TAMAらいふ21(たまらいふにじゅういち)は、1993年(平成5年)に東京多摩地域で開催された地方博覧会。多摩地域の東京都編入100周年を記念し『「多摩新時代の創造」-世界に開かれた人間都市・東京の新機軸-』をテーマに、東京都立川市の国営昭和記念公園をメイン会場として、多摩地域全域で開催されたイベントである[1]。
TAMAらいふ21 TAMA LIFE 21 | |
---|---|
イベントの種類 | 地方博覧会 |
開催時期 | 1993年4月25日 - 11月7日[1] |
会場 | 国営昭和記念公園(メイン会場) その他、東京多摩地域全域で開催[1] |
主催 | TAMAらいふ21協会[1] (東京都、多摩地域32市町村等により構成[1]) |
後援 | エフエム東京ほか |
来場者数 | 665万人[2][3] |
最寄駅 | 立川駅(国営昭和記念公園) |
直通バス | 各会場へのシャトルバスを運行 |
1893年(明治26年)4月1日、三多摩(北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡)は神奈川県から東京府へ移管された。その100年後にあたる1993年(平成5年)に「多摩東京移管100周年記念事業」として開催されたものである[1]。
開催内容
期間
名称・テーマ
- 名称:多摩新時代の創造 多摩東京移管100周年記念事業[1]、国営昭和記念公園開園10周年記念事業
- 呼称:TAMAらいふ21[1]
- テーマ:「多摩新時代の創造」-世界に開かれた人間都市・東京の新機軸-[1]
- 開催主体:TAMAらいふ21協会[1]
会場
- 多摩地域32市町村や東京都の公共施設のほか、大学や企業等の施設も活用し、多摩全域で開催された[1][5]。
- メイン会場となった立川市の国営昭和記念公園では[6][7]、7月31日 - 11月7日の100日間、核となるイベント「多摩21くらしの祭典 VOICE93」を開催。チケットは一般1000円前後と高額であった。
- 立川基地跡地の北西部(立川バス「窪方」停留所付近)には簡単な遊園地が作られた。
- 各会場へは立川バスをはじめ、多摩地域のバス事業者による臨時輸送バスが運行された。なお当時は多摩都市モノレール線の開業前である。
イベント
- 多摩21くらしの祭典
音楽
- テーマソング「風のスケッチ」松任谷由実
- オーケストラ「TAMAらいふ21管弦楽団」
- イベント終了後、元メンバーを中心に市民楽団「TAMA21交響楽団」として再結成。
- ウィンドアンサンブル「TAMAらいふ21ウィンドアンサンブル」
- イベント終了後、元メンバーを中心に市民楽団「ウィンドフィルハーモニーオーケストラ」として再結成。
TAMAらいふ21FM
会期中はイベント臨時放送局として、FMラジオ局「TAMAらいふ21FM」も設けられ[1]、TOKYO FMが全面協力した。
送信所は田無市(現:西東京市)のスカイタワー西東京に設けられていた。
同FMのDJ・ラジオパーソナリティには、後にTOKYO FMの番組『カタクリコホットライン・ゴールドラッシュ』などで活躍する内藤忠(DJ.ナイク)らがいた。
関連テレビ番組
- 『TAMAらいふ21 80大学対抗クイズ選手権』 - 日本テレビ制作(放送時期-1993年夏)
- 多摩の大学対抗のクイズイベント番組。司会は福澤朗(当時同局アナウンサー)。
- 番組の内容は、多摩地域にキャンパスを置く大学の学生らが集まり、多摩の観光スポットでクイズに挑み、大学生クイズ王「タマ王」を決定するもの。日本テレビ制作のクイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」「高校生クイズ」の規模を縮小した内容となっており、番組制作と放送の時期は「ウルトラクイズ」のレギュラー放送の最後である「第16回」(1992年制作放送)の翌年夏であった。参加者は2人1組の大学生が東京都立大学(当時は旧東京都立大学)内の予選会場(球技場・野球場グラウンド)に集められ○×クイズなどの予選会を実施し、予選通過者は2日間にわたり多摩地域の多摩市のパルテノン多摩で激走リレークイズ、町田市の薬師池公園で市の名産品早食いボードクイズなどが行われ、準決勝は日野市の高幡不動尊で僧侶に扮して早押しクイズ、決勝戦は八王子市で絶叫通過クイズが行われた。優勝は一橋大学クイズ研究会。大学のキャンパスが多数集積する多摩地域ならではの企画であった。
開催後
開催結果
1980年代には神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)を皮切りに(地方博覧会ブーム)が起こり、バブル期には首都圏でも1989年の横浜博覧会 (YES'89) が大きな成功を収めた。
その後、1990年代以降はバブル崩壊により地方博覧会ブームは収束し、協賛企業集めにも苦労することとなった。TAMAらいふ21開催の3年後の1996年(平成8年)には、東京臨海副都心で世界都市博覧会(略称「都市博」)が開催される予定であったが、計画凍結を公約に掲げて当選し東京都知事に就任した青島幸男により開催が中止されている。
TAMAらいふ21では、CMなどを積極的に打ち、末期には各家庭の郵便受けに無料券を配布までしたにもかかわらず、入場者数は低調に終わった。[要出典]
しかしこのイベントを通じて、それまで横のつながりが乏しかった多摩地域での市民団体などの交流が進み、その後の市民活動や地域振興・まちづくり、NPO活動やボランティアなどの広がりへつながったという大きなメリットもあった。
多摩交流センターの設置
「TAMAらいふ21」開催後に成果を継承し住民交流の推進を図るため、公益財団法人東京市町村自治調査会(東京自治会館4階)内の組織として、1994年(平成6年)7月に「多摩交流センター」が設置された[8]。
多摩交流センターでは「TAMAらいふ21」の記録や資料などを公開するとともに[8][9]、多摩地域に関する情報発信や市民活動への支援などを行っている[8]。
所在地は、府中駅北口の府中市役所「府中駅北第2庁舎」6階、東京都府中市寿町1-5-1[10][11]。
東京都による位置づけ
多摩地域と島嶼部の地域振興を担当する東京都総務局行政部では[12]、2017年(平成29年)策定の「多摩の振興プラン」において、「TAMAらいふ21」の開催について以下のように位置づけている。
参考文献
- TAMAらいふ21協会『TAMAらいふ21事業展開計画《概要》』(初版)東京都立川市、1992年4月。
脚注
注釈
- ^ 実験局・臨時局用に確保されているもので、後に臨時災害放送局のFM796 フェニックスや、デジタルラジオ推進協会の地上デジタル音声放送実用化試験に割り当てられた。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p TAMAらいふ21協会『TAMAらいふ21事業展開計画《概要》』(初版)東京都立川市、1992年4月。
- ^ a b “多摩・島しょ地域の振興 > 「多摩の振興プラン」の策定について~人の暮らしと自然が調和し、誰もが輝くまちを目指して~”. 東京都総務局 (2017年9月). 2020年7月29日閲覧。
- ^ a b “「多摩の振興プラン」~人の暮らしと自然が調和し、誰もが輝くまちを目指して~ II. これまでの多摩の歩み”. 東京都総務局. p. 7 (2017年9月). 2020年7月28日閲覧。
- ^ “TAMAらいふ21開幕記念式典 平成5年4月25日|東京都行政資料集録 平成5年度 都政ダイジェスト(都政年表)”. 東京都公文書館. 東京都総務局. 2021年2月7日閲覧。
- ^ “江戸東京・伝統野菜研究会 大竹道茂|TAMAらいふ21で、「21世紀多摩農業と都市の共存」のパネラーを依頼された。”. 江戸東京野菜通信 (2007年1月5日). 2020年7月28日閲覧。
- ^ “立川市の歴史(1986年から1999年まで)”. 立川市. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “作品集・アミューズ施設・立川市 TAMAらいふ21(国営昭和記念公園内)”. 株式会社 開建築設計. 2020年7月28日閲覧。
- ^ a b c “多摩交流センターとは”. 公益財団法人 東京市町村自治調査会. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “TAMAらいふ21に関する報告書など”. 公益財団法人 東京市町村自治調査会. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “多摩交流センターの所在地”. 公益財団法人 東京市町村自治調査会. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “多摩交流センター”. 東京都府中市ホームページ. 2020年7月28日閲覧。
- ^ “区市町村行財政 | 多摩・島しょ地域の振興”. 東京都総務局. 2020年7月28日閲覧。
関連項目
- 多摩地域
- 国営昭和記念公園 - メイン開場となった。
- 真夏の夜の夢 (松任谷由実の曲) - シングルにテーマソングを収録。
- 世界都市博覧会(都市博)- 1996年に開催予定だったが中止された。
- 東京多摩国際園芸博覧会 - 2013年に予定していた国際園芸博覧会。開催の目処は立っていない。
- (博覧会#地方博覧会ブーム)
外部リンク
- 多摩交流センター:TAMAらいふ21に関する報告書など - 公益財団法人 東京市町村自治調査会
- 多摩交流センターとは - 公益財団法人 東京市町村自治調査会