一条 教輔(いちじょう のりすけ)は、江戸時代前期の公卿。正二位・右大臣。名は始め伊実、次いで教良。法名は後唯心院。後陽成天皇の男系二世子孫である。
概要
寛永10年5月2日、一条昭良の子として生まれる。母は西洞院時直の娘。1644年(寛永21年)、従三位に叙される。右近衛大将、内大臣を歴任し、1655年(承応4年)に右大臣に任ぜられる。1659年(万治2年)、右大臣を辞任。以後、摂政・関白に任ぜられることなく、子の兼輝が没した2年後の宝永4年1月6日、75歳の生涯を終えた。法名は後唯心院。
家族・親族
系譜
一条家
一条家は、九条道家の子である一条実経を始祖とし、摂家の一つであった。
詳細は「一条家」を参照