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藤子スタジオ

藤子不二雄 > 藤子スタジオ
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藤子スタジオ(ふじこスタジオ)は、藤子不二雄が立ち上げた漫画制作会社。コンビ解消後は藤子不二雄が引き継いだ。代表取締役社長は松野泉。通称「藤子スタジオ」。

株式会社 藤子スタジオ
種類 株式会社
本社所在地 日本
160-0023
東京都新宿区西新宿4-14-4
カツラビル
設立 1960年代
法人番号 7011101019252
事業内容 藤子不二雄作品の漫画制作・版権管理
代表者 松野 泉
関係する人物 安孫子素雄(藤子不二雄
藤本弘(藤子・F・不二雄
(テンプレートを表示)


概要

  • 1966年2月、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄のコンビによる漫画家)が、自身の漫画制作を行うために「有限会社藤子スタジオ」を設立[1]
  • 1987年昭和62年)、藤本と安孫子の独立に伴い、藤子スタジオは藤子不二雄(安孫子)作品の漫画制作と版権管理を引き継いだ。
    • 藤子・F・不二雄(藤本)作品については、新たに設立された「有限会社藤子・F・不二雄プロ」(現:株式会社藤子・F・不二雄プロ、通称藤子プロ)が同様の業務を行うことになった。藤子スタジオは藤子プロの源流企業にあたる。
  • 長らく有限会社として業務を行なってきたが、後に株式会社へ改組。それに伴い藤子本人は会長、藤子の実姉である松野喜多枝が社長に就任した。所在地は東京都新宿区で、藤子プロと同様に旧スタジオ・ゼロ跡地近辺にある。なお松野は「まんが道」などの藤子の自伝的諸作品にほとんど登場しないため、一般にはあまり知られていないが1955年12月頃よりトキワ荘で弟の部屋に同居して食事の世話やベタ塗等のアシスタント作業を行い[2]、藤子スタジオ設立後は藤子不二雄のマネージャーを務め、実娘の松野泉(安孫子の姪にあたる)も藤子スタジオの専務取締役兼現マネージャーとして勤務していた。
  • その後、喜多枝が退任し娘の泉が社長となった。
  • 2022現在は藤子不二雄作品の著作権管理を主たる業務とする。なお藤子は2022年4月6日に逝去し、会長は空席となっている。

藤子プロとの関係

  • 2022現在、同社と藤子・F・不二雄の「株式会社藤子・F・不二雄プロ」(2006年までの代表取締役会長は藤子F夫人、藤本正子)には資本、業務ともに基本的につながりがなく、完全に別会社として運営されている。そのため、「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄」は個別の作家として著作権等が存在することになり、「藤子不二雄」名義に関する著作権表記は両社名を併記する形を取っている。
  • オバケのQ太郎』は長年再版されなかったが、2009年7月に「藤子・F・不二雄大全集」において連名の共著とする形で刊行された[注 1]

その他

2014年から刊行を開始した電子書籍版作品集の「藤子不二雄デジタルセレクション」は小学館が編集しており、同社の「藤子・F・不二雄大全集」が2021年より電子書籍版の刊行を開始したのと合わせて両名の作品の大部分が網羅的に読める環境となっている。

出身者

  • 同社は藤子作品制作において、作画を補助する多数のスタッフ[注 2]を雇用した。その中には後に独立して一家を構えたものも多い。
  • 藤子(藤本、安孫子共に)が多忙な時期(1980年以降)には、小学館の新人漫画賞児童部門だった「藤子不二雄賞」受賞者が雇用される機会もあった。
  • 藤子不二雄名義で作品を発表していた時期から、各スタッフは基本的に藤本作品か安孫子作品のどちらかのみに携わる体制を敷いており、藤子不二雄賞受賞者は児童漫画志望が多かったことから、藤本作品に携わる事が多かったという。例外的に、永田竹丸(永田はトキワ荘時代からの漫画家仲間である)ら初期スタッフや藤本のチーフを務めた方倉陽二は安孫子作品に携わる事もあった。また同社スタッフではないがしのだひでおも両者の作品に携わっている[3]
  • コンビ解消に伴う分社化に当たっては、その時点で安孫子のスタッフだった者が藤子スタジオに残り、藤本のスタッフだった者は新設の藤子プロに移籍する形を取っている。

藤子不二雄時代

藤子不二雄時代

関連項目

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 再販されなかった時期には不仲説も流れた。
  2. ^ 通常はアシスタントと呼ばれるが、安孫子は「作品は全員が共同で作るもの」として、特にこの語を用いている。

出典

  1. ^ 『まんが道大解剖』(2017刊内の2016の談話)P.57
  2. ^ 『三栄ムック まんが道大解剖』P56-P57、「松野喜多枝インタビュー」
  3. ^ この項目の前半は藤子不二雄賞入選者の話だが、後半は藤子不二雄賞設立(1980年)より前から作画スタッフ業務を行っている面々の話になっており、時系列の整合性がない。
  4. ^ 『PARマンの情熱的な日々 どこへでも飛んでいく編』集英社、2015年、73,145頁。 
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