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藤井淳志

藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手外野手、右投両打)、野球解説者YouTuber

藤井 淳志
2019年7月23日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県豊橋市
生年月日 (1981-05-20) 1981年5月20日(42歳)
身長
体重
183 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年3月31日
最終出場 2021年10月13日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
藤井 淳志
YouTube
チャンネル
  • 藤井淳志のATSHチャンネル
活動期間 2022年3月26日 -
ジャンル 野球
総再生回数 2,033回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年5月13日時点。
(テンプレートを表示)

経歴

プロ入り前

地元で公立の豊橋東高等学校に進学。

筑波大学入学後には、2003年首都大学連盟春季1部リーグで打率.340、50打数17安打6打点と個人打撃成績7位の成績を残す[1]

NTT西日本では、プロでも同僚となる齊藤信介脇谷亮太とプレーしていた。野球W杯で社会人で編成された日本代表に選出。

2005年度大学生・社会人ドラフト会議にて中日ドラゴンズから3位指名を受け、入団。

中日時代

2006年シーズンは、上田佳範井上一樹英智らと外野のポジションを争い、オープン戦の活躍により「2番・中堅手」として開幕スタメンを果たした(チームとして福留孝介以来7年ぶりの新人の開幕スタメン)開幕2戦目でプロ初安打を記録し守備では山﨑浩司の左中間に抜けそうな当たりをダイビングキャッチするというファインプレーをみせた。しかし5試合目からはスタメンを外れ、以後は主に守備固め代走として出場した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦の8回裏中堅の守備固めで日本シリーズ初出場。

2007年シーズンからは、右打席に専念。春季キャンプにおいて、ほぼ毎日3時間かけ、1562スイングと荒行を成し遂げるも、落合博満監督は「これから毎日だよ。足りなけりゃ4時間でも5時間でもいい。長くなってくるよ。限界? 限界なんてあるか」と発言[2]。藤井の目標は「総合アップさせたい。1日1600スイングで鍛える」[3]であった。前年のシーズンよりもスタメンの機会が増え、プロ初打点も記録。また、ナゴヤドームで初本塁打を右打席で逆方向に放った。守備固めや代走での出場も含め前年のシーズンより出場機会が増えた。

2008年シーズンは、4度の二軍落ちを経験するなど出番に恵まれなかった。同年のシーズンオフに野手として初めてドミニカ共和国ウィンターリーグ新井良太前田章宏とともに派遣された。リセイ・タイガースに所属し、終盤に登録され、3打数1安打の成績であった。ウィンターリーグを機にスイッチヒッターへ再転向。

2009年シーズンは、5月に一般女性と結婚[4]。オープン戦で好成績を残し、好調のまま迎えた公式戦では開幕直後の6試合で4本塁打とそれまでのシーズンにおける自身の通算本塁打数を更新した。6月30日の対阪神タイガース戦では、3点差をひっくり返す、プロ入り初の逆転満塁本塁打を放った[5]。9月6日の対横浜ベイスターズ戦(新潟)で和田一浩と交錯し、骨折する大けがを負い、戦列を離れた[6]。結局、規定打席には8打席届かなかったが.299、10本塁打、49打点と自己最高の成績を残し、シーズンを通してほぼ中堅手のポジションで先発出場した。10月17日、東京ヤクルトスワローズとのクライマックスシリーズ第1ステージ初戦にスタメン出場し、3安打と戦力として復帰[7]。しかしチームはクライマックスシリーズ第2ステージで敗退する。

2010年シーズンは、ディオニス・セサル大島洋平野本圭堂上剛裕らによる厳しいポジション争奪戦になったが、夏以降にはスタメンの機会が増えた。8月21日対ヤクルト戦(ナゴヤドーム)では、2打数1安打1四球で決勝のホームを踏み、守備では2補殺と大活躍でお立ち台にも上がった[8]。しかし、飛躍した前年のシーズンと比べ、出場機会は減り、大きく成績を落とした。

2011年シーズンは、開幕を二軍で迎えた。何度か一軍へ上がったがその度に二軍落ちし、一軍定着はできなかった。プロ入りして最低の20試合の出場に留まった。ポストシーズンでは一軍登録され、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは右翼手として2試合にスタメン出場した。

2012年シーズンは、開幕一軍でシーズンを迎え、7月8日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)延長10回裏、満塁の場面でライト前に自身初のサヨナラ打を放った[9]。この日のヒーローインタビューで、4月1日に長男が誕生したことを明かした。

2013年シーズンは、オープン戦から本塁打を放つ[10]など開幕一軍を果たし[11]、出場機会が少ないながらも5月には補殺数で両リーグトップに立った。8月中旬には「1番・中堅手」で定着し、8月の月間打率.378、4本塁打と活躍したが9月1日に故障し、戦線離脱[12]。最終的に規定打席には到達しなかったが4年ぶりに100試合以上に出場し、打率.303を記録した。

2014年シーズンは、開幕二軍スタートで迎える。4月6日に一軍へ昇格されるが、5月3日に二軍へ降格[13]。6月15日に再び一軍へ昇格されると[14]、その後も一軍に帯同し、8月5日には、自身初となるサヨナラ本塁打を故郷・豊橋で放った[15]。8月29日には8回と11回にいずれも左打席でプロ初の1試合2本塁打を放った[16]

2015年シーズンは、自身の誕生日でもある5月20日の対広島東洋カープ戦にて逆転3点本塁打を放ち、前年のシーズンに引き続き、故郷・豊橋で大活躍した[17]。さらに7月12日の対広島戦(ナゴヤドーム)では延長12回にサヨナラ本塁打を放つ[18]など得点圏打率.405と勝負強さを発揮し、自身最多となる118試合に出場し、打率.295、6本塁打、45打点を記録した[19]。この年に初めて国内FA権を取得したが行使せず残留を表明[20]。10月1日に第2子となる次男が誕生[21]

2016年シーズンは、開幕スタメンを勝ち取り、マルチヒットを記録[22]。87試合に出場し、7月11日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では自身2本目となる満塁本塁打を放った。この年シーズン途中に海外FA権を取得したが、残留を表明した。

2017年シーズンは、9月24日の本拠地・ナゴヤドーム最終戦での森野将彦の引退試合でサヨナラ打を記録した[23]。自己最多となる128試合に出場し、打率.265、6本塁打、42打点を残したが、またも規定打席には届かなかった。

2018年シーズンは、主に代打として起用され[24]、7月29日に対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)にてプロ通算1000試合出場を達成[25]

2019年シーズンは、主に代打などで61試合に出場したが、打率.220に終わった。

2020年シーズンは、開幕を二軍で迎えると一軍へ昇格することなく、シーズンを終え、プロ入り初の一軍出場なしに終わる。シーズンオフには同年のシーズンより2年契約を結んでいたことを明かした[26]

2021年シーズンは、9月29日時点で一軍出場なしに球団を通して現役引退を発表[27][28]。10月13日のヤクルト戦(バンテリンドーム)で同じく現役を引退する山井大介とともに引退試合が行われた[29]。自身は「1番・右翼手」として先発出場(1打席限定)。1回裏に相手投手・サイスニードの外角一杯の直球に手が出ず、見逃し三振に終わった。ここで同僚の堂上直倫から花束をもらい、ファンの大きな拍手と共にベンチに降りた[30]。試合後の引退セレモニーでは関係者やファンに感謝を伝え、自身の家族と同僚の大島洋平祖父江大輔から花束を受け取り、背番号と同じ4度胴上げされ、現役生活に幕を下ろした[31]

現役引退後

2022年からは中京テレビ放送J SPORTS(CBCテレビ制作分)・東海ラジオ(ゲスト)の野球解説者・CBCテレビの副音声解説者・東海ラジオのコメンテーターを務める。

選手としての特徴

スイッチヒッターである[32]50メートル走5秒8、遠投125メートル[32]。(鉄砲肩と言うように、一般には肩が強いと言われるが、本人は英智同様、むしろ手首が強いためと語っている[33]) ただし、送球のコントロールに難があった。

人物

入団時、入場曲を中日スポーツで公募し、THE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』に決めた(後に変更)。その後、2008年まではカウボーイビバップのOP『Tank!』を、2009年は当初はTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』だったが、通常時は『キスして欲しい』、チャンス時は『Tank!』の併用使用となった。2011年からはチャンス時も含め常にTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』を入場曲として使用していた。

右打席と左打席では違うタイプのバットを使用している。左打席に使用しているバットは、元同僚の新井良太と同じタイプのものである。2009年には好調な藤井にあやかりたいと荒木雅博が藤井のバットを使うことがあり、10月18日のヤクルトとのクライマックスシリーズで荒木が藤井のバットで決勝適時打を放ったときに「ナイスバット」と冷やかしたが、「こっちだよ、こっち」と荒木は自らの腕を指して反論した。なお、荒木はこの決勝打以来、暫くこのバットを使い続けた。

ファンサービスの精神が旺盛で、優勝時のビールかけでは、前面スーツ姿の背中丸出しや、イカのような形をしたフランクフルトのかぶり物で登場、テレビを通じてファンを楽しませた。2011年シーズン開始前の応援テレビ番組では青木宣親、シーズン終了後の豊橋イトーヨーカー堂トークショーではアレックス・ラミレスなど、他球団選手の物真似をして会場を沸かせるなど、物真似で多くのファンを楽しませる愉快なキャラクターを持っている。2012年ファン感謝デーの障害物リレーでは、突然チームメイトの中田亮二を相手に相撲して先輩の貫禄で勝利、満員の観客を沸かせた。2013年関西テレビの番組(プロ野球を2013倍楽しくするテレビ)に出演したとき、司会者から「美容師さんですか??」と突っ込まれるほどお洒落でスマートな野球選手であった。

非常に引き締まった体格だったようで現役時代は体脂肪率が5%ともいわれた[34]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 中日 40 44 41 10 6 2 0 0 8 0 1 1 2 0 0 0 1 7 0 .146 .167 .195 .362
2007 76 71 64 14 13 3 0 1 19 5 7 2 4 1 2 0 0 19 0 .203 .224 .297 .521
2008 40 39 35 10 6 1 0 2 13 2 2 1 3 0 1 0 0 9 0 .171 .194 .371 .566
2009 114 438 401 50 120 26 1 10 178 49 15 1 11 2 23 5 1 79 4 .299 .337 .444 .781
2010 63 184 166 17 39 6 3 1 54 8 3 1 9 1 7 0 1 38 1 .235 .269 .325 .594
2011 20 58 50 7 12 2 0 0 14 3 1 0 5 0 1 0 2 13 1 .240 .283 .280 .563
2012 54 62 56 5 11 2 0 0 13 3 1 1 1 1 4 0 0 13 1 .196 .246 .232 .478
2013 108 259 238 27 72 10 0 6 100 19 5 2 2 3 14 1 2 53 4 .303 .342 .420 .763
2014 88 300 266 35 73 13 3 6 110 36 2 2 6 2 25 0 1 55 2 .274 .337 .414 .750
2015 118 315 275 28 81 9 3 6 114 45 3 0 11 4 23 0 2 69 4 .295 .349 .415 .763
2016 87 187 167 15 36 5 1 3 52 19 0 0 6 2 12 1 0 45 3 .216 .265 .311 .577
2017 128 408 374 29 99 18 3 6 141 42 5 6 6 2 24 0 2 96 6 .265 .311 .377 .688
2018 96 162 145 21 35 8 0 3 52 30 0 0 0 5 12 1 0 36 1 .241 .290 .359 .649
2019 61 154 141 12 31 8 1 1 44 12 1 0 0 1 11 0 1 33 3 .220 .279 .312 .591
2021 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:15年 1094 2682 2420 280 634 113 15 45 912 273 46 17 66 24 159 8 13 566 30 .262 .308 .377 .685
  • 2021年度シーズン終了時

年度別守備成績



外野












2006 中日 25 25 1 0 0 1.000
2007 64 34 2 0 0 1.000
2008 29 19 0 1 0 .950
2009 113 218 3 3 1 .987
2010 54 85 4 1 0 .989
2011 17 29 0 1 0 .967
2012 38 43 1 1 1 .978
2013 92 109 8 3 1 .976
2014 82 135 2 2 1 .986
2015 102 125 4 4 0 .970
2016 56 61 2 0 1 1.000
2017 102 176 1 2 0 .989
2018 32 46 2 0 1 1.000
2019 34 49 1 0 0 1.000
2021 1 0 0 0 0 ----
通算 803 1154 31 16 6 .987
  • 2021年度シーズン終了時

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 22(2006年 - 2007年)
  • 4(2008年 - 2021年)

登場曲

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2003秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  2. ^ “”. 中日スポーツ (2007年2月5日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月12日閲覧。
  3. ^ 中日新聞 2007年2月24日付、東三河版から一部抜粋。
  4. ^ 中日藤井結婚 すでに新生活、年内挙式.日刊スポーツ 2009年11月24日掲載
  5. ^ 中日7連勝!藤井逆転の初満塁本塁打.日刊スポーツ 2009年7月1日掲載
  6. ^ 中日藤井今季絶望か、左肋骨骨折で抹消.日刊スポーツ 2009年9月8日掲載
  7. ^ 藤井復活!竜逆転突破大丈夫だ/CS.日刊スポーツ 2009年10月18日掲載
  8. ^ 中日藤井2カ月ぶり1軍走攻守で躍動.日刊スポーツ 2010年8月22日掲載
  9. ^ ナゴヤD14連勝 途中出場藤井が決めた.日刊スポーツ 2012年7月9日掲載
  10. ^ 【中日】藤井がOP戦1号弾「いい感じ」.日刊スポーツ 2013年3月10日配信
  11. ^ 【中日】吉見、中田亮ら/開幕登録一覧.日刊スポーツ 2013年3月27日配信
  12. ^ 藤井肉離れ「悔しい」全治4週間.日刊スポーツ 2013年9月3日配信
  13. ^ 中日が5選手を入れ替え.日刊スポーツ 2014年5月3日配信
  14. ^ 中日 中田ら登録、野本ら抹消.日刊スポーツ 2014年6月15日配信
  15. ^ 中日藤井地元でサヨナラ弾「気持ちいい」.日刊スポーツ 2014年8月6日掲載
  16. ^ 中日1番起用藤井2発「たまたまです」.日刊スポーツ 2014年8月30日掲載
  17. ^ 中日藤井 誕生日逆転3ラン、豊橋男がまたも大仕事.日刊スポーツ 2015年5月21日配信
  18. ^ ドロー寸前、中日藤井サヨナラ弾 2死走者なしから.日刊スポーツ 2015年7月13日配信
  19. ^ 中日藤井1200万増「サインすると決めていた」.日刊スポーツ 2015年12月8日配信
  20. ^ 中日藤井残留、FA権行使せず「監督胴上げしたい」.日刊スポーツ 2015年11月7日配信
  21. ^ 中日藤井に第2子次男誕生「一層頑張る」.日刊スポーツ 2015年10月1日配信
  22. ^ “2016年3月25日【公式戦】試合結果 (阪神vs中日)”. NPB. 2022年4月5日閲覧。
  23. ^ “中日藤井「本当にお世話に」森野に恩返しサヨナラ打”. 日刊スポーツ (2017年9月24日). 2017年12月23日閲覧。
  24. ^ “中日・藤井淳志 衰え知らずの37歳!/区切りのシーズンを終えて | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2018年12月18日). 2022年4月10日閲覧。
  25. ^ “中日・藤井、通算1000試合出場=プロ野球494人目”. 毎日新聞 (2018年7月30日). 2018年11月13日閲覧。
  26. ^ “中日・藤井は2年契約だった! 現状維持でサイン 来季は「40歳でキャリアハイ」”. スポニチアネックス. (2020年12月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/12/01/kiji/20201201s00001173183000c.html 2020年12月1日閲覧。 
  27. ^ “藤井淳志選手が引退を発表”. 中日ドラゴンズ (2021年9月29日). 2021年10月17日閲覧。
  28. ^ “中日一筋16年の藤井淳志が今季限りで引退 チーム黄金期を支えた外野手”. 日刊スポーツ (2021年9月29日). 2021年9月29日閲覧。
  29. ^ “【中日】山井&藤井の「引退試合」へ舞台整う グラウンドに二人の背番号も”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年10月13日). 2021年10月13日閲覧。
  30. ^ “【中日】引退の藤井淳志は見逃し三振 ファンから温かな拍手”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年10月13日). 2021年10月13日閲覧。
  31. ^ “【中日】現役引退の藤井淳志「ドラゴンズのユニホームを着れたことは僕の誇り」仲間から4度胴上げ”. スポーツ報知 (2021年10月13日). 2021年10月13日閲覧。
  32. ^ a b 2005年 ドラフト入団選手 藤井淳志 - 中日ドラゴンズ 公式サイト
  33. ^ 「野球浪漫2010 〜熱き男の白球ストーリー〜 Vol.27 藤井淳志[中日]」『週刊ベースボール』2010年10月4日号より
  34. ^ “落合竜が強かった秘密を教え子が明かす 3時間連続打撃を課された藤井氏「今じゃ考えられんだろうけど」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年2月18日). https://www.daily.co.jp/baseball/2023/02/18/0016063338.shtml 2023年2月18日閲覧。 
  35. ^ “ヤナセ、09年度プロ野球MVP選手にメルセデス”. レスポンス (2009年12月21日). 2018年2月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 藤井淳志 - NPB.jp 日本野球機構
  • 藤井淳志公式サイト
  • 藤井淳志 (703563599694511) - Facebook
  • 藤井淳志 (@atsushi.fj4) - Instagram
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