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高松榮子

高松 榮子(たかまつ えいこ、1893年7月2日 - 1957年10月4日[1])は、日本の女優である[2][3][4][5][6][7][8][9]新字体表記高松 栄子、本名は須田 シヅ(すだ しづ)[2][3][7]サイレント映画の時代は『(愛の乱舞)』で新井淳、『(東海道膝栗毛)』で粂譲を相手に主演し、戦後も『カルメン故郷に帰る』等多くの話題作に出演した、戦前戦後を通じての松竹バイプレイヤーである[3]

たかまつ えいこ
高松 榮子
有りがたうさん』(1936年)
本名 須田 シヅ (すだ しづ)
生年月日 (1893-07-02) 1893年7月2日
没年月日 (1957-10-04) 1957年10月4日(64歳没)
出生地 日本 東京府東京市(現在の東京都
職業 女優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1924年 - 1956年
主な作品
『(愛の乱舞)』
『(東海道膝栗毛)』
『(道呂久博士)』
煙突男
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人物・来歴

1893年(明治26年)7月2日東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1][3][7]。本名については、『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』((映画世界社))や『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)、あるいは『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)には「須田 シヅ」とあるが[2][3][7]、『著作権台帳 昭和26年度版』((日本著作権協議会))および『婦人年鑑 12』((学風書院))には「加藤 しづ」あるいは「加藤 シヅ」(かとう しづ)と記されている[10][11]。『著作権台帳』では出生地も神奈川県とされている[10]

横浜市立尋常高等横浜小学校(のちの横浜小学校、1946年廃校)を卒業し[2]、当時横浜の元町にあった横浜高等女学校(のちに磯子に移転、現在の横浜学園高等学校)を二年修業して中途退学した[1][2][3][11]

その後、関東大震災後の1924年(大正13年)、浅草公園六区常盤座で、根岸興行部新派劇に参加し、女優となる[3]。同年、松竹蒲田撮影所に入社し、同年6月21日に公開された梅村蓉子の主演作『』(監督大久保忠素)に出演、満31歳を目前にした年齢で映画界にデビューした[3]。1927年(昭和2年)、準幹部に昇格したときにはすでに満34歳になっていた[3]。1936年(昭和11年)1月15日、同撮影所の機能が神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)の松竹大船撮影所(現存せず)に移転するにともない、高松も異動になる[3][4]。その後、第二次世界大戦の間も、終戦後も、変わらず同撮影所に勤めつづけた[3][4]

満63歳を目前にした1956年(昭和31年)に松竹を退社、東京映画が製作した瑞穂春海監督の映画『(森繁よ何処へ行く)』に出演、同作は東宝が配給して同年6月14日に公開された[3]。『芸能人物事典 明治大正昭和』によれば、同作をもって引退したとしている[3]。同年10月31日に公開された出演作『(壁あつき部屋)』(監督小林正樹)は、松竹在籍中の1953年(昭和28年)10月にすでに製作されていた作品である[4]。以後の消息は不明とされていた[3][7]が、『文化人名録 昭和33年版』(日本著作権協議会)において、1957年(昭和32年)10月4日に死去したという旨が記されている[1]。満64歳没。

フィルモグラフィ

すべてクレジットは「出演」である[4][5]。公開日の右側には役名[4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][12]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

松竹蒲田撮影所

特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、特筆以外すべてサイレント映画である[4][5]

  • 』 : 監督大久保忠素、1924年6月21日公開
  • 関の五本松』 : 監督牛原虚彦、1924年10月17日公開
  • 『(城ケ崎の雨)』 : 監督島津保次郎、1924年11月21日公開
  • 『(愛の乱舞)』 : 監督吉野二郎、1925年6月20日公開
  • 『(二人巡礼)』 : 監督重宗務、1925年8月21日公開
  • 『(屋上の恋人)』 : 監督吉野二郎、1925年11月13日公開
  • 『(東海道膝栗毛 第一篇)』 : 監督吉野二郎、1926年1月30日公開 - 女あんまお米
  • 『(お坊ちゃん)』 : 監督島津保次郎、応援監督(蔦見丈夫)・五所平之助、1926年5月1日公開 - 羽田家女中
  • 』 : 監督五所平之助、1926年7月1日公開
  • 『(清水次郎長全伝 安政殺人剣の巻)』 : 監督吉野二郎、1926年10月15日公開
  • 『(幻の義賊)』 : 監督吉野二郎、1926年12月1日公開
  • 『(お照とお雪)』 : 監督清水宏、1927年1月22日公開 - その妻
  • 九官鳥』 : 監督野村芳亭、1927年1月28日公開 - 女房女車掌照子
  • 『(艶魔)』 : 監督重宗務、1927年3月11日公開 - 女房お豊
  • 白虎隊』 : 監督野村芳亭、1927年6月26日公開 - 母お道
  • 『(秋草燈籠 お露の巻)』 : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓
  • 『(秋草燈籠 小萩の巻)』 : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓
  • 『(仇討違い)』 : 監督斎藤寅次郎、1927年8月19日公開
  • 『(親爺教育)』 : 監督蔦見丈夫、1927年9月24日公開
  • 『(義剣侠刃)』(『義劔狂刃』[5]) : 監督吉野二郎、1927年10月7日公開
  • 『(村の花嫁)』 : 監督五所平之助、1928年1月27日公開 - その母お芳
  • 『(道呂久博士)』 : 監督野村芳亭、1928年2月18日公開 - 看護婦松枝富子
  • 若人の夢』 : 監督小津安二郎、1928年4月29日公開 - 下宿のおかみさん
  • 『(妻君廃業)』 : 監督大久保忠素、1928年8月24日公開
  • 『(彼と田園)』 : 監督牛原虚彦、1928年8月24日公開
  • 『(拾った花嫁)』 : 監督清水宏、1928年9月14日公開 - 甚作の母
  • 『(舞台姿)』 : 監督野村芳亭、1928年10月27日公開 - 阪東団子
  • 『(陸の王者)』 : 監督牛原虚彦、1928年11月10日公開 - 女房おかつ
  • 『(森の鍛冶屋)』 : 監督清水宏、1929年1月5日公開 - お種
  • 『(円タク坊ちゃん)』 : 監督大久保忠素、1929年3月2日公開
  • 『(あひる女)』 : 監督清水宏、1929年3月9日公開 - その女房・お高
  • 学生ロマンス 若き日』 : 監督小津安二郎、1929年4月13日公開 - 下宿の内儀、103分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(浮草娘旅風俗)』 : 監督清水宏、1929年5月31日公開 - 喜六の女房
  • 『(岡辰押切帳)』 : 監督斎藤寅次郎、1929年6月28日公開
  • 和製喧嘩友達』 : 監督小津安二郎、1929年7月5日公開 - おげん
  • 』 : 監督清水宏・大久保忠素、1929年8月1日公開 - 妻・お吉
  • 『(たゝかれ亭主)』 : 監督斎藤寅次郎、1930年1月27日公開
  • 『(現代奥様気質)』 : 監督重宗務、1930年2月1日公開
  • 『(純情)』 : 監督成瀬巳喜男、1930年2月14日公開 - おつたの母
  • 生きる力』 : 監督(西尾佳雄)、1930年2月 - 妻とき
  • 『(おごって頂戴よ)』 : 監督西尾佳雄、1930年8月15日公開
  • 『(愛は力だ)』 : 監督成瀬巳喜男、1930年8月29日公開 - 剛三の妻・おたみ
  • 『(霧の中の曙)』(『霧の中の顔』[5]) : 監督清水宏、1930年11月1日公開
  • 『(若者よなぜ泣くか)』 : 監督牛原虚彦、1930年11月15日公開 - 淑女、193分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 煙突男』 : 監督斎藤寅次郎、1930年12月5日公開
  • 『(モダン籠の鳥)』 : 監督斎藤寅次郎、1931年1月10日公開
  • 『(公認駆落商売)』 : 監督(佐々木恒次郎)、1931年2月25日公開
  • 『(男女押し比べ)』 : 監督佐々木康、1931年6月12日公開
  • 『(落第未遂)』 : 監督(松井稔)、1931年7月23日公開
  • 『(何が彼女を裸にしたか)』 : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開
  • 『(娘の意気高し)』 : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開
  • 『(浮気は汽車に乗って)』 : 監督成瀬巳喜男、1931年8月15日公開 - 母
  • 『(彼女の興奮)』 : 監督斎藤寅次郎、1931年10月31日公開
  • 『(七つの海 前篇 処女篇)』 : 監督清水宏、1931年12月23日公開 - 妻・お悦
  • 金色夜叉』 : 監督野村芳亭、1932年1月14日公開 - その妻、81分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(三太郎満州出征)』 : 監督斎藤寅次郎、1932年2月4日公開
  • 『(七つの海 後篇 貞操篇)』 : 監督清水宏、1932年2月11日公開 - 妻お悦、81分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 恋の花咲く 伊豆の踊子』 : 監督五所平之助、1933年2月2日公開 - 母おたつ、124分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 島の娘』 : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年3月15日公開 - 寺川屋女中お杉、62分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 東京音頭』 : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年9月28日公開 - ばあや、78分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(愛撫)』(ラムール) : 監督五所平之助、1933年11月9日公開 - その母、113分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 沈丁花』 : 監督野村芳亭、1933年11月16日公開 - 待合の女中
 
雪之丞変化 第一篇』(1935年)のポスター。
  • 『(花婿の寝言)』 : 監督五所平之助、1935年1月13日公開 - 花嫁の母お里、73分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(東京の英雄)』 : 監督清水宏、1935年3月7日公開 - 婆や、64分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(彼と彼女と少年達)』 : 監督清水宏、1935年5月30日公開 - 床チビの母
  • 春琴抄 お琴と佐助』 : 監督島津保次郎、トーキー、1935年6月15日公開 - 役名不明、100分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 雪之丞変化 第一篇』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1935年6月27日公開 - 浪路の乳母
  • 雪之丞変化 第二篇』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1935年10月1日公開 - 浪路の乳母
  • 『(弥次喜多行進曲)』 : 監督斎藤寅次郎、1935年10月24日公開
  • 雪之丞変化 解決篇』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1936年1月15日公開 - 浪路の乳母

松竹大船撮影所

特筆以外すべて製作は「松竹大船撮影所」、特筆以外すべて配給は「松竹キネマ」あるいは「松竹」、特筆以外すべてトーキーである[4][5][7]

  • 有りがたうさん』 : 監督清水宏、1936年2月27日公開 - 茶店の婆さん、75分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 家族会議』 : 監督島津保次郎、1936年4月3日公開 - 女客、71分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(僕の春)』 : 監督(深田修造)、1936年4月8日公開
  • 男性対女性』 : 監督島津保次郎、1936年8月29日公開 - 役名不明、132分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 一人息子』 : 監督小津安二郎、1936年9月15日公開 - 女工、82分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 人妻椿 後篇』 : 監督野村浩将、1936年10月29日公開 - 下宿のおばさん、62分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 少年航空兵』 : 監督佐々木康、1936年9月18日公開 - お秀の母、100分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 螢の光』 : 監督佐々木康、1938年4月14日公開 - 宿のおばさん、75分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(半処女)』 : 監督佐々木啓祐、1938年4月28日公開 - 下女お霜、73分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(愛より愛へ)』 : 監督島津保次郎、1938年6月9日公開 - 役名不明、57分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 母と子』 : 監督渋谷実、1938年7月1日公開 - 下宿のおばさん、88分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(愛染かつら 後篇)』 : 監督野村浩将、1938年9月15日公開 - 婆や
  • 『(家庭日記)』 : 監督清水宏、1938年9月29日公開 - 松や
  • 『(南風)』 : 監督渋谷実、1939年2月15日公開 - 産婆、72分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(春雷 前篇 愛路篇)』 : 監督佐々木啓祐、1939年4月13日公開 - 下宿の小母さん、73分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(春雷 後篇 審判篇)』 : 監督佐々木啓祐、1939年4月13日公開 - 下宿の小母さん、同上[9]
  • 『(花のある雑草)』 : 監督清水宏、1939年6月15日公開 - 河田先生
  • 『(母を讃へる歌)』 : 監督原研吉、1939年7月6日公開 - 役名不明、53分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 五人の兄妹』 : 監督吉村公三郎、1939年7月20日公開 - 髪結ひ、93分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(日本の妻 前篇 流転篇 後篇 苦闘篇)』 : 監督佐々木啓祐、1939年8月5日公開
  • 『(桑の実は紅い)』 : 監督清水宏、1939年9月14日公開 - 女中・お松
  • 『()』 : 監督渋谷実、1939年10月24日公開 - 母、27分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(私には夫がある)』 : 監督清水宏、1940年2月1日公開 - ミシン女史
  • 『(涙の責任 前篇)』 : 監督(蛭川伊勢夫)、1940年2月15日公開 - 管理人、101分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(涙の責任 後篇)』 : 監督蛭川伊勢夫、1940年2月15日公開 - 管理人、同上[9]
  • 信子』 : 監督清水宏、1940年4月9日公開 - 吉岡先生、50分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(美しき隣人)』 : 監督大庭秀雄、1940年5月23日公開 - 隣のおばさん
  • 『(女人転心)』 : 監督清水宏、1940年9月5日公開 - 寺の婆さん
  • 冬木博士の家族』 : 監督大庭秀雄、1940年10月31日公開 - お常、70分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • みかへりの塔』 : 監督清水宏、1941年1月30日公開 - 津村保母、111分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(十日間の人生)』 : 監督渋谷実、1941年4月1日公開 - 雑炊婦、66分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 桜の国』 : 監督清水宏、製作松竹大船撮影所・(華北電影)、1941年11月1日公開 - 阿媽
  • 『(女医の記録)』 : 監督渋谷実、1941年11月23日公開 - 母、95分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(兄妹会議)』 : 監督渋谷実、配給映画配給社、1942年7月16日公開 - おかめ床おかみさん
  • すみだ川』 : 監督井上金太郎、配給映画配給社、1942年9月3日公開 - 駒形のおばさん、94分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 或る女』 : 監督渋谷実、配給映画配給社、1942年10月29日公開 - おとし
  • 『(敵機空襲)』 : 監督野村浩将・吉村公三郎・渋谷実、配給映画配給社、1943年4月1日公開 - おばさん、88分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(愛機南へ飛ぶ)』 : 監督佐々木康、配給映画配給社、1943年9月10日公開 - 寮母
  • 『(勝鬨音頭)』 : 監督大庭秀雄、配給映画配給社、1944年1月8日公開 - その女房、88分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(喜劇は終りぬ)』 : 監督大庭秀雄、1946年1月10日公開 - 女房しげ
  • 『(彼女の発言)』 : 監督野村浩将、1946年2月7日公開 - 三浦家女中おわか
  • 大曾根家の朝』 : 監督木下恵介、1946年2月21日公開 - 婆や、81分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(女生徒と教師)』 : 監督佐々木啓祐、1946年3月7日公開 - 里見の母
  • 『(象を喰つた連中)』(『象を喰った連中 科学と生命に関する一考察』[9]) : 監督吉村公三郎、1947年2月11日公開 - おかね(象を喰はない連中 おかね[9])、84分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 長屋紳士録』 : 監督小津安二郎、1947年5月20日公開 - とめ、71分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(二連銃の鬼)』 : 監督佐々木啓祐、1947年7月8日公開 - 女将
  • 安城家の舞踏会』 : 監督吉村公三郎、1947年9月27日公開 - 老女松、89分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(不死鳥)』 : 監督木下惠介、1947年12月11日公開 - 婆や、82分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 懐しのブルース』 : 監督佐々木康、1948年1月4日公開 - 乳母やす
  • 『(旅裝)』 : 監督中村登、1948年2月1日公開 - しげ子の母
  • 『(誘惑)』 : 監督吉村公三郎、1948年2月25日公開 - 婆やセツ、85分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(火の薔薇)』 : 監督中村登、1948年9月11日公開 - 管理婦
  • 風の中の牝鶏』 : 監督小津安二郎、1948年9月17日公開 - つね
  • お嬢さん乾杯』 : 監督木下恵介、1949年3月9日公開 - アパートの主婦、89分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(愁海棠)』 : 監督中村登、1949年8月2日公開 - 母きぬ
  • 『(花も嵐も)』 : 監督佐々木康、1949年9月29日公開 - 婆やお粂
 
『(ひばりのサーカス 悲しき小鳩)』(1952年)のポスター。
  • 『(女の流行)』 : 監督瑞穂春海、1950年1月15日公開 - アパートの小母さん
  • カルメン故郷に帰る』 : 監督木下恵介、1951年3月21日公開 - 役名不明、86分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 婚約指環』 : 監督木下恵介、製作松竹大船撮影所・(田中絹代プロダクション)、1950年7月1日公開 - おかみさん、96分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • てんやわんや』 : 監督渋谷実、1950年7月23日公開 - 妻、96分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 長崎の鐘』 : 監督大庭秀雄、1950年9月22日公開 - 役名不明、94分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 少年期』 : 監督木下恵介、1951年5月12日公開 - 煙草屋のお婆さん、110分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(東京のお嬢さん)』 : 監督瑞穂春海、1951年7月6日公開 - 婆やお春
  • 『(母待草)』 : 監督佐々木啓祐、1951年8月17日公開 - その妻、65分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(母化粧)』 : 監督佐々木啓祐、1951年12月14日公開 - 婆や
  • その夜の妻』 : 監督(池田浩郎)、1952年4月18日公開 - その妻
  • 『(ひばりのサーカス 悲しき小鳩)』 : 監督瑞穂春海、1952年7月15日公開 - 吉岡みさを
  • 湯の町しぐれ』 : 監督(長島豊次郎)、1952年8月14日公開 - 母雪江
  • 現代人』 : 監督渋谷実、1952年9月3日公開 - 荻野家の婆や
  • 『(未完成結婚曲)』 : 監督(穂積利昌)、1952年10月23日公開 - 附添の婦人
  • カルメン純情す』 : 監督木下恵介、1952年11月13日公開 - ラッキーの親爺の女房
  • 『(娘の晴着)』 : 監督萩原徳三、1952年11月27日公開 - 延鶴壽
  • 『(わが母に罪ありや)』 : 監督佐々木啓祐、1952年12月27日公開 - 登世の姑(二十年前)
  • 『(若奥様一番勝負)』 : 監督瑞穂春海、1952年12月27日公開 - 母あき
  • 『(まごころ)』 : 監督小林正樹、1953年1月29日公開 - 下宿の小母さん、95分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(夢みる人々)』 : 監督中村登 、1953年2月18日公開
  • 『(おもかげの歌)』 : 監督穂積利昌、1953年3月12日公開 - 直子の祖母
  • 『(嫁の立場)』 : 監督西河克己、1953年4月15日公開 - おりき
  • 『(愛慾の裁き)』 : 監督大庭秀雄、1953年5月6日公開 - 役名不明、99分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(めぐり逢い)』 : 監督池田浩郎、1953年6月3日公開 - 藤本家の婆や
  • 『(旅路)』 : 監督中村登、1953年7月29日公開 - おきよ
  • 『(別離)』 : 監督岩間鶴夫、1954年3月10日公開 - 婆さん(横山の家)
  • 『(伊豆の踊子)』 : 監督野村芳太郎、1954年3月31日公開 - 役名不明、98分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(亡命記)』 : 監督野村芳太郎、1955年5月3日公開 - 老姆、135分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(柔道開眼)』 : 監督岩間鶴夫、1955年9月28日公開 - 婆やふじ
  • 夕やけ雲』 : 監督木下恵介、1956年4月17日公開 - 役名不明、78分尺で現存(NFC所蔵[9]
  • 『(ホガラカさん 前篇)』 : 監督(萩山輝男)、1956年5月3日公開 - 井上のアパートの婆さん
  • 『(ホガラカさん 後篇)』 : 監督萩山輝男、1956年5月11日公開 - 井上のアパートの婆さん
  • 『(人妻椿 前篇誘惑の巻 後篇抱擁の巻)』 : 監督原研吉、1956年5月25日公開 - 老婆

フリーランス

下記の通りである[4][5][7][8]

  • 『(森繁よ何処へ行く)』 : 監督瑞穂春海、製作東京映画、配給東宝、1956年6月14日公開 - さか
  • 『(壁あつき部屋)』 : 監督小林正樹、製作(新鋭プロダクション)、配給松竹、1953年10月製作・1956年10月31日公開 - 老婆、110分尺で現存(NFC所蔵[9]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 文化人[1958], p.1558.
  2. ^ a b c d e 映画世界社[1934], p.73.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 高松栄子jlogos.com, (エア)、2013年2月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 高松栄子日本映画データベース、2013年2月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 高松栄子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月8日閲覧。
  6. ^ 高松栄子、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月8日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 高松栄子KINENOTE, 2013年2月8日閲覧。
  8. ^ a b 高松栄子、映画データベース、東宝、2013年2月8日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh 高松榮子高松栄子髙松榮子東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月8日閲覧。
  10. ^ a b 著作権[1951], p.293.
  11. ^ a b (坂戸)・紅露[1961], p.143.
  12. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年2月4日閲覧。

参考文献

  • 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』、(映画世界社)、1934年
  • 『著作権台帳 昭和26年度版』、(日本著作権協議会)、1951年
  • 『文化人名録 昭和33年版』、日本著作権協議会、1958年
  • 『婦人年鑑 12』、(坂戸公顕)・紅露みつ、(学風書院)、1961年
  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
  • 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年12月31日
  • 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 (ISBN 4816915133)

関連項目

外部リンク

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