西谷 浩一(にしたに こういち、1969年9月12日[1] - )は、兵庫県宝塚市出身の日本の高校野球指導者。社会科教諭。
経歴
小学2年から少年野球をはじめ、小学4年の頃よりポジションは捕手。
報徳学園(兵庫県)野球部OB[1]。高校3年夏、下級生の不祥事により野球部は県大会出場を辞退。1年浪人し一般入試で関西大学経済学部に入学[1]。硬式野球部では2年秋から控え捕手としてベンチ入り。チームを側面から支え、3年春の19年ぶりのリーグ優勝と、全日本大学野球選手権大会準優勝に貢献[1]。4年時は主にブルペン捕手ながらも主将を任され、100人以上の部員をまとめあげた[1]。
大学卒業後、母校・報徳学園でコーチを一時務め、後に大阪桐蔭高等学校に移り、1993年から部長を務め、1998年11月に監督就任[2]。2001年一度コーチに退いた後、2002年秋から再び監督として指揮をとる。
2004年春のセンバツで監督就任後初の甲子園出場を決めたが、野球部内での暴力行為の報告が遅れたため自身は出場を自粛した[3]。
2008年夏の選手権では浅村栄斗を中心とした強力打線で自身初、同校としては2度目の全国制覇を成し遂げる。
2012年春のセンバツでは例年通りの強力打線に、藤浪晋太郎、森友哉のバッテリーを擁して同校、自身としても初のセンバツ制覇を果たす。同年夏の選手権は対戦相手に一度もリードを許さない圧倒的な野球を展開し史上7校目の春夏連覇を達成[4]。自身としては春夏合わせて3度目の全国制覇を成し遂げた[5]。さらに秋に行われた岐阜国体でも優勝し[6]、松坂大輔を擁した横浜高校以来となる史上3校目の「三冠」を達成した[7]。
選抜大会連覇と甲子園3大会連覇を狙った2013年春のセンバツでは、大会中に主将でチームの柱である森友哉の故障など主力が万全でない状態の中での戦いを強いられ 、3回戦の県立岐阜商業戦に4-5で敗れ、大会連覇と3大会連覇を逃す[8]。甲子園4季連続出場となった夏の選手権では、3回戦の明徳義塾戦に1-5で敗れ大会連覇はならなかった。
選手権後、日本代表監督として第26回18U野球ワールドカップに出場[9]。1次ラウンドを5戦全勝で突破し、2次ラウンドは4勝1敗で決勝戦進出。決勝ではアメリカに2-3で惜敗したものの日本勢としては2004年大会以来となる準優勝を果たした。
2014年夏の大阪大会では、桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁したPL学園以来となる大阪大会3連覇を達成[10]。同年夏の選手権でも投打にまとまりのある総合力で、春夏通算4度目の全国制覇を成し遂げた[11]。
2017年春のセンバツで春夏通算5度目の全国制覇を達成[12]。なお、決勝は同じ大阪の履正社高校との対戦で同一都道府県同士の決勝は第44回大会での日大桜丘対日大三以来で、大阪勢同士は初であった。
2018年春のセンバツで安定した投手陣と強力打線で春夏通算6度目の全国制覇を達成[13]。PL学園以来36年ぶり史上3校目の春連覇を達成[13]。この優勝により春夏通算の優勝回数が元PL学園の中村順司監督と並んで歴代最多となった[14]。
2018年夏の選手権で春夏通算7度目の全国制覇を達成[15]。史上初の2度目の春夏連覇を達成する[15]。今回の優勝で甲子園の春夏通算優勝回数が元PL学園の中村順司監督を抜き歴代最多となった[16]。また節目の夏の甲子園、第100回記念大会の優勝監督となる[16]。さらに秋に行われた福井国体でも優勝し[注 1]、史上初の2度目の「三冠」を達成した[17]。
2021年秋の近畿大会で優勝を果たし、近畿地区代表として出場した神宮大会において決勝進出を果たし、中国地区代表の広陵高校に勝利して初優勝。この優勝で、春の甲子園、夏の甲子園、国体に続いて、史上8校目の4大大会制覇を達成した[18]。
2022年春のセンバツでは大会新記録となる1大会11本のホームランを放つなどの猛打で春夏通算8度目の全国制覇を達成した[19]。
2022年秋の近畿大会で優勝を果たし、近畿地区代表として出場した神宮大会において決勝進出を果たし、中国地区代表の広陵高校に勝利して、史上初の神宮大会連覇を達成した[20]。
監督として
西岡剛(高校通算42本塁打)、中村剛也(同83本塁打)、中田翔(同87本塁打)、平田良介(同70本塁打)、浅村栄斗(同22本塁打)、森友哉(同41本塁打)、根尾昂(同32本塁打)、藤原恭大(同32本塁打)など、多くの超高校級スラッガーをプロへ輩出している[21]。打者を見出す際は「1球目から振っていける選手かどうか」に最も重点を置いている[22]。また、投手も岩田稔、150キロ左腕の辻内崇伸、春夏連覇を成し遂げた藤浪晋太郎、澤田圭佑、柿木蓮、横川凱らがプロ入りした。春夏それぞれ4度の優勝と春夏通算8度の優勝はともに歴代最多。甲子園連覇の3度達成は監督として史上初の記録である。2019年に第6回ジャパンコーチアワード最優秀コーチ賞を受賞している[23]。
甲子園での成績
- 春:出場12回・31勝7敗・勝率.816・優勝4回(2012年、2017年、2018年、2022年)
- 夏:出場10回・36勝6敗・勝率.857・優勝4回(2008年、2012年、2014年、2018年)
- 通算:出場22回[注 2]・67勝13敗・勝率.838・優勝8回
主な教え子
エピソード
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e “”. MSN産経ニュース. 2012年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月4日閲覧。
- ^ . 毎日新聞社. (2012年4月5日)
- ^ “大阪桐蔭の監督が選抜自粛/部内暴力で、学校は出場”. 四国新聞社. (2004年2月18日)
- ^ “大阪桐蔭が春夏連覇/甲子園決勝戦詳細”. 日刊スポーツ新聞社. (2012年8月23日)
- ^ “春夏連覇 大阪桐蔭・西谷監督 慣習打破し続け「目指す野球の形が完成」”. スポーツニッポン新聞社. (2012年8月30日)
- ^ 日程順延のため仙台育英高校と同時優勝となった
- ^ “大阪桐蔭3冠「史上3校目」/高校野球”. 日刊スポーツ新聞社. (2012年10月3日)
- ^ . MSN産経ニュース. (2013年3月30日)
- ^ . 毎日新聞社. (2013年3月21日)
- ^ 大阪桐蔭 猛打でPL撃破!29年ぶりの大阪大会3連覇達成 スポーツニッポン新聞社 2014年7月30日
- ^ 大阪桐蔭・優勝までの足跡 日刊スポーツ新聞社 2014年8月25日
- ^ “大阪桐蔭5年ぶり2度目V 4本塁打で大阪対決制す”. 日刊スポーツ新聞社. (2017年4月1日)
- ^ a b “大阪桐蔭が春連覇!36年ぶり史上3校目 根尾が史上初の2年連続胴上げ投手”. スポーツニッポン新聞社. (2018年4月4日)
- ^ “西谷監督、甲子園優勝6回目 最多のPL中村監督に並ぶ”. 朝日新聞社. (2018年4月4日)
- ^ a b “大阪桐蔭、史上初2度目の春夏連覇!最強打線が15安打13点 柿木完投で胴上げ投手”. スポーツニッポン新聞社. (2018年8月21日)
- ^ a b “監督最多7度目Vの大阪桐蔭・西谷監督、春夏連覇のナイン称え「もっともっと大阪桐蔭を大きくしたい」”. スポーツニッポン新聞社. (2018年8月21日)
- ^ “大阪桐蔭、福井国体制し高校3冠”. 福井新聞社. (2018年10月3日)
- ^ “【神宮大会】大阪桐蔭が初優勝で4大大会制覇 松尾汐恩が1試合2発でサイクル超え4打点 西谷監督「41人の勝利」”. スポーツ報知. (2021年11月25日)
- ^ “【センバツ】大阪桐蔭が4年ぶり4度目の優勝 4発18点の猛打で近江を撃破 大会新のチーム11本塁打”. スポーツ報知. (2022年3月31日)
- ^ “大阪桐蔭、史上初の神宮大会連覇 エース前田が4回7K 0封救援、広陵は2大会連続準V”. Full-Count. (2022年11月24日)
- ^ 夏V大阪桐蔭OBに目立つ、長距離打者としての飛躍 Baseball King 2014年8月26日
- ^ <中田翔、中村剛也らの原点> 大阪桐蔭 「スラッガー養成校の謎を追え」(2/2) Number 2013年7月17日
- ^ “大阪桐蔭高・西谷監督、最優秀コーチ賞受賞 第6回ジャパンコーチアワード”. サンケイスポーツ新聞社. (2019年2月4日)
- ^ “センバツ出場回数は加算 初出場の平田ら5校、甲子園でのプレーがないまま出場扱いに”. スポーツニッポン. (2020年3月12日)2020年5月26日閲覧。
- ^ “藤浪が母校へ 恩師にベビースター過去最多800個”. 日刊スポーツ. (2019年1月5日)2021年8月11日閲覧。
- ^ “藤浪 ベビースター750袋 大阪桐蔭の恩師・西谷監督は「もうええわ!」 驚愕の消費ペースは…”. スポーツニッポン. (2017年1月5日)2021年8月11日閲覧。
- ^ “阪神・藤浪に「ベビースター」から感謝状「びっくり」毎年恩師に大量差し入れ”. スポーツニッポン. (2019年2月14日)2021年8月11日閲覧。