足鹿 覚(足鹿 覺[1]、あしか かく、1904年(明治37年)12月28日[2] – 1988年(昭和63年)5月16日[2])は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。全日本農民組合連合会長。
経歴
生い立ち
生家は半農半漁で家計は苦しく、そうした環境が彼に労働者としての自覚を促した[3]。
農民運動
東京帝国大学セツルメント労働学校を終えた後、帰郷して農民運動をする[2]。1926年(大正15年)労働農民党の創立に参加し、労働組合運動にも参加[2]。
政治家として
1931年(昭和6年)米子市会議員、1935年(昭和10年)鳥取県会議員を経て、戦後は日本社会党に入り、1949年(昭和24年)から衆議院議員に7期当選[2]。1968年(昭和43年)から参議院議員1期[2]。農政を中心とする思想・見識は国民の共感を得た[3]。
1955年(昭和30年)秋、ソ連訪問、欧州各国を視察、1957年(昭和32年)日本農業技術団副団長として新中国を訪問、両国の国交調整を図った[4]
人物
栄典
脚注
参考文献
- 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年。
- 『政治家人名事典』編集・発行 - 日外アソシエーツ、1990年。
外部リンク
- とっとりデジタルコレクション--足鹿覚