歴史
- 1926年(大正15年)12月17日:伊那電気鉄道の伊那八幡 - 飯田間延伸時に開業[1][2]。(一般駅)[2]。
- 1943年(昭和18年)8月1日:伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化され、鉄道省(後の日本国有鉄道)の駅となる[2][3]。
- 1971年(昭和46年)12月1日:貨物の取扱を廃止((旅客駅)となる)[2]。
- 1978年(昭和53年)10月:旧下りホーム使用停止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月24日:業務委託開始。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物の取扱を廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる[2][4]。
- 2013年(平成25年)4月1日:窓口を廃止し無人化[5]。
駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅[1]。かつては相対式ホーム2面2線であった[1]。使用されていないホームが残っているが、線路は撤去されている。
飯田駅管理の無人駅。2013年3月までは東海交通事業の職員が業務を担当する(業務委託駅)で、JR全線きっぷうりばも設置されていた(早朝・夜間は無人だった)。かつて、構内に伊那谷駅弁株式会社が経営する立ち食いそば屋があったが、現在は撤去されている。
入場券について
鼎駅では「願いをかなえる」という語呂から、入場券はお守りとして人気があった[1]。硬券はすでに無く、マルス端末発行の入場券だが、窓口で「合格」「夢」などのスタンプを押して、紙袋を添えていた。
しかし、2013年4月1日からの無人化に伴い、当初は飯田駅で販売する案もあったが、在庫限りで販売が終了することとなった。
その後、2017年から飯田駅で毎年受験シーズンに限り、鼎駅 - 桜町駅の乗車券購入者に対して特製の台紙を配布している[6][7][8][9]。
利用状況
1日平均の乗車人員は以下の通りとなっている。
駅周辺
- 鼎駅前バス停(信南交通)
- 飯田市鼎自治振興センター
- 健和会病院[1]
- 長野県飯田OIDE長姫高等学校
- 長野県下伊那農業高等学校
- 飯田市立鼎小学校
- 飯田市立鼎中学校
- キラヤ鼎店
- (飯田市立鼎図書館)
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、215頁。ISBN (9784784071647)。
- ^ a b c d e f g 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、105頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、15頁
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、17頁
- ^ 「」『南信州新聞』南信州新聞社、2013年4月2日。2022年1月4日閲覧。オリジナルの2013年7月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「」『南信州新聞』南信州新聞社、2017年1月18日。2022年1月4日閲覧。オリジナルの2020年11月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「」『南信州新聞』南信州新聞社、2018年1月16日。2022年1月4日閲覧。オリジナルの2018年2月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「」『南信州新聞』南信州新聞社、2019年3月19日。2022年1月4日閲覧。オリジナルの2019年3月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「」『新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ(信濃毎日新聞)』信濃毎日新聞社、2020年1月16日。2022年1月4日閲覧。オリジナルの2020年1月16日時点におけるアーカイブ。