概要
父は閑院宮直仁親王の第四王子で、鷹司基輝の養子となって藤原姓鷹司家を継承した鷹司輔平。母は長州藩主毛利重就の娘・文子(惟保局)。
兄妹に徳大寺実堅、昌子(伏見宮邦頼親王妃)、富子(有栖川宮織仁親王妃)、興姫(仙台藩主伊達斉村室)。正室は徳島藩主・蜂須賀重喜の娘・儀子。側室に豊岡斐子と井上梅。
光格天皇(現在の皇室の祖)は従兄にあたり、寛政7年(1795年)から19年にわたって関白を務めた。政煕自身は文化2年(1805年)から関白在任の長期化による人事停滞を危惧して辞意を示すが、光格天皇も江戸幕府も政煕の能力を評価し、朝廷の運営や朝幕関係の安定になくてはならない人物であるとして度々慰留された。また、この慰留には天皇や幕府から関白として「非器」とされていた左大臣の二条治孝の関白就任を阻止する意図もあった。その結果、治孝の後ろ盾であった後桜町院が崩御するまで政煕は関白に留まることになった[1]。
家族・親族
- 子女
ほか