毎日放送のアナウンサー一覧(まいにちほうそうのアナウンサーいちらん)は、毎日放送総合編成局のアナウンスセンターに所属するアナウンサーおよび、過去に同局でアナウンサーとして活動した人物の一覧である。
現職アナウンサー
入社年順に表記。下記の「シニアスタッフ」とは、毎日放送グループの定年(60歳)に達するまでアナウンサーとして正社員扱いで勤務した後に、定年の翌月以降も1年更新制(最長で5年間)の専属契約を結んだうえで、放送などの対外活動に「毎日放送(MBS)アナウンサー」の肩書を引き続き使用している総合編成局アナウンスセンター所属の嘱託社員を指す。
男性
- 1981年 赤木誠(2018年10月31日の定年後も2023年10月31日までの予定で「シニアスタッフ」として在職)
- 1985年 森本栄浩(2021年10月31日の定年後も「シニアスタッフ」として在職)
- 1989年 馬野雅行(2019年6月から2022年6月までアナウンス部長→アナウンスセンター長を歴任)、来栖正之
- 1991年 亀井希生
- 1992年 上泉雄一(アナウンサー室企画担当部長)
- 1994年 西靖(2021年4月から2022年7月までは、アナウンス職のまま、木曜日に『よんチャンTV』内の「4chanニュース」で「解説委員」としてニュース解説を担当。2021年6月3日から育児休業制度を4ヶ月間活用した。復職後は、2022年4月から相愛大学共通教育センターの客員教授、同年7月から毎日放送のアナウンスセンター長を兼務)
- 1997年 近藤亨(アナウンサー室デスク)
- 1999年 河田直也(アナウンス部次長)
- 2000年 上田崇順
- 2001年 山中真
- 2003年 井上雅雄
- 2007年 河本光正
- 2008年 大吉洋平
- 2009年 金山泉(中京テレビから移籍)
- 2011年 福島暢啓(一般職で採用後にアナウンサー室へ配属)
- 2018年 三ツ廣政輝
- 2020年 川地洋平
- 2021年 大村浩士、中野広大
女性
- 1987年 関岡香(一般職で採用後にアナウンサー室へ配属。2017年6月から、アナウンス部長を2年間務めた。2019年6月にチーフアナウンサーへ移行してからは、大阪芸術大学放送学科の非常勤講師を兼務)
- 1992年 武川智美(アナウンサー室デスク)
- 1993年 古川圭子(アナウンサー室マネジャー、夫は同僚でもある亀井希生)、松井愛
- 1999年 松川浩子
- 2000年 上田悦子(アナウンサー室デスク)、西村麻子(一般職で採用後にアナウンサー室へ配属)
- 2005年 松本麻衣子(夫は元Jリーガーの鈴木悟)
- 2015年 玉巻映美(2023年3月6日から産前産後休暇を取得中)、藤林温子(2022年3月末から3ヶ月にわたって休職した後に、アナウンス職での復帰を経て、2023年5月からアナウンサー室の主事に着任)
- 2018年 辻沙穂里(読売ジャイアンツ→阪神タイガース内野手の山本泰寛と2020年の秋に結婚)
- 2019年 清水麻椰、野嶋紗己子
- 2020年 山崎香佳(実姉は大分放送アナウンサー→熊本朝日放送記者兼アナウンサーの山崎唯衣)
- 2021年 前田春香(発声の不調に伴う喉の治療へ専念する目的で、2023年5月9日から長期休養中)[1]
- 2022年 海渡未来
元アナウンサー
◎:新日本放送の開局を機に第1期アナウンサーとして1951年に入社
○:アナウンサー室長・アナウンスセンター長を歴任
▲:在職中にスポーツアナウンサーとして活動[2]
■:TTB所属の契約アナウンサーとして在職
●:アナウンサーとして入社後にアナウンサー室(アナウンスセンター)以外の部署へ異動[3]
- 異動先の部署については、特記のない限り、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)以前の名称で記載。
男性
- 青木和雄(1968年:2005年に定年退職後、毎日放送専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身)
- 青木克博(1957年)
- 池口和雄●(1970年:後に報道局長や関連会社・GAORAの常勤監査役などを歴任。現在は堺市情報公開審査会会長)
- 板倉俊彦▲(1968年:2006年の定年退職後に、社団法人デジタルラジオ推進協会大阪事務所事務局長を歴任)
- 伊藤広▲(2006年:2008年7月から東京支社ラジオ営業部員を経て、本社テレビ制作部のディレクターとして『ちちんぷいぷい』『ミント!』などの番組を担当)
- 伊東正治▲●(1974年:アナウンサー時代の1989年4月から3年間、BBCの日本語放送へ出向した後にラジオ制作部へ異動。2011年の定年後は、嘱託契約のシニアスタッフを経て、フリーのプロデューサー・パーソナリティとして2021年4月3日までMBSラジオの番組へ出演していた)
- 井上光央▲(1955年:1994年定年退職。現在は講演活動を中心に活動)
- 今野秀隆●(1986年:異動後にテレビ制作局でプロデューサーなどを歴任)
- 岩佐一穂(1952年)
- 岩崎光平●(1958年:異動後にBBCの日本語放送へ出向)
- 岩崎宏●(1964年:異動後は、毎日放送ニューヨーク支局・JNNマニラ支局の支局長を歴任したほか、「1万人の第九」や劇団四季の大阪公演などに参画。定年退職後は映画「0からの風」の上映実行委員長を務めるかたわら、同作品に出演)[4]
- 宇多光雄●(1955年:報道局へ異動後に、毎日放送ニューヨーク支局へ赴任)
- 海野春樹◎
- 海野光雄●(1953年)
- 宇野省也(1952年)
- 梅沢二三男◎▲(1952年にMBSラジオ初の競馬中継である「日本ダービー中継」で実況を担当)
- 江本三千年◎(1953年の日本テレビ開局を機に同局へ移籍)
- 太田亀雄(1956年)
- 太田兼三郎●(1960年)
- 大月勇●(1996年:2010年7月からラジオ営業部、2017年7月からラジオ局制作センターへ異動。ラジオ営業部員時代から、「ビッグムーン大月」という名義で、MBSテレビ・ラジオの通信販売番組・コーナーへ随時出演)
- 大八木友之●▲(1997年:2009年から報道局ニュースセンターの記者→デスク→大阪府政キャップ、2005年10月から2014年3月までMBSテレビ『VOICE』のメインキャスター、2017年10月から2021年3月まで(JNNパリ支局長)、2021年4月以降は報道情報局ニュースセンターのデスクを歴任)
- 緒方憲吾▲●(1969年:2007年に定年退職後は、フリーアナウンサーとして活動)
- 春日貴▲(1970年:現在はミリカスポーツ振興社長)
- 柏木宏之(1983年:本名は「柏木宏」で、「柏木宏之」は正社員として入社当初からのマイクネーム。正社員として2018年2月28日に60歳の定年を迎えてからも、「シニアスタッフ」のアナウンサーとして5年間勤務していた。正社員時代に職務と並行しながら奈良大学で文化財歴史学の学芸員資格を取得したことから、「シニアスタッフ」としての嘱託契約期間の満了によって2023年2月28日付で退社したことを機に、「歴史ナビゲーター」との肩書を掲げながらフリーアナウンサーとして活動)
- 加藤康裕○●(1988年:2011年7月から2017年6月までは、アナウンスセンター長を兼務。2017年7月から2018年6月まで事業局でコマース事業部長を務めた後に、2018年7月からアナウンサー室へ復帰したが、2019年4月で早期定年退職。退職後の2020年にティプラムアナウンススクールを設立するとともに、報道局の気象情報業務を担う南気象予報士事務所へ所属)
- 金指誠▲●(1982年:2000年に異動した後に、ラジオ局制作部でディレクターやプロデューサーを歴任)
- 金子勝彦▲(1958年:1964年の東京12チャンネル開局を機に同局へ移籍。1994年の定年退職後はフリーのスポーツアナウンサー)
- 鎌田正明●(1980年:1985年に記者として報道局へ異動したが、実母の介護を理由に2006年退職した。退職後は、体験取材に基づく著述活動を主に展開。2015年以降は、「中沢彰吾」という名義で活動している)
- 香西正重▲(1954年:NHKから移籍)
- 河相誠一郎◎
- 小池清▲○●(1954年:1984年の異動後に秘書室長・報道局解説委員長・社長室長、1993年の定年退職後にMBS企画代表取締役社長などを歴任。その後は2011年まで、フリーアナウンサーとしてMBSテレビ『ちちんぷいぷい』のナレーターを務めた。アナログ停波の挨拶を勤めた翌年の2012年に死去)
- 小林正史●(1953年:退職後は作詞家・大阪芸術大学芸術学部放送学科教授)
- 小林昌彦(1959年)
- 子守康範(1985年:1999年の退職直後に、映像制作会社の アンテリジャン を設立。退社後は、同社の代表取締役社長を務めながら、フリーアナウンサーとして2008年3月から2021年10月までMBSラジオの『子守康範 朝からてんコモリ!』でメインパーソナリティを担当)
- 小山紀一●(1964年:異動後も『映像』などのドキュメンタリー番組でナレーターを担当)
- 近藤光史●(1971年:1992年の退職後は、タヒチでの会社経営を経て、昭和プロダクション所属のフリーアナウンサーとしてMBSラジオの『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』などでメインパーソナリティを担当)
- 斎藤市郎(1964年)
- 斎藤努▲●○(1966年:異動後にテレビ制作専任局長などを歴任したが、アナウンサー室長として一時同室へ復帰。2002年の退職後は、羽衣国際大学産業社会学部教授・副学長を経て、2012年4月から名誉教授・株式会社ウィズ代表取締役社長)
- 阪本時彦○(1965年:2002年の定年退職を機に、J:COM 吹田の営業部長へ転身。フリーアナウンサーとしても活動していたが、2020年に死去)
- 城野昭▲●(1973年:テレビ西日本から移籍。2004年の定年退職後も、2010年までGAORA専属のスポーツアナウンサーとして活動)
- 繁村純孝◎(大阪テレビ放送第1期のアナウンサー8人の内の1人として出向した後に、毎日放送へ復帰)
- 鈴木健太●(2007年:2017年7月から東京支社のPR部を経て、同支社のコンテンツビジネス部へ異動)
- 角淳一(1968年:2004年の定年退職後は、毎日放送専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身。『ちちんぷいぷい』初代パーソナリティで、勇退後も2019年3月までMBSテレビ・ラジオの番組にレギュラー出演)
- 杉本隆平◎▲(MBSラジオで野球中継の初代実況や『近鉄パールクイズ』の司会などを担当した後に、フリーアナウンサーへ転身)
- 仙田和吉▲(2001年:RFラジオ日本から移籍。同局時代に続いて、競馬・野球中継を中心に、スポーツアナウンサーとして活躍した。競馬中継では民放局のアナウンサーで数少ない10場全場での実況も経験していたが、テレビ・ラジオ兼営体制での最終日に当たる2021年3月31日付で早期退職)[5]
- 高井智彦●(1962年:アナウンサー時代にはMBSテレビ『大阪株式市況』のキャスターなどを務めたほか、『皇室アルバム』で長年にわたってナレーターを担当)
- 高木(佐々木)良三▲●(1954年:MBSテレビ・ラジオで競馬中継レギュラー放送の初代実況を担当)
- 高梨欣也○(1958年:在職中に毎日放送ニューヨーク支局へ2年間赴任。1997年の定年後は、2年間の嘱託契約を経て、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授に就任)
- 高村昭(1958年:在職中にNETテレビ系列全国ネットのテレビ番組『ランデブークイズ・ペアでハッスル』の司会を務めたほか、1982年10月から3年間BBCの日本語放送へ出向。定年退職後は、アナウンスアカデミー大阪や早稲田セミナー梅田校・京都校の講師に転身)
- 多仁治(1952年)
- 田丸一男(1991年:NHKからスポーツアナウンサーとして移籍したが、『VOICE』の放送開始を機にニュースナレーターへ転じたほか、災害報道体制の構築、アナウンサー室主催の朗読イベント、ガン検診の受診啓発活動などに尽力した。アナウンサー室のマネジャーを経て、2020年9月に定年退職。退職後は、フリーランスのナレーターを経て、2021年4月からオフィスキイワードへ所属)
- 千葉猛(1990年:1996年7月からラジオ報道部やテレビ制作部へ異動した後に、2005年4月からアナウンサー室へ復帰。復帰後は、ラジオ報道部制作の番組で数々の表彰を受けるかたわら、「日本の放送局の現役アナウンサーでは最も多い」とされる60以上の資格・免許を取得していた。2020年8月からは、報道局クロスメディア部でインターネット向けのニュース関連の業務に従事しながら、アナウンサー時代からパーソナリティを務めている『ネットワーク1・17』に翌9月まで出演)
- 鶴本康彦●(1986年:後に報道局やコンプライアンス室[6] へ異動。現在は東京支社制作室の番組アドバイザーとして、『情熱大陸』『日曜日の初耳学』などを担当)
- 長井展光●(1983年:1987年に記者として報道局へ異動後に、マニラ支局長・メディア開発局専任部長を経て役員室へ勤務。経営戦略室エグゼクティブを兼務した後に、2019年4月の定年を経て、「シニアスタッフ」として役員室→経営戦略局に勤務)
- 中谷常善●(1952年)
- 中西安●(1955年:後にラジオ局や報道局へ異動。MBSラジオ『MBSイブニングレーダー』でニュースキャスターを担当)
- 二木正之●(1957年)
- 野村啓司○(1971年:2008年の定年退職後は、専属パーソナリティを経て、2013年10月からフリーアナウンサーへ転身。専属パーソナリティ時代から、MBSラジオで複数の冠番組を担当)
- 馬場雅夫(1956年:1958年のNETテレビ→テレビ朝日設立を機に同局へ移籍)
- 蜂谷薫▲(1969年:2005年に定年退職。現在は競艇中継の実況を担当)
- 平松邦夫▲●(1971年:異動後に毎日放送ニューヨーク支局長などを歴任したが、2007年大阪市長選挙への出馬を機に退職。同選挙で当選後に、2011年まで第18代大阪市長)
- 広瀬允昭●▲(1961年)
- 福本晋悟(2011年:東海ラジオから移籍した後に、主に災害・防災関連の報道へ従事。アナウンサー時代の2017年4月から阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターの特別研究調査員、2022年4月から神戸学院大学現代社会学部の非常勤講師を兼務しているほか、災害報道の研究で社会安全学修士の学位や数々の表彰を受けている。2022年7月1日付で、総合編成局内のアナウンスセンターからマーケティング・PR部に異動)
- 藤本永治○(1954年:1993年の定年退職後も、2018年に永眠するまで、MBSラジオの番組へゲストで随時出演)
- 古瀬賢徳◎○(NHKから移籍。退職後に仏門へ入るとともに、「古瀬日宇」という名で妙満寺第302世貫首などを歴任)[7]
- 本荘貫一◎
- 前田治郎●(1960年:商社からの中途採用で入社した後に、プロデューサー職への異動を経て、1963年2月から毎日放送ニューヨーク支局に特派員として赴任した。赴任中の同年11月に、日本初のテレビ衛星中継映像へのナレーションを通じてケネディ大統領暗殺事件をリポート。国際室長を最後に退職してから、神戸学院女子短期大学の教授を務めた)
- 増田一樹●(1978年:1995年に異動したが、2003年から2008年までデスク専任で再びアナウンス室に在籍。現在はコンプライアンス室に勤務)
- 松田武晴◎
- 松井昭憲●(1970年:1992年に広報部へ異動したが、後にアナウンス室へ復帰。2006年の定年退職後も、2009年7月まで、MBSラジオの専属パーソナリティとして月 - 木曜日昼帯の『MBSニュース』のキャスターを担当)
- 三澤肇●(1994年:『VOICE』の初代メインキャスターで、2002年に報道局へ異動後、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしてTBSへ出向。毎日放送への復帰後は、報道局大阪府庁キャップ・JNNベルリン支局長・報道局ニュースセンターのデスクを経て、2016年4月から東京支社駐在の解説委員として『ちちんぷいぷい』『ミント!』『よんチャンTV』でニュース解説を担当)
- 水谷勝海▲●(1966年:在職中に一時スポーツ局へ異動。2003年の定年退職を機に、GAORAのチーフアナウンサーとして実況に復帰した。現在は毎日文化センター梅田校講師)
- 美藤啓文(1980年:2016年9月30日の定年後も、嘱託扱いの「シニアスタッフ」として、2021年9月30日までラジオ制作センターに在籍しながら競馬・選抜高等学校野球大会中継の実況を担当)
- 皆川資雄◎(新日本放送のラジオ本放送開始後最初のニュースを担当)
- 宮川恭一●(1964年)
- 三宅定雄▲(1961年:1986年の退職後も、飲食店の経営を経て、フリーアナウンサーとしてプロ野球・競艇の実況を一時担当)
- 三好俊行●(1973年:2009年に定年退職)
- 森本尚太(2015年:アナウンサー時代の2022年4月に、日本将棋連盟関西本部所属の女流棋士・室田伊緒と結婚。同年8月1日付で報道情報局の記者職へ異動する旨の打診を受けていたが、同月から有給休暇を消化したうえで、司法試験の受験を目標に翌9月16日付で退社)
- 森本宏(1954年)
- 矢部貢(1952年)
- 山本善一●(1964年)
- 山根曻◎
- 結城哲郎▲○●(1974年:スポーツアナウンサーとして2011年からGAORAへ出向。2017年3月の定年退職後もフリーアナウンサーとして活動)
- 吉岡喜久男◎
- 吉弘七郎◎
- 渡邊清◎
女性
- 明石光子(1953年)
- 阿部洋子(1965年:現姓・志風)
- 新井洋子◎(現姓:紺野)
- 安良淑(1955年)
- 石黒静(1969年)
- 石田敦子●(1990年:2003年から東京支社テレビ編成部で同支社制作・TBS系全国ネットのテレビ番組のプロデュース・編成業務へ携わった後に、2017年の人事異動で東京支社報道部の記者へ転身。ただし、アナウンサー職からの異動後も、不定期でドキュメンタリー番組のナレーターを担当している。2017年10月から2019年3月まで、アナウンサー時代にリポーターやアシスタントを務めた『ちちんぷいぷい』へ再びレギュラー出演)
- 石田美紀(1958年)
- 市毛毬子■(1970年:MBSテレビ『アップダウンクイズ』の3代目出題者)
- 伊藤かをる◎(現姓:佐伯)
- 伊藤美代子(1966年)
- 井上知津子(1962年)
- 岩城潤子●(1988年:2000年に異動。2020年6月からアナウンサー室長を務める(小林亮)とアナウンサー時代に結婚)
- 長田淑子(1957年:『アップダウンクイズ』の2代目出題者)
- 小野陶子(2001年:2006年に退職)
- 北澤咲弥花(1997年:2000年の退職後に医師へ転身。転身後の2019年に、毎日放送が主催する「ちゃやまちキャンサーフォーラム」のトークセッションに出演した)
- 岡田美智子(1954年)
- 岡本郁代(1952年)
- 岡本純江●(1962年)
- 川上小夜子(1968年)
- 北島英子●(1958年)
- 倉沢雅子■(1970年)
- 河本俊美■(1980年:美藤啓文の妻で、契約満了後はフリーアナウンサーとしてセイに所属。現在は契約扱いでFM802報道センターのアナウンサー)[8]
- 小林優子(1961年:元フジテレビアナウンサー・小林大輔の妻)
- 小堀豊子●(1964年:2001年の定年退職後は、2012年3月まで大阪芸術大学芸術学部放送学科で教授を歴任)
- 紺野馨代(1958年)
- 斎藤裕美●(2008年:2013年7月からラジオ営業部へ異動した後に退社。ただし、異動後もMBSラジオのスポットCMの一部でアナウンスを担当していた。退社後はフリーアナウンサーとして活動。実妹は朝日放送テレビアナウンサーの斎藤真美で、自身のフリー転身後に、真美がメインキャスターを務める『おはようコールABC』でニュースキャスターとしてレギュラーで共演していた)
- 坂本登志子◎(新日本放送ラジオ本放送第一声のアナウンスを担当。1980年の定年退職後は、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授を歴任)
- 坂元毬子(1956年)
- 桜井良子
- 佐々木美絵■(1971年:後に正社員として採用。斎藤努との結婚・退職後は、フリーアナウンサーとして昭和プロダクションに所属するとともに、2012年から羽衣国際大学の教授へ就任)
- 佐藤昌子(1960年)
- 佐藤良子■(1973年:MBSラジオ『MBSヤングタウン』で長年にわたって谷村新司・ばんばひろふみのパートナーを担当。1983年に契約期間を満了してからは、2013年4月から1年間『嘉門達夫のどんなんやねん!』にアシスタントとして出演していた)
- 塩川美枝(1956年)
- 塩田信子(1952年)
- 鈴木佳代子(1966年)
- 鈴木延枝(1958年)
- 高井美紀(1990年:在職中は『MBSナウ』『VOICE』のキャスター、『皇室アルバム』のナレーター、全国ネットで放送された『知っとこ!』のアシスタント、『住人十色』のナビゲーターを長らく務めていた。アナウンサー室の副部長を経て、総合編成局のアナウンスセンターにチーフアナウンサーとして在籍中の2023年1月25日に55歳で急逝)
- 田井員子(1960年)
- 高橋明子(1964年)
- 田中美紀■(1971年)
- 津田英子■(1970年)
- 鶴見寿子(1962年)
- 豊崎由里絵(2013年:在職中は『ちちんぷいぷい』『痛快!明石家電視台』『プレバト!!』でアシスタントを担当。2017年の結婚・2019年1月の第1子出産を経て、2019年4月から半年間『ミント!』の初代アシスタントを務めた。2019年10月の退社を経て、2020年2月からアミューズに所属。育児や第2子出産の準備と並行しながら、フリーアナウンサーとして2021年3月まで『ミント!』のナレーターを担当した後に、第2子出産後の2022年12月から2023年3月までMBSラジオの『PEACE with Love』に出演していた)
- 永井玲子(1968年)
- 中村摩耶子●(1956年)
- 中村香奈●(1997年:毎日放送アナウンサーで唯一、在職中に気象予報士の資格を取得。2005年の異動・退社を経てフリーアナウンサーに転身)
- 二木洋子(1957年)
- 野沢秋子(1958年)
- 服部光代■(1970年)
- 平山真理■(1983年)
- 古沢久美子■(1977年:テレビ熊本アナウンサーから転身。契約満了後はフリーアナウンサーとして活動するかたわら、アドバンス朗読教室で講師を担当)[9]
- 前田阿希子(2006年:ドバイへの移住を兼ねた結婚を機に2017年9月で退職)
- 三上智恵(1987年:1995年の琉球朝日放送開局を機に同局へ移籍。2014年3月に退社するまで、報道部でアナウンサーとディレクターを兼務した。現在は映画監督)
- 水野晶子■(1981年:1991年4月から正社員に採用された後に、2018年12月31日付の定年退職までアナウンサーとして勤務。退職後も、フリーアナウンサーとしてMBSラジオの番組へ引き続き出演)
- 宮川ヒロミ(退職後の1970年代後半からフリーアナウンサーとして、日本テレビ・読売テレビ『THEワイド』などのリポーターを担当)
- 村上多美子(1959年)
- 森口かすみ■(1983年:読売テレビアナウンサー・牧野誠三との結婚を機に1986年退職)
- 茂木栗子■(1983年:JNNマニラ支局へ特派員として出向していた毎日放送記者との結婚を機に1991年退職)
- 八木早希(2001年:2011年4月からフリーアナウンサーに転身。2014年3月まで三桂に所属した後に独立)
- 八島洋子(1984年:中部日本放送から移籍。『MBSヤングタウン』で共演したCHAGE and ASKA・飛鳥涼との結婚を機に退職)
- 柳原百代(1961年:現姓・水谷。娘は文化放送アナウンサーの水谷加奈)
- 山岸幸子(1959年)
- 山添洋子
- 吉竹史(2007年:2014年1月で退社した後に、セント・フォース所属のフリーアナウンサーへ転身)
- 吉田智子(1965年:2002年の定年退職後に個人事務所「吉田智子事務所」を設立。フリーアナウンサーとして朗読などで活動するかたわら、大阪芸術大学短期大学部広報学科の教授に就任、2009年死去)
- 吉田彌生(1958年)
関連人物
アナウンサー室長
備考
ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)までは、ラジオ制作センター所属(当時)の「シニアスタッフ」であった美藤啓文を除く現職アナウンサー全員がアナウンサー室に所属。分社化後もアナウンサー関連の部署は毎日放送に残ったものの、同日付の組織改編を機に、新設の「総合編成局」へ組み込まれた[11](改編後の部署名は「総合編成局アナウンスセンター」)[12]。その一方で、同日以降に「株式会社MBSラジオ」が制作・放送する番組にも「MBSアナウンサー」として出演[注 1]。
脚注
注釈
出典
- ^ “MBS前田春香アナ、のどの不調でアナウンス業休業「治療に専念」インスタで報告”. 日刊スポーツ. (2023年5月17日)2023年5月18日閲覧。
- ^ MBSラジオ『サンデー競馬中継 みんなの競馬』MBS競馬ヒストリー などを参照
- ^ 毎日放送編・著『まるのまんな あどりぶランド』(シンコーミュージック、1987年)に掲載の「開局以来のアナウンサー名鑑」などを参照
- ^ 「西宮流」Who's Who 「0からの風」上映実行委員長 岩崎宏さん
- ^ “仙田アナ、お疲れ様でした”. 東海ラジオ放送「直球勝負!大澤広樹」 (2021年3月28日). 2021年3月31日閲覧。
- ^ 2013年3月6・13日放送『カンニング竹山のゼニウスの夜』出演時に紹介。
- ^ 古瀬日宇氏死去 宗総本山妙満寺第302世貫首(共同通信2003年9月5日付配信記事)
- ^ 株式会社セイ 河本俊美
- ^ アドバンス朗読教室講師 フリーアナウンサー・古沢久美子
- ^ 役員の改選に関するお知らせ - 株式会社MBSメディアホールディングス・株式会社毎日放送
- ^ a b 2021年4月1日付の新体制に関するお知らせ(MBSホールディングス・毎日放送2021年1月28日付プレスリリース)
- ^ 福本晋悟アナウンサーが「特別調査研究員」として所属している阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター公式サイトでの福本のプロフィールを参照。
外部リンク
- MBS毎日放送 | MBSアナウンサープロフィール一覧