にスーパーボウル初制覇を果たしている。

ファン

 
スーパーボウルを制覇し、喜ぶファン(2018年)

イーグルスのファンはNFLの中でもとりわけ熱狂的と言われている[15]。本拠地開催での試合は常に満員であり、2008年8月に71試合連続でチケット完売を記録した。しかしながら、悪評もついており、ファンのマナーについて言及される場合もある。『インヴィンシブル 栄光へのタッチダウン』『世界にひとつのプレイブック』『ディア・ハンター』『フィラデルフィアは今日も晴れ』など、映画に取り上げられることも多い。

マスコット

 
マスコットのスウープ

チームの公式マスコットは、ワシスウープ(Swoop)である。(ネシャミニー州立公園)のワシの森で生まれ、視力と体力が弱い白頭ワシだったが、強く真実のハートを持っていた。イーグルスのファンがスウープに、強さを増強するユニフォームを与えると、体と心が人間のサイズに成長した。スウープは、他者を助けることを望んだため、イーグルスコミュニティの監督者になった、という逸話がある。

1994年にコメディ映画『エース・ベンチュラ』にカメオ出演し、主人公のベンチュラに打ち負かされる役どころを演じた。

チアリーダ--

チームの公式チアリーダーとして、フィラデルフィア・イーグルス・チアリーダーズ(Philadelphia Eagles Cheerleaders)が活動している。1948年にイーグルッツ(Eaglettes)としてデビューし、1970年代にリバティ・ベルズ(Liberty Belles)となった後、1980年代に現在の名称へと変更された。2012年には、アラバマ州モービルで開催された(シニアボウル)(カレッジフットボールのオールスターゲーム)にも出場した。

2023年シーズン

2023年シーズンのイーグルスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス ジャガーズ ベンガルズ ビルズ 49ers バッカニアーズ バイキングス イーグルス
2位 チャージャーズ タイタンズ レイブンズ ドルフィンズ シーホークス パンサーズ ライオンズ カウボーイズ
3位 レイダース コルツ スティーラーズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ パッカーズ ジャイアンツ
4位 ブロンコス テキサンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス ファルコンズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2022年シーズン成績

NFC東地区 2022
チーム 勝率 総得点 総失点 平均得点 平均失点
(1)フィラデルフィア・イーグルス 14 3 0 .824 477 344 28.1 20.2
(5)ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 467 342 27.5 20.1
(6)ニューヨーク・ジャイアンツ 9 7 1 .559 365 371 21.5 21.8
ワシントン・コマンダース 8 8 1 .500 321 343 18.9 20.2
NFC 2022
順位 チーム 地区 勝率 対地区 対NFC 対戦
相手
勝率
勝利
相手
勝率
地区優勝
1 フィラデルフィア・イーグルス 14 3 0 .824 4–2 9–3 .474 .460
2[a] サンフランシスコ・49ers 西 13 4 0 .765 6–0 10–2 .417 .414
3[a] ミネソタ・バイキングス 13 4 0 .765 4–2 8–4 .474 .425
4 タンパベイ・バッカニアーズ 8 9 0 .471 4–2 8–4 .503 .426
ワイルドカード
5 ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .507 .485
6 ニューヨーク・ジャイアンツ 9 7 1 .559 1–4-1 4–7-1 .526 .395
7[b] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 4–2 6–6 .462 .382
レギュラーシーズン敗退
8[b] デトロイト・ライオンズ 9 8 0 .529 5–1 7–5 .535 .451
9 ワシントン・コマンダース 8 8 1 .500 2–3-1 5–6-1 .536 .449
10 グリーンベイ・パッカーズ 8 9 0 .471 3–3 6–6 .524 .449
11[c] カロライナ・パンサーズ 7 10 0 .412 4–2 6–6 .474 .437
12[c][d] ニューオーリンズ・セインツ 7 10 0 .412 2–4 5–7 .507 .462
13[c][d] アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .467 .429
14 ロサンゼルス・ラムズ 西 5 12 0 .294 1–5 3–9 .517 .341
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 1–5 3–9 .529 .368
16 シカゴ・ベアーズ 3 14 0 .176 0–6 1–11 .571 .480
(タイブレーク)
  1. ^ a b カンファレンス内勝率で49ersがバイキングスを上回る
  2. ^ a b 第4週の直接対決でシーホークスがライオンズに勝利
  3. ^ a b c 同地区3チーム内の対戦勝率でパンサーズが1位なので、パンサーズの11位が確定
  4. ^ a b 同地区直接対決2戦のいずれもセインツがファルコンズに勝利

成績

NFC東地区(4地区制、2002年-現在)

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2022 PHI(1s) 14 3 0 DAL(5d) 12 5 0 NYG(6d) 9 7 1 WAS 8 8 1
2021 DAL(3w) 12 5 0 PHI(7w) 9 8 0 WAS 7 10 0 NYG 4 13 0
2020 WAS(4w) 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 PHI 4 11 1
2019 PHI(4w) 9 7 0 DAL 8 8 0 NYG 4 12 0 WAS 3 13 0
2018 DAL(4d) 10 6 0 PHI(6d) 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 5 11 0
2017 PHI(1v) 13 3 0 DAL 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 3 13 0
2016 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5w) 11 5 0 WAS 8 8 0 PHI 7 9 0
2015 WAS(4w) 9 7 0 PHI 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 4 12 0
2014 DAL(3d) 12 4 0 PHI 10 6 0 NYG 6 10 0 WAS 4 12 0
2013 PHI(3w) 10 6 0 DAL 8 8 0 NYG 7 9 0 WAS 3 13 0
2012 WAS(4w) 10 6 0 NYG 9 7 0 DAL 8 8 0 PHI 4 12 0
2011 NYG(4v) 9 7 0 PHI 8 8 0 DAL 8 8 0 WAS 5 11 0
2010 PHI(3w) 10 6 0 NYG 10 6 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2009 DAL(3d) 11 5 0 PHI(6w) 11 5 0 NYG 8 8 0 WAS 4 12 0
2008 NYG(1d) 12 4 0 PHI(6c) 9 6 1 DAL 9 7 0 WAS 8 8 0
2007 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5v) 10 6 0 WAS(6w) 9 7 0 PHI 8 8 0
2006 PHI(3d) 10 6 0 DAL(5w) 9 7 0 NYG(6w) 8 8 0 WAS 5 11 0
2005 NYG(4w) 11 5 0 WAS(6d) 10 6 0 DAL 9 7 0 PHI 6 10 0
2004 PHI(1s) 13 3 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2003 PHI(1c) 12 4 0 DAL(6w) 10 6 0 WAS 5 11 0 NYG 4 12 0
2002 PHI(1c) 12 4 0 NYG(5w) 10 6 0 WAS 7 9 0 DAL 5 11 0

NFC東地区(3地区制、1970年-2001年)

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PHI(3c) 11 5 0 WAS 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 7 9 0 DAL 5 11 0
2000 NYG(1s) 12 4 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 8 8 0 DAL 5 11 0 ARI 3 13 0
1999 WAS(3d) 10 6 0 DAL(5w) 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 6 10 0 PHI 5 11 0
1998 DAL(3w) 10 6 0 ARI(6d) 9 7 0 NYG 8 8 0 WAS 6 10 0 PHI 3 13 0
1997 NYG(3w) 10 5 1 WAS 8 7 1 PHI 6 9 1 DAL 6 10 0 ARI 4 12 0
1996 DAL(3d) 10 6 0 PHI(5w) 10 6 0 WAS 9 7 0 ARI 7 9 0 NYG 6 10 0
1995 DAL(1v) 12 4 0 PHI(4d) 10 6 0 WAS 6 10 0 NYG 5 11 0 ARI 4 12 0
1994 DAL(2c) 12 4 0 NYG 9 7 0 ARI 8 8 0 PHI 7 9 0 WAS 3 13 0
1993 DAL(1v) 12 4 0 NYG(4d) 11 5 0 PHI 8 8 0 PHO 7 9 0 WAS 4 12 0
1992 DAL(2v) 13 3 0 PHI(5d) 11 5 0 WAS(6d) 9 7 0 NYG 6 10 0 PHO 4 12 0
1991 WAS(1v) 14 2 0 DAL(5d) 11 5 0 PHI 10 6 0 NYG 8 8 0 PHO 4 12 0
1990 NYG(2v) 13 3 0 PHI(4w) 10 6 0 WAS(5d) 10 6 0 DAL 7 9 0 PHO 5 11 0
1989 NYG(2d) 12 4 0 PHI(4w) 11 5 0 WAS 10 6 0 PHO 5 11 0 DAL 1 15 0
1988 PHI(3d) 10 6 0 NYG 10 6 0 WAS 7 9 0 PHO 7 9 0 DAL 3 13 0
1987 WAS(3v) 11 4 0 DAL 7 8 0 StL 7 8 0 PHI 7 8 0 NYG 6 9 0
1986 NYG(1v) 14 2 0 WAS(4c) 12 4 0 DAL 7 9 0 PHI 5 10 1 StL 4 11 1
1985 DAL(3d) 10 6 0 NYG(4d) 10 6 0 WAS 10 6 0 PHI 7 9 0 StL 5 11 0
1984 WAS(2d) 11 5 0 NYG(5d) 9 7 0 StL 9 7 0 DAL 9 7 0 PHI 6 9 1
1983 WAS(1s) 14 2 0 DAL(4w) 12 4 0 StL 8 7 1 PHI 5 11 0 NYG 3 12 1
1982 WAS(1v) 8 1 0 DAL(2c) 6 3 0 StL(6w) 5 3 1 NYG 4 5 0 PHI 3 6 0
1981 DAL(2c) 12 4 0 PHI(4w) 10 6 0 NYG(5d) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 7 9 0
1980 PHI(2s) 12 4 0 DAL(4c) 12 4 0 WAS 6 10 0 StL 5 11 0 NYG 4 12 0
1979 DAL(1d) 11 5 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 10 6 0 NYG 6 10 0 StL 5 11 0
1978 DAL(2s) 12 4 0 PHI(5w) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 6 10 0 NYG 6 10 0
1977 DAL(1v) 12 2 0 WAS 9 5 0 StL 7 7 0 PHI 5 9 0 NYG 5 9 0
1976 DAL(2d) 11 3 0 WAS(4d) 10 4 0 StL 10 4 0 PHI 4 10 0 NYG 3 11 0
1975 StL(3d) 11 3 0 DAL(4s) 10 4 0 WAS 8 6 0 NYG 5 9 0 PHI 4 10 0
1974 StL(d) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 DAL 8 6 0 PHI 7 7 0 NYG 2 12 0
1973 DAL(c) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 PHI 5 8 1 StL 4 9 1 NYG 2 11 1
1972 WAS(s) 11 3 0 DAL(c) 10 4 0 NYG 8 6 0 PHI 4 9 1 StL 2 11 1
1971 DAL(v) 11 3 0 WAS(d) 9 4 1 PHI 6 7 1 StL 4 9 1 NYG 4 10 0
1970 DAL(s) 10 4 0 NYG 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 6 8 0 PHI 3 10 1

NFL東カンファレンス・首都地区(1967年-1969年)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 DAL(c) 11 2 1 WAS 7 5 2 NO 5 9 0 PHI 4 9 1
1968 DAL(c) 12 2 0 NY 7 7 0 WAS 5 9 0 PHI 2 12 0
1967 DAL(n) 9 5 0 PHI 6 7 1 WAS 5 6 3 NO 3 11 0

NFL東カンファレンス(1953年-1966年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
スーパーボウル開始
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1
1960 PHI(v) 10 2 0 CLE 8 3 1 NY 6 4 2 StL 6 5 1 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2
1959 NY(n) 10 2 0 CLE 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2 CHC 2 10 0
1958 NY(n) 9 3 0 CLE 9 3 0 PIT 7 4 1 WAS 4 7 1 CHC 2 9 1 PHI 2 9 1
1957 CLE(n) 9 2 1 NY 7 5 0 PIT 6 6 0 WAS 5 6 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1956 NY(v) 8 3 1 CHC 7 5 0 WAS 6 6 0 CLE 5 7 0 PIT 5 7 0 PHI 3 8 1
1955 CLE(v) 9 2 1 WAS 8 4 0 NY 6 5 1 CHC 4 7 1 PHI 4 7 1 PIT 4 8 0
1954 CLE(v) 9 3 0 PHI 7 4 1 NY 7 5 0 PIT 5 7 0 WAS 3 9 0 CHC 2 10 0
1953 CLE(n) 11 1 0 PHI 7 4 1 WAS 6 5 1 PIT 6 6 0 NY 3 9 0 CHC 1 10 1

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 CLE(n) 8 4 0 NY 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 7 0 CHC 4 8 0 WAS 4 8 0
1951 CLE(n) 11 1 0 NYG 9 2 1 WAS 5 7 0 PIT 4 7 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1950 CLE(v) 10 2 x NYG 10 2 x PHI 6 6 x PIT 6 6 x CHC 5 7 x WAS 3 9 x

NFL東地区(1933年-1949年)

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1949 PHI(v) 11 1 0 PIT 6 5 1 NYG 6 6 0 WAS 4 7 1 NYB 1 10 1
1948 PHI(v) 9 2 1 WAS 7 5 0 NY 4 8 0 PIT 4 8 0 BOS 3 9 0
1947 PHI(n) 8 4 0 PIT 8 4 0 BOS 4 7 1 WAS 4 8 0 NY 2 8 2
1946 NY(n) 7 3 1 PHI 6 5 0 WAS 5 5 1 PIT 5 5 1 BOS 2 8 1
1945 WAS(n) 8 2 0 PHI 7 3 0 NY 3 6 1 BOS 3 6 1 PIT 2 8 0
1944 WAS(n) 6 3 1 NY 6 3 1 PHI 7 3 0 BOS 2 8 1 BK 0 10 0
1943 WAS(n) 6 3 1 NY 6 3 1 Phil-Pitt 5 4 1 BK 2 8 0
1942 WAS(v) 10 1 0 PIT 7 4 0 NY 5 5 1 BK 3 8 0 PHI 2 9 0
1941 NY(n) 8 3 0 BK 7 4 0 WAS 6 5 0 PHI 2 8 1 PIT 1 9 1
1940 WAS(n) 9 2 0 NY 8 3 0 BK 6 4 1 PIT 2 7 2 PHI 1 10 0
1939 NY(n) 9 1 1 WAS 8 2 1 BK 4 6 1 PHI 1 9 1 PIT 1 9 1
1938 NY(v) 8 2 1 WAS 6 3 2 BK 4 4 3 PHI 5 6 0 PIT 2 9 0
1937 WAS(v) 8 3 0 NY 6 3 2 PIT 4 7 0 BK 3 7 1 PHI 2 8 1
1936 BOS(n) 7 5 0 PIT 6 6 0 NY 5 6 1 BK 3 8 1 PHI 1 11 0
1935 NY(n) 9 3 0 BK 5 6 1 PIT 4 8 0 BOS 2 8 1 PHI 2 9 0
1934 NY(v) 8 5 0 BOS 6 6 0 BK 4 7 0 PHI 4 7 0 PIT 2 10 0
1933 NY(n) 11 3 0 BK 5 4 1 BOS 5 5 2 PHI 3 5 1 PIT 3 6 2

主な選手

現役選手

永久欠番

フィラデルフィア・イーグルス 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
5 ドノバン・マクナブ Donovan McNabb QB 1999–2009
15 スティーブ・バンビューレン Steve Van Buren HB 1944–1951
20 (ブライアン・ドーキンス) Brian Dawkins S 1996–2008
40 (トム・ブルックシャー) Tom Brookshier CB 1953–1961
44 (ピート・レツラフ) Pete Retzlaff RB, WR, TE 1956–1966
60 (チャック・ベドナリク) Chuck Bednarik LB 1949–1962
70 (アル・ウィスタート) Al Wistert OT 1943–1951
92 レジー・ホワイト Reggie White DE 1985–1992
99 (ジェローム・ブラウン) Jerome Brown DT 1987–1991

永久欠番にはなっていないものの以下の番号は選手の栄誉を讃え、現在使用されていない。

  • 9 ニック・フォールズNick Foles)、QB、2012-2014, 2017-2018
  • 12 (ランドール・カニンガム)(Randall Cunningham)、QB、1985-1995
  • 25 (ルショーン・マッコイ)(LeSean McCoy)、RB、2009-2014
  • 87 (ブレント・セリク)(Brent Celek)、TE、2007-2017

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
15 スティーブ・バンビューレン Steve Van Buren HB 1944–1951 1965
60 (チャック・ベドナリク) Chuck Bednarik C, LB 1949–1962 1967
53 (アレックス・ウォジコビッツ) Alex Wojciechowicz C, DT 1946–1950 1968
35 (ピート・ピホス) Pete Pihos TE, DE 1947–1955 1970
56 (ビル・ヒューイット) Bill Hewitt (End), FB 1937–1939, 1943 1971
11 (ノーム・バン・ブルックリン) Norm Van Brocklin QB 1958–1960 1971
33 オーリー・マトソン Ollie Matson RB 1964–1966 1972
54 (ジム・リンゴ) Jim Ringo C 1964–1967 1981
9 (ソニー・ジャーゲンセン) Sonny Jurgensen QB 1957–1963 1983
98, 99 マイク・ディトカ Mike Ditka TE 1967–1968 1988
86 (バド・グラント) Bud Grant WR, DE 1951–1952 1994
25 (トミー・マクドナルド) Tommy McDonald WR 1957–1963 1998
80 (ジェームズ・ロフトン) James Lofton WR 1993 2003
76 (ボブ・ブラウン) Bob Brown OT 1964–1968 2004
92 レジー・ホワイト Reggie White DE 1985–1992 2006
85 (アート・モンク) Art Monk WR 1995 2008
95 (リチャード・デント) Richard Dent DE 1997 2011
80 クリス・カーター Cris Carter WR 1987–1989 2013
87 (クロード・ハンフリー) Claude Humphrey DE 1979–1981 2014
20 (ブライアン・ドーキンス) Brian Dawkins S 1996–2008 2018
81 テレル・オーウェンス Terrell Owens WR 2004-2005 2018
17 ハロルド・カーマイケル Harold Carmichael WR 1971-1983 2020
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
バート・ベル Bert Bell オーナー、創設者 1933–1940 1963
ヘッドコーチ 1936–1940
(ウェイン・ミルナー) Wayne Millner アシスタントコーチ 1951 1968
(グリージー・ニール) Greasy Neale ヘッドコーチ 1941–1950 1969
(マイク・マコーマック) Mike McCormack ヘッドコーチ 1973–1975 1984

Eagles Hall of Fame

  • 1987年 (チャック・ベドナリク)、バート・ベルハロルド・カーマイケル、(ビル・ヒューイット)、(ソニー・ジャーゲンセン)、(ウィルバート・モンゴメリー)、(アール・ニール)、(ピート・ピホス)、オーリー・マトソン、(ジム・リンゴ)、(ノーム・バン・ブルックリン)、スティーブ・バンビューレン、(アレックス・ウォジコビッツ)
  • 1988年 (ビル・バージェイ)、(トミー・マクドナルド)
  • 1989年 (トム・ブルックシャー)、(ピート・レッツラフ)
  • 1990年 (ティミー・ブラウン)
  • 1991年 (ジェリー・シセモア)、(スタン・ウォルターズ)
  • 1992年 (ロン・ジャウォースキー)
  • 1993年 (ビル・ブラッドリー)
  • 1994年 (ディック・ヴァーミール)
  • 1995年 (ジム・ギャラガー)、マイク・クイック
  • 1996年 (ジェローム・ブラウン)
  • 1999年 (オットー・デービス)
  • 2006年 レジー・ホワイト
  • 2009年 (アル・ウィスタート)、(ランドール・カニンガム)
  • 2011年 (エリック・アレン)、(ジム・ジョンソン)
  • 2012年 (レオ・カーリン)、(ブライアン・ドーキンス)、(トロイ・ビンセント)
  • 2013年 ドノバン・マクナブ
  • 2015年 (ブライアン・ウェストブルック)、(マクシー・ボウアン)
  • 2016年 (ジェレミア・トロッター)、(マーリル・レッセ)
  • 2017年 デイビッド・エイカーズ
  • 2018年 (セス・ジョイナー)、(クライド・シモンズ)
  • 2019年 (ボビー・ウォルストン)
  • 2021年 トラ・トーマス、ジョン・ランヤン
  • 2022年 ヒュー・ダグラス、トレント・コール

75周年記念チーム

歴代ヘッドコーチ

  • (ラッド・レイ) (1933-1935)
  • バート・ベル (1936-1940)
  • (グリージー・ニール) (1941-1950)
  • (ボー・マクミリン) (1951)
  • (ウェイン・ミルナー) (1951)
  • (ジム・トリンブル) (1952-1956)
  • (ヒュー・デヴォア) (1956-1957)
  • (バック・ショウ) (1958-1960)
  • (ニック・スコリッチ) (1961-1963)
  • (ジョー・クハリッチ) (1964-1968)
  • (ジェリー・ウィリアムズ) (1969-1971)
  • (エド・ハヤート) (1971-1972)
  • (マイク・マコーマック) (1973-1975)
  • (ディック・ヴァーミール) (1976-1982)
  • (マリオン・キャンベル) (1983-1985)
  • (フレッド・ブルーニー) (1985)
  • (バディ・ライアン) (1986-1990)
  • (リッチ・コータイト) (1991-1994)
  • (レイ・ローズ) (1995-1998)
  • アンディ・リード (1999-2012)
  • (チップ・ケリー) (2013-2015)
  • (ダグ・ピーダーソン) (2016-2020)
  • (ニック・シリアニ) (2021- )

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 2007年6月以降、フィラデルフィアで最も高い(コムキャスト・センター)(296.7m)の屋上にウィリアム・ペン像のレプリカが設置されている

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k “Philadelphia Eagles (1933-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2019年1月14日閲覧。
  2. ^ “Miracle at the Meadowlands”. プロフットボール殿堂. 2012年1月2日閲覧。
  3. ^ Steve Wulf (1981年2月2日). “He Had The Winning Hands”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年1月2日閲覧。
  4. ^ “イーグルス、キャンプ2日前に新守備コーディネーター発表”. NFL JAPAN (2009年7月25日). 2013年1月2日閲覧。
  5. ^ “イーグルスの鉄壁守備築いた名コーチ、ジョンソン氏が68歳で死去”. NFL JAPAN (2009年7月29日). 2013年1月2日閲覧。
  6. ^ “オバマ大統領がイーグルス称賛、ビックに再起のチャンス”. NFL JAPAN (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。
  7. ^ “2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  8. ^ “イーグルス、14年に渡るリードHC時代に終止符”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  9. ^ (河田剛) (2012年10月18日). ““数字は嘘をつかず”、イーグルスDC解雇の真意とは”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  10. ^ “イーグルス新HC、心変わりの理由明かさず”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  11. ^ “【第52回スーパーボウル】イーグルスの初勝利なるか、ペイトリオッツの2連覇か!?”. NFL JAPAN (2018年2月5日). 2018年2月5日閲覧。
  12. ^ “Why did Eagles coach Doug Pederson bench Jalen Hurts for Nate Sudfeld vs. Washington?”. 2021年1月5日閲覧。
  13. ^ “ニック・シリアニがイーグルス新HCに就任へ、DCはジョナサン・ギャノン”. NFL JAPAN (2021年1月25日). 2021年2月3日閲覧。
  14. ^ W1STマクファーソン W2CBスレイ W3、W14DEグラハム W4LBレディック W5Kディッカー W12、W13QBハーツ W18Kエリオット
  15. ^ “In Depth: America's Most Die-Hard Football Fans”. フォーブス (2008年9月1日). 2021年2月10日閲覧。

関連項目

  • メドウランズの奇跡 - ニューヨーク・ジャイアンツとの試合でリードされて残り時間わずかで相手QBがイート・ザ・ボールをすればそのまま敗れるところだったが、イーグルスのディフェンスが相手QBに激しく当たっていたためジャイアンツはフルバック((ラリー・ゾンカ))にボールを持たせるプレーを選択したがハンドオフミスによるファンブル、(ハーマン・エドワーズ)がリカバーしてタッチダウンをあげて奇跡的な勝利をもたらした。

外部リンク

  • フィラデルフィア・イーグルス公式サイト (英語)
  • NFL JAPANプロフィール (日本語)
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。