» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

インディアナポリス・コルツ

インディアナポリス・コルツ英語: Indianapolis Colts、略称: IND)は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリスに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している。ホームスタジアムはルーカス・オイル・スタジアム。本部と練習場は、同じインディアナポリスのインディアナ・ファームビューロ・フットボールセンターに位置している。

インディアナポリス・コルツ
Indianapolis Colts
創設 1953年1月23日 (70年前) (1953-01-23)
NFL参入 1953年シーズン
所属地区
  • NFL(1953-現在)
    • AFC(1970-現在)
南地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
コースタル地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  スピードブルー
 
  フェイスマスクグレー
  アンビルブラック
ユニフォーム
チーム名
  • インディアナポリス・コルツ(1984-現在)
    • ボルチモア・コルツ(1953-1983)
ホームタウン
1984-現在
1953-1983

インディアナ州インディアナポリス(1984-現在)
メリーランド州ボルチモア(1953-1983)

ルーカス・オイル・スタジアム(2008-現在)
RCAドーム
 フージャー・ドーム
(1984-2007)
メモリアル・スタジアム(1953-1983)

永久欠番
  • 18
  • 19
  • (22)
  • (24)
  • (70)
  • 77
  • (82)
  • (89)
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (7回)
AFC
地区優勝 (13回)
NFLコースタル
旧AFC東地区
AFC南地区
ワイルドカード(9回)
プレーオフ進出(22/57回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
ワイルドカード
球団組織
オーナー (ジム・アーセイ)
GM (クリス・バラード)
ヘッドコーチ シェーン・スタイケン

概要

1947年から1950まで存在したボルチモア・コルツを直接の前身として、1953年メリーランド州ボルチモアを本拠地とする同名のボルチモア・コルツ(Baltimore Colts)として創設された。1970年には、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)のNFL合併に伴い結成されたアメリカン・フットボール・カンファレンスに所属している。1984年に本拠地をボルチモアからインディアナ州インディアナポリスへ移転し、現在の名称となった。

スーパーボウルにはボルチモア時代の第3回ニューヨーク・ジェッツ(当時、AFL)に敗れたのち、第5回(対ダラス・カウボーイズ)と、インディアナポリス移転後の第41回(対シカゴ・ベアーズ)の2度制覇している。

歴史

NFLには、ボルチモア・コルツという名称のチームが2つ存在していた。初代コルツは、1946年のAll-America Football Conference (AAFC) 創設時のチームのひとつで、1950年のAAFC合併時にNFLに加盟したが、そのシーズン後に解散している。

現在のインディアナポリス・コルツは、長い旅を経て今の場所に落ち着いた、と言える。NFLの公式記録としては、コルツは、1953年にボルチモアで発足したことになっている。1953年、NFLは、ボルチモア市に旧ダラス・テキサンズのフランチャイズを与えた。このフランチャイズは、コルツ発足までに、ボストン・ヤンクス (1944-48)、ニューヨーク・ブルドッグズ (1949)、ニューヨーク・ヤンクス (1950-51)、ダラス・テキサンズ (1952) と移動してきたものである。

ボルチモア・コルツ

一方、初代ボルチモア・コルツは、1946年にAAFCに創設されたマイアミ・シーホークスを前身とし、同チームが1947年にボルチモアに移転して誕生した。このコルツは1950年にNFLに加盟し、シーズンを1勝11敗で終えた。同チームは1950年のシーズン後に解散したが、ファンクラブマーチングバンドなどの支援団体は活動を続け、チームの復活を働きかけた。詳しくは、en:Baltimore Colts (1947-50) を参照。

 
コルツの初代QBであるジョニー・ユナイタス

1953年、(キャロル・ローゼンブルーム)が、新生NFLボルチモア・コルツの筆頭オーナーとなった。1958年プロフットボール殿堂入りヘッドコーチ、(ウィーブ・ユーバンク)の下、同じく殿堂入りクォーターバックのジョニー・ユナイタス率いるコルツは、ヤンキースタジアムでの(NFLチャンピオンシップ)で、ニューヨーク・ジャイアンツを23-17と下した。延長戦となったこの試合は、「史上最高の試合」とも称される[1][2])。コルツは翌1959年にもジャイアンツに31-16と勝利し、NFLチャンピオンシップを獲得。1960年代前半、コルツはNFL上位チームの地位を堅持していたが、1964年のNFLチャンピオンシップではクリーブランド・ブラウンズの前に0-27と敗れた。

1967年、コルツはレギュラーシーズンの最終週を無敗のまま迎えたが、ロサンゼルスでのロサンゼルス・ラムズ戦で10-34と敗れた。コルツ、ラムズ共に11勝1敗2分けであったため、この直接対決で勝利したラムズが西カンファレンス海岸地区の1位となり、コルツはプレイオフに進出することができなかった(両チームの同シーズン初対決は、ボルチモアのホームで24-24の引き分けに終わっている)。

1968年、シーズン成績13勝1敗のコルツは、ブラウンズとの再戦のチャンスを得、NFLチャンピオンシップゲームで34-0とブラウンズを下した。このレギュラーシーズンの成績とブラウンズ戦の圧勝により、コルツは「史上最も偉大なフットボール・チーム」とマスコミから称されることになった。ボビー・ボイド (DB)、(マイク・カーティス) (LB)、(ジョン・マッキー) (TE)、(トム・マッテ) (RB)、(フレッド・ミラー) (DL)、(アール・モラル) (QB)、(ウィリー・リチャードソン) (WR)、(ボブ・ビューゲル) (OL) といったプロボウル出場メンバーを擁するコルツは、第3回スーパーボウル(公式に「スーパーボウル」と呼ばれることになった初の大会)に出場した。スプレッドの賭けではコルツが17点有利とされたがこの試合では番狂わせが待っていた。ジョー・ネイマスと(マット・スネル)の率いるAFLチャンピオンニューヨーク・ジェッツに7-16と敗れた。この試合では試合途中から怪我のため先発出場しなかったジョニー・ユナイタスも交代出場したが逆転はならなかった。皮肉にも、このときのジェッツのヘッドコーチは、かつてコルツを2度のNFLチャンピオンに導いた(ウィーブ・ユーバンク)であった。

1970年、NFLとAFLの統合された際にクリーブランド・ブラウンズピッツバーグ・スティーラーズと共にボルチモア・コルツはAFCに移り、オークランド・レイダースを27-17と下してAFCチャンピオンシップを獲得した。コルツは、統合後最初のスーパーボウル、第5回スーパーボウルでNFCのダラス・カウボーイズと戦い、ジム・オブライエンのフィールドゴールで16-13と勝利した。

1972年7月13日、ローゼンブルームと(ロバート・アーセイ)は、コルツとロサンゼルス・ラムズの所有権を交換したが、両チームの本拠地は変わらなかった。コルツは1970年代、さらに4回のプレイオフ出場を成し遂げた。1971年はワイルドカードで出場、1975年から1977年にかけて3年連続でAFC東地区優勝を果たした。この3年間、チームを引っ張ったのは、NFLで最も優秀なディフェンシブライン (通称「サック・パック」)だった。しかし、1978年以降、チームは9シーズンに及ぶ低迷期に入る。1978年最初の2試合でコルツは無得点に終わった。これはNFLチームとして初の不名誉な記録であった。1981年のチーム最大の課題は、ディフェンスだった。コルツはNFL記録となる533失点を喫し[3]、サック数は史上最低の13、パントリターン数は近年のNFL最低記録の12だった。翌年も、オフェンスが崩壊していた。1982年11月28日、リッチ・スタジアムでのバッファロー・ビルズ戦で、コルツのオフェンスチームは、一試合を通じて一度も敵陣に攻め込むことができなかった。18年後の2000年まで、NFLで同様の記録が作られることはなかった。1982年は、57日間に及ぶ選手のストライキのために9試合しか行われず、コルツは0勝8敗1分けでこのシーズンを終えた[注 1]

インディアナポリスへの移転

スタジアム老朽化に伴い、チームオーナーのロバート・アーセイは新スタジアム建設を求めたが、ボルティモア市との交渉ははかどらず、アーセイはひそかにインディアナポリス市への移転交渉を進めた。この移転計画を知ったメリーランド州議会は、チームの所有権をボルチモア市に強制的に移転する法案を提出した。ここに至ってアーセイは密かに移転を決意し、1984年3月29日の夜中に大手引越会社(メイフラワー・トランジット)のトラック数台で、秘密裏にインディアナポリスに荷物を運び出し、移転を決行した。ボルティモア市との間に訴訟が発生したが、1986年までには和解した。ストライキが再び行われた1987年にチームはロサンゼルス・ラムズバッファロー・ビルズとの三角トレードによってエリック・ディッカーソンを獲得した。この年ディッカーソンの活躍もありチームは10年ぶりに地区優勝を果たしプレーオフに出場した。

1988年ドラフト3巡目でQB(クリス・チャンドラー)を指名した。同年、デンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールでは、MNF記録となる55得点をあげた。それまでの記録は1982年サンディエゴ・チャージャーズがあげた52得点であった[4]

1990年にはNFLドラフト全体1位でQB(ジェフ・ジョージ)を獲得したがこの指名権を得るためにクリス・ヒントンと(アンドレ・ライズン)をアトランタ・ファルコンズに放出した。1991年、チームは1勝15敗のNFLワーストの成績に終わり1992年のドラフトでは全体1位、2位指名権を得て(スティーブ・エントマン)、(クウェンティン・コリャート)の指名を果たした。1994年にドラフト全体2位で獲得したマーシャル・フォーク最優秀新人選手に選ばれる活躍を見せ、翌1995年には9勝7敗の成績ながらQBジム・ハーボーやフォークの活躍でAFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズに16-20と敗れた。1996年も地区3位ながらワイルドカードでプレーオフに出場したが初戦でスティーラーズに敗れた。1997年は3勝13敗の地区最下位で終えたが、1998年のドラフト全体1位でペイトン・マニングを獲得した。

ペイトン・マニングの時代

 
のちにNFLの顔とも言うべき存在となるQBのペイトン・マニング

1998年も3勝13敗の地区最下位に終わったが1999年、チームは13勝3敗と飛躍的に成績を改善させて地区優勝を果たした。1999年以降チームは2001年を除き毎年プレーオフ出場を果たす強豪となった。2002年からはタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチだったトニー・ダンジーがヘッドコーチに就任、弱点だった守備が改善されていった。

2003年にはAFC南地区のタイトルを獲得し、プレーオフではデンバー・ブロンコスに41-10、カンザスシティ・チーフスに38-31と勝利したがAFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに14-24で敗れた(この試合では審判が機能していなかったという批判がなされた。試合全体を通じて7回しかペナルティが宣告されず、そのうちの6回はスナップ前にコールされたものだった。この試合でペイトリオッツCBタイ・ローが行った接触プレイは翌年には禁止されタイ・ロー・ルールとも呼ばれる)。

2004年シーズン、開幕戦でペイトリオッツに敗れたが4連勝、バイウィーク後に連敗したがシーズン終盤に8連勝を果たしAFC南地区のタイトルを手にした。第16週のホームでのプレーオフ出場がかかったサンディエゴ・チャージャーズ戦時点でQBのペイトン・マニングはシーズン48TDパスというダン・マリーノの記録にあと一歩と迫っていた。16-31とリードされた場面で(ドミニク・ローズ)が88ヤードのキックオフリターンTDをあげて8点差に追い上げ、残り時間4分47秒、4ダウン4 で自陣25ヤードラインからの局面でパントではなくギャンブルを選択し成功、最後はWRの(ブランドン・ストークリー)へのシーズン49回目のTDパスが成功し、ダン・マリーノの記録を破った。2ポイントコンバージョンも成功し31-31の同点となり試合は延長にもつれこんだ。コルツは(マイク・バンダージャット)の(FG)で34-31の勝利を収めプレーオフ出場が決まった。 ワイルドカード・プレーオフではホームで49-24と勝利する。この試合、マニングは33回中27回のパス成功で4TD、インターセプトは1回のみ、457ヤード獲得という驚異的な記録を残したが翌週のディビジョナル・プレーオフでペイトリオッツの前に3-20と敗れた。レギュラーシーズンでトップクラスの得点力を誇ったコルツオフェンスは相手ディフェンスにことごとく阻まれてシーズン唯一タッチダウンをあげられない試合となった。ディフェンスもペイトリオッツのボールコントロールオフェンスを止めることができず、7分を超えるドライブを3回許し、この3回で合計17点を奪われる結果に終わった。

2005年シーズンでは開幕13連勝を果たしたが第15週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に敗れしかも多くの選手が怪我をしてしまった。翌週のシアトル・シーホークスにも敗れた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズと対戦したが最後の最後までオフェンスラインがスティーラーズのLB陣のブリッツに対応しきれずマニングが思ったようなプレイをすることができなかった。しかし後半残り1分21秒相手RBジェローム・ベティスがボールをファンブル、それをコルツCB(ニック・ハーパー)がリカバーし再度攻撃の機会が与えられた。残りわずかの時間でオフェンスはFG圏内までボールを進めたがK(マイク・ヴァンダージャット)が46ヤードのFGを失敗しシーズンが終わった。

2006年シーズン、2年連続の9連勝もあり地区優勝を果たした(AFC第3シード)。シーズン初めから故障者に悩まされ、特にディフェンスの先発選手4人がシーズン序盤でシーズン絶望になるなど、ディフェンスはがたがたになり、第14週のジャクソンビル・ジャガーズ戦ではランだけで375ヤードを許すという有様であった。 しかしポストシーズンでFS(ボブ・サンダース)が戻るなどコルツディフェンスは息を吹き返し、ワイルドカードプレーオフではカンザスシティ・チーフスのRBラリー・ジョンソンのランを終始押さえ23-8で勝利、ディビジョナル・プレーオフではボルチモア・レイブンズのランなどを全般的に押さえ15-6で勝利した。

 
ホワイトハウスに招待された第41回スーパーボウル優勝メンバー

AFCチャンピオンシップでは2年連続敗れているペイトリオッツと対戦した。試合は前半一時3-21にまで点差を広げられたもののFGで3点を返しハーフタイムを6-21で折り返した。後半の最初のドライブでマニングのQBスニークによるTDで締めくくると、次のペイトリオッツの攻撃を3回で止めた。続くオフェンスでは(ダン・クレッコ)へのTDパス、2ポイントコンバージョンが成功し同点となった。その後タッチダウンを奪われ21-28となった。第4Q残り13分24秒、コルツRB(ドミニク・ローズ)がエンドゾーン手前でファンブルしたがそれをC(ジェフ・サタデー)がリカバー、TDをあげた。オフェンスラインマンが2回(ペイトリオッツのRT(ローガン・マンキンズ)とコルツのCジェフ・サタデー)タッチダウンをあげる試合はプレーオフ史上初のことであった。その後ペイトリオッツ、コルツともにFGで追加点を重ね31-34で後半2分17秒からコルツのオフェンスとなった。残り1分でのRB(ジョセフ・アダイ)のTDランで38-34と逆転し、最後ペイトリオッツの攻撃ではトム・ブレイディのパスをCB(マーリン・ジャクソン)がインターセプト、コルツが勝利した。最大18点差での逆転はチャンピオンシップ史上最大の逆転劇となった。第41回スーパーボウルでは最初のキックオフリターンでデビン・ヘスターにTDを決められたり、アダム・ビナティエリのFG失敗などがあったが、第4Qにケルビン・ヘイデンが相手QBレックス・グロスマンのパスをインターセプトするなど、ベアーズに29-17で逆転勝利し、36年ぶり2回目の優勝を達成した。

スーパーボウル優勝後も連続してプレーオフに出場していたが2年連続プレーオフ初戦で敗れ、2008年シーズン終了と共にトニー・ダンジーヘッドコーチは辞任した。

2009年、(ジム・コールドウェル)がヘッドコーチに就任し、オフェンスコーディネーターも退団したためコルツの栄光もここまでと予想したアナリストも多かったがチームは第16週にニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕14連勝を果たした。この試合第3Q途中からチームはマニングなどの主力選手をベンチに下げた後に逆転負けを喫したが(ジム・アーセイ)オーナー、コールドウェルヘッドコーチはスーパーボウル制覇こそが大事でありシーズン16戦全勝にはこだわっていないことを改めて強調した。その後、14勝2敗でレギュラーシーズンを終え、AFC第1シードでプレーオフに進出。順調に勝ち上がりAFCチャンピオンシップゲームにおいてニューヨーク・ジェッツを30-17で下し第44回スーパーボウルへの進出を果たした。しかし、スーパーボウルではNFC代表のニューオーリンズ・セインツに31-17で敗れ、3年ぶりのスーパーボウル制覇は成し得なかった。

2010年、最終週に地区優勝を決めて、9年連続のプレーオフ出場となり、ダラス・カウボーイズ1975年から1983年に作ったNFL記録に並んだ[5]。しかし2011年1月8日、ワイルドカードプレーオフでニューヨーク・ジェッツに敗れた。

2011年シーズンは227試合に連続先発出場していたペイトン・マニングが開幕から欠場、急遽(ケリー・コリンズ)を獲得したが[6]、コリンズも故障しシーズン絶望となり[7]、(カーティス・ペインター)が先発QBとして起用されたが連敗を止められず、ダン・オーロフスキーが先発QBとなった。オーロフスキーが先発に昇格して3戦目でシーズン初勝利、翌週のヒューストン・テキサンズ戦でも連勝した[8]。2012年のNFLドラフト全体1位指名権が獲得できるため、シーズン終盤ファンの中にはチームの敗戦を望む声も見られた。最終戦に敗れ2勝14敗、シーズン終了後、ジム・ボリアン副社長、クリス・ポリアンGM、ジム・コールドウェルヘッドコーチが解任され[9]、ボルチモア・レイブンズのディフェンスコーディネーター、(チャック・パガーノ)を新ヘッドコーチとして迎えた[10]。3月にチームはペイトン・マニングを解雇、その後(ダラス・クラーク)、(ジョセフ・アダイ)、(ゲイリー・プラケット)らを解雇した[11]

マニング退団以降

2012年のドラフト全体1位でスタンフォード大学のQBアンドリュー・ラックを指名した。10月1日、パガーノヘッドコーチが急性骨髄性白血病にかかっていることが明かされ、オフェンスコーディネーターのブルース・エリアンスが暫定ヘッドコーチに就任した[12]。12月24日、3ヶ月ぶりにパガーノヘッドコーチは復帰した。パガーノが不在の間、チームは2年ぶりのプレーオフ進出を決めている[13]

その後は2013年2014年と連続して地区優勝を果たしたが、2015年2016年と連続してプレーオフ出場を逃し、2017年1月21日にはGMのライアン・グリグソンが解雇された。2017年もまた大きく負け越してプレーオフを逃し、パガーノは解任された。後任にはフィラデルフィア・イーグルスのOCであったフランク・ライクが就任した。2018年には最終戦で勝ってワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦は勝利したがディビジョナルプレーオフでカンサスシティ・チーフスの前に敗退した。

2019年8月24日、プレシーズン中にアンドリュー・ラックが引退を発表した。2019年はプレーオフを逃した。シーズン後、ロサンゼルス・チャージャースよりフィリップ・リバースが移籍した。

2020年4月3日、インディアナポリス移転後から使い続けていた「COLTS」のロゴマークを変更した。2020年シーズンはワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦で敗退した。リバースは2021年1月20日引退を表明した[14]。同年2月18日、フィラデルフィア・イーグルスからQBカーソン・ウェンツをトレードで獲得した[15]

2021年は最終戦でリーグ最下位のジャクソンビル・ジャガーズに敗れて地区二位で終わり、プレーオフを逃した。2022年3月9日、ワシントン・コマンダーズとの間で、ウェンツと2022年のドラフト2巡目を渡す代わりに、2022年のドラフト3巡目、2023年のドラフト3巡目を譲渡されるトレードが成立した[16]。2022年3月21日、アトランタ・ファルコンズとの間で2022年のNFLドラフト3巡目指名権を渡す代わりにQBマット・ライアンを得るトレードを成立させた[17]

2022年シーズン途中、3連敗を喫し3勝5敗1分となった時点でHCのフランク・ライクは解雇され、ジェフ・サタデーが暫定HCとなった[18]。NFL選手引退後はテレビ放送のコメンテーターを務めたのみでNFLのコーチ経験の全くないサタデーの起用は論議を呼んだ。第15週にはミネソタ・バイキングス相手に前半を33-0とリードしながら、NFL史上最大の逆転負けを喫して地区優勝を見せられた。プレーオフは逃した。2023年2月14日、イーグルスOCのシェーン・スタイケンがHCに起用された。2023年3月、マット・ライアンを放出した。

2023年シーズン

2023年シーズンのコルツの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス ジャガーズ ベンガルズ ビルズ 49ers バッカニアーズ バイキングス イーグルス
2位 チャージャーズ タイタンズ レイブンズ ドルフィンズ シーホークス パンサーズ ライオンズ カウボーイズ
3位 レイダース コルツ スティーラーズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ パッカーズ ジャイアンツ
4位 ブロンコス テキサンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス ファルコンズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2022年シーズン成績

AFC南地区 2022
チーム 勝率 総得点 総失点 平均得点 平均失点
(4)ジャクソンビル・ジャガーズ 9 8 0 .529 404 350 23.8 20.6
テネシー・タイタンズ 7 10 0 .412 298 359 17.5 21.1
インディアナポリス・コルツ 4 12 1 .265 289 427 17.0 25.1
ヒューストン・テキサンズ 3 13 1 .206 289 420 17.0 24.7
AFC 2022
順位 チーム 地区 勝率 対地区 対AFC 対戦
相手
勝率
勝利
相手
勝率
地区優勝
1 カンザスシティ・チーフス 西 14 3 0 .824 6-0 9–3 .453 .422
2 バッファロー・ビルズ 13 3 0 .813 4-2 9–2 .489 .471
3 シンシナティ・ベンガルズ 12 4 0 .750 3-3 8-3 .507 .490
4 ジャクソンビル・ジャガーズ 9 8 0 .529 4-2 8-4 .467 .438
ワイルドカード
5[a] ロサンゼルス・チャージャーズ 西 10 7 0 .588 2-4 7-5 .443 .341
6[a] ボルチモア・レイブンズ 10 7 0 .588 3-3 6-6 .509 .456
7[b] マイアミ・ドルフィンズ 9 8 0 .529 3-3 7-5 .537 .457
レギュラーシーズン敗退
8[b] ピッツバーグ・スティーラーズ 9 8 0 .529 3-3 5-7 .519 .451
9 ニューイングランド・ペイトリオッツ 8 9 0 .471 3-3 6-6 .502 .415
10[c][d] ニューヨーク・ジェッツ 7 10 0 .412 3-3 5-7 .538 .458
11[c][d] テネシー・タイタンズ 7 10 0 .412 3-3 5–7 .509 .336
12[c] クリーブランド・ブラウンズ 7 10 0 .412 3-3 4-8 .524 .492
13 ラスベガス・レイダース 西 6 11 0 .353 3-3 5-7 .474 .397
14 デンバー・ブロンコス 西 5 12 0 .294 1-5 3-9 .481 .465
15 インディアナポリス・コルツ 4 12 1 .265 1-4-1 4-7-1 .512 .500
16 ヒューストン・テキサンズ 3 13 1 .206 3-2-1 3-8-1 .481 .402
(タイブレーク)
  1. ^ a b カンファレンス内勝率でチャージャーズがレイブンズを上回る
  2. ^ a b 第7週の直接対決でドルフィンズがスティーラーズに勝利
  3. ^ a b c カンファレンス内勝率でブラウンズの12位が確定
  4. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でジェッツがタイタンズを上回る

成績

AFC南地区(2002年-現在)

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2022 JAX(4d) 9 8 0 TEN 7 10 0 IND 4 12 1 HOU 3 13 1
2021 TEN(1d) 12 5 0 IND 9 8 0 HOU 4 13 0 JAX 3 14 0
2020 TEN(4w) 11 5 0 IND(7w) 11 5 0 HOU 4 12 0 JAX 1 15 0
2019 HOU(4d) 10 6 0 TEN(6c) 9 7 0 IND 7 9 0 JAX 6 10 0
2018 HOU(3w) 11 5 0 IND(6d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0
2017 JAX(3c) 10 6 0 TEN(5d) 9 7 0 IND 4 12 0 HOU 4 12 0
2016 HOU(4d) 9 7 0 TEN 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 3 13 0
2015 HOU(4w) 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 5 11 0 TEN 3 13 0
2014 IND(4c) 11 5 0 HOU 9 7 0 JAX 3 13 0 TEN 2 14 0
2013 IND(4d) 11 5 0 TEN 7 9 0 JAX 4 12 0 HOU 2 14 0
2012 HOU(3d) 12 4 0 IND(5w) 11 5 0 TEN 6 10 0 JAX 2 14 0
2011 HOU(3d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0 IND 2 14 0
2010 IND(3w) 10 6 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0 TEN 6 10 0
2009 IND(1s) 14 2 0 HOU 9 7 0 TEN 8 8 0 JAX 7 9 0
2008 TEN(1d) 13 3 0 IND(5w) 12 4 0 HOU 8 8 0 JAX 5 11 0
2007 IND(2d) 13 3 0 JAX(5d) 11 5 0 TEN(6w) 10 6 0 HOU 8 8 0
2006 IND(3v) 12 4 0 TEN 8 8 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0
2005 IND(1d) 14 2 0 JAX(5w) 12 4 0 TEN 4 12 0 HOU 2 14 0
2004 IND(3d) 12 4 0 JAX 9 7 0 HOU 7 9 0 TEN 7 9 0
2003 IND(3c) 12 4 0 TEN(5d) 12 4 0 JAX 5 11 0 HOU 5 11 0
2002 TEN(2c) 11 5 0 IND(5w) 10 6 0 JAX 6 10 0 HOU 4 12 0

AFC東地区(1970年-2001年)

  • BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 LA(c) 11 3 0 BAL 8 5 3 ATL 6 8 0 SF 4 8 2
1968 BAL(s) 13 1 0 LA 10 3 1 SF 7 6 1 ATL 2 12 0
1967 LA(c) 11 1 2 BAL 11 1 2 SF 7 7 0 ATL 1 12 1

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
スーパーボウル開始
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

主な選手

現役選手

永久欠番

インディアナポリス・コルツ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
18 ペイトン・マニング Peyton Manning QB 1998–2011
19 ジョニー・ユナイタス Johnny Unitas QB 1956–1972
22 (バディー・ヤング) Buddy Young RB 1953–1955
24 (レニー・ムーア) Lenny Moore HB 1956–1967
70 (アート・ドノバン) Art Donovan DT 1953–1961
77 ジム・パーカー Jim Parker (OL) 1957–1967
82 (レイモンド・ベリー) Raymond Berry WR 1955–1967
89 (ジノ・マーケッティ) Gino Marchetti DE 1953–1966

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
70 (アート・ドノバン) Art Donovan DT 1953–1961 1968
34 (ジョー・ペリー) Joe Perry FB 1961–1962 1969
89 (ジノ・マーケッティ) Gino Marchetti DE 1953–1964, 1966 1972
82 (レイモンド・ベリー) Raymond Berry WR 1955–1967 1973
77 ジム・パーカー Jim Parker (OL) 1957–1967 1973
24 (レニー・ムーア) Lenny Moore HB 1956–1967 1975
19 ジョニー・ユナイタス Johnny Unitas QB 1956–1972 1979
83 (テッド・ヘンドリックス) Ted Hendricks LB 1969–1973 1990
88 (ジョン・マッキー) John Mackey TE 1963–1971 1992
29 エリック・ディッカーソン Eric Dickerson RB 1987–1991 1999
28 マーシャル・フォーク Marshall Faulk RB 1994–1998 2011
96 (リチャード・デント) Richard Dent DE 1996 2011
88 マービン・ハリソン Marvin Harrison WR 1996–2008 2016
32 エジャリン・ジェームス Edgerrin James RB 1999–2005 2020
18 ペイトン・マニング Peyton Manning QB 1998–2011 2021
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
(ウィーブ・ユーバンク) Weeb Ewbank コーチ 1954–1962 1978
(マイク・マコーマック) Mike McCormack コーチ 1980–1981 1984
ドン・シュラ Don Shula コーチ 1963–1969[※ 1] 1997
(ビル・ポリアン) Bill Polian 社長、GM 1998–2011 2015
トニー・ダンジー Tony Dungy コーチ 2002–2008 2016
  1. ^ 1953–1956の間、DBとしてコルツに在籍

Ring of Honor

歴代ヘッドコーチ

  • (キース・モルスワース) 1953
  • (ウィーブ・ユーバンク) 1954-1962
  • ドン・シュラ 1963-1969
  • (ドン・マカファーティ) 1970-1972
  • (ジョン・サンダスキー) 1972
  • (ハワード・シュネレンバーガー) 1973-1974
  • (ジョー・トーマス) 1974
  • (テッド・マーチブローダ) 1975-1979
  • (マイク・マコーマック) 1980-1981
  • (フランク・クッシュ) 1982-1984
  • (ロッド・ダウハウワー) 1985-1986
  • (ロン・マイヤー) 1986-1991
  • (リック・ベンチュリ) 1991
  • テッド・マーチブローダ 1992-1995
  • (リンディ・インファンテ) 1996-1997
  • (ジム・E・モーラ) 1998-2001
  • トニー・ダンジー 2002-2008
  • (ジム・コールドウェル) 2009-2011
  • (チャック・パガーノ) 2012-2017
  • ブルース・エリアンス 2017 暫定ヘッドコーチ
  • フランク・ライク 2018-2022
  • (ジェフ・サタデー) 2022 暫定ヘッドコーチ
  • シェーン・スタイケン 2023-

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ この他にシーズンを通じて無勝利に終わったチームは1976年のタンパベイ・バッカニアーズ(加入したシーズン)、2008年のデトロイト・ライオンズなどがある。

出典

  1. ^ “リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2011年8月2日閲覧。
  2. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Greatest Game Ever Played”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  3. ^ ライオンズ全敗阻止へ、「最終戦は俺たちのスーパーボウル」 NFL JAPAN 2008年12月28日
  4. ^ “MNF History: 1988”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ “9年連続プレイオフのコルツ、「特別なこと」とオーナー”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年12月1日閲覧。
  6. ^ (生沢浩) (2011年9月22日). “マニング不在のコルツ、開幕連敗で迫る決断の時【前編】”. NFL JAPAN. 2011年12月1日閲覧。
  7. ^ “マニング代役のQBコリンズが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年10月26日). 2011年12月1日閲覧。
  8. ^ 生沢浩 (2011年11月29日). “ジャーニーマンの意地、大仕事で流浪に終止符を【後編】”. NFL JAPAN. 2012年1月9日閲覧。
  9. ^ “コルツ、コールドウェルHCを解任”. NFL JAPAN (2012年1月18日). 2012年1月18日閲覧。
  10. ^ “コルツ、パガーノ新HC就任が意味するものは?”. NFL JAPAN (2012年1月26日). 2012年1月26日閲覧。
  11. ^ “マニング退団のコルツ、TEクラークとRBアダイも解雇”. NFL JAPAN (2012年3月10日). 2012年3月10日閲覧。
  12. ^ “コルツHCが白血病で入院、復帰までエリアンズOCが暫定HCに”. NFL JAPAN (2012年10月2日). 2012年10月20日閲覧。
  13. ^ “3カ月ぶりに復帰のコルツHC、オーナーのサポートに感謝”. NFL JAPAN (2012年12月25日). 2012年12月25日閲覧。
  14. ^ “コルツQBリバースが引退、17シーズンを過ごしたNFLから退き高校のコーチへ”. NFL JAPAN (2021年1月21日). 2021年4月4日閲覧。
  15. ^ “イーグルスがQBウェンツをコルツにトレード、ドラフト指名権2つを獲得”. NFL JAPAN (2021年2月19日). 2021年4月4日閲覧。
  16. ^ “Commanders acquiring QB Carson Wentz from Colts in trade”. NFL. 2022年3月10日閲覧。
  17. ^ “ファルコンズがQBライアンをコルツにトレード、ドラフト3巡目指名権と引き換え”. NFLJapan. 2022年3月22日閲覧。
  18. ^ “3勝5敗1分を受けてコルツがライクHCを解雇”. NFL Japan. 2022年11月8日閲覧。

外部リンク

  • Indianapolis Colts (英語)
  • NFL JAPAN (日本語)
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。