この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2019年7月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2019年7月) |
ノルベルト・エドガルド・フォンタナ(Norberto Edgardo Fontana, 1975年1月20日 - )はアルゼンチンのレーシングドライバーで、元F1ドライバー。1995年のドイツF3選手権チャンピオン。
経歴
初期の経歴
8歳からレーシングカートでキャリアを開始し、1992年にアルゼンチン・フォーミュラ・ルノー選手権にステップアップし四輪デビュー。
ヨーロッパでの活動
1993年に18歳で渡欧し、フォーミュラ・ルノー・ユーロシリーズに参戦。
1994年にドイツF3選手権にステップアップ、初年度からシーズン3勝を挙げ頭角を現す。1995年のドイツF3では10勝を挙げ、体制に恵まれるラルフ・シューマッハを破りシリーズチャンピオンを獲得。この活躍によりF1のザウバーとテストドライバー契約。
日本での活動
1996年に来日、ノバ・エンジニアリングと契約しフォーミュラ・ニッポンに参戦。デビュー2戦目で初表彰台、3戦目で初優勝を挙げる活躍を見せランキング5位を獲得する。
1997年、チーム・ルマンに移籍。第7戦MINEで1勝を挙げ、シリーズランキング3位となる。また、同年はテスト・リザーブ契約するザウバーのニコラ・ラリーニが不調のため解雇、代って参戦したジャンニ・モルビデリもシーズン中2度の骨折を負ったため、フォンタナは代役としてF1デビューを果たした。
1998年のF1フル参戦を目指し一度はティレルと契約するも参戦機会を失ったため(後述)、チーム・ルマンと再契約し、3年目となるフォーミュラ・ニッポンに参戦[1]。第9戦富士で勝利を挙げ、この年チャンピオンを獲得するチームメイトの本山哲と共にチーム・ルマンのチームチャンピオンシップ獲得に貢献した。同年は全日本GT選手権にもトムスから参戦し、トヨタ・スープラで関谷正徳とコンビを組み、ランキング7位に入った。この年で日本でのレース活動は最後となった。
フォーミュラ1
1997年
サウバーからの要請により、F1グランプリ4レースにザウバー・C16でスポット参戦。最高位9位を記録した[2]。
1998年
1998年のF1レギュラーシートを求め、ティレルとの契約書にサインをしたが、チームはブリティッシュ・アメリカンたばことクレイグ・ポロックにより買収されB・A・Rへの移行期となり、旧ティレルの経営陣と交渉した結果である本契約はF1開幕前にフォンタナ曰く「契約はティレル側によって一方的に反故にされた」として提訴することを表明した。このため急遽チームルマンと再契約し、フォーミュラ・ニッポンに戻った。
1999年
ミナルディのドライバー候補となりテストドライブを行うも、ルカ・バドエル、マルク・ジェネとのシート争いに敗れレギュラーシート獲得はならなかった。
F3000/CART
1999年から2001年は、国際F3000選手権と北米最高峰カテゴリーであるCART選手権に交互に参戦。
アルゼンチンでの活動
2002年、母国アルゼンチンのTC2000アルゼンチン選手権でトヨタ・カローラをドライブしチャンピオンを獲得。以降も母国でレース活動を続ける。
レース戦績
ドイツ・フォーミュラ3選手権
年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(1994年) | (KMS) | オペル | A | ZOL 1 C | ZOL 2 15 | HOC 1 11 | HOC 2 8 | NÜR 1 Ret | NÜR 2 9 | WUN 1 1 | WUN 2 8 | NOR 1 5 | NOR 2 20 | DIE 1 Ret | DIE 2 13 | NÜR 1 1 | NÜR 2 1 | AVU 1 3 | AVU 1 2 | (ALE 1) Ret | (ALE 2) DNS | HOC 1 2 | HOC 2 Ret | 6位 | 118 |
(1995年) | A | HOC 1 1 | HOC 2 1 | AVU 1 1 | AVU 1 1 | NOR 1 3 | NOR 2 4 | DIE 1 3 | DIE 2 3 | NÜR 1 1 | NÜR 2 1 | (ALE 1) 1 | (ALE 2) 1 | MAG 1 1 | MAG 2 1 | HOC 1 4 | HOC 2 20 | 1位 | 256 |
フォーミュラ・ニッポン
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | SHIONOGI TEAM NOVA | SUZ 14 | MIN 2 | FSW 1 | TOK Ret | SUZ 8 | SUG Ret | FSW 2 | MIN Ret | SUZ 11 | FSW Ret | 5位 | 22 |
1997年 | Team Le Mans | SUZ 9 | MIN 8 | FSW 6 | SUZ Ret | SUG 7 | FSW 2 | MIN 1 | TRM 3 | FSW Ret | SUZ Ret | 3位 | 21 |
1998年 | LEMONed Racing Team Le Mans | SUZ 3 | MIN Ret | FSW 6 | TRM Ret | SUZ Ret | SUG Ret | FSW C | MIN 2 | FSW 1 | SUZ 8 | 4位 | 21 |
国際F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | (エデンブリッジ・レーシング) | NÜR | (PAU) | (PER) | HOC | SIL | SPA | MAG | EST Ret | MUG | HOC | NC | 0 | ||
1999年 | (フォーテック・モータースポーツ) | IMO Ret | MON 5 | CAT Ret | MAG Ret | SIL 5 | A1R 8 | HOC Ret | HUN Ret | SPA 14 | NÜR 10 | 15位 | 4 | ||
2001年 | (F3000 プロスト・ジュニアチーム) | INT | IMO | CAT | A1R | MON | NÜR | MAG | SIL | HOC | HUN 14 | SPA Ret | MNZ Ret | NC | 0 |
((key))
F1
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | ザウバー | C16 | AUS | BRA | ARG | SMR | MON | ESP | CAN | (FRA) Ret | GBR 9 | GER 9 | HUN | BEL | (ITA) | (AUT) | LUX | JPN | EUR 14 | NC | 0 |
((key))
全日本GT選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | TOYOTA Castrol TEAM TOM'S | トヨタ・スープラ | GT500 | SUZ 6 | FSW C | SEN 3 | FSW 8 | TRM 3 | MIN 16 | SUG Ret | 7位 | 33 |
((key))
CART
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | (デラ・ペンナ・モータースポーツ) | レイナード・2Ki | トヨタ | MIA 15 | LBH Ret | RIO Ret | MOT DNS | NZR Ret | MIL Wth | DET Ret | (POR) Ret | CLE 11 | TOR Ret | MIS | (CHI) | MDO | ROA | (VAN) | LS | STL | (HOU) | SRF | FON | 28位 | 2 |
(key)
逸話
- 1998年冬に自宅が窃盗犯に荒らされ、多数の品が盗まれてしまうという災難に遭ったが、その時にF1参戦時の思い出の品であるアライ製ヘルメットも高額な無線システムもろとも盗まれていた。それから23年が経過していた2021年、レース仲間のJ.ミオネットがフォンタナのトレードマークであるアルゼンチン国旗カラーの特徴的なヘルメットを着用して自転車に乗る女性を発見。フォンタナのヘルメットはレプリカの発売などはされたことがなく、とっさにその女性と接触を試みたミオネットは、盗難事件との関連を否定するその女性に金銭譲渡を提案しヘルメットを取り戻し、本当の持ち主であるフォンタナの手元に返すことが出来た。ただし高額な無線システムはすでに無くなっていたが、ヘルメット自体は20年以上たっていても綺麗な状態で、フォンタナはこれを自身のインスタグラムでファンに報告した[3]。
脚注
外部リンク
- NFONTANA.COM - オフィシャルウェブサイト
- Norberto Fontana (@norbertofontana) - Instagram