藻琴駅(もことえき)は、北海道網走市字藻琴にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。電報略号はモコ[1]。事務管理コードは▲111620[2]。駅番号はB77。
歴史
年表
- 1924年(大正13年)11月15日:国有鉄道の駅として開業[3]。一般駅。
- 1935年(昭和10年)10月11日:旧東藻琴村までの殖民軌道が開通。
- 1961年(昭和36年)10月5日:東藻琴村営軌道の藻琴 - 東藻琴間廃止。
- 1982年(昭和57年)9月10日:貨物取扱い廃止[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:交換設備を廃止し閉塞扱い、駅員配置を終了[6]。簡易委託化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[7]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託廃止、完全無人化。
- 2007年(平成19年):同年と翌2008年(平成20年)にデュアル・モード・ビークルの試験的営業運行を当駅と浜小清水駅の間で実施。
駅名の由来
現在の藻琴湖(藻琴沼)のアイヌ語名に由来する地名であるが、現在では語義不明となっており、いくつかの解釈が出されている[8][9]。
アイヌ語 | 意味 | 由来 | |
---|---|---|---|
カタカナ表記 | ラテン翻字 | ||
モコト | - | 小沼 | 永田方正による解釈。後年山田秀三により「モ(小)、トー(沼)は分かるが、間のコをどう読んだのか分からない[8]」と評されている。 |
ムㇰト | muk-to | 塞がる・沼 | 知里真志保が参加した『北海道駅名の起源』(1950年版)における解釈。 |
モコㇽト | mokor-to | 眠っている・沼 | 知里真志保が参加した『網走市地名解』における解釈。湖が山に囲まれていて波が静かであるから、としての解釈。これが、転訛し「モコット(mokotto)」となって現在の形になったのではないか、としている。 |
ポコㇽト | po-kor-to | 子・持つ・沼 | 知里真志保が参加した『北海道駅名の起源』(1954年版)における解釈。これが「ポコット(pokotto)」に転訛して現在の形になったのではないか、としている。 山田秀三は、知里が湖の東岸にあるごく小さな沼に着目したものではないかと推察している。 |
駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅。かつては相対式ホーム2面2線、副本線および貨物ホームを有していた[10]。知床斜里駅管理の無人駅である。
駅舎は多少改修が施されているが開業当時のものが使われている[11]。
かつての駅事務室では喫茶店の「軽食&喫茶 トロッコ」が営業している[12][13]。店内には、だるまストーブと鉄道グッズが並べられている[13]。また、「トロッコ」という屋号は、当駅前から当時の東藻琴村まで結んでいた軽便鉄道(殖民軌道)をヒントとして付けられた[13]。
待合室(2009年10月)
ホーム(2018年7月)
かつてあった、DMVのインターチェンジ(2009年10月)
駅名標(2018年7月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
オホーツク海に近く、国道・北海道道沿いや駅裏手に集落や工場などがある。主要道の交差点に位置するため交通量は多い。
隣の駅
脚注
出典
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、140頁。ISBN (4-09-395401-1)。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ 内閣印刷局, ed (1924-11-11). “鉄道省告示 第218号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3666) .
- ^ 『鉄道百年の歩み』 pp. 111 - 112
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 113
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 117
- ^ 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、926頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、214-215頁。ISBN (978-4-88323-114-0)。
- ^ “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2021年9月26日閲覧。
- ^ 『北海道 釧網本線』 p. 78
- ^ 『北海道鉄道駅大図鑑』 p. 310
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻610号 p.51
- ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻642号 p.19
- ^ “” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区). 北海道旅客鉄道 (2017年12月8日). 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月10日閲覧。
- ^ “” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2018年7月2日). 2018年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月19日閲覧。
- ^ “” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “藻琴駅前”. NAVITIME. 2019年9月2日閲覧。
JR北海道
- ^ 「」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。 オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ2017年12月10日閲覧。 。
- ^ 「」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。 オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ2018年8月19日閲覧。 。
- ^ “” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
参考文献
- グループ169.1『北海道 釧網本線』(1999年)
- 東藻琴村史第二巻編纂委員会『東藻琴村史 第二巻』(1999年)
- 北海道旅客鉄道釧路支社『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 本久公洋 『北海道鉄道駅大図鑑』 北海道新聞社(2008年) (ISBN 978-4-89453-464-3)
- 岩成政和「存廃に揺れる北辺の本線 根室から稚内までの800km各駅停車の旅」『鉄道ジャーナル』第51巻第8号(通巻610号)、成美堂出版、2017年8月1日、42-63頁。
- 伊藤丈志「2020冬 魅惑の石北本線・釧網本線をたどる」『鉄道ジャーナル』第54巻第4号(通巻642号)、成美堂出版、2020年4月1日、14-21頁。
関連項目
外部リンク
- 藻琴|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・観光|JR北海道- Hokkaido Railway Company