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『ザ・オーディション』は、1984年11月17日に公開された日本映画[2]。世良公則主演・新城卓監督[3][4]。世良公則の初主演映画で[3][5]、デビュー時の巨額の売り出し費用でも話題を呼んだ[6][7][8]セイントフォーの映画デビュー作[6][9][10][11]。(オープニングクレジット)でのセイントフォーの表記は、世良、志穂美悦子、平田満に続いて4番手。
概要
封切時の映画誌に「4人の無名の少女を芸能界にデビューさせることに情熱を賭ける元(ロック・グループ)のリーダーの物語。中岡京平のオリジナルシナリオで、実際に無名の4人のタレントを起用して、同時進行で、"スター誕生"のドラマにするという。山本又一朗製作、フィルム・リンク・インターナショナル作品で東宝東和配給。スキャンダルで芸能界から消えた青年に世良公則、彼を助ける相手役に志穂美悦子。歌手を夢見る少女4人は 浜田範子、岩間沙織、鈴木幸恵、板谷祐三子で『セイント・フォー』というグループで、映画の中で同時に世に売り出されるわけだ。ほかに平田満の出演が決まっている。山本プロデューサーは"リアル・タイム・ムービー"と呼んでいる」と紹介されている[4]。明日のスターをめざす4人の少女と青年(マネージャー)の、芸能界のスター街道での戦いを描く青春映画[3][5][10]。
あらすじ
かつて芸能界を席捲したロックグループ「レイカース」のリーダー・北森修平。しかし、大手芸能プロの陰謀によるスキャンダルで表舞台から引きずり降ろされ、今は名門プロダクション・サンライズプロの社長伍代章造に拾われてマネージャー稼業に専念していた。ある日北森はタレントの卵・祐三子の売り出し路線をめぐって五代と衝突、サンライズプロを飛びだしてしまう。祐三子だけが北森を慕ってやって来たが、先行き何の展望もない北森にとって重荷以外の何物でもなかった。しかしもう一人・範子との出会いが、消えていた北森の魂に火をつけた。そして幸恵と沙織という二つの才能を発掘した修平は、自分が率いたレイカースの名前を彼女たちに託し「新生レイカース」をデビューさせようと決心した[3]。
キャスト
スタッフ
- 製作総指揮 - 山本又一朗
- 監督 - 新城卓
- 企画 - 小倉斉、後藤文雄
- プロデュース - (室岡信明)
- 脚本 - 中岡京平、(川村俊明)
- 撮影 - (栃沢正夫)
- 音楽 - 馬飼野康二
- 美術 - (斎藤嘉男)
- 編集 - 岡安肇
- 照明 - (岩木保夫)
- 録音 - 吉田庄太郎
- 助監督 - (岩下輝幸)、松本泰生、月野木隆、早川喜貴
- スチール - (副田宏明)
- 製作担当 - (森重晃)
- 制作主任 - (近藤恒彦)
- 音響効果 - 佐々木英世、柴崎憲治
- 振付 - 一の宮はじめ
- ローラースケート指導 - 小泉博
- 体操指導 - (滑川公夫)
- 音楽協力 - リバスター音産、ライトリンクスコーポレーション
- タイトル - デン・フィルムエフェクト
- MA - アオイスタジオ
- 現像 - 東洋現像所
- スタジオ - 東宝スタジオ
- 製作協力 - 日芸プロジェクト、リバスター音産、ハウス食品、オートラマ、テレビ朝日
音楽
- (不思議TOKYOシンデレラ)
- 作詞 - 森雪之丞 / 作曲 - 加瀬邦彦 / 編曲 - 船山基紀
- (恋気DEナマイ気)
- 作詞 - 岩里祐穂 / 作曲 - (岩里未央) / 編曲 - 船山基紀
- (Rock'n Roll Dreams Come Through)
- 作詞 - Jim Steinman(日本語詞 - 松本一起) / 作曲 - Jim Steinman / 編曲 - 馬飼野康二
製作
製作として(クレジット)されているフィルムリンク・インターナショナルは、製作総指揮の山本又一朗の会社で[6]、トライストーン・エンタテイメントの前身にあたる[3][6]。製作にあたり山本が「タレントをデビューさせ、育てる現実とドラマを同時に進行させ、またその映画の中で各種企業が新製品を開発・販促・宣伝する」というコンセプトを打ち出した[12]。また山本は、「ボクはアイドルタレントのかわい子ちゃん映画をやるつもりはありません。彼女らの命がけのダンスを撮ったつもりです。それだけにはじめ1億5000万の製作費でスタートしたんですが、いまや倍の3億円を優に超えています。おそらくこの映画が封切られたらアメリカのダンサーも吹っ飛ぶでしょう」などと述べた[6]。本作の製作費は5億円で[6]、宣伝費など間接費を加えると9億円[6]。『週刊現代』1984年9月29日号の記事によれば、この映画に+音楽=アルバム、カセット、ビデオディスクなどリバスター音産が2億円、CFキャンペーン=オートラマ(マツダ、フォードのプロジェクト会社)が映画のために特別仕様のテルスター、レーザー(1500㏄~2000㏄)を200台製作(ユーザー用)し、このキャンペーン費用が15億円。これにハウス食品のCF、単行本、コンサート、雑誌出演を合わせて、セイントフォーの売り出し費用は合計40億円と書かれている[6][9]。
監督の新城卓は前年1983年の『オキナワの少年』でデビューし監督2作目。有森也実が新人歌手・森あかね役で出演しているが[10][13]、公式プロフィールからは抹消されている。セイントフォーを鍛えるインストラクター・津川奈緒子を演じる北原遥子は、元宝塚で、(日本航空123便墜落事故)で24歳で亡くなった女優[14]。室内の撮影は東宝スタジオと見られる[14]。
1984年8月末(クランクイン)、10月始め(クランクアップ)[4]。これだと撮影は1ヵ月ちょっとになるが、世良は「2ヵ月の厳しい撮影だったが完全燃焼できた」と話している[5]。
ロケ地
※以下、エンドロールでロケーション協力としてクレジットされるのは、 スタジオハウス銀河、京王百貨店、コクヨホール、グランドホテル浜松(静岡県)
配給
備考
- 劇中に使用される音楽は、前記のようにセイントフォーの曲と「Rock'n Roll Dreams Come Through」であるが、巻頭の(オープニングクレジット)他、(エンドロール)や劇中で何度も流れる曲は「アメイジング・グレイス」である。トランペット、バイオリン、オーケストラアレンジなど、(バージョン)を変えて何度も流れるが、クレジットタイトルでは表示されない。日本の商業映画では最も早い使用例かもしれない。
- オープニングクレジットの後、スタジオ撮影で、光石研が板谷祐三子をナンパするシーンがあるが、周りに当時流行していた原宿ホコ天のローラー族風の若者らの中に4人ブレイクダンスを踊る男の子がおり、バックスピンやロボットダンスなど簡単な技を行う。映画の公開日を考えると日本の商業映画ではブレイクダンスの最初の登場かも知れない。ブレイクダンスの日本での普及について、「『ワイルド・スタイル』に出演したダンサーが1980年代前半にツアーで日本に来て、それを見た人たちが代々木(代々木公園前)のホコ天で始めて日本に広がった」とする証言があるが[15]、劇中、代々木のホコ天も映るがブレイクダンスをやっている者はいない。
- 世良が芸能界で再起を賭けるべく、板谷祐三子を中心にかつての自身のバンドと同じ4人組のアイドルグループを結成し、同じ「レイカース」という名前を付け、夢を追いかけるという設定だが、2人目以降は街でメンバーをスカウトするが、これがあっという間に4人組になる。人物描写の掘り下げとしてもう少し時間を取って欲しいところ。この「レイカース」は世良の自費で2000枚をリリースするも売れずに、オーディションに参加して大手レコード会社に売り出してもらおうとする。この映画以降、オーディションで新人の売り出しをドラマ化し、アイドルを売り出す手法が増えたため、この映画のように、先にプロデビューしている者が、再売出しを狙いオーディションを受けるという設定は今日観ると奇妙に見える。
作品の評価
- 封切時の『シティロード』は「(原文ママ)やり手プロデューサー・山本又一朗が手がけた作品だけに、色々と"ウリ"の手が込んでいる。リアルタイムムービー(劇中の彼女たち=ドラマと現実がオーバーラップしていく)、リアルタイムプロモーション(映画と同時に発売されるデビュー・レコード、出版、ビデオ、CMキャラクターとしても同時に発売。映画にちなんだ特別仕様車の発売など)等々。多分、(タイトル)のネーミングもそういうカラミから付けられているのだろう。しかしそれは逆効果のような気がしてくる。なぜならこの映画は、作品自体で充分に感動的で、シッカリと作られているからだ。こういうジャブは『(プロ野球を10倍楽しく見る方法)』などにこそ有効なのだ。何か実体がボヤケちゃうじゃないかー。と、何とかしてスターの座に這い上がろうとする4人の美少女と、その4人に人生の全てを賭けた元ロック歌手の男の挫折の繰り返しの日々は、少女たちの美しい肢体と汗によって美味しく味つけされ、胸をキュンさせます。それにしても"日本で初!本気でダンシング映画"ってのは許してよ」などと評している[16]。
- 藤木TDCと比嘉健二『実話ナックルズ』編集長は、本作を実録映画の傑作として評価[18]。藤木「1980年代のアイドル映画時代に生まれたアイドルの実録映画。セイントフォーっていうアイドルグループがデビューできないで潰されていく話で、マネージャーを世良公則、敵対するプロダクションの社長を中尾彬がやっている。年末の音楽祭で金を持っていくシーンまで描いている暴露物。菓子折りの下に金を包んで。芸能界の暗部を描く異色作で実録の隠れた傑作。単なるアイドル映画とは明らかに一線を画しているけど、今は公開できないんじゃないかな」。比嘉「よく公開できたね。それって『ドリームガールズ』の日本版だね(笑)」。藤木「ええ、凄い面白いけど、結局、もう一回再結成しようということで終わる。日本ビデオ映像って潰れたビデオメーカーが金を出して作って洋画系で公開された。なぜか知らないけど、全く評価されてません(笑)」等と評している[18]。なお、世良が訪ね回るのは、最優秀新人賞の票を持つ審査員だが、菓子折の"下"に金を包んでではなく、菓子折の"上"である。またネットの普及等で枕営業の他、芸能界の闇が一般的にも知られるようになった2022年の今日では、本作での芸能界の内幕は、芸能界のドン(本作では中尾彬)が芸能界で強大な力を持ち、新人賞レースもドンの一存で既に決まっている「出来レース」と、票を買うためにお金をばら撒く程度で、そこまでの暴露ではない。世良がハラを立てて、中尾に殴りかかると逆に中尾と取り巻きにボコボコにされ、なお中尾に便所に連れて行かれ、無抵抗の瀕死状態の世良になお暴行を加え、世良が耳が聞こえなる。世良が先に手を出したとはいえ、完全に暴行罪にあたり、訴えればドンは失脚し、復讐が叶うと思われるが訴えない。
映像ソフト
脚注
- ^ 『週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
- ^ ザ・オーディション - ぴあエンタメ情報
- ^ a b c d e ザ・オーディション - Tristone Entertainment Inc.
- ^ a b c 「雑談えいが情報」『映画情報』第49巻第11号、国際情報社、1984年11月1日、72 - 73頁、(NDLJP):2343809/72。
- ^ a b c d 石山真一郎 (1984年11月12日). “いま 『ザ・オーディション』で初主演 芝居づく世良公則 それでもボクは音楽屋 ロックへの情熱に童顔染めて…”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 21
- ^ a b c d e f g h 大越雅男・土田勝実・矢原秀人「どこか狂っちゃいませんか? 少女隊30億円、工藤夕貴30億円、セイントフォー40億円… アイドル誕生カネまみれ狂騒曲」『週刊現代』1984年9月29日号、講談社、198–201頁。
- ^ 渡邉裕二 (2017年6月13日). “40億円デビューも“前代未聞”のトラブルで解散した「セイントフォー」 2年5カ月で空中分解 あのタレントの引退・独立ウラ事情”. 夕刊フジ (産経新聞社) 2022年8月5日閲覧。
- ^ 黄金の「アイドルグループ」を総直撃<鈴木幸恵(セイントフォー)>総額40億円の売り出しも2年で空中分解
- ^ a b 岩間沙織「悲劇的アイドルグループ」セイントフォーの初代リーダー【アイドルグループ「最年長メンバー」列伝vo.9】
- ^ a b c ザ・オーディション - 映画 - WEBザテレビジョン
- ^ a b 石田伸也「続闇に葬られた放送禁止映像~驚天動地の35作~」『アサヒ芸能』2013年5月16日号、徳間書店、14頁。
- ^ 「邦画ニュース」『シティロード』1984年10月号、エコー企画、30頁。
- ^ ザ・オーディション - 国立映画アーカイブ
- ^ a b 第12章 女優修業 - 由美子へ・取材ノート 宝塚プレシャス+ 宝塚コラム - 朝日新聞デジタル
- ^ “ブレイクダンス、路上から五輪へ 源流はNY”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2019年2月28日). 2022年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月5日閲覧。
- ^ 「邦画封切情報ザ・オーディション(東宝東和)」『シティロード』1984年12月号、エコー企画、24頁。
- ^ 黄金の「アイドルグループ」を総直撃<鈴木幸恵(セイントフォー)>総額40億円の売り出しも2年で空中分解
- ^ a b 比嘉健二「消された昭和の日本映画 この25本を見よ!【特集3】 鈴木義昭vs.藤木TDC 埋もれた映画を語る」『実話裏歴史スペシャルvol.28』2015年5月20日、ミリオン出版、42-45頁、ISBN (9784813072348)。