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終電車の死美人

終電車の死美人』(しゅうでんしゃのしびじん)は、1955年6月21日に公開された日本映画[1][2]東映東京撮影所製作・東映配給。主演:宇佐美諄監督小林恒夫モノクロ

終電車の死美人
監督 小林恒夫
脚本 (白石五郎)・(森田新)
出演者
音楽 紙恭輔
撮影 藤井静
編集 祖田富美夫
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 1955年6月21日
上映時間 91分
製作国 日本
言語 日本語
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概要

東映東京撮影所(以下、東映東京)製作の長期シリーズとなった「警視庁物語シリーズ」計24作品[3]の元祖[2][4][5]、また「警視庁物語シリーズ」で培われた伝統ノウハウが『特別機動捜査隊』『特捜最前線』『はぐれ刑事純情派』『相棒』など[2]、東映東京で制作された刑事ドラマに引き継がれたと評される[2]。本作の(チーフ助監督)を務めたのが「警視庁物語シリーズ」で7本の監督を務めた村山新治[2]。同じく本作に助監督として就いた深作欣二が影響を公言しており[2][6]、東映現代劇に大きな影響を与えたとされる[4][6]

原作朝日新聞社警視庁担当記者団が書いた『警視庁』[7][2]三鷹行き最終列車の中で殺された若い女性の僅かな所持品から犯人を割り出していく警視庁捜査一課刑事たちの姿をドキュメンタリータッチで描いている[1][2]

日本に於ける映画音楽の草分けとされる紙恭輔が音楽を担当している[8][9]

キャスト

スタッフ

  • 監督:小林恒夫
  • 脚本:(白石五郎)・(森田新)
  • 原作:朝日新聞社警視庁担当記者団『警視庁』
  • 企画:依田一郎・吉野誠一・小川三喜雄
  • 撮影:(藤井静)
  • 美術:北川弘
  • 音楽:紙恭輔
  • 録音:岩田広一
  • 照明:元持秀雄

同時上映

天兵童子 第一篇 波濤の若武者

作品の評価

受賞歴

  • (第6回ブルーリボン賞新人賞):小林恒夫(『(暴力街)』と合わせて)

影響

東映は京都太秦東映京都撮影所(以下、東映京都)、東京練馬に東映東京撮影所と東西に二つの撮影所を持つことでも知られるが、東映創立から人気を博したのは東映京都で製作される時代劇映画で、社会派作品の多い東映東京でヒットした映画はほとんど無かった[2][10][11]。東映東京の作品は東映京都製作の時代劇との併映のため、ヒットはあまり関係なかったが、東映時代劇の人気に翳りが見え始めた1960年前後に問題に上がった[2][10]第二東映の失敗も重なり[10][12]、1961年9月に岡田茂が東映東京所長に就任すると、小林恒夫のような古手監督は、映画を演出する機会が減らされた[10][13]

岡田がプロデュースした1963年3月封切の『人生劇場 飛車角』が望外の大ヒットを放つと東映東京も(任侠路線)に切り換えられ[2][10][14]、「警視庁物語シリーズ」も終了し、東映ではほとんど社会派映画は作られなくなった[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 終電車の死美人 - 日本映画製作者連盟
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 斉藤勝寿 (2011年8月13日). “(そこに、スターがいた 東京撮影所物語:11)東映 社会に迫る刑事もの /東京都”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 都・2地方28頁 
  3. ^ 警視庁物語シリーズ – 日本映画製作者連盟
  4. ^ a b 「小林恒夫 文・佐藤忠男」『日本映画・テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年、159-160頁。 
  5. ^ “日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書(7) 『警視庁物語』の時代その1”. 映画の國. 2022年12月11日閲覧。
  6. ^ a b 深作欣二「東映現代劇12年を舞台裏からみれば 昭28~40年-1953~1964-」『映画芸術』1965年8月号 No215、映画芸術社、61-62頁。 
  7. ^ 『警視庁』朝日新聞社警視庁担当記者団 編、東洋経済新報社、1954年、(全国書誌番号):(54001335)
  8. ^ 「日本ジャズ界の先駆者・紙恭輔さん死去」『週刊読売』、読売新聞東京本社、1981年4月12日、28頁。 
  9. ^ 吹奏楽マガジン Band Power:エッセイ 第12回 アーニー・パイル劇場(1)
  10. ^ a b c d e 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2007年、132–134頁。ISBN (4-87932-016-1)。 
  11. ^ 立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、2003年、40-43,122-123頁。ISBN (4-89036-181-2)。 笠原和夫、荒井晴彦絓秀実『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫 巻末特別付録、岡田茂インタビュー太田出版、2002年、1-2頁。ISBN (4-87233-695-X)。 黒沢, 清四方田, 犬彦、吉見, 俊哉 ほか 編「日本映画とやくざ、あるいは『不良性感度映画』の時代 内藤誠述」『日本映画は生きている 第四巻 スクリーンのなかの他者』岩波書店、2010年、267-282頁。ISBN (978-4-00-028394-6)。 (Internet Archive)
  12. ^ 『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)(Internet Archive)
  13. ^ 佐藤忠男 編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、122頁。ISBN (978-4-8169-2035-6)。 中島貞夫「企画特集 日本映画この生きている10年史 '60の豚は'70の狼になるか やくざ襲撃前夜のゴールデンエージ?」『映画芸術』1969年10月号 No266、映画芸術社、44-45頁。 石井輝男福間健二『石井輝男映画魂』ワイズ出版、1992年、118-119頁。ISBN (4-948735-08-6)。 山根貞男、米原尚志『「仁義なき戦い」をつくった男たち 深作欣二と笠原和夫日本放送出版協会、2005年、131頁。ISBN (4-14-080854-3)。 
  14. ^ 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映、2016年、133、154-155頁頁。  (Internet Archive)“” (PDF). メッセージ.jp. BSフジ (2005年5月15日). 2022年12月11日閲覧。(Internet Archive)楊紅雲「任侠映画路線における東映の成功 : テレビに対抗した映画製作 (1963-1972年) を中心に」『多元文化』第4号、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2004年3月、118頁、doi:10.18999/muls.4.191、ISSN 13463462、NAID 120000974864、2020年12月20日閲覧 吉佐美洋行 (2022年3月31日). “”. 日経ビジネス. 日経BP. p. 6. 2022年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月11日閲覧。北浦寛之『テレビ成長期の日本映画』名古屋大学出版会、2018年、134-153頁。ISBN (978-4-8158-0905-8)http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0905-8.html 

外部リンク

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