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ロサンゼルス・ラムズ

ロサンゼルス・ラムズ英語: Los Angeles Rams、略称: LAR)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス都市圏のイングルウッドに本拠地をおくNFLチーム[1]NFC西地区に所属している。ホームスタジアムはSoFiスタジアムで、ロサンゼルス・チャージャーズと共用している。本部と練習場は、カリフォルニア州の(アゴウラヒルズ)に位置している。

ロサンゼルス・ラムズ
Los Angeles Rams
創設 1936年 (87年前) (1936)
NFL参入 1937年シーズン
最新シーズン
2022年のロサンゼルス・ラムズ
所属地区
  • NFL(1937-現在)
    • NFC(1970-現在)
    西地区(1970-現在)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
    海岸地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1937-1949)
  • AFL II(1936)
チームデザイン
チームロゴ
チームカラー
  ロイヤルブルー
  ソル
ユニフォーム
チーム名
  • ロサンゼルス・ラムズ(1946-1994, 2016-現在)
    • セントルイス・ラムズ(1995-2015)
    • クリーブランド・ラムズ(1936-1942, 1944-1945)
ホームタウン
1946-1994
2016-現在
1995-2015
1937-1945

カリフォルニア州イングルウッド(2020-現在)
カリフォルニア州ロサンゼルス(2016-2019)
ミズーリ州セントルイス(1995-2015)
カリフォルニア州アナハイム(1980-1994)
カリフォルニア州ロサンゼルス(1946-1979)
オハイオ州クリーブランド(1937-1945)

SoFiスタジアム(2020-現在)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(2016-2019)
エドワード・ジョーンズ・ドーム
 ドーム・アット・アメリカズ・センター
 トランス・ワールド・ドーム
(1995-2015)
ブッシュ・メモリアル・スタジアム(1995)
アナハイム・スタジアム(1980-1994)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(1946-1979)
リーグ・パーク(1942)
(ショー・スタジアム)(1938)
クリーブランド・ミュニシパル・スタジアム(1937, 1939-1941, 1944-1945)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (5回)
NFC
地区優勝 (16回)
NFL海岸地区
旧NFC西地区
NFC西地区
ワイルドカード(9回)
プレーオフ進出(25/57回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFLナショナル
NFL西
地区優勝
NFL西地区
ワイルドカード
球団組織
オーナー (スタン・クロエンケ)
GM (レス・スニード)
ヘッドコーチ ショーン・マクベイ

概要

1936年「クリーブランド・ラムズ英語: Cleveland Rams)」として創設。1945年のNFLチャンピオンシップゲームに優勝した後、AAFCがNFLに統合され、クリーブランド・ブラウンズがリーグに加入すると同時に、1946年からフランチャイズをロサンゼルスに移転し、「ロサンゼルス・ラムズ」とした。1973年から1979年まで7年連続でNFC西地区優勝を果たし、1979年はチーム史上初となるスーパーボウル第14回)に出場したが、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れている。当初はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを本拠地にしていたが、1980年にアナハイムアナハイム・スタジアムに移転している。

1995年シーズンから2015年シーズンまでは、ミズーリ州セントルイスに本拠地を置き、「セントルイス・ラムズ英語: St. Louis Rams、略称: STL)」としていた。セントルイス時代の第34回スーパーボウル1999年)では、テネシー・タイタンズに23-16で勝利し、初優勝を果たしている。第36回スーパーボウル2001年)にも出場しているが、ニューイングランド・ペイトリオッツに17-20で敗れている。2016年1月にオーナー会議で承認され、2016年シーズンより再びロサンゼルスを本拠地としている。第53回スーパーボウル2018年)で再びペイトリオッツと戦ったが、3-13で敗れている。

3度のNFLチャンピオンを3都市で獲得しているNFL唯一のチームである[注釈 1]

歴史

クリーブランド・ラムズ

 
QBの(ボブ・ウォーターフィールド)

1936年にクリーブランドでチームが創立された時に、当時のゼネラルマネージャーがかつて存在していたフットボールチーム「フォーダム・ラムズ」のファンであったことから、チーム名を「ラムズ」にすることを当時のオーナー、ホーマー・マーシュマンに提案、同意がなされてチーム名は決まった。チームは1936年に創設されたアメリカン・フットボール・リーグ(通称「AFLII」)に参加し、5勝2敗2分でボストン・シャムロックスに次いで2位となった。1937年チームは1934年にNFLから脱退したセントルイス・ガンナーズの代わりにNFLに加入した。NFL加入当初は負け越しシーズンが続いた。1941年チームはダン・リーブス、フレッド・リービーに購入された。1943年6月にリーブスはリービーにチームの所有権を売却した(後にオーナーとして戻った)。第二次世界大戦の影響で選手が不足した1943年にチームはリーグ戦参加を辞退した(この年ピッツバーグ・スティーラーズフィラデルフィア・イーグルスは合同チームを作った。)。1944年からリーグに復帰、クリーブランドでの最後のシーズンとなった1945年にUCLAから加入した新人QBの(ボブ・ウォーターフィールド)がリーグの最優秀選手に選ばれる活躍を見せて9勝1敗でシーズンを終了、ワシントン・レッドスキンズとのNFLチャンピオンシップゲームを15-14で勝利し初優勝を果たした。この試合でレッドスキンズのサミー・ボーのパスがゴールポストにあたりエンドゾーンにはねかえるプレーがあり、翌シーズンからこの場合はパス不成功とするルール変更が行われた。

ロサンゼルス移転

1946年からロサンゼルス・メモリアル・コロシアムに本拠地を移し、ロサンゼルス・ラムズと改称した。この年チームはNFLチーム中第二次世界大戦後、最初に(ケニー・ワシントン)(英語版)ウディ・ストロードの2人のアフリカ系アメリカ人選手と契約した[2]。この年6勝4敗1分でシカゴ・ベアーズに次いでウェスタン・カンファレンス2位で終えた。シーズン終了後にアダム・ウォルシュヘッドコーチは解任された。

1948年にNFLチームとして初めてヘルメットにロゴを入れた[2]

1949年から1955年までの7年間で4回NFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし1951年に優勝した。当時チームはボブ・ウォーターフィールド、ノーム・バン・ブロックリン、エルロイ・ハーシュ、トム・フィアーズらによるオフェンスはリーグベストの攻撃を見せた。優勝した1951年にハーシュはレシーブで1495ヤード、17タッチダウンをあげた(当時は1シーズン12試合)。

その後1956年から1965年までは1958年を除き勝ち越しなしの時代が続いた。1960年代チームのディフェンスにはロジー・グリア、マーリン・オルセンディーコン・ジョーンズ、ラマー・ランディの4人によるフィアーサム・フォーサム」(恐ろしい4人組)と呼ばれたディフェンスラインの活躍などで1960年代終わりからNFC西地区の強豪となった。1967年、(ジョージ・アレン)の下で1966年から1970年までチームは5シーズン連続で勝ち越ししディック・ヴァーミールスペシャルチームコーチなど多くの人材を育て上げたが、1967年にはグリーンベイ・パッカーズに、1969年にはミネソタ・バイキングスに敗れプレーオフで勝ち星をあげることはできず1970年シーズン終了後アレンはワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任するためチームを去った。

 
1971年から15年間在籍したDEのジャック・ヤングブラッド

1962年から1972年までの11シーズン、先発QBを務めた(ロマン・ゲブリエル)は1967年から1971年まで5シーズン連続でチームを地区優勝または地区2位に導いた。1969年には2549ヤード、24タッチダウンの成績をあげて最優秀選手に選ばれた。

1972年にチームは(ロバート・アーセイ)に1900万ドルで購入された後、ボルチモア・コルツオーナーの(キャロル・ローゼンブルーム)とトレードされローゼンブルームが新オーナーとなった。

1973年から1979年までチームは7年連続でNFC西地区優勝を果たした。しかしNFCチャンピオンシップゲームダラス・カウボーイズミネソタ・バイキングスに2回ずつ敗れスーパーボウル出場はなかなか実現しなかった。この時代ディフェンスは優れていたもののオフェンスはあまり優秀であるとは言い難かった。ディフェンスの中心選手はジャック・ヤングブラッドであり、プロフットボール殿堂入りを果たしたマーリン・オルセンからはPerfect Defensive Endと呼ばれた。この時代ラムズの選手には引退後、フレッド・ドライヤーなどハリウッドに行く選手が多く見られた。1973年からチームの指揮を執っていた(チャック・ノックス)ヘッドコーチは1977年シーズン終了後更迭された。

1979年シーズン開幕前にチームオーナーの(キャロル・ローゼンブルーム)がフロリダ州ゴールデンビーチで溺死し、未亡人のジョージア・フロンティアとローゼンブルームの息子の間でチームの経営権をめぐって争いもあったが、この年3年目のQB(ヴィンス・フェラガモ)に率いられたチームは同年9勝7敗の成績ながらNFC西地区を制した後、ダラス・カウボーイズを21-19、タンパベイ・バッカニアーズを9-0で降してスーパーボウルへの出場を果たした。この年の中心選手はフェラガモの他にHBのウェンデル・タイラー、オフェンスラインのジャッキー・スレイター、ディフェンスのジャック・ヤングブラッド、(ジャック・レイノルズ)らであった。ラムズのホームゲームといってもいいパサデナローズボウルで行われた第14回スーパーボウルではディフェンディングチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズにブックメーカーは10.5点のハンディをつけたがチームは善戦しハーフタイムを13-10で折り返し第3Q終了時点でも19-17とリードしていた。しかし第4Qスティーラーズが2つのタッチダウンをあげ、ラムズは無得点に終わり19-31で敗れた。

アナハイム移転

1980年にチームは本拠地をカリフォルニア州オレンジ郡アナハイムに移した。これには2つ理由があり1つは元ラムズの球団フロントに在籍した(ピート・ロゼール)コミッショナーの導入したブラックアウトルール(チケットが完売しなかった場合、地元テレビ中継ができなくなる。)とカリフォルニア州南部の人口急増地域でのファン獲得を狙ったものであった。1965年に建設されてカリフォルニア・エンゼルスの本拠地として利用されていたアナハイム・スタジアムにはラグジュアリシートが設置されるなどの改修がなされた。1982年にオークランド・レイダースがロサンゼルスに本拠地を移しロサンゼルスでの人気を二分する事態となった。1980年代初めラムズは再建途上にあり、レイダースの1983年第18回スーパーボウル優勝、NBAロサンゼルス・レイカーズの1980年、1982年NBAファイナル優勝、ロサンゼルス・ドジャースの1981年、1988年ワールドシリーズ制覇、ロサンゼルス・キングスの1982年プレーオフといった活躍の影に隠れた。

 
1984年に2105ヤードランのNFL記録を樹立したRBのエリック・ディッカーソン

1983年ジョン・ロビンソンが新ヘッドコーチに就任した。この年、ドラフト1巡目で獲得したエリック・ディッカーソンは1年目から1808ヤードを走り、18タッチダウンをあげる大活躍を見せてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くだけでなくプロボウル、オールプロにも選出された。ディッカーソンは2年目の1984年には現在のNFL記録でもある2105ヤード(それまでの1シーズンのラッシング記録は1973年にO・J・シンプソンのあげた2003ヤード)を走った[注釈 2]1987年シーズン終了後、ディッカーソンはインディアナポリス・コルツの(コーネリアス・ベネット)、バッファロー・ビルズのグレッグ・ベルらとの三角トレードでコルツに移籍し、ラムズはベルと3つのドラフト1巡目指名権を得た。ロビンソンヘッドコーチは9シーズンで6回チームをプレーオフに導いたが1985年シカゴ・ベアーズにNFCチャンピオンシップゲームで敗れるなどスーパーボウル出場は果たせなかった。

1989年には11勝5敗でプレーオフに出場したがサンフランシスコ・フォーティナイナーズとのNFCチャンピオンシップゲームでは3-30と完敗した。

1990年代に入るとチームは負け越しシーズン続きとなりファンの興味を失うようになった。バッファロー・ビルズシアトル・シーホークスで好成績をあげたかつてのヘッドコーチ、(チャック・ノックス)を再び起用したがチーム成績はいっこうに良くならなかった。1993年シーズン終了後、エベレットは同地区ライバルのニューオーリンズ・セインツに移籍した。

セントルイス・ラムズ

ジョージア・フロンティアオーナーは新スタジアム建設の働きかけをすると共にメリーランド州ボルチモアへの移転も同時に検討を始めた。その後フロンティアオーナーはチームを自身の故郷であるミズーリ州セントルイスに移す決断をした。NFLオーナー会議で6人のオーナーの反対があったもののフロンティアオーナーは訴訟を起こすかまえを見せチームの移転は承認された。1995年シーズンから、本拠地はミズーリ州セントルイスになり、チーム名はセントルイス・ラムズとなった。

1997年に(ディック・ヴァーミール)をヘッドコーチに招き、ドラフト全体1位でオフェンスラインマンのオーランド・ペースを獲得した。1999年チームはドラフト2巡目、4巡目指名権と引き替えにマーシャル・フォークを獲得、当初(トレント・グリーン)が先発QBを務める予定だったがプレシーズンゲームで足を負傷しシーズン絶望となった。急遽先発QBに指名されたのがアリーナフットボールなどでプレーしていたカート・ワーナーであり、フォークやWRのアイザック・ブルースなどと共にこの年のハイパーオフェンスを牽引しチームは526得点をあげた。

第34回スーパーボウルではテネシー・タイタンズの(ケビン・ダイソン)を最後のプレー、エンドゾーン残り1ヤードのところで止めてスーパーボウル初優勝を果たした。ヴァーミールヘッドコーチはこの試合で勇退し、後任にはオフェンスコーディネーターを務めた(マイク・マーツ)が就任した。2001年にもチームはNFCを制して再び第36回スーパーボウルに進出したがニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

 
2000年から10年間在籍したQBの(マーク・バルジャー)

2004年オレゴン州立大学からRBスティーブン・ジャクソンを獲得した。2005年マーツヘッドコーチは病気で入院し指揮をアシスタント・ヘッドコーチの(ジョー・ヴィット)に委ねた。マーツの退院後も球団社長はヘッドコーチとしての復帰を認めずこの年を最後にマーツは解任された。この年のドラフト7巡目にQBライアン・フィッツパトリックを指名した。

2006年からは(スコット・リネハン)がヘッドコーチとなった。この年は8勝8敗で終えたが2007年は3勝13敗に終わり、シーズンオフの2008年1月18日には28年間チームオーナーだったジョージア・フロンティアが亡くなった。チームの経営権は彼女の息子のチップ・ローゼンブルーム、娘のルシア・ロドリゲスに移った。2008年9月29日、開幕から4連敗したところでリネハンヘッドコーチは解任されてディフェンスコーディネーターの(ジム・ハスレット)が暫定ヘッドコーチとして残り試合を指揮した。シーズン終了後球団社長のジョン・ショーは辞任し、12月22日にはジェイ・ジグムンドに代わってビリー・ディバニーがゼネラルマネージャーとなった。

2009年ニューヨーク・ジャイアンツのディフェンスコーディネーターであったスティーブ・スパヌオーロがヘッドコーチに就任し、パット・シューマー、ケン・フラジョルがオフェンス、ディフェンスコーディネーターに加わった。チームはボルチモア・レイブンズのセンター、ジェイソン・ブラウンを獲得したがサラリーキャップの影響でオーランド・ペース[3]WRのトリー・ホルト[4]などを解雇しチーム再建を目指している。

オーナーのローゼンブルーム、ロドリゲスの兄妹はチーム売却の意向を固めゴールドマンサックスに資産価値を鑑定することを依頼した。フォーブスによると資産価値はおよそ9億2900万ドルであり、保守派の論客であるラッシュ・リンボーらが買収に名乗りをあげた[5]が、かつてラジオ番組などでドノバン・マクナブへの人種差別的言動を行ったリンボーに対してロジャー・グッデルコミッショナーやコルツオーナーのジム・アーセイらの反対意見もありリンボーは買収グループから外れた[6]。一部の株を保有していたスタン・クローンキーが買収に手を挙げ、2010年のオーナー会議で了承された。クローンキーはコロラド州を本拠地とするNBANHLメジャーリーグサッカーナショナル・ラクロス・リーグのチームのオーナーでもあったが、他のスポーツチームの所有との重複を禁じるNFLのルールに従い息子に所有権を移した。クローンキーはイギリスのサッカーチームであるアーセナルFCの過半数を所有する最大株主でもある。

2010年、ドラフト全体1位指名権を獲得したチームはQBサム・ブラッドフォードを指名した。チームは最終週シアトル・シーホークス戦で勝利すれば地区優勝であったが敗れた。

2011年、チームは2勝14敗に終わりスパヌオーロヘッドコーチは解任され、(ジェフ・フィッシャー)が新ヘッドコーチに就任[7][8]、ディフェンスコーディネーターにグレッグ・ウィリアムズが就任した[9]。オフェンスコーディネーターのジョシュ・マクダニエルスはシーズン終了後、プレーオフを戦っているニューイングランド・ペイトリオッツに加入[10]、同職にはニューヨーク・ジェッツでオフェンスコーディネーターを務めていたブライアン・ショッテンハイマーが就任した[11]。またGMにアトランタ・ファルコンズの選手人事ディレクターを務めていたレス・スニードが就任した[12]

2012年3月9日、チームはワシントン・レッドスキンズから2012年、2013年、2014年のドラフト1巡指名権、2012年のドラフト2巡指名権を受け取る代わりにドラフト全体2位指名権を放出した[13]

2015年3月10日、サム・ブラッドフォードは、QBニック・フォールズとドラフト指名権の交換を伴うトレードでフィラデルフィア・イーグルスに移籍した。フォールズはシーズン11試合に先発したが成績不振の為、途中からは先発QBを外され[14]、その後解雇された[15]

ロサンゼルス再移転

 
ラムズのロサンゼルス復帰を祝うファン

2016年1月12日のオーナー会議において、2016年シーズンからロサンゼルスに移転することが承認された[1]。22年ぶりにロサンゼルスの地へ戻り、チーム名をロサンゼルス・ラムズ、暫定的に本拠地をロサンゼルス・メモリアル・コロシアムとして2016年シーズンは開幕した。2016年シーズンは不調であり、2016年12月12日、その時点で4勝9敗の成績の責任を問われてヘッドコーチのジェフ・フィッシャーは解雇され、(ジョン・ファッセル)が暫定ヘッドコーチとなった。2016年ドラフトで全体1位として指名されたQBジャレッド・ゴフがシーズン途中から先発し始めた。

2017年1月12日、ワシントン・レッドスキンズの元攻撃コーディネーターで31歳のショーン・マクベイがヘッドコーチに就任した。守備コーディネーターには、ビルズやカウボーイズの元ヘッドコーチで守備のスペシャリストである70歳のウェイド・フィリップスが就任し、マクベイが攻撃、フィリップスが守備のプレイコールを担当する体制を構築した[16]。この体制の下、2017年シーズンのチーム成績は劇的に改善し、14年ぶりの地区優勝を果たしたが、プレーオフでは初戦でアトランタ・ファルコンズに敗れた。

2018年も引き続き好調を維持し、連続して地区優勝を遂げて第2シードでプレーオフに進出し、コンファレンスチャンピオンシップでは第1シードのニューオーリンズ・セインツを破った。第53回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2019年、前ジャクソンビル・ジャガーズのQBブレイク・ボートルスと契約した。この年は3連勝で始まったものの、プレーオフ進出は逃した。

2020年シーズン、新たな本拠地・SoFiスタジアムロサンゼルス・チャージャーズと共用)で開幕を迎えた。新本拠地での開幕に合わせ、青と黄色の新ロゴと新ユニフォームをシーズン開幕前に発表し[17]、ロサンゼルスでのチームの再出発を演出したが、コロナウイルスの影響によりすべての試合を無観客で行うことを余儀なくされた。レギュラーシーズン10勝6敗で地区2位となり、第6シードでプレーオフに進出した。同地区で優勝した第3シードのシアトル・シーホークスをワイルドカード・プレーオフで破ったが、ディビジョナル・プレーオフで第1シードのグリーンベイ・パッカーズに敗れて、シーズンを終えた。DTアーロン・ドナルドは3度目のAP通信ディフェンス部門年間最優秀選手を受賞した[18]。2021年1月31日、ドラフト権や複数選手を含むトレードによって、ジャレッド・ゴフをデトロイト・ライオンズに手放す代わりにマシュー・スタッフォードを獲得した[19][20]

2021年、11月3日にデンバー・ブロンコスからLBボン・ミラーを獲得し[21]、また11月11日にクリーブランド・ブラウンズから放出されていたWRオデル・ベッカムを獲得した[22]。地区一位となり、2年連続でプレーオフ出場を果たした。NFCチャンピオンシップ・ゲームでは同地区のライバルであるサンフランシスコ・フォーティーナイナーズを破り、本拠地SoFiスタジアムで行われる第56回スーパーボウルに進出。2020年シーズンのタンパベイ・バッカニアーズに続き、2年連続でスーパーボウルの呪いを跳ね除けることとなった。スーパーボウルでは接戦の末、4Q残り1分25秒で逆転のTDを決めてシンシナティ・ベンガルズを破り、第34回以来22年ぶり、ロサンゼルスを本拠地としてからは初のスーパーボウル制覇を果たした[23]

2022年シーズンはけが人続出に苦しみ、スタッフォードはシーズン途中で脳震盪により長期離脱を余儀なくされた。2022年12月6日、カロライナ・パンサーズからウェーバーにかけられていたベイカー・メイフィールドQBを獲得した[24]。2022年12月19日、第15週にして4勝10敗の成績でプレーオフの望みは消えた。

文化

マスコット

 
ファンに囲まれるランペイジ

2010年7月に公式マスコットとして羊のランペイジ(Rampage)が発表された。名前はファン投票により採用された。ランペイジが登場する以前の1990年代半ばには、ネズミに似たラムスター(Ramster)というキャラクターが数年間だけ存在していた。

チアリーダー

チームには、公式チアリーダーとしてロサンゼルス・ラムズ・チアリーダーズ(Los Angeles Rams Cheerleaders)が活動している。NFLのチームとしては初めて、女性のみならず男性のメンバーも存在する。

2023年シーズン

2023年シーズンのラムズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス ジャガーズ ベンガルズ ビルズ 49ers バッカニアーズ バイキングス イーグルス
2位 チャージャーズ タイタンズ レイブンズ ドルフィンズ シーホークス パンサーズ ライオンズ カウボーイズ
3位 レイダース コルツ スティーラーズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ パッカーズ ジャイアンツ
4位 ブロンコス テキサンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス ファルコンズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2022年シーズン成績

NFC西地区 2022
チーム 勝率 総得点 総失点 平均得点 平均失点
(2)サンフランシスコ・49ers 13 4 0 .765 450 277 26.5 16.3
(7)シアトル・シーホークス 9 8 0 .529 407 401 23.9 23.6
ロサンゼルス・ラムズ 5 12 0 .294 307 384 18.1 22.6
アリゾナ・カージナルス 4 13 0 .235 340 449 20.0 26.4
NFC 2022
順位 チーム 地区 勝率 対地区 対NFC 対戦
相手
勝率
勝利
相手
勝率
地区優勝
1 フィラデルフィア・イーグルス 14 3 0 .824 4–2 9–3 .474 .460
2[a] サンフランシスコ・49ers 西 13 4 0 .765 6–0 10–2 .417 .414
3[a] ミネソタ・バイキングス 13 4 0 .765 4–2 8–4 .474 .425
4 タンパベイ・バッカニアーズ 8 9 0 .471 4–2 8–4 .503 .426
ワイルドカード
5 ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .507 .485
6 ニューヨーク・ジャイアンツ 9 7 1 .559 1–4-1 4–7-1 .526 .395
7[b] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 4–2 6–6 .462 .382
レギュラーシーズン敗退
8[b] デトロイト・ライオンズ 9 8 0 .529 5–1 7–5 .535 .451
9 ワシントン・コマンダース 8 8 1 .500 2–3-1 5–6-1 .536 .449
10 グリーンベイ・パッカーズ 8 9 0 .471 3–3 6–6 .524 .449
11[c] カロライナ・パンサーズ 7 10 0 .412 4–2 6–6 .474 .437
12[c][d] ニューオーリンズ・セインツ 7 10 0 .412 2–4 5–7 .507 .462
13[c][d] アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .467 .429
14 ロサンゼルス・ラムズ 西 5 12 0 .294 1–5 3–9 .517 .341
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 1–5 3–9 .529 .368
16 シカゴ・ベアーズ 3 14 0 .176 0–6 1–11 .571 .480
(タイブレーク)
  1. ^ a b カンファレンス内勝率で49ersがバイキングスを上回る
  2. ^ a b 第4週の直接対決でシーホークスがライオンズに勝利
  3. ^ a b c 同地区3チーム内の対戦勝率でパンサーズが1位なので、パンサーズの11位が確定
  4. ^ a b 同地区直接対決2戦のいずれもセインツがファルコンズに勝利

成績

NFC西地区(4地区制)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2022 SF(2c) 13 4 0 SEA(7w) 9 8 0 LAR 5 12 0 ARI 4 13 0
2021 LAR(4v) 12 5 0 ARI(5w) 11 6 0 SF(6c) 10 7 0 SEA 7 10 0
2020 SEA(3w) 12 4 0 LAR(6d) 10 6 0 ARI 8 8 0 SF 6 10 0
2019 SF(1s) 13 3 0 SEA(5d) 11 5 0 LAR 9 7 0 ARI 5 10 1
2018 LAR(2s) 13 3 0 SEA(5w) 10 6 0 SF 4 12 0 ARI 3 13 0
2017 LAR(3w) 11 5 0 SEA 9 7 0 ARI 8 8 0 SF 6 10 0
2016 SEA(3d) 10 5 1 ARI 7 8 1 LA 4 12 0 SF 2 14 0
2015 ARI(2c) 13 3 0 SEA(6d) 10 6 0 StL 7 9 0 SF 5 11 0
2014 SEA(1s) 12 4 0 ARI(5w) 11 5 0 SF 8 8 0 StL 6 10 0
2013 SEA(1v) 13 3 0 SF(5c) 12 4 0 ARI 10 6 0 StL 7 9 0
2012 SF(2s) 11 4 1 SEA(5d) 11 5 0 StL 7 8 1 ARI 5 11 0
2011 SF(2c) 13 3 0 ARI 8 8 0 SEA 7 9 0 StL 2 14 0
2010 SEA(4d) 7 9 0 StL 7 9 0 SF 6 10 0 ARI 5 11 0
2009 ARI(4d) 10 6 0 SF 8 8 0 SEA 5 11 0 StL 1 15 0
2008 ARI(4s) 9 7 0 SF 7 9 0 SEA 4 12 0 StL 2 14 0
2007 SEA(3d) 10 6 0 ARI 8 8 0 SF 5 11 0 StL 3 13 0
2006 SEA(4d) 9 7 0 StL 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2005 SEA(1s) 13 3 0 StL 6 10 0 ARI 5 11 0 SF 4 12 0
2004 SEA(4w) 9 7 0 StL(5d) 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2003 StL(2d) 12 4 0 SEA(5w) 10 6 0 SF 7 9 0 ARI 4 12 0
2002 SF(4d) 10 6 0 StL 7 9 0 SEA 7 9 0 ARI 5 11 0

NFC西地区(3地区制)

  • SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 StL(1s) 14 2 0 SF(5w) 12 4 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 CAR 1 15 0
2000 NO(3d) 10 6 0 StL(6w) 10 6 0 CAR 7 9 0 SF 6 10 0 ATL 4 12 0
1999 StL(1v) 13 3 0 CAR 8 8 0 ATL 5 11 0 SF 4 12 0 NO 3 13 0
1998 ATL(2s) 14 2 0 SF(4d) 12 4 0 NO 6 10 0 CAR 4 12 0 StL 4 12 0
1997 SF(1c) 13 3 0 CAR 7 9 0 ATL 7 9 0 NO 6 10 0 StL 5 11 0
1996 CAR(2c) 12 4 0 SF(4d) 12 4 0 StL 6 10 0 ATL 3 13 0 NO 3 13 0
1995 SF(2d) 11 5 0 ATL(6w) 9 7 0 StL 7 9 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0
1994 SF(1v) 13 3 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 RAM 4 12 0
1993 SF(2c) 10 6 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 RAM 5 11 0
1992 SF(1c) 14 2 0 NO(4w) 12 4 0 ATL 6 10 0 RAM 6 10 0
1991 NO(3w) 11 5 0 ATL(6d) 10 6 0 SF 10 6 0 RAM 3 13 0
1990 SF(1c) 14 2 0 NO(6w) 8 8 0 RAM 5 11 0 ATL 5 11 0
1989 SF(1v) 14 2 0 RAM(5c) 11 5 0 NO 9 7 0 ATL 3 13 0
1988 SF(2v) 10 6 0 RAM(5w) 10 6 0 NO 10 6 0 ATL 5 11 0
1987 SF(1d) 13 2 0 NO(4w) 12 3 0 RAM 6 9 0 ATL 3 12 0
1986 SF(3d) 10 5 1 RAM(5w) 10 6 0 ATL 7 8 1 NO 7 9 0
1985 RAM(2c) 11 5 0 SF(5w) 10 6 0 NO 5 11 0 ATL 4 12 0
1984 SF(1v) 15 1 0 RAM(4w) 10 6 0 NO 7 9 0 ATL 4 12 0
1983 SF(2c) 10 6 0 RAM(5d) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 7 9 0
1982 ATL(5w) 5 4 0 NO 4 5 0 SF 3 6 0 RAM 2 7 0
1981 SF(1v) 13 3 0 ATL 7 9 0 LA 6 10 0 NO 4 12 0
1980 ATL(1d) 12 4 0 LA(5w) 11 5 0 SF 6 10 0 NO 1 15 0
1979 LA(3s) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 SF 2 14 0
1978 LA(1c) 12 4 0 ATL(4d) 9 7 0 NO 7 9 0 SF 2 14 0
1977 LA(2d) 10 4 0 ATL 7 7 0 SF 5 9 0 NO 3 11 0
1976 LA(3c) 10 3 1 SF 8 6 0 ATL 4 10 0 NO 4 10 0 SEA 2 12 0
1975 LA(2c) 12 2 0 SF 5 9 0 ATL 4 10 0 NO 2 12 0
1974 LA(c) 10 4 0 SF 6 8 0 NO 5 9 0 ATL 3 11 0
1973 LA(d) 12 2 0 ATL 9 5 0 SF 5 9 0 NO 5 9 0
1972 SF(d) 8 5 1 ATL 7 7 0 LA 6 7 1 NO 2 11 1
1971 SF(c) 9 5 0 LA 8 5 1 ATL 7 6 1 NO 4 8 2
1970 SF(c) 10 3 1 LA 9 4 1 ATL 4 8 2 NO 2 11 1

NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 LA(c) 11 3 0 BAL 8 5 3 ATL 6 8 0 SF 4 8 2
1968 BAL(s) 13 1 0 LA 10 3 1 SF 7 6 1 ATL 2 12 0
1967 LA(c) 11 1 2 BAL 11 1 2 SF 7 7 0 ATL 1 12 1

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
スーパーボウル開始
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 DET(v) 9 3 0 LA 9 3 0 SF 7 5 0 GB 6 6 0 CHB 5 7 0 DAL 1 11 0
1951 LA(v) 8 4 0 DET 7 4 1 SF 7 4 1 CHB 7 5 0 GB 3 9 0 NYY 1 9 2
1950 LA(n) 9 3 x CHB 9 3 x NYY 7 5 x DET 6 6 x GB 3 9 x SF 3 9 x BAL 1 11 x

NFL西地区(1937年-1949年)

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0

主な選手

現役選手

永久欠番

ロサンゼルス・ラムズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
7 (ボブ・ウォーターフィールド) Bob Waterfield QB 1945–1952
28 マーシャル・フォーク Marshall Faulk RB 1999–2005
29 エリック・ディッカーソン Eric Dickerson RB 1983–1987
74 マーリン・オルセン Merlin Olsen DT 1962–1976
75 ディーコン・ジョーンズ Deacon Jones DE 1961–1971
78 (ジャッキー・スレイター) Jackie Slater OT 1976–1995
80 (アイザック・ブルース) Isaac Bruce WR 1994–2007
85 ジャック・ヤングブラッド Jack Youngblood DE 1971–1984

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
7 (ボブ・ウォーターフィールド) Bob Waterfield QB, (DB), KP 1945–1952 1965
40 (エルロイ・ハーシュ) Elroy "Crazy Legs" Hirsch RBWR 1949–1957 1968
55 (トム・フィアーズ) Tom Fears (End) 1948–1956 1970
11 (ノーム・バンブロックリン) Norm Van Brocklin QBP 1949–1957 1971
84 (アンディ・ロブステリ) Andy Robustelli (DE) 1951–1955 1971
33 (オリー・マットソン) Ollie Matson RB 1959–1962 1972
81 ナイト・トレイン・レーン Dick "Night Train" Lane CB 1952–1953 1974
75 ディーコン・ジョーンズ Deacon Jones (DE) 1961–1971 1980
74 マーリン・オルセン Merlin Olsen (DT) 1962–1976 1982
12 ジョー・ネイマス Joe Namath QB 1977 1985
29 エリック・ディッカーソン Eric Dickerson RB 1983–1987 1999
65 (トム・マック) Tom Mack G 1966–1978 1999
78 (ジャッキー・スレイター) Jackie Slater OT 1976–1995 2001
85 ジャック・ヤングブラッド Jack Youngblood (DE) 1971–1984 2001
76 (ボブ・ブラウン) Bob Brown OT 1969–1970 2004
28 マーシャル・フォーク Marshall Faulk RB 1999–2006 2011
67, 48 (レス・リヒター) Les Richter LBK 1954–1962 2011
36 ジェローム・ベティス Jerome Bettis RB 1993–1995 2015
76 オーランド・ペース Orlando Pace OT 1997–2008 2016
91 ケビン・グリーン Kevin Greene LB 1985–1992 2016
10, 13 カート・ワーナー Kurt Warner QB 1998–2003 2017
80 (アイザック・ブルース) Isaac Bruce WR 1994–2007 2020
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
(ダッチ・クラーク) Dutch Clark ヘッドコーチ 1939–1942 1963
(ダン・リーブス) Dan Reeves オーナー 1941–1971 1967
(シド・ギルマン) Sid Gillman ヘッドコーチ 1955–1959 1983
(テックス・シュラム) Tex Schramm エグゼクティブ 1947–1956 1991
(ジョージ・アレン) George Allen ヘッドコーチ 1966–1970 2002
(ギル・ブラント) Gil Brandt エグゼクティブ 1955–1957 2019

リング・オブ・フェイム

ロサンゼルス・ラムズ40周年記念チーム

セントルイス・ラムズ10周年記念チーム

ラムズ75周年記念チーム

歴代ヘッドコーチ

  • (デーモン・ウェッツェル) (1936)
  • (ウーゴ・ベズデク) (1937-1938)
  • (アート・ルイス) (1939)
  • (ダッチ・クラーク) (1939-1942)
  • (バフ・ドネリ) (1944) - 1945年、第二次世界大戦に従軍するためヘッドコーチを退任[25]
  • (アダム・ウォルシュ) (1945-1946)
  • (ボブ・スナイダー) (1947)
  • (クラーク・ショーネッシー) (1948-1949)
  • (ジョー・スタイダハー) (1950-1952)
  • (ハンプ・プール) (1952-1954)
  • (シド・ギルマン) (1955-1959)
  • (ボブ・ウォーターフィールド) (1960-1962)
  • (ハーランド・スベア) (1962-1965)
  • (ジョージ・アレン) (1966-1970)
  • (トミー・プロスロ) (1971-1972)
  • (チャック・ノックス) (1973-1977)
  • (レイ・マラベシ) (1978-1982)
  • (ジョン・ロビンソン) (1983-1991)
  • (チャック・ノックス) (1992-1994)
  • (リッチ・ブルックス) (1995-1996)
  • (ディック・ヴァーミール) (1997-1999)
  • (マイク・マーツ) (2000-2005)
  • (ジョー・ヴィット) (2005)
  • (スコット・リネハン) (2006-2008)
  • (ジム・ハスレット) (2008)
  • (スティーブ・スパヌオーロ) (2009-2011)
  • (ジェフ・フィッシャー) (2012-2016)
  • ショーン・マクベイ (2017-)

脚注

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注釈

  1. ^ 1945年クリーブランド1951年ロサンゼルス1999年セントルイス
  2. ^ ただし1978年からNFLはシーズン14試合から16試合に変更している。

出典

  1. ^ a b “”. NFL JAPAN (2016年1月13日). 2016年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月13日閲覧。
  2. ^ a b “”. St.Louis Rams Official Site. 2021年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月26日閲覧。
  3. ^ ラムズ、プロボウル7度のOTペースを解雇 NFL JAPAN 2009年3月11日[]
  4. ^ ラムズ、プロボウル7度のWRホルトを解雇 NFL JAPAN 2009年3月14日[]
  5. ^ 人気ラジオホストとNHLのオーナー、ラムズ買収に名乗り NFL JAPAN 2009年11月26日, at the Wayback Machine.
  6. ^ 毒舌があだ? リンボー氏がラムズ買収グループから除外 NFL JAPAN 2009年10月8日 2010年7月27日, at the Wayback Machine.
  7. ^ “ラムズ、フィッシャー氏とHC就任で合意”. NFL JAPAN (2012年1月14日). 2012年1月20日閲覧。[]
  8. ^ “”. NFL JAPAN (2012年1月18日). 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月20日閲覧。
  9. ^ “”. NFL JAPAN (2012年1月17日). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月20日閲覧。
  10. ^ “マクダニエルス氏、古巣ペイトリオッツに合流”. NFL JAPAN (2012年1月11日). 2012年1月20日閲覧。[]
  11. ^ “”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月26日閲覧。
  12. ^ “ラムズ新GM決定、ファルコンズからスニード氏招へい”. NFL JAPAN (2012年2月12日). 2012年2月12日閲覧。[]
  13. ^ “”. NFL JAPAN (2012年3月10日). 2012年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月10日閲覧。
  14. ^ “ラムズ決断、先発QBをフォールズからキーナムへ交代”. NFL JAPAN (2015年11月17日). 2016年8月5日閲覧。
  15. ^ “ラムズがQBフォールズ解雇、「これがお互いにとってベスト」とHC”. NFL JAPAN (2016年7月28日). 2016年8月5日閲覧。
  16. ^ “ラムズ、新HCに元レッドスキンズOCマクベイを抜てき”. NFL JAPAN (2017年1月13日). 2017年12月25日閲覧。
  17. ^ ラムズがボーンカラーを取り入れた新ユニフォームを公開NFL Japan 2020年5月14日
  18. ^ “ディフェンス部門の年間最優秀選手賞はラムズDTドナルドが3度目の受賞”. NFL JAPAN (2021年2月7日). 2021年11月16日閲覧。
  19. ^ “Lions to trade Matthew Stafford to Rams in blockbuster deal involving Jared Goff, picks”. NFL. 2021年2月1日閲覧。
  20. ^ “ライオンズがQBスタッフォードをラムズにトレード、ラムズからはQBゴフとドラフト指名権を獲得”. NFL JAPAN (2021年1月31日). 2021年11月16日閲覧。
  21. ^ “4勝4敗のブロンコスで眠って7勝1敗のラムズで目覚めたとOLBボン・ミラー”. NFL JAPAN (2021年11月4日). 2021年11月16日閲覧。
  22. ^ “WRオデル・ベッカムがラムズと1年契約に合意”. NFL JAPAN (2021年11月12日). 2021年11月16日閲覧。
  23. ^ Aferiat, Jake. Super Bowl 2022 final score, results: Rams win first title in 22 years after with comeback over Bengals. The Sporting News. 2022年2月14日. 2022年2月14日閲覧.
  24. ^ “Rams claimed and awarded QB Baker Mayfield off waivers” (英語). www.therams.com. 2022年12月6日閲覧。
  25. ^ CHRONOLOGY 2008年5月11日, at the Wayback Machine. St.Louis Rams Official Site 2009年12月26日閲覧[]

外部リンク

  • ロサンゼルス・ラムズ公式サイト (英語)
  • NFL JAPANプロフィール (日本語)
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