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ニューヨーク・ジェッツ

ニューヨーク・ジェッツ英語: New York Jets、略称: NYJ)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州イーストラザフォードに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。 チーム名には「ニューヨーク」の地名を冠しているが、1984年以降はマンハッタンから十数km離れたニュージャージー州イーストラザフォードにあるスタジアムを本拠地としている。事務所及び練習施設はニュージャージー州モリス郡(フローラムパーク)(英語版)に位置している。愛称はかつての本拠地だったシェイ・スタジアムラガーディア空港に近かったことに由来する[1]

ニューヨーク・ジェッツ
New York Jets
創設 1959年8月14日 (63年前) (1959-08-14)
AFL参入 1960年シーズン
所属地区
チームデザイン
チームロゴ

ボールを模した楕円形に「NEW YORK」、その下に「JETS」と描かれている。
チームカラー
  ゴッサムグリーン
  スポットライトホワイト
  ステルスブラック
ユニフォーム
チーム名
  • ニューヨーク・ジェッツ(1963-現在)
    • ニューヨーク・タイタンズ(1960-1962)
ホームタウン
1960-現在

ニュージャージー州イーストラザフォード (1984-現在)
ニューヨーク州ニューヨーク (1960-1983)

メットライフ・スタジアム
 ニュー・メドウランズ・スタジアム
(2010-現在)
ジャイアンツ・スタジアム (1984-2010)
シェイ・スタジアム (1964-1983)
ポロ・グラウンズ (1960-1963)

永久欠番
  • 12
  • (13)
  • (28)
  • (73)
  • (90)
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
AFC
  • なし
地区優勝 (4回)
AFL東地区
  • 1968
  • 1969
旧AFC東地区
  • 1998
AFC東地区
  • 2002
ワイルドカード(8回)
  • 1981
  • 1985
  • 1986
  • 1991
  • 2001
  • 2004
  • 2006
  • 2009
プレーオフ進出(13/57回)
  • 1968
  • 1969
  • 1981
  • 1982
  • 1985
  • 1986
  • 1991
  • 1998
  • 2001
  • 2002
  • 2004
  • 2006
  • 2009
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
  • 1968
地区優勝
AFL東地区
  • 1968
  • 1969
球団組織
オーナー ウッディ・ジョンソン
(クリストファー・ジョンソン)
GM (ジョー・ダグラス)
ヘッドコーチ ロバート・サラー

歴史

1960年から1980年まで

1960年、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の一員として創設された。当時はニューヨーク・タイタンズという愛称でポロ・グラウンズを本拠地とした。初代コーチにはサミー・ボウが就任し最初の2シーズンは7勝7敗だったが観客動員は振るわなかった。新ヘッドコーチに(ブルドッグ・ターナー)を迎えた1962年は5勝9敗に終わるとチームは倒産の危機に直面した。これを救ったのはMCAの(ソニー・ワーブリン)、(レオン・ヘス)らがチームを(ハリー・ワイズマー)から100万ドルで買い取った[2][注 1]、1963年4月15日にチームはジェッツと愛称を変えると共に、1958年、1959年にボルチモア・コルツをNFLチャンピオンにした(ウィーブ・ユーバンク)をヘッドコーチに迎えた。

1964年、ドラフト1巡で(マット・スネル)を獲得、1966年のドラフト6巡で(エマーソン・ブーザー)を獲得した[3]

1967年アラバマ大学出身のジョー・ネイマスが入団すると共にチーム成績は向上、8勝5敗1分で終わった。ネイマスは当時14試合だったシーズン、パスで4007ヤードを獲得、プロフットボール史上初のシーズン4000ヤードをマークした。翌1968年にはAFLチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースを27-23で破り、1969年1月12日に行われたスーパーボウルの前身であるNFL-AFLチャンピオンシップ第3回大会(第3回スーパーボウル)においてAFL代表として初めて優勝した。この試合は対戦相手のボルチモア・コルツが有利と予想されていたがネイマスは日曜の試合は勝つと予告して("We're gonna win the game. I guarantee you.")試合は16-7でジェッツが優勝した[4]同年のワールドシリーズでも同じくシェイ・スタジアムを本拠地とするニューヨーク・メッツが優勝した。

スーパーボウルを制した後、ネイマスは膝の怪我で1970年1971年1973年のシーズンの多くの試合を欠場、1972年1974年は7勝7敗の成績で終わったがプレーオフに出場することなく1976年には11試合でわずか4タッチダウン(TD)しか投げられず逆に16インターセプト(INT)を喫してしまった(ニューイングランド戦での1試合6INTを含む)。1977年ネイマスはウェーバー公示されロサンゼルス・ラムズに移籍した後4試合に出場し34歳で引退した。

1971年のドラフト1巡で獲得した(ジョン・リギンズ)は、1975年に1000ヤードラッシャーとなった後、フリーエージェントでワシントン・レッドスキンズに去った[3]

(ウォルト・マイケルズ)が新ヘッドコーチに就任した1977年、ドラフトで(ウェズリー・ウォーカー)を獲得した[3]。この年チームは3勝11敗になり、1978年チームは先発QBを(リチャード・トッド)から無名だった(マット・ロビンソン)に変更して8勝8敗の成績をあげた。このシーズン残り2試合を残して8勝6敗でプレーオフ進出の望みがあったが最後の2試合で連敗してしまった。

1979年には再びトッドが先発QBに返り咲き8勝8敗、1980年にはトッドが30INTを喫して4勝12敗に終わった。このシーズンは開幕から14連敗しており1勝15敗に終わったニューオーリンズ・セインツに敗れている[5][6]

1970年代のチームは勝ち越すことがなかったが、その間タイトエンドの(リッチ・キャスター)は3回プロボウルに選ばれた[3]

1981年から1996年まで

1981年1970年にAFLがNFLに吸収合併されて以来初めて勝ち越し10勝5敗1分の成績をあげてプレーオフに出場した。トッドはパスで3231ヤード、25TDを獲得、主なターゲットは(ウェズリー・ウォーカー)、(ジェローム・バーカム)であった。ディフェンスの(マーク・ガスティノー)、(ジョー・クレッコ)の2人は相手QBに合計40サックを浴びせ、(マーティ・ライオンズ)、(アブドゥル・サラーム)と共にニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)をもじって(ニューヨーク・サック・エクスチェンジ)(英語版)(New York Sack Exchange)と呼ばれた[7]

1982年にはサック・エクスチェンジに代表されるディフェンスと(フリーマン・マクニール)の活躍でプレーオフに入ってもロードでシンシナティ・ベンガルズオークランド・レイダースを破りAFCチャンピオンシップゲームマイアミ・ドルフィンズと対戦した[2]オレンジボウルで行われたこの試合は大雨が降ったにも係わらずドルフィンズはフィールドをカバーしなかったため非常に悪いコンディションで行われたこの試合トッドはパス37本中15本しか成功できず5INTを喫し、ディフェンスがデビッド・ウッドリーをパス21回中9本成功、87ヤード、3インターセプトと抑えたものの0-14で敗れた[2][5][8]。この年12月6日、デトロイト・ライオンズとのマンデーナイトフットボールで、ウェズリー・ウォーカーが3TDをあげた[9]

1983年に(ジョー・ウォルトン)が新ヘッドコーチとなったが7勝9敗に終わった。シーズン終了後、これまでニューヨーク・メッツのシーズン終了までシェイ・スタジアムでのゲームができず、ロードでの遠征を強いられていたジェッツはニュージャージー州イーストラザフォードにあるジャイアンツ・スタジアムに本拠地を移した。またチームオフィスもタイムズスクエアからマンハッタンに移動した。

1984年、ベテランQBのパット・ライアンが11試合に先発し[10]、前年のドラフト1巡指名のケン・オブライエンはシーズン終盤に先発に昇格した。このシーズンは7勝9敗に終わった。マーク・ガスティノーがNFLシーズン記録となる22サックをあげた[2]

1985年オブライエンは25TD((ミッキー・シューラー)へ7本、ウェズリー・ウォーカーへ5本)、8INTの好成績をおさめ4人のランニングバックが合計18TDをあげて11勝5敗となり初めてホームスタジアムでプレーオフを迎えたが第20回スーパーボウルに出場したニューイングランド・ペイトリオッツに14-26で敗れた。

1986年は開幕から9連勝、10勝1敗の好スタートを切った。ウェズリー・ウォーカーが12TDレシーブ、2年目の(アル・ツーン)も8TDレシーブをあげたがオブライエンが指を負傷、他にも怪我人が続出して終盤5連敗して10勝6敗でプレーオフを迎えた。プレーオフではパット・ライアンが先発しワイルドカードプレーオフでカンザスシティ・チーフスを破り[11]、ディビジョナルプレーオフでは、敵地に乗り込みクリーブランド・ブラウンズと対戦した。第4Q終了直前、ジェッツ3点リード、ブラウンズの攻撃2ndアンド24で(バーニー・コーザー)のパスは失敗したがこのプレイでギャスティノーが(ラフィング・ザ・パッサー)の反則を取られて(ファーストダウン)を与えてしまいFGで同点となり、ダブルオーバータイムの末、マーク・モーズリーのFGが決まり敗れた[12]

1989年、ドラフト2巡で指名された(デニス・バード)が7サックをあげた[3]

1990年シンシナティ・ベンガルズのオフェンス・コーディネーターであった(ブルース・コスレット)がヘッドコーチとなった。

1991年に(ブラッド・バクスター)が自己最高の11TDランをあげた。過去2シーズンで10勝22敗と大きく負け越していたチームは最終節にドルフィンズを破り8勝8敗ながらプレーオフ出場を決めた[2]。ワイルドカードプレーオフではヒューストン・オイラーズと対戦し10-17で敗れた。

1992年、コスレットはオブライエンに代えて2年目のQB(ブローニング・ネイグル)を起用したが4勝12敗に終わった。11月の試合中、(デニス・バード)がカンザスシティ・チーフスとの試合中の怪我で下半身麻痺となり引退を余儀なくされた[3]。幸運なことにステロイド治療の末、彼は数ヶ月後には自分の足で歩くことができるようになった。シーズン終了後ドラフト3巡目指名権と引換えにコスレットがかつてベンガルズで指導したブーマー・アサイアソンを獲得した。

1993年シーズン半ばチームは連勝しプレーオフ進出が期待されたが8勝8敗でプレーオフを逃しコスレットは解雇された。4シーズンで26勝38敗の成績であった[13]

後任のヘッドコーチにはピート・キャロルが就任した。1994年11月27日のドルフィンズ戦で相手QBのダン・マリーノは(アーロン・グレン)にサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、(マーク・イングラム)への逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている (Clock Play。チームは最後の4試合を連敗し6勝10敗でAFC東地区最下位になりキャロルは1年で契約を切られ、フィラデルフィア・イーグルスのヘッドコーチだった(リッチ・コータイト)が新ヘッドコーチになった。1995年を3勝13敗、1996年を1勝15敗と2シーズン連続でNFL最悪の成績で終えてコータイトは解雇された。(イーグルス時代も含めたコータイトコーチのキャリア最後の39試合は4勝35敗でNFL史上ワーストの成績となっている[14])。

1997年以降

1997年ニューヨーク・ジャイアンツ時代スーパーボウルを制覇しているビル・パーセルズ(ニューイングランド・ペイトリオッツヘッドコーチ)を招いた。前年ドラフト全体1位指名のWR(キーショーン・ジョンソン)の活躍などでQBの(ニール・オドネル)は17TDパスを投げ、(エイドリアン・マレル)が1000ヤードラッシャーとなった。チームは9勝7敗だったがプレーオフ出場は逃した。

1998年にはペイトリオッツRBの(カーティス・マーティン)、控えQBとしてビニー・テスタバーディを獲得した。また(ケビン・マワイ)をフリーエージェントで獲得した[2]。チームは1960年代以来となる地区優勝を果たした。この年パーセルはチームロゴやユニフォームを60年代に活躍した時代のものに戻す決定を行った。(グレン・フォーリー)が2試合先発した後、パーセルは先発QBをテスタバーディに変更、彼は29TDパスを投げてマーティンは1287ヤード、8TDランをあげた。キーショーン・ジョンソンと(ウェイン・クレベット)は共にレシーブで1000ヤードを越えて最後の12試合で11勝をあげたチームは12勝4敗でNFL加入後初の地区優勝を果たした。ディビジョナルプレーオフでジャクソンビル・ジャガーズを破りAFCチャンピオンシップゲームでデンバー・ブロンコスと対戦した。この試合10-0とリードしたがテスタバーディの2つのインターセプト、相手RBのテレル・デービスが167ヤードを走る活躍で10-23で逆転負けした。この年(アーロン・グレン)が6インターセプトをあげた[3]。翌1999年にはテスタバーディが開幕戦のペイトリオッツとの試合でアキレス腱を断裂、(リック・マイアー)(4勝6敗)、(レイ・ルーカス)(4勝2敗)が代わりに先発した。

1999年、シーズン前にレオン・ヘスオーナーが85歳で亡くなっておりシーズン終了後チームはジョンソン・エンド・ジョンソンウッディ・ジョンソンが買い取った[15]

2000年のドラフトでは1巡指名権4つを利用してDE(ショーン・エリス)、(ジョン・エイブラハム)、TE(アンソニー・ベクト)、QB(チャド・ペニントン)を獲得した。この年、パーセルズの下でアシスタントコーチを務めていたビル・ベリチックがヘッドコーチに昇格するが、翌日、ペイトリオッツのヘッドコーチとなるため退団し、後任のヘッドコーチには長年アシスタントコーチを務めた(アル・グロー)が昇格した。グローはキーショーン・ジョンソンをタンパベイ・バッカニアーズにトレードし複数のドラフト1巡指名権と交換した[16]。この年のドルフィンズとのマンデーナイトフットボールでは第3Q終了時点で7-30とリードされたがオーバータイムの末、40-37で逆転勝利した[17]。この試合はマンデーナイト・ミラクルと呼ばれている[18]。シーズン終盤の9試合で3勝しかあげられず、9勝7敗でプレーオフを逃しグローは母校のバージニア大学のヘッドコーチとなるために辞任した[19]。フロント入りしていたパーセルズもこのシーズンでチームを去った[20]

2001年タンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチ、トニー・ダンジーの下でアシスタントコーチを務めていた(ハーマン・エドワーズ)が新ヘッドコーチとなった[21]。エドワーズコーチ就任1年目からプレーオフに進出した[22]。チームはこのシーズン53ヤードの決勝FGを決めて勝利したオークランド・レイダースと再戦した。(チャーリー・ガーナー)の87ヤードTDランなどで24-37でチームは敗れた。このプレイで(ヴィクター・グリーン)に対する(ホールディング)があったのではとジェッツファンは思ったが反則はコールされなかった。この年のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で(モー・ルイス)のヒットを受けた相手QBドリュー・ブレッドソーが負傷退場した。その試合がトム・ブレイディがエースQBとなるきっかけとなり、ジェッツは長年ペイトリオッツ相手に苦杯をなめることとなった[3]

2002年はAFC東地区全4チームが12月になっても地区優勝を争う混戦になった。シーズン当初はテスタバーディが先発し1勝3敗になったところから、ペニントンが先発の座を奪い[23]。22TD、6INTの成績をあげてチームは地区優勝を果たした。コルツとのプレーオフではペイトン・マニングをパス31回中14回成功。137ヤード、被インターセプト2と抑え、41-0で圧勝した[2]。ディビジョナルプレーオフでレイダースに敗れた。

2003年シーズン開幕前に多くの選手がフリーエージェントでチームを離れた。ワシントン・レッドスキンズに移籍した選手が多く彼らは"jetskins"と呼ばれた。プレシーズンゲームでペニントンが手首を脱臼および骨折して[24][25]シーズン半ばまで欠場、それまでテスタバーディが先発しチームは6勝10敗でシーズンを終えた。

2004年には開幕から5連勝した後、続く3試合中2試合を落としたが10勝6敗でプレーオフに進出、プロボウルに選出されているドリュー・ブリーズラダニアン・トムリンソン、(アントニオ・ゲイツ)らを擁するサンディエゴ・チャージャーズと対戦した。17-10とリードした残り20秒、4ダウンでブリーズのパスは不成功に終わったが(エリック・バートン)が(ラフィング・ザ・パッサー)の反則を取られて1ヤードからのチャージャーズの攻撃となり次のプレイでゲイツへのTDパスが決まり試合はオーバータイムに持ち込まれた。オーバータイムではチャージャーズの新人キッカーの(ネイト・ケディング)の40ヤードのFGが失敗し、ジェッツは(ダグ・ブライエン)が28ヤードのFGを成功し勝利した。続くディビジョナルプレーオフではシーズン15勝1敗のスティーラーズと対戦、(サンタナ・モス)のパンとリターンTD、(レジー・トング)のインターセプトTDなどで17-17と同点で迎えた第4Q、ブライエンが47ヤードのFGを狙ったがクロスバーに当たり失敗、(デビッド・バレット)がその後相手のパスをインターセプト、ブライエンが43ヤードのFGを狙ったがまたもや失敗に終わり、試合はオーバータイムにもつれ、スティーラーズのキッカー(ジェフ・リード)の33ヤードのFGが決まりジェッツは敗れた。このシーズン、ブライエンは40ヤードから49ヤードのFGを11回中10回成功していた。

2005年にはワシントン・レッドスキンズから(ラヴァーニアス・コールズ)が復帰し、ペイトリオッツのタイ・ロー、ドルフィンズの先発QBだった(ジェイ・フィールダー)を控えQBとして獲得した。またドラフト1巡目指名権と引き換えにレイダースから(ダグ・ジョリー)を獲得したがこのトレードは批判されヒース・ミラーを取るべきだったと言われた。この年のドラフト2巡目でオハイオ州立大学のキッカー、(マイク・ヌジェント)をブライエンの後任として獲得した。この年もフリーエージェントで(ラモント・ジョーダン)、(カリーム・マッケンジー)など多くの選手がチームを離れた。

スーパーボウル出場が期待されて始まったシーズンの第3週、ジャクソンビル・ジャガーズ戦でペニントンが負傷退場、6プレイ後にはジェイ・フィールダーも負傷したため、急遽第3のQBである(ブルックス・ボリンジャー)が出場し、翌週からは引退したテスタバーディと控えQBとして契約した。第5週のバッカニアーズ戦からテスタバーディが先発し勝利をあげたがその後7連敗した後、第14週のレイダース戦がシーズン最後の勝利となった。このシーズンはRBの(デリック・ブレイロック)、コーナーバックの(デビッド・バレット)、(ウェイン・クレベット)、(クリス・ベイカー)、(ジェイソン・ファビーニ)、(ケビン・マワイ)など主力選手の多くを怪我で欠きその内の何人かはシーズン絶望の怪我を負った。クレベットは脳震盪のためこの年で引退することとなった[2]

シーズン終了後、ハーマン・エドワーズはイーグルスでアシスタントコーチをしていた時のヘッドコーチ、(ディック・ヴァーミール)の後任としてカンザスシティ・チーフスのヘッドコーチとなるため退団した。後任のヘッドコーチにはペイトリオッツのディフェンスコーディネーターだった(エリック・マンジーニ)が就任した。(ケビン・マワイ)、タイ・ロー、(ジョン・エイブラハム)が退団し再建期と見られていたチームは[26]2006年シーズン、2つのドラフト1巡指名権で(デブリッカショー・ファーガソン)と(ニック・マンゴールド)を獲得した[3]。10勝6敗でプレーオフに第5シードで進出し周囲を驚かせた。またペニントンはカムバック賞を獲得した。ペイトリオッツとのワイルドカードプレーオフは(ジェリコ・コッチェリー)への77ヤードTDパスなどで一時10-7とリードしたが16-37で敗れた。

2007年9月10日、ペイトリオッツのヘッドコーチ、ビル・ベリチックがジェッツのディフェンスシグナルを盗撮していたことが明らかになりNFLより罰金が課せられた。この年ジェッツはシカゴ・ベアーズのランニングバック、(トーマス・ジョーンズ)を獲得した。ペニントンの怪我もあり、2007年シーズン開幕から1勝7敗となったところで、2年目のQB(ケレン・クレメンス)が先発するようになった。この年オフェンスラインが十分なパスプロテクションを行なえず、チームは4勝12敗でシーズンを終えた。この年(ジェリコ・コチェリー)がレシーブで1130ヤードを獲得した。1000ヤードレシーバーはその後2015年の(ブランドン・マーシャル)まで現れなかった[3]

2008年同年8月6日、グリーンベイ・パッカーズで活躍したQBブレット・ファーヴを獲得した[27]。エースQBのペニントンは翌日解雇された後、ドルフィンズと契約した。ファーヴはアリゾナ・カージナルス戦では6TDパスを投げて56-35と勝利し、開幕から11連勝していたテネシー・タイタンズの連勝をストップするなど8勝3敗の好スタートを切ったが終盤5試合では2TDパスに対し9INTと不振を極め、チームは最後の5試合中4試合に敗れて9勝7敗でプレーオフ出場を逃した[2][28]。トーマス・ジョーンズは1312ヤードを走り、13タッチダウンをあげた。シーズン終了と共にマンジーニヘッドコーチは解任され[28]後任にはボルチモア・レイブンズのアシスタントヘッドコーチの(レックス・ライアン)が就任した[29]。ファーヴは現役引退を発表、その後翌シーズン開幕前にミネソタ・バイキングスに加入することとなる[2]

2009年ドラフト1巡目全体5位で指名したQBマーク・サンチェスやCBダレル・リーヴィスの活躍でチームはワイルドカードでプレーオフに進出、シンシナティ・ベンガルズとサンディエゴ・チャージャーズをロードで破りAFCチャンピオンシップゲームに進出したがインディアナポリス・コルツに敗れスーパーボウル出場は逃した[2]。チームの躍進のさなかジョンソンオーナーの娘のケイシー・ジョンソンは2010年1月4日急死した[30]

シーズンオフにはトーマス・ジョーンズなどを放出したもののラダニアン・トムリンソン、(サントニオ・ホームズ)などを補強している[31]2010年、開幕から11試合で9勝2敗、11勝5敗でプレーオフに進出した。ディビジョナルプレーオフでは12月6日に敵地ジレット・スタジアムで敗れたペイトリオッツを相手に28-21で敵地で勝利し、AFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れ、スーパーボウル出場はならなかった[2]

2011年、最後の3試合で連敗し、8勝8敗となりプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、ブライアン・ショッテンハイマーオフェンスコーディネーターが退団、ドルフィンズのヘッドコーチを務めていた(トニー・スパラノ)が後任となった[32]

2012年、オフシーズンに前デンバー・ブロンコスのQBティム・ティーボウを獲得した。ダレル・リーヴィスがシーズン開幕早々にシーズン絶望、さらにエースWRのサントニオ・ホームズも戦列を離れた。プレーオフ出場が絶望となった後、第16週では不調のマーク・サンチェスに代わって、(グレッグ・マッケロイ)が先発した。6勝10敗の地区3位でシーズンを終えた。シーズン終了後、(マイク・タネンバウム)GMが解任されたが、レックス・ライアンヘッドコーチは続投することが、ウッディ・ジョンソンオーナーより発表された[33]

2013年、プレシーズンゲームでマーク・サンチェスが負傷してシーズン絶望となったため、新人QBジーノ・スミスが先発QBとなった。この年チームは8勝8敗でシーズンを終えた。

2014年、オフシーズンにマーク・サンチェスを解雇し、マイケル・ヴィックを控えQB待遇で獲得した。この年チームは4勝12敗に終わり、シーズン終了後、ライアンヘッドコーチは解任された[34]

2015年1月13日、(トッド・ボウルズ)がヘッドコーチに就任することが発表された[35]。この年ドラフト5巡とのトレードで(ブランドン・マーシャル)を獲得した[2]。同年はプレーオフに進出した。

2016年2017年2018年は、三年連続して地区最下位となった。2018年はドラフト1巡目指名のサム・ダーノルドを先発QBとして起用したが、オフにHCのボウルズは解雇されて、後任は同地区ライバルのマイアミ・ドルフィンズHCを辞任したばかりのアダム・ゲイズとなった。2018年に前ミネソタ・バイキングスのQBテディ・ブリッジウォーターと契約したが、シーズン開幕前にニューオーリンズ・セインツとのトレードで放出した[36]

2019年5月にはGMのマイク・マッカグナンが更迭された。同年6月、ジョー・ダグラスがGMに就任した。2019年もプレーオフを逃した。

2020年シーズンはコロナウイルス感染症流行のため、全ホーム試合を無観客とし、開幕から13連敗を喫して地区最下位となりプレーオフを逃した。シーズンはわずか2勝に終わり、ゲイズは解雇された。2021年1月、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズのディフェンス・コーディネーターのロバート・サラーがHCに就任した。2021年4月、サム・ダーノルドを3つのドラフト権と交換にカロライナ・パンサーズに放出した。この年のドラフト全体2位でQBザック・ウィルソンを指名した。2021年シーズンも2年連続で地区最下位となりプレーオフを逃した。2022年シーズンは第17週までプレーオフの望みを維持するも、6連敗でシーズンを終えて、3年連続で地区最下位となりプレーオフを逃した。

2023年4月、大型トレードによりアーロン・ロジャースを獲得した[37]

2023年シーズン

2023年シーズンのジェッツの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス ジャガーズ ベンガルズ ビルズ 49ers バッカニアーズ バイキングス イーグルス
2位 チャージャーズ タイタンズ レイブンズ ドルフィンズ シーホークス パンサーズ ライオンズ カウボーイズ
3位 レイダース コルツ スティーラーズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ パッカーズ ジャイアンツ
4位 ブロンコス テキサンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス ファルコンズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2022年シーズン成績

AFC東地区 2022
チーム 勝率 総得点 総失点 平均得点 平均失点
(2)バッファロー・ビルズ 13 3 0 .813 455 286 26.8 16.8
(7)マイアミ・ドルフィンズ 9 8 0 .529 397 399 23.4 23.5
ニューイングランド・ペイトリオッツ 8 9 0 .471 364 347 21.4 20.4
ニューヨーク・ジェッツ 7 10 0 .412 296 316 17.4 18.6
AFC 2022
順位 チーム 地区 勝率 対地区 対AFC 対戦
相手
勝率
勝利
相手
勝率
地区優勝
1 カンザスシティ・チーフス 西 14 3 0 .824 6-0 9–3 .453 .422
2 バッファロー・ビルズ 13 3 0 .813 4-2 9–2 .489 .471
3 シンシナティ・ベンガルズ 12 4 0 .750 3-3 8-3 .507 .490
4 ジャクソンビル・ジャガーズ 9 8 0 .529 4-2 8-4 .467 .438
ワイルドカード
5[a] ロサンゼルス・チャージャーズ 西 10 7 0 .588 2-4 7-5 .443 .341
6[a] ボルチモア・レイブンズ 10 7 0 .588 3-3 6-6 .509 .456
7[b] マイアミ・ドルフィンズ 9 8 0 .529 3-3 7-5 .537 .457
レギュラーシーズン敗退
8[b] ピッツバーグ・スティーラーズ 9 8 0 .529 3-3 5-7 .519 .451
9 ニューイングランド・ペイトリオッツ 8 9 0 .471 3-3 6-6 .502 .415
10[c][d] ニューヨーク・ジェッツ 7 10 0 .412 3-3 5-7 .538 .458
11[c][d] テネシー・タイタンズ 7 10 0 .412 3-3 5–7 .509 .336
12[c] クリーブランド・ブラウンズ 7 10 0 .412 3-3 4-8 .524 .492
13 ラスベガス・レイダース 西 6 11 0 .353 3-3 5-7 .474 .397
14 デンバー・ブロンコス 西 5 12 0 .294 1-5 3-9 .481 .465
15 インディアナポリス・コルツ 4 12 1 .265 1-4-1 4-7-1 .512 .500
16 ヒューストン・テキサンズ 3 13 1 .206 3-2-1 3-8-1 .481 .402
(タイブレーク)
  1. ^ a b カンファレンス内勝率でチャージャーズがレイブンズを上回る
  2. ^ a b 第7週の直接対決でドルフィンズがスティーラーズに勝利
  3. ^ a b c カンファレンス内勝率でブラウンズの12位が確定
  4. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でジェッツがタイタンズを上回る

成績

AFC東地区(4地区制)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2022 BUF(2d) 13 3 0 MIA(7w) 9 8 0 NE 8 9 0 NYJ 7 10 0
2021 BUF(3d) 11 6 0 NE (6w) 10 7 0 MIA 9 8 0 NYJ 4 13 0
2020 BUF(2c) 13 3 0 MIA 10 6 0 NE 7 9 0 NYJ 2 14 0
2019 NE (3w) 12 4 0 BUF(5w) 10 6 0 NYJ 7 9 0 MIA 5 11 0
2018 NE (2v) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0 NYJ 4 12 0
2017 NE (1s) 13 3 0 BUF(6w) 9 7 0 MIA 6 10 0 NYJ 5 11 0
2016 NE (1v) 14 2 0 MIA(6w) 10 6 0 BUF 7 9 0 NYJ 5 11 0
2015 NE (2c) 12 4 0 NYJ 10 6 0 BUF 8 8 0 MIA 5 11 0
2014 NE (1v) 12 4 0 BUF 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 4 12 0
2013 NE (2c) 12 4 0 NYJ 8 8 0 MIA 8 8 0 BUF 6 10 0
2012 NE (2c) 12 4 0 MIA 7 9 0 NYJ 6 10 0 BUF 6 10 0
2011 NE (1s) 13 3 0 NYJ 8 8 0 MIA 6 10 0 BUF 6 10 0
2010 NE (1d) 14 2 0 NYJ(6c) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 4 12 0
2009 NE (3w) 10 6 0 NYJ(5c) 9 7 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0
2008 MIA(3w) 11 5 0 NE 11 5 0 NYJ 9 7 0 BUF 7 9 0
2007 NE (1s) 16 0 0 BUF 7 9 0 NYJ 4 12 0 MIA 1 15 0
2006 NE (4c) 12 4 0 NYJ(5w) 10 6 0 BUF 7 9 0 MIA 6 10 0
2005 NE (4d) 10 6 0 MIA 9 7 0 BUF 5 11 0 NYJ 4 12 0
2004 NE (2v) 14 2 0 NYJ(5d) 10 6 0 BUF 9 7 0 MIA 4 12 0
2003 NE (1v) 14 2 0 MIA 10 6 0 BUF 6 10 0 NYJ 6 10 0
2002 NYJ(4d) 9 7 0 NE 9 7 0 MIA 9 7 0 BUF 8 8 0

AFC東地区(3地区制)

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFL東地区

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
スーパーボウル開始
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

スタジアム

1984年からナショナル・フットボール・カンファレンスニューヨーク・ジャイアンツが1976年の開場時から使用していたジャイアンツ・スタジアムをホームスタジアムとしている。「間借り」ではなく「共用」ではあるが同スタジアムはジャイアンツ色が強く、また2チームともニューヨーク市内から移転してしまった状態になっている。ニューヨーク市による2012年のオリンピック誘致においてメインスタジアムとしてマンハッタン地区に新スタジアム(en:West Side Stadium)を建設する計画が持ち上がり[38]、実現したならばジェッツの新本拠地となる予定だったが結局開催地選定ではロンドンに敗れ、また市からもMLBヤンキースメッツもそれぞれ新球場建設予定であることから予算が認められず、この計画は白紙に戻ってしまった。そのため現在は(ニュージャージー・メドウランズ)に両チームの新本拠地(メドウランズ・スタジアム)が建設された。2010年シーズンから供用される同スタジアムでのシーズン開幕戦はコイントスでジャイアンツに譲ったもののマンデーナイトフットボールでジェッツも利用することが決まった[39]

主な選手

現役選手

永久欠番

ニューヨーク・ジェッツ 永久欠番一覧
背番号 名前 ポジション 在籍期間
12 ジョー・ネイマス Joe Namath QB 1965–1976
13 (ドン・メイナード) Don Maynard WR 1960–1972
28 (カーティス・マーティン) Curtis Martin RB 1998–2006
73 (ジョー・クレッコ) Joe Klecko (DL) 1977–1987
90 (デニス・バード) Dennis Byrd (DL) 1989–1992
(ウィーブ・ユーバンク) Weeb Ewbank ヘッドコーチ 1963–1973

これ以外に80番は(ウェイン・クレベット)(英語版)の2005年試合中の怪我による引退以降誰も着けていない。

プロフットボール殿堂

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
12 ジョー・ネイマス Joe Namath QB 1965–1976 1985
13 (ドン・メイナード) Don Maynard WR 1960–1972 1987
44 (ジョン・リギンズ) John Riggins RB 1971–1975 1992
42 ロニー・ロット Ronnie Lott DB 1993–1994 2000
81 (アート・モンク) Art Monk WR 1994 2008
28 (カーティス・マーティン) Curtis Martin RB 1998–2005 2012
4 ブレット・ファーヴ Brett Favre QB 2008 2016
99 (ジェイソン・テイラー) Jason Taylor (DE) 2010 2017
21 ラダニアン・トムリンソン LaDainian Tomlinson RB 2010–2011 2017
68 (ケビン・マワイ) Kevin Mawae C 1998–2005 2019
22, 24 タイ・ロー Ty Law CB 2005, 2008 2019
22 エド・リード Ed Reed S 2013 2019
75 (ウィンストン・ヒル) Winston Hill OT 1963–1976 2020
27 (スティーブ・アトウォーター) Steve Atwater S 1999 2020
65 (アラン・ファニカ) Alan Faneca OG 2008–2009 2021
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
サミー・ボウ Sammy Baugh ヘッドコーチ 1960–1961 1963
(ブルドッグ・ターナー) Bulldog Turner ヘッドコーチ 1962 1966
(ウィーブ・ユーバンク) Weeb Ewbank ヘッドコーチ 1963–1973 1978
ビル・パーセルズ Bill Parcells ヘッドコーチ
GM
1997–1999
1997–2000
2013
ロン・ウルフ Ron Wolf パーソナルディレクター 1990–1991 2015

リング・オブ・オナー

  • 12 ジョー・ネイマス QB 1965–1976
  • 13 (ドン・メイナード) WR 1960–1972
  • 28 (カーティス・マーティン) RB 1998–2006
  • 75 (ウィンストン・ヒル) OL 1963–1976
  • 73 (ジョー・クレッコ) DL 1977–1987
  • (ウィーブ・ユーバンク) コーチ 1963–1973
  • 60 (ラリー・グランザム) LB 1960-1972
  • 81 (ゲーリー・フィルビン) DL 1964–1972
  • 24 (フリーマン・マクニール) RB 1981–1992
  • 88 (アル・ツーン) WR 1985–1992
  • 85 (ウェズリー・ウォーカー) WR 1977–1989
  • 99 (マーク・ガスティノー) DE 1979–1988
  • 93 (マーティ・ライオンズ) DT 1979–1989
  • 80 (ウェイン・クレベット) WR 1995–2005
  • (レオン・ヘス) オーナー 1968–1999
  • 32 (エマーソン・ブーザー) RB 1966–1975
  • 41 (マット・スネル) RB 1964–1972
  • 68 (ケビン・マワイ) C 1998–2005

オールタイム・フォー・ディケイド・チーム

 
ジョー・ネイマス(1965年)

歴代ヘッドコーチ

  • サミー・ボウ (1960-1961)
  • (ブルドッグ・ターナー) (1962)
  • (ウィーブ・ユーバンク) (1963-1973)
  • (チャーリー・ウィナー) (1974-1975)
  • (ケン・シップ) (1975)
  • (ルー・ホルツ) (1976)
  • (マイク・ホロバック) (1976)
  • (ウォルト・マイケルズ) (1977-1982)
  • (ジョー・ウォルトン) (1983-1989)
  • (ブルース・コスレット) (1990-1993)
  • ピート・キャロル (1994)
  • (リッチ・コータイト) (1995-1996)
  • ビル・パーセルズ (1997-1999)
  • (アル・グロー) (2000)
  • (ハーマン・エドワーズ) (2001-2005)
  • (エリック・マンジーニ) (2006-2008)
  • (レックス・ライアン) (2009-2014)
  • (トッド・ボウルズ) (2015-2018)
  • (アダム・ゲイズ) (2019-2020)
  • (ロバート・サラー) (2021-現在)

その他

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 後にヘスはWerblinから経営権を買い取った。

出典

  1. ^ New York Jets (1960-present) sportsecyclopedia.com
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Chris Stephano (2015年11月9日). “NY Jets: Top 30 greatest moments in franchise history”. 2022年5月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j Chris Stephano (2016年1月3日). “NY Jets: 30 greatest draft picks in team history”. thejetpress.com. 2022年5月24日閲覧。
  4. ^ Joe Namath made the Super Bowl truly 'Super' profootballhof.com
  5. ^ a b “On silver anniversary of Mud Bowl, Jets vs. Dolphins has taken turn for worst”. ニューヨーク・デイリーニューズ (2007年12月2日). 2010年12月15日閲覧。
  6. ^ New Orleans Saints 21 at New York Jets 20 pro-football-reference.com
  7. ^ ドラフトに2世選手続々 NFLマニア
  8. ^ The Mud Bowl スポーツ・イラストレイテッド
  9. ^ “MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  10. ^ Jeff Pearlman (2010年7月30日). “It takes a certain type of player to be successful NFL backup QB”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年11月24日閲覧。
  11. ^ “Jets Bench O'Brien; Ryan to Face Chiefs Sunday”. ロサンゼルス・タイムズ (1986年12月25日). 2013年11月24日閲覧。
  12. ^ 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO (ISBN 4-16-911614-3)
  13. ^ Timothy Rapp (2011年11月9日). “The 40 Worst Pro Coaches in Sports History 34. Bruce Coslet”. bleacherreport.com. 2013年11月24日閲覧。
  14. ^ Timothy Rapp (2011年11月9日). “The 40 Worst Pro Coaches in Sports History 9. Rich Kotite”. bleacherreport.com. 2013年11月24日閲覧。
  15. ^ The Jets Fill One Opening: New Owner at $635 Million ニューヨーク・タイムズ 2000年1月12日
  16. ^ Richard Cimini (2016年4月25日). “Jets' best draft class featured a record four first-round picks”. ESPN. 2022年5月24日閲覧。
  17. ^ “NFL史上に残る大逆転劇トップ10 -前編-”. NFL JAPAN (2011年6月4日). 2011年8月2日閲覧。
  18. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Monday Night Miracle”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  19. ^ “ジェッツHCグロー辞任で、パーセルズ現場復帰の可能性”. NFL JAPAN. 2010年5月21日閲覧。
  20. ^ “パーセルズ、ジェッツを退団”. NFL JAPAN (2001年). 2010年5月21日閲覧。
  21. ^ “ジェッツ、新HCエドワーズを発表”. NFL JAPAN. 2010年5月21日閲覧。
  22. ^ “ジェッツ、HCエドワーズとの契約を1年延長”. NFL JAPAN (2002年2月27日). 2010年5月21日閲覧。
  23. ^ “ジェッツQBペニントン先発へ”. NFL JAPAN (2002年10月1日). 2010年5月21日閲覧。
  24. ^ “ペニントン、全治3ヶ月”. NFL JAPAN (2003年8月26日). 2010年5月21日閲覧。
  25. ^ “ペニントンがケガの後、初めてパス練習を実施”. NFL JAPAN (2003年10月7日). 2010年5月21日閲覧。
  26. ^ “AFC 各地区の展望”. 朝日新聞 (2006年). 2015年1月31日閲覧。
  27. ^ Packers trade Favre to Jets FOXスポーツ
  28. ^ a b “寸前でプレイオフ逃したジェッツ、マンジーニHCを解雇”. NFL JAPAN (2008年12月30日). 2010年5月21日閲覧。
  29. ^ “ジェッツ、新HCにレイブンズコーチのライアン氏”. NFL JAPAN (2009年1月20日). 2010年5月21日閲覧。
  30. ^ “娘の死と栄光への道、「2つの世界にいた」ジェッツ・オーナー”. NFL JAPAN (2010年1月22日). 2010年5月21日閲覧。
  31. ^ “将来を犠牲にせず、巧みな補強を見せたジェッツ”. NFL JAPAN (2010年3月16日). 2010年5月21日閲覧。
  32. ^ “ジェッツHC、「前OCのシステムは複雑すぎたかも 」”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。
  33. ^ “GM解任のジェッツ・オーナー、「ライアンHCはチームに留まる」”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  34. ^ “ジェッツ、ライアンHCとイドジクGMの解任を発表”. NFL JAPAN (2014年12月30日). 2015年1月31日閲覧。
  35. ^ “再建目指すジェッツ、ボウルズ新HCが誕生”. NFL JAPAN (2015年1月15日). 2015年1月31日閲覧。
  36. ^ ブリッジウォーターと2019年ドラフト6巡指名権を引き換えに、2019年ドラフト3巡指名権を獲得した。
  37. ^ “OFFICIAL”. newyorkjets.com. 2023年4月28日閲覧。
  38. ^ “ジェッツが新スタジアムの計画を発表”. NFL JAPAN (2004年5月19日). 2010年5月21日閲覧。
  39. ^ “NY新スタジアム開幕戦、ジャイアンツとジェッツ両方で開催”. NFL JAPAN (2010年3月16日). 2010年5月21日閲覧。
  40. ^ 来日チーム情報 NFL JAPAN

外部リンク

  • New York Jets (英語)
  • ニューヨーク・ジェッツ(NFL JAPAN)
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