「インスタント・カーマ」(英語: Instant Karma!)は、1970年にジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表したシングルである。レノンがこの名義として発売した作品は本曲が最後となった。B面はオノ・ヨーコ作の曲「誰が風を見た」。
「インスタント・カーマ」 | ||||||||
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プラスティック・オノ・バンド の シングル | ||||||||
初出アルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』 | ||||||||
B面 | 誰が風を見た (オノ・ヨーコ) | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | (7インチシングル) | |||||||
録音 | 1970年1月27日 EMIレコーディング・スタジオ | |||||||
ジャンル | ロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | アップル・レコード | |||||||
作詞・作曲 | ジョン・レノン | |||||||
プロデュース | フィル・スペクター | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
プラスティック・オノ・バンド シングル 年表 | ||||||||
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概要
1970年1月25日、レノンとヨーコの二人はデンマークの都市であるオールボーから帰国する。二人は新年をこの場所で過ごしたほか、ヨーコの元夫である映像作家の(アンソニー・コックス)と彼の妻であるメリンダ・ケンダール、ヨーコとコックスの間の娘に会うため、1ヶ月ほどオールボーに滞在していたという[2]。また、帰国5日前には、「新時代」を記念し、レノンとヨーコは肩まであった髪を剃り落としている[3]。
デンマーク滞在中、レノンとヨーコ、コックス、ケンダールの4人は、自分の行動の因果関係が生涯に渡ってではなく、即時に生じるという「インスタント・カーマ」いわゆる「業」を語り合っていたという[4][5]。
レノンは1980年のインタビューで「僕が思い浮かべていたのは、カルマは、瞬時に出来上がるってこと。 カルマが過去や未来の人生に影響するものだとすれば、今この瞬間にも存在しているはず。 君が今何か行動を起こせば、そのリアクションが実際に生まれる。 みんなそれについて考えなきゃいけないんだ。 だからインスタント・カーマのアイディアは、インスタント・コーヒーと似ているし 何か新しい形で表現できるじゃないかと考えたんだ。 そういうのが好きなんだ。」と語っている[6]。
帰国から2日後の1月27日、自宅で目を覚ましたレノンはその直後にアイデアを発展させ、ピアノで本曲の作曲を開始した[7][8] 。作曲は1時間程度で終了。レノンはすぐにでも本曲をレコーディングしたいと考え、レノンはジョージ・ハリスン、偶然ロンドンにいたフィル・スペクターに電話をかけた[9]。その後レノンはEMIレコーディング・スタジオを予約、午後からレコーディングを開始することとなった。
レノンは同年のインタビューで「作業部屋に行って何度も歌った。そこで『よし、やろう』と決めたんだ。そこからスタジオを予約した」と語っている[10]。
レコーディング
午後からのレコーディング時、スタジオにはハリスンの他、クラウス・フォアマン、ビリー・プレストン、アラン・ホワイトなどといった豪華な顔触れが集結した。夕方にリハーサルを終えた後、遅れてスペクターが到着。スペクターは音に厚みを出すため、シンバルの音量やピアノの音を増やすといったことを指示したという。
レノンはスペクターの「どんな感じにしたいの?」という質問に対し、「1950年代みたいな感じさ!」と注文を出したとのこと[11]。
本曲には、1950年代のサン・レコードの作品と同様のエコーが使用されている[12]。レコーディングに参加したフォアマンは「彼が(録音後に)プレイバックをオンにしたとき、それは信じられないものだった。まず、音量がとんでもなく大きい。そして、全ての楽器の音が鳴り響き、曲に動きが出ているんだ。自分が演奏した音とコントロールルームの音との違いを初めて体験し、圧倒されたんだ。そして僕はすぐにフィル・スペクターが誰なのか分かったんだ」とインタビューで語っている[13]。
作家のブルース・スパイザーによると、オーバーダビング前の編成は、レノン(ボーカル、アコースティック・ギター)、ハリスン(エレクトリック・ギター)、プレストン(オルガン)、フォアマン(ベース)、ホワイト(ドラムス)であった[14]。
その後、スペクターの特徴でもある「ウォール・オブ・サウンド」を完成させるため、レノンはピアノを[15]、ハリスンとホワイトは別のピアノを、フォアマンはエレクトリック・ピアノをオーバーダビングした[16]。その後、マル・エヴァンスがチューブラーベルを、ホワイトが籠もったドラムスをオーバーダビングした[17]。また、コーラスでスタジオ近くのバー「スピーク・イージー・クラブ」の常連客も参加している。これは、プレストンとエヴァンスがバーを訪れ[18]、客に協力して貰うよう声を掛けたとのこと。因みにコーラスの歌唱指導はハリスンが行った[14]。
レノンとスペクターはベースの音について意見が合わなかったが、レノンはスペクターの仕事を大いに喜んでいたという[19]。スペクターの伝記作家であるリチャード・ウィリアムスは「スペクターはエコーを使用し、ドラムスを大理石の板の上で誰かが濡れた魚を叩くように反響させ、声は空虚で暗く響いた」と語っている[20]。
また、スペクターはロサンゼルスのスタジオで本曲にストリングスをオーバーダビングしようとしたが、レノンはこの意見を断った[17]。
リリース
制作、レコーディング、ミキシング含め僅か1日で完成、そしておよそ10日後に発売されることとなる[21]。
ちなみにレノンは、プラスティック・オノ・バンド名義の楽曲として「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」、「ユー・ノウ・マイ・ネーム」の発売も予定していたが、計画がうやむやとなってしまい、本曲が本名義として最後の楽曲となってしまった[22]。
プロモーション
1970年2月11日、レノンとヨーコは本曲のプロモーションのため、イギリスのテレビ局 BBC で放送された音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』の撮影を行った[23]。ホワイト、フォアマン、エヴァンス、BPファロンがバックバンドとして参加、当て振りであったものの、レノンはジェフ・エメリックが準備した本曲の楽器トラックのミックスをバックに生歌唱を披露した[24]。この映像は翌日と、2月19日に放送されている[25]。
ライブ・パフォーマンス
1972年8月30日には、マディソン・スクエア・ガーデンで開催された知的障害を持つ子供のためのチャリティー・コンサート『ワン・トゥ・ワン・コンサート』にて、本曲が披露された[26]、この模様は1986年に発売されたライブ・アルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』や同名の映像作品に収録されている[26]。
クレジット
- ジョン・レノン - リード・ボーカル、アコースティック・ギター、ピアノ、バッキング・ボーカル
- ビリー・プレストン -ハモンドオルガン、バッキング・ボーカル
- クラウス・フォアマン - ベース、エレクトリックピアノ、バッキング・ボーカル
- アラン・ホワイト - ドラムス、ピアノ、バッキング・ボーカル
- ジョージ・ハリスン - エレクトリック・ギター、ピアノ、バッキング・ボーカル
- オノ・ヨーコ - バッキング・ボーカル
- マル・エヴァンズ - チューブラーベル、(ハンドクラップ)、バッキング・ボーカル
- アラン・クレイン他 - バッキング・ボーカル
- (演奏者不明) - タンバリン
チャートとレセプション
ウィークリーチャート
| 年末チャート
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収録アルバム
脚注
- ^ 45cat - Lennon / Ono With The Plastic Ono Band - Instant Karma! / Who Has Seen The Wind? - Apple - UK - APPLES 1003
- ^ Madinger & Easter, p. 33.
- ^ Woffinden, p. 39.
- ^ Rodriguez 2010, pp. 8, 21.
- ^ Urish & Bielen, pp. 15–16.
- ^ Spizer, pp. 27–28.
- ^ Browne, p. 76.
- ^ Blake, p. 97.
- ^ Rodriguez 2010, p. 21.
- ^ John Lennon to Rolling Stone, 1970
- ^ Blaney, pp. 50–51.
- ^ Urish & Bielen, p. 16.
- ^ Leng, p. 70.
- ^ a b Spizer, pp.28.
- ^ Wiliams, p. 143.
- ^ Williams p 143
- ^ a b Ribowsky p 252
- ^ Rodriguez 2010 p 21
- ^ Blaney, p. 51.
- ^ Schaffner, p. 138.
- ^ Du Noyer, p. 31.
- ^ 以後の楽曲は「ジョン・レノン&プラスティック・オノ・バンド」もしくは「ジョン・レノン」単独のクレジットでの発売となったため。
- ^ Blaney, p. 50
- ^ Schaffner, p. 137.
- ^ Rodriguez 2013, pp. 1–2.
- ^ a b Madinger, C. & Easter, M. (2000). Eight Arms to Hold You. 44.1 Productions. pp. 36, 39, 79–84. (ISBN 0-615-11724-4).
- ^ “”. poparchives.com.au. 2007年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
- ^ “”. austriancharts.at. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
- ^ “”. ultratop.be. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
- ^ “”. (Library and Archives Canada). 2013年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月13日閲覧。
- ^ “”. dutchcharts.nl. 2013年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
- ^ “”. irishcharts.ie. 2011年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月24日閲覧。
- ^ “”. homepage1.nifty.com. 2013年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
- ^ “”. Flavour of New Zealand. 2016年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。
- ^ “”. norwegiancharts.com. 2012年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
- ^ (in Swedish). hitsallertijden.nl. Archived version retrieved 15 November 2013.
- ^ a b “”. hitparade.ch. 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月11日閲覧。
- ^ “”. (Official Charts Company). 2013年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
- ^ “”. AllMusic. 2012年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
- ^ “Cash Box Top 100 4/18/70”. Cashbox Archives. 2016年6月15日閲覧。
- ^ “John Lennon: Instant Karma!”. charts.de. 2022年2月16日閲覧。
- ^ “”. (Library and Archives Canada). 2017年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月15日閲覧。
- ^ “” (オランダ語). (Single Top 100). Hung Medien. 2014年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月25日閲覧。
- ^ “”. musicoutfitters.com. 2017年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月10日閲覧。
- ^ “The Cash Box Year-End Charts: 1970”. Cashbox Archives. 2016年6月15日閲覧。
- ^ "American single certifications – Lennon, John – Instant Karma". Recording Industry Association of America. Cite webテンプレートでは
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外部リンク
- John Lennon
- Instant Karma! (We All Shine On) - Lennon/Ono with the Plastic Ono Band