概要
生涯
父・経胤の死後、醍醐家当主となった義兄の兼純(経胤の養子)、実兄の冬香(兼純の養嗣子)がいずれも早世し、安永元年(1772年)冬香の死に伴い家督を継ぎ、同年叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従・右近衛権少将・左近衛権中将をへて、安永5年(1776年)に従三位に達して公卿に列する。その後、踏歌節会外弁・権中納言を経て、寛政元年(1789年)に権大納言となり、享和元年(1801年)に職を辞した。同年中に薨去。享年42。
家族・親族
系譜
醍醐家
醍醐家は、一条昭良の子である醍醐冬基を始祖とし、清華家の一つであった。
詳細は「醍醐家」を参照