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デレック・デイリー

デレック・パトリック・デイリーDerek Patrick Daly[1], 1953年3月11日 - )は、アイルランドダブリン県(バリンティア)出身の元レーシングドライバー。姓は「ダリー」とも表記される。

デレック・デイリー
基本情報
フルネーム デレック・パトリック・デイリー
国籍 アイルランド
出身地 同・ダブリン県(バリンティア)
生年月日 (1953-03-11) 1953年3月11日(70歳)
F1での経歴
活動時期 1978-1982
所属チーム '78 ヘスケス
'78-'79 エンサイン
'79-'80 ティレル
'81 マーチ・グランプリ
'82 セオドール
'82 ウィリアムズ
出走回数 64 (49スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 16
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 (1978年アメリカ西GP)
最終戦 1982年ラスベガスGP
(テンプレートを表示)

略歴

F3〜F1参戦

(ダンドラム)生まれ[2]。レース活動の資金を捻出するためオーストラリア鉱山で働きながらフォーミュラ・フォードに参戦し[2]、1976年のフォーミュラ・フォード・フェスティバルで優勝。翌1977年にイギリス・フォーミュラ3選手権に参戦し、この年のチャンピオンを獲得する。1978年に(シェブロン)から(ヨーロッパF2選手権)に参加し、ヴァレルンガとムジェロで優勝してシリーズ3位の成績を記録。F2での好成績により、同年のF1アメリカ西GPヘスケスから参戦を開始。ヘスケスでは予選通過できなかったが、シーズン途中にエンサインへ移籍、最終戦のカナダGPで6位完走してF1初入賞を記録した。

しかし1979年のF1レギュラーシート獲得はならず、同年9月には来日し、全日本F2選手権第6戦「鈴鹿グレートレーサーズ」にスポット参戦した[3]。同年終盤にF1ティレルのシート獲得に成功し、翌年も契約更新。1980年は4位入賞を2回記録するが、モナコGPではスタート直後ブルーノ・ジャコメリと接触して宙を舞い[4]ザンドフールトでのオランダGPではタルザン・コーナーでフェンスを飛び越してタイヤバリアに突っ込む事故に遭遇する[2]

1981年、F1で最も小さい規模のチーム[5][6]であり、マーチ・811でF1に参戦するマーチ・グランプリ(マーチ・エンジニアリングとは別組織のプライベイトチーム、RAMが運営)と契約するも、811はウィリアムズ・FW07と酷似したコピーマシンだったが、戦闘力は皆無であり、チームのマネージャーであるジョン・マクドナルドがプレスに対して「この車はクソの山だ。これは公式コメントだ。」と不満を述べるほどの駄作であった。このマシンでデイリーはイギリスGPで7位に食い込み、これが最高位となった。

1982年セオドールに移籍して参戦していたが、フォークランド紛争の影響でシーズン途中離脱したカルロス・ロイテマンの後任として、ベルギーGPからウィリアムズに加入[7]。チームメイトのケケ・ロズベルグは最終戦でワールドチャンピオンを獲得した。デイリーはFW08で最高位5位を3回、6位を2回と着実に入賞し8ポイントを獲得した。デイリーには北米フォーミュラ最高峰のCARTからオファーがあり、F1を同年で去った。

チャンプカー

1982年からCARTでのドライブを始め、1989年まで8シーズン参戦を続けた。1986年を除いた1983年から1989年までのインディ500を含む66のCARTレースに出走。デイリーは1987年ミルウォーキーでの3位表彰台を含む合計21回のトップ10完走を果たした。

1990年のセブリング12時間レースでは、1位と2位でゴールした日産・GTP ZX-Tを両マシンともドライブしたという珍しい記録を作った[8][9]

1992年に引退後はアメリカ合衆国インディアナポリスに在住[7]し、ESPN、スピードチャンネルの解説者[2][7]や、レーシングスクールの経営に携わる[2][7]。また、アメリカ国内の企業の経営者への講演も行っている[7]。2011年はF1イタリアGPのスチュワードを務めた[7]

息子のコナーもレーシングドライバーであり、2012年はロータスGPチームからGP3に参戦し[10]2016年からはINDYCARワールドシリーズにフル参戦を開始。開幕戦ではトップを走行した息子のレースを観戦するデレックの姿が国際映像にて映された。

レース戦績

ヨーロッパF2

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Pos Pts
1977 (シェブロン) (B40) ハート SIL THR HOC NÜR VAL (PAU) MUG ROU NOG (PER) MIS EST
5
DON 18位 2
1978 (B42) THR
6
HOC
9
NÜR
Ret
(PAU)
9
MUG
1
VAL
1
ROU
11
DON
Ret
NOG
3
(PER)
3
MIS
9
HOC
Ret
3位 27
1979 プロジェクト4 792 BMW SIL
2
HOC THR
2
NÜR VAL MUG
Ret
(PAU)
Ret
HOC
2
ZAN
11
(PER)
2
MIS
Ret
DON
1
3位 33
1983 マクマホン・レーシング 822 ハート SIL THR HOC NÜR (VAL) (PAU) JAR DON
9
MIS (PER) ZOL MUG - 0

((key)) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)

全日本F2選手権

チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1979年 RACINGMATE フローチェマーチ・792 BMW・M10 SUZ NIS SUZ FSW SUZ SUZ
Ret
SUZ -[11] -[11]

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1978年 ヘスケス 308E ARG (BRA) (RSA) (USW)
DNPQ
(MON)
DNPQ
(BEL)
DNQ
ESP SWE 19位 1
エンサイン N177 (FRA)
DNQ
(GBR)
Ret
GER AUT
DSQ
NED
Ret
ITA
10
(USA)
8
CAN
6
1979年 (ARG)
11
(BRA)
13
(ESP)
DNQ
(BEL)
DNQ
NC 0
N179 RSA
DNQ
USW
Ret
MON
DNQ
FRA (GBR) (GER)
ティレル 009 (AUT)
8
(NED) (ITA) (CAN)
Ret
USA
Ret
1980年 ARG
4
BRA
14
RSA
Ret
11位 6
010 USW
8
BEL
9
MON
Ret
FRA
11
GBR
4
GER
10
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
Ret
1981年 マーチ・グランプリ 811 USW
DNQ
BRA
DNQ
ARG
DNQ
SMR
DNQ
BEL
DNQ
MON
DNPQ
ESP
16
FRA
Ret
GBR
7
GER
Ret
AUT
11
NED
Ret
ITA
Ret
CAN
8
CPL
DNQ
NC 0
1982年 セオドール TY01 RSA
14
13位 8
TY02 BRA
Ret
USW
Ret
SMR
ウィリアムズ FW08 BEL
Ret
MON
6
DET
5
CAN
7
NED
5
GBR
5
FRA
7
GER
Ret
AUT
Ret
SUI
9
ITA
Ret
CPL
6

((key))

CART

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 Rank Points
1982 Wysard Racing マーチ・82C DFX PHX ATL MIL CLE MIS MIL POC RIV ROA MIS2 PHX2
25
NC 0
1983 ATL
22
27位 4
マーチ・83C (INDY)
19
MIL CLE MIS
Provimi Racing マーチ・82/83C ROA
9
POC
9
RIV MDO
22
MIS2 LVG
18
LS
23
PHX
22
1984 マーチ・84C LBH
7
PHX
15
(INDY)
27
MIL POR
4
MEA
19
CLE
6
MIS
17
ROA
18
POC MDO
18
SAN
21
MIS2
21
PHX2 LS LVG 19位 26
1985 Tom Hess Racing ローラ・T900 LBH (INDY)
12
MIL POR MEA CLE MIS ROA POC MDO SAN MIS2 LS PHX MIA 40位 1
1986 Team Menard マーチ・86C PHX LBH (INDY)
DNQ
MIL POR MEA CLE TOR MIS POC 23位 11
Curb Motorsports MDO
6
SAN
10
MIS2 ROA
13
LS PHX2 MIA
1987 Pace Racing マーチ・87C ビュイック V6 LBH PHX (INDY)
15
15位 27
Raynor Motorsports ローラ・T87/00 DFX MIL
3
POR
15
MEA
9
CLE
11
TOR
16
MIS
24
POC
10
ROA
26
MDO
9
NAZ
16
LS
14
MIA
22
1988 ローラ・T88/00 PHX
13
LBH
5
(INDY)
29
MIL
11
POR
19
CLE
6
TOR
23
MEA
24
MIS
16
POC
4
MDO
9
ROA
6
NAZ
10
LS
7
MIA
23
9位 53
1989 ローラ・T89/00 ジャッド PHX
12
LBH
9
(INDY)
15
MIL
21
DET
25
POR
11
CLE
22
MEA
25
TOR
16
MIS
5
POC
24
MDO
9
ROA
27
NAZ
9
LS
18
12位 25

ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レース 結果
チーム No コ・ドライバー 車両 タイヤ クラス 周回数 順位 クラス順位
1988年   (シルクカット)・ジャガー
  トム・ウォーキンショー・レーシング
22   ケビン・コーガン
  ラリー・パーキンス
ジャガー・XJR-9LM
ジャガー 7.0L V12
D C1 383 4位 4位
1989年 3   デイビー・ジョーンズ
  ジェフ・クライン
D C1 85 DNF DNF
1990年   ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー 83   ジェフ・ブラバム
  チップ・ロビンソン
日産・R90CK
日産 VRH35Z 3.5Lターボ V8
G C1 251 DNF DNF

セブリング12時間レース

セブリング12時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
(1990年)   ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー   ボブ・エール 日産・GTP ZX-ターボ GTP 301 1位 1位
(1991年)   ジェフ・ブラバム
  ゲイリー・ブラバム
日産・NPT-90 GTP 298 1位 1位
(1992年)   ジェフ・ブラバム
  ゲイリー・ブラバム
  アリー・ルイエンダイク
日産・NPT-91 A GTP 355 2位 2位

脚注

  1. ^ “Derek Daly F1 Driver Profile”. ESPN F1. 2013年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e Profile at grandprix.com, 2013年2月13日閲覧。
  3. ^ 1979鈴鹿グレート20レーサーズ自動車レース F2 日本自動車連盟モータースポーツ
  4. ^ “トップ10:チームメイト同士の衝突”. ESPN F1. 2013年2月13日閲覧。
  5. ^ 運営するRAMレーシングのスタッフは総勢25名で、最小のF1チームであった
  6. ^ Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), (ISBN 978-0854296170), S. 99.
  7. ^ a b c d e f 『F1 RACING日本版』 三栄書房、2011年11月情報号、29頁。
  8. ^ “Sebring 12 Hours”. http://www.racingsportscars.com+(1990年3月17日).+2012年3月15日閲覧。
  9. ^ “Top 5 - Sebring wins by manufacturer”. ALMS. 2012年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月15日閲覧。
  10. ^ “”. GP3 Series (2012年3月2日). 2012年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月2日閲覧。
  11. ^ a b JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。

関連項目

外部リンク

  • Official site
  • Derek Daly Designs (course design business)
  • Profile at grandprix.com
タイトル
先代
ルパート・キーガン
イギリスF3選手権
BARCシリーズチャンピオン

1977
次代
ネルソン・ピケ
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