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有吉道夫

有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - 2022年9月27日)は、将棋棋士、九段。2010年、引退。大山康晴十五世名人門下。(棋士番号)は66。岡山県備前市出身。

 有吉道夫 九段
名前 有吉道夫
生年月日 (1935-07-27) 1935年7月27日
没年月日 (2022-09-27) 2022年9月27日(87歳没)
プロ入り年月日 1955年5月15日(19歳)
引退年月日 2010年5月24日(74歳)
棋士番号 66
出身地 岡山県備前市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 大山康晴十五世名人
弟子 坪内利幸有森浩三鹿野圭生山田朱未林まゆみ
段位 九段
棋士DB 有吉道夫
戦績
(タイトル)獲得合計 1期
(一般棋戦)優勝回数 9回
通算成績 1088勝1002敗(0.5206)
竜王戦最高クラス 1組(6期)
順位戦最高クラス A級(21期)
2022年9月28日現在
(テンプレートを表示)

棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝9回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現。

現役55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。過去に7人しかいない『六十歳代A級棋士』の一人でもあった[注 1]順位戦A級在籍21期。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で[1][注 2]、共に関西棋界を長年にわたって牽引した。

棋歴

将棋に熱中したきっかけは、「矢倉囲いの美しさに感動したから」だという[1]

年齢差が12歳ほどしかない大山の一番弟子で、1951年に15歳で入門してからの奨励会の4年間、大山のもとで内弟子生活を送る。

1955年、19歳でプロ入り。

初参加から2期目の第11期(1956年度)C級2組順位戦で、10勝2敗で1位となり、C級1組へ昇級。さらに、翌年も同じく10勝2敗で1位となり、2年連続昇級でB級2組へ上がる。

1957年度、難関・王将リーグ(第7期)に、初めて入る。第12期(1962年度)には、二上達也加藤一二三升田幸三山田道美らを破り6勝1敗で1位タイとなるが、プレーオフで二上に敗れ、挑戦権を逸する(一方の二上は、その勢いに乗ったまま大山から王将位を奪取する)。

第14期(1959年度)B級2組で9勝3敗の2位とし、B級1組へ昇級。第19期(1964年度)B級1組順位戦で10勝4敗の2位の成績を収め、1965年4月1日をもってA級八段となる。

1966年、第7期王位戦の王位リーグを抜け、挑戦者決定戦で山田に勝ち、タイトル初挑戦。師匠の大山との初のタイトル戦でもある。七番勝負の結果は1勝4敗で敗退。

第11回(1966年度)高松宮賞争奪選手権戦の決勝三番勝負で加藤一二三を2勝1敗で破り、同棋戦の最後の優勝者となる。

第7回(1967年度)最強者決定戦の準決勝で前回優勝者の内藤國雄を破るが、決勝三番勝負で山田に敗れる。

第9期(1968年度)王位戦で、大山に2度目の挑戦(2勝4敗で敗退)。また、第23期(1968年度)A級順位戦で8勝2敗で優勝し、ついに、名人戦七番勝負(第28期名人戦)の舞台で大山名人と戦う。3勝2敗として大山を追い詰めるが、そこから2連敗で惜敗。

第17回(1969年度)王座戦で決勝三番勝負に進出。中原誠に1勝2敗で敗れる。同年、第9回最強者決定戦の決勝三番勝負では大友昇を2勝0敗で破り、優勝。

第21期(1971年度)王将リーグで、内藤、升田、二上らに勝ち、5勝2敗の1位タイ。プレーオフで中原を破り、王将戦七番勝負に初登場。大山王将に3勝4敗で敗退。これ以降、大山とのタイトル戦での対決はなく、師匠の壁を打ち破ることはできなかった。

第12回(1972年度)最強者決定戦で、決勝三番勝負で原田泰夫を2勝1敗で破り、同棋戦で2度目の優勝。

第21期(1972年度後期)棋聖戦 で中原棋聖(名人・十段と合わせ、三冠王)に挑戦。五番勝負では2連敗の後に3連勝し、タイトル奪取1973年2月5日)。初タイトル獲得時の37歳は当時の高齢記録[注 3]。師匠の大山も多数回のタイトル獲得歴があり、師弟ともにタイトル獲得歴を有するのは史上初[注 4]。師弟が同時期にタイトル保持者であった唯一の例[注 5][注 6]。しかし、翌期は米長邦雄に棋聖のタイトルを奪われてしまう(一方の米長は、これが初のタイトル獲得であった)。結果的に、これが棋士人生で唯一のタイトル獲得歴となった。

第13期(1974年度)から第17期(1978年度)まで、トッププロが名を連ねる十段リーグに連続在籍。

第25期(1975年度)王将リーグで、大山、二上らに勝ち、5勝2敗の1位タイ。プレーオフで大山に勝ち、中原王将に挑戦するが、七番勝負は1勝4敗で敗退。また、第27期(1977年度)王将リーグでは、米長邦雄、加藤一二三らに勝ち、6勝1敗で挑戦権を得るが、中原王将に2勝4敗で、またも敗退。第32期(1978年度前期)棋聖戦でも中原棋聖に挑戦し、五番勝負は0勝3敗で敗退。これが有吉の、最後のタイトル戦登場となった。

第3回(1976年度)名将戦の決勝で大山を2勝0敗で破り、優勝。同棋戦では、第6回(1979年度)でも大山と決勝を戦い、そのときは0勝2敗で敗れている。

1978年度、テレビ棋戦の第12回早指し将棋選手権で優勝(準決勝の相手は中原、決勝の相手は大山)。1980年度には、同じくテレビ棋戦の第30回NHK杯戦で優勝(決勝の相手は中原)。

1984年、49歳にして史上初の公式戦20連勝の記録を樹立[注 7]。同時期に、第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦で歴代1位タイ(当時)の11人抜きを達成(5人抜き以上は優勝扱い)。また、第43期(1984年度)B級1組順位戦で9勝3敗で1位となり、A級に復帰。

第36期(1986年度)王将戦の二次予選決勝で大山を破り、王将リーグ入り。

第21回(1987年度)早指し将棋選手権で、52歳にして2度目の優勝。破った相手は、二上、中原、中村修(準決勝)、森下卓(決勝)ら。

第48期(1989年度)B級1組順位戦で10勝2敗で1位となり、55歳にしてA級に2度目の復帰。以降、61歳までA級に在位した。なお、この間(1992年度のリーグ戦の途中)に大山が逝去し、有吉に不戦勝が記録されている。

第12回(1991年度)JT将棋日本シリーズで決勝進出。羽生善治に敗れ、準優勝。

引退間際の戦い

2003年度(第62期)C級1組順位戦で2勝8敗、2004年度には1勝9敗の成績で2期連続の降級点を取り、C級2組へ降級。2005年度(第64期)C級2組でも1勝9敗で降級点を取った。ところが、2006年度(第65期)C級2組順位戦では一転して7勝3敗の成績を収め、順位戦勝ち越しの最高齢記録(71歳)を樹立した。しかし、2007年度には10戦全敗で降級点が累積2点となり引退の危機となった(通常はC級2組から陥落すると(フリークラス)の棋士になるが、有吉の年齢がすでにフリークラスの定年を超えていたため)。

そして迎えた2008年度の第67期順位戦C級2組最終局(2009年3月10日)は、負ければ3勝7敗で降級点累積3点となり、規定により(引退)の可能性大という戦いとなった[注 8]。一方、有吉の対局相手は、自身が勝てば昇級という新鋭の高崎一生であったため、この一番は大いに注目され、対局場所の(関西将棋会館)には数多くの報道陣が集まった。結果は有吉の勝ち。対局後のインタビューでは「将棋そのものが好きだし、面白い」と、現役続行の意欲を語った。有吉の将棋への情熱に対し、谷川浩司は「棋士室で若手棋士と研究会に励む姿は、これからも多くのメッセージを与える事でしょう」とコメントした。

しかし、翌2009年度(第68期)のC級2組順位戦では序盤から苦戦が続き、9回戦の松本佳介との対局に破れて、最終局を待たずにC級2組からの降級及び引退が決まった(最終成績は2勝8敗)[2]日本将棋連盟による当初の発表では、引退の日付は2010年3月31日とされていたが、2010年2月23日、NHK杯戦予選を3連勝で通過し、本戦出場。これを受けて、2日後の2月25日、連盟は引退規定の変更を発表し、最終対局日(テレビ棋戦の場合は放映日)まで引退そのものも延長することとした((棋士 (将棋)#引退)(引退#将棋) も参照 )[3]。なお、74歳でのNHK杯本戦出場は丸田祐三の73歳を更新する史上最高齢記録となった。また、3月24日には棋王戦予選3回戦で村田智弘を破り、棋王戦でも現役を続行出来るようになった。

一方、2010年3月2日の第23期竜王戦5組昇級者決定戦・浦野真彦七段との対局で、2手続けて指す反則(二手指し)を犯して敗れた。通算999敗目となったこの敗戦の総手数は、わずか17手だった。なお、二手指しはプロの公式棋戦では、二歩に次いで2番目に多く発生している反則である[4]

2010年3月9日の第68期順位戦C級2組最終10回戦(対・村中秀史六段)が、ちょうど通算1000敗目(1086勝)となった。これは加藤一二三以来、史上2人目である(1000勝と1000敗の両方を記録した棋士としても2人目)。この記録は、現役年数が長いことだけでなく、タイトル戦などの番勝負や、王位戦、王将戦、十段戦の挑戦者決定リーグに数多く登場したことを反映している[5]

同年4月30日の竜王戦5組残留決定戦で勝ち、相手の木下浩一を6組に降級させ、自らは次期竜王戦に出場できないにもかかわらず、5組に「残留」した[注 9]。5月23日のNHK杯本戦1回戦で高橋道雄に、翌5月24日の棋王戦予選4回戦で矢倉規広に、それぞれ敗れ、引退決定時点で出場中だった全棋戦を終了した[6]。引退決定となる対局からなお10局を指し、6勝4敗と生涯勝率を上回る結果を残した。

2022年9月27日、誤嚥性肺炎のため兵庫県西宮市内の病院で死去。87歳没[7]

棋風

を堅く囲った後、一転して猛烈に攻める棋風で、「火の玉流」と言われる。矢倉戦の先手番で右のを▲4六から使う戦法は「有吉流」と言われる。対振り飛車では玉頭位取り戦法を好み、著書も出している。

人物・エピソード

  • 1974年から1989年の長きに渡って日本将棋連盟常務理事を務めた。
  • 趣味は毎日欠かさない散歩
  • 2007年の第66期順位戦C級2組2回戦で東和男七段と対戦した際に、東が先手番であるにもかかわらず後手の有吉が1手目を指してしまい、反則負けした。
  • 1993年の倉敷市大山名人記念館開設時に館長に就任。生前は名誉館長であった[8]

弟子

棋士

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
坪内利幸 1970年4月1日 八段
有森浩三 1983年3月9日 八段

(2022年4月1日現在)

女流棋士となった弟子

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
鹿野圭生 1987年4月1日 女流二段
林まゆみ 1992年4月1日 女流三段、一般棋戦優勝1回
山田朱未 2000年4月1日 女流二段

(2017年3月31日現在)

昇段履歴

  • 1951年 3級 = 奨励会入会
  • 1953年 初段
  • 1955年5月15日 四段 = プロ入り
  • 1957年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1958年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1960年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1965年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1979年4月1日 九段(九段昇格規定 30点)
  • 2010年5月24日 引退

主な成績

通算成績

  • 2090戦 1088勝1002敗 勝率 0.5206

獲得タイトル

  • 棋聖 1期(第21期-1972年度後期)
タイトル戦登場回数9、獲得1

一般棋戦優勝

優勝合計9回

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
順位戦 竜王戦
名人 A級 B級 C級 F 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組
1組 2組 1組 2組
1955 10 C217
1956 11 C207
1957 12 C111
1958 13 B212
1959 14 B204
1960 15 B112
1961 16 B105
1962 17 B102
1963 18 B105
1964 19 B107
1965 20 A 10
1966 21 A 07
1967 22 A 05
1968 23  A05 
1969 24 A 01
1970 25 A 02
1971 26 A 04
1972 27 A 08
1973 28 A 06
1974 29 A 05
1975 30 A 06
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 A 03
1978 37 B101
1979 38 B103
1980 39 B103
1981 40 B104
1982 41 B110
1983 42 B104
1984 43 B104
1985 44 A 09
1986 45 A 07
1987 46 A 08 1 1組
1988 47 B102 2 1組
1989 48 B104 3 1組
1990 49 A 09 4 1組
1991 50 A 08 5 1組
1992 51 A 05 6 1組
1993 52 A 07 7 2組
1994 53 A 05 8 3組
1995 54 A 08 9 3組
1996 55 B102 10 3組
1997 56 B107 11 3組
1998 57 B202 12 4組
1999 58 B210 13 4組
2000 59 B207 14 4組
2001 60 B221 15 4組
2002 61 C101 16 4組
2003 62 C107 17 4組
2004 63 C130 18 4組
2005 64 C203 19 4組
2006 65 C243 20 5組
2007 66 C210 21 5組
2008 67 C239 22 5組
2009 68 C232 23 5組
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。順位戦の X(数字) はクラス内順位。
順位戦の「F」はフリークラス (F編:フリークラス編入 / F宣:宣言による転出)
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

将棋大賞

  • 第8回(1980年度) 連勝賞
  • 第12回(1984年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・連勝賞・技能賞

記録

  • 順位戦最年長勝ち越し(C級2組、71歳)
  • NHK杯戦本戦最年長出場(74歳)

表彰

  • 1979年 現役勤続25年表彰
  • 1980年 将棋栄誉賞(通算600勝)
  • 1987年 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝)
  • 1994年 現役勤続40年表彰
  • 2001年 特別将棋栄誉賞(通算1000勝)
  • 2001年4月 備前市市民栄誉章
  • 2001年4月 倉敷市将棋文化栄誉章[9]
  • 2001年5月 岡山県文化特別顕賞
  • 2004年 現役勤続50年表彰
  • 2006年 旭日双光章[10][11]
  • 2009年11月3日 倉敷市文化章[8][12][13] - 将棋界では師匠の大山康晴(1953年)に次ぎ、2人目の受章

著作

  • 詰将棋121選』(文研出版)、1976年。 

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 有吉以外で六十歳代でA級棋士だったのは、土居市太郎塚田正夫升田幸三花村元司大山康晴加藤一二三の6人
  2. ^ ただし「有吉道夫名局集」(日本将棋連盟)では、「内藤さんは自分にとって好敵手ではあるがライバルではない」と否定的な発言をしている。
  3. ^ 2019年の王位戦で、木村一基が46歳の初タイトル獲得を記録している。
  4. ^ 師弟ともにタイトル獲得歴を有する棋士は、2020年12月時点においても5例しかない(大山と有吉の他は、大内延介塚田泰明二上達也羽生善治米長邦雄中村太地桐山清澄豊島将之)。
  5. ^ 有吉の棋聖獲得時、師匠の大山は王将のタイトルを保持していたが、2週間後の1973年2月20日に中原誠に敗れて王将のタイトルを失冠し、無冠になった。
  6. ^ 女流棋士では清水市代石橋幸緒が同時期に女流タイトルを保持していた例がある。
  7. ^ その後、塚田泰明神谷広志が、公式戦連勝記録を塗り替え、2017年には藤井聡太が14歳プロデビューから無敗29連勝の史上最多連勝記録を達成している。
  8. ^ 当期(第67期)のC級2組順位戦は、成績下位の8名(内4名は最終局前に決定していた)に降級点が付き、有吉の成績は最終局開始前の段階で下から10番目の成績となっていた。このため、有吉が負けても降級点が付くかは確定しない微妙な情勢(有吉より成績が悪く、かつ、降級点が付くことが決まっていない5名のうち2名以上が勝つと有吉は引退)であった。結果的にはこの5名全てが負けたため、有吉は仮に負けていたとしても引退は決定していなかった。
  9. ^ 有吉の引退直後の2010年7月に竜王戦の規程が変更され、この有吉のようなケースでは6組に降級しない限り2年間の現役延長が可能に、また4組に昇級した場合は5組に降級しない限り永久に竜王戦に限って現役を続行できることになった

出典

  1. ^ a b 将棋世界(日本将棋連盟)2000年1月号付録
  2. ^ “有吉道夫九段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
  3. ^ “引退規定の変更について|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
  4. ^ (将棋#反則行為)を参照
  5. ^ “有吉道夫九段 通算1000敗となる|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
  6. ^ “有吉道夫九段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
  7. ^ “元棋聖・有吉道夫九段が死去 備前市出身、87歳”. 山陽新聞社 (2022年9月28日). 2022年9月28日閲覧。
  8. ^ a b 倉敷市文化章・平成21年度贈呈式
  9. ^ “表彰制度(倉敷市将棋文化栄誉章 過去の受賞者)”. 倉敷市文化振興課. 2022年7月25日閲覧。
  10. ^ 「春の叙勲 県内から141人=兵庫」『読売新聞』2006年4月29日大阪朝刊
  11. ^ 『官報』号外104号、平成18年5月1日
  12. ^ 倉敷市文化章・これまでの受章者
  13. ^ “有吉道夫九段が「平成21年度倉敷市文化章」を受章|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 有吉道夫|棋士データベース|日本将棋連盟
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