論語の注釈(ろんごのちゅうしゃく)は、『論語』に付された注釈。論語の注釈史はそのまま中国学術の歴史と言っても過言ではなく、その注釈書の数は世界的に見ても最多の部類に入る[1]。中国をはじめ朝鮮や日本でも数多くの論語の注釈が作られ、それぞれの時代・社会を反映してきた[2]。本項では現代の注釈書(参考書)、翻訳まで提示する。
概説
論語の注釈には古注と新注の二派がある。古注は漢代や唐代の諸儒学者による注で、訓詁学に長じる[注 1]。新注は朱熹の注釈である。朱熹以前に論語を注したものは二十一家あったと伝わり、朱熹は程門諸儒十二家の説を参照に半生を費やして『論語集注』をまとめあげた。清代になると考証学が盛んとなり、毛奇齢・焦循・(劉宝楠)などが新説を出している。これらの多くは『皇清経解』に収められている[注 2]。
宋学に至るまでの注
- 鄭註論語
- 後漢末の大儒、鄭玄の注釈書。『論語鄭玄注』などともいう。漢代当時、『論語』は魯・斉の二国に伝わる『魯論』・『斉論』の二つがあり、さらに漢初に孔子の宅から発掘された古文の『古論』があった。前漢末に張禹により『魯論』と『斉論』の整理が行われ、その上で鄭玄が三論を総合して『鄭註論語』を作った[3]。
- 散逸して長らく逸文のみ伝わっていたが、20世紀初頭の敦煌トルファン学において、複数の古写本断片が発見された。それらの断片をまとめたものとして、日本では金谷治編『唐抄本鄭氏注論語集成』平凡社(1978年)がある。
- 論語集解
詳細は「論語集解」を参照
- 完本として伝わる最古の『論語』の注釈書が『論語集解』である[4]。正始2年(241年)に成立した[5]。朱熹の「新注(『論語集注』)」に対して「古注」と称される。編者は何晏(195年?-249年)とされるが、その伝記(『三国志』巻九)では編纂について言及されず、どこまでを何晏の解釈とするかは判断が難しい[4]。
- 論語義疏
詳細は「論語義疏」を参照
- 南朝梁の皇侃(488年-545年)による注釈書。十巻から成る[6]。『論語集解』をもととして、魏晋以来の諸家の注釈と皇侃自らの注釈から成る[7]。別名『論語集解義疏』。晋から南朝宋に及ぶ六朝の『論語』に関わる議論を見るに、この本をおいて他は及ばないと評価される[6]。当時の学術の風潮のため、玄学あるいは仏教的な解釈の引用も多いが、それらを穏当に論じる[4]。
- 論語集注
詳細は「論語集注」を参照
清代の注
朝鮮の儒者による注
日本の儒者による注
この節の加筆が望まれています。 |
- 論語古義
- 伊藤仁斎(1627年-1705年)の著。仁斎は『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と尊重した。初めは朱子学者であったが、後に反朱子学に立場を変え、孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜した。『論語古義』では、字句の解釈において『論語集注』や『論語大全』を多く用いた上で、内容解釈において朱熹を批判し、自身の解釈を示す[11]。論語二十編中の前半十編を上論として正編、後半十編を下編として続編と考え、以後の学者たちに大きな影響を与えた[12]。
- 論語徴
- 荻生徂徠(1666年-1728年)の著。徂徠は朱子学、仁斎学を論駁し、古代の言語、制度文物の研究を重視する「古文辞学」を標榜した[13]。秦・漢以前の古書に徴して、古語の真の意味を求め、独創的な解釈を施す。日本人の注釈として最も優れているとも評され、上述の(劉宝楠)『論語正義』にも引用されている[12]。『論語』は先王の道を論じており、孔子の偉大さは、これを後世に伝えたことにあるとする。朱熹を古代の言語を全く知らないと批判し、多くの場合、仁斎をも批判する[13]。
- 論語示蒙句会解
- 中村惕斎(1629年 - 1702年)著。惕斎は、本書も含めて「(訓蒙書)」(女子供向けの解説書)の著者として知られる。なかでも『訓蒙図彙』は、絵入り百科事典として後に多くの類書を生んだ[10]。
- 論語徴集覧
- 松平頼寛が徂徠の『論語徴』を軸に歴代の注釈を比較したもの。
- 論語語由
- (亀井南冥#著書)
近現代の日本語の訳注
中国学者
- 簡野道明『論語解義』明治書院 1916年。増訂版 1934年。[16]
- 服部宇之吉『四書・孝経』「国訳論語」国民文庫刊行会〈国訳漢文大成〉経子史部第1巻 1923年。[17]
- 武内義雄『論語』岩波文庫(旧版) 1933年。筑摩叢書 1963年。
- 倉石武四郎『口語訳論語』日光書院 1949年。筑摩叢書 1970年。あえて訓読を行っていない((倉石武四郎#漢文訓読批判))。解釈は朱熹の集注に忠実[18]。
- (内田泉之助)『論語新鈔』明治書院。1953年。
- 諸橋轍次『論語の講義』大修館書店 1953年。著作集 1976年。『大漢和辞典』編纂者による講義形式の注。
- 吉川幸次郎『論語』朝日新聞社〈中国古典選〉1959-63年、新訂1966年。朝日文庫 1978年、朝日選書 1996年。角川ソフィア文庫 2020年
- 吉田賢抗『論語』明治書院〈新釈漢文大系〉1960年
- 金谷治『論語』詳細後述
- 宇野哲人『論語』明徳出版社〈中国古典新書〉1967年、新装版2017年。湯島聖堂斯文会での講義録の書籍化。
- 貝塚茂樹『論語』中公文庫 1973年 改版2020年。中公クラシックス 2003年
- 宮崎市定『論語の新研究』岩波書店 1974年 復刊1997年。改題『現代語訳 論語』岩波現代文庫 2000年。詳細は(宮崎市定#論語研究)を参照。
- 木村英一『論語』講談社文庫 1975年
- 平岡武夫『論語』集英社〈全釈漢文大系〉1980年
- 藤堂明保『論語』学研〈中国の古典〉1981年
- 加地伸行『論語 全訳注』詳細後述
- 井波律子『完訳 論語』岩波書店 2016年
- 金谷治訳注(『論語』岩波文庫)
- 金谷治訳注。初版1963年、1999年に改訂新版。各・ワイド版も出された。原文は文庫旧版『論語』(武内義雄、昭和8年〈1933年〉)を採用し、読み下し(書き下し)は主として後藤芝山の後藤点と林羅山の道春点に拠っている。ただ、この読みは多く朱熹の新注(『論語集注』)に従っていることから、清原家本の点といった諸点を参照し、誤読と判断した部分は改めている。解釈には魏の何晏の『論語集解』(古注)、後漢の鄭玄注、南宋の朱熹の『論語集注』(新注)のほか、主として清の(劉宝楠)の『(論語正義)』、(潘維城)の『(古注集箋)』、(王歩青)の『(四書匯参)』、江戸時代の伊藤仁斎『(論語古義)』、荻生徂徠『(論語徴)』を参考とし、奇説と判断したものは避けている。現代語訳は、金谷によれば補いを最小限に、説明は注にまわして原文のニュアンスをそこなわないように腐心している。なお特に現代語訳文には、倉石武四郎の訳書と吉川幸次郎の訳解書から示教を得ている。[19]。
- 加地伸行訳注(『論語 全訳注』講談社学術文庫)
- 加地伸行訳注。初版2004年、増補版2009年発行。原文には十三経注疏本を採用し、底本はほとんど改めていない。書き下し(読み下し)は現代語訳に沿う。注は中国学として常識的な注を除いて作者の解釈により、本文自体についても作者の独自解釈が相当に含まれる。現代語訳は原則的に『論語集解』(古注)に基づくが、他の注解に拠ったり、作者の解釈によるものもある[20]。
注の訳注
- 簡野道明『論語集註 補註』
- 簡野道明著。明治書院 1921年。新装増訂版 2002年。朱熹の『論語集注』に対する補注。
- 石本道明・青木洋司『論語 朱熹の本文訳と別解』
- (石本道明)・(青木洋司)著。明徳出版社、2017年初版発行。『論語集注』に対する訳注と別解。集注原文の底本は、中華書局「新編諸子集成 第一輯」1983年第一版を採用し、別解として適宜、何晏等『論語集解』(底本は十三経注疏整理本『論語注疏』北京大学出版社、2000年)、皇侃『論語義疏』(底本は中国思想史資料叢刊『論語義疏』中華書局、2013年)、伊藤仁斎『論語古義』(底本は『論語古義』文泉堂発行、文政12年〈1829年〉再刻)、荻生徂徠『論語徴』(底本は『荻生徂徠全集』三、四巻・みすず書房、1977-78年)を用い、他、陸徳明『経典釈文』、韓愈・李翺『(論語筆解)』、劉敞『(公是先生七経小伝)』等の諸解釈を引用した章もある[21]。
中国学者以外
- 穂積重遠『新訳 論語』
- 穂積重遠訳。社会教育協会 1947年。講談社学術文庫 1981年。
近現代の日本語以外の訳注
「zh:论语#民国后」および「en:Analects#Notable_translations」を参照
1861年のジェームズ・レッグ、1938年のアーサー・ウェイリーによる英訳などがある。
脚注
注釈
- ^ 包咸・周氏・孔安国・馬融・鄭玄・陳羣・王粛・周生烈(周氏と同一人物か)の八家と無記名の編纂者の注釈から構成されるのが『論語集解』。邢昺が『論語集解』・『論語義疏』(これも『論語集解』をもとに魏晋以来の諸家の注釈と皇侃自らの注釈から成る)をもとにして、邢昺が詳細な注を加えたものが『論語注疏』である。今日では一般に『論語集解』 が「古注」と呼ばれる。
- ^ 当節は光学館編集部編『漢文叢書』を参照した。著作権保護期間満了のため、参照部分の全文を示す。
四、論語の研究書
註解には二派ある。新註と古註とである。古註は漢唐諸儒の註で、十三経註疏にある孔安国・馬融・鄭玄・邢昺等の説が主であって訓詁に長じてゐる。新註は宋儒の説で、朱熹の集註が主である。義理に於て勝ってゐる。
元来、朱子以前に論語を註したもの二十一家あった。朱子は程門諸儒十二家の説を取つて遂に論語集註を成したのであつて、朱子は殆ど半生を之に費やしたのであつた。
清朝に至つて考據の学が盛んとなり、毛奇齢・焦循・(劉宝楠)等各々新説を出して学者に益することが多い。これらは多く皇清経解に収めてある。
“光学館編集部編『漢文叢書』(1940年、14版、p.4、著作権保護期間満了) - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年12月12日閲覧。 - ^ 杉山文彦は「高橋源一郎氏の人生経験を『論語』の片言隻句の中に読み込んだもののように思える。」と評している[24]。
出典
- ^ 吹野安、(石本道明)『孔子全書』 1巻、明徳出版社、1996年9月、14頁。ISBN (4896194314)。 NCID BA44278890。
- ^ 湯浅 2018.
- ^ 吹野安、(石本道明)『孔子全書』 1巻、明徳出版社、1996年9月、14-15頁。ISBN (4896194314)。 NCID BA44278890。
- ^ a b c d 石本,青木 2017, p. 5.
- ^ 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年9月1日。ISBN (9784469032086)。 NCID BN15124206。
- ^ a b 影山輝國『『論語』と孔子の生涯』中央公論新社〈中公叢書〉、2016年3月25日、42-44頁。ISBN (9784120048166)。 NCID BB20993957。
- ^ 石本,青木 2017, pp. 5, 5.
- ^ a b 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年9月1日、426-427頁。ISBN (9784469032086)。 NCID BN15124206。
- ^ a b c d e f g h i j 坂出祥伸「焦循の『論語通釈』について」『中国近代の思想と科学』同朋舎出版、1983年(原著1981年)。ISBN (4810403211)。37頁。
- ^ a b c 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年9月1日、426-427頁。ISBN (9784469032086)。 NCID BN15124206。
- ^ 石本,青木 2017, p. 6.
- ^ a b 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年9月1日、427頁。ISBN (9784469032086)。 NCID BN15124206。
- ^ a b 石本,青木 2017, pp. 5–6.
- ^ 久米裕子「訳注『論語逢原』(1)」『京都産業大学論集. 人文科学系列』第31巻、2004年、16頁。
- ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/754385
- ^ (NDLJP):1149050
- ^ 服部宇之吉『國譯漢文大成經子史部第一卷『四書・孝經』』 。
- ^ 橋本 2009, p. 118.
- ^ 金谷 1963, pp. 3–12.
- ^ 加地 2009, pp. 3–7, 11.
- ^ 石本,青木 2017, pp. 2, 3.
- ^ 『現代訳論語』:新字新仮名 - 青空文庫
- ^ “一億三千万人のための『論語』教室(書籍紹介ページ)”. 河出書房新社. 2020年6月29日閲覧。
- ^ 杉山文彦「久しぶりに『論語』を読んで」『中国研究月報』第74巻第8号
参考文献
- 石本道明,青木洋司、2017、『論語 朱熹の本文訳と別解』、明徳出版社 ISBN (4896199413) NCID BB25182430
- 加地伸行、2009、『論語 増補版』、講談社 ISBN (4062919621)
- 金谷治、1963、『論語 金谷治訳注』、岩波書店 ISBN (4003320212) NCID BA44045870
- 橋本秀美『論語 心の鏡』岩波書店、2009年。ISBN (978-4000282949)。
- 湯浅邦弘、2016、『テーマで読み解く 中国の文化』、ミネルヴァ書房 ISBN (4623075095)
- 湯浅邦弘、2018、『教養としての 中国古典』、ミネルヴァ書房 ISBN (462308275X)