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競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技の競輪において賞金を獲得するプロフェッショナルスポーツ選手であり、経済産業省管轄の国家資格所持者である[1]。
選手数の変遷
選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模となる2,400人近くにのぼる。
競輪場が50〜60か所ほどあったピーク時には4〜5千人もの選手がいたこともあったが、相次ぐ競輪場の閉鎖や開催日の減少、団塊世代の選手の大量引退、日本競輪選手養成所の選手募集抑制などによって大きく減らし、2022年時点では10年前となる2012年時点と比較して600人以上も減少している。ただ、現在では毎年男女合わせて90名前後の新人選手がデビューしていることもあり、2016年以降は以下の通り2,300人台で推移し、選手数は僅かながらも増加に転じており微増を続けている。
- 2008年2月時点 - 3,531人
- 2009年5月時点 - 3,497人
- 2010年10月時点 - 3,312人
- 2011年10月時点 - 3,284人
- 2012年10月時点 - 2,977人(うち女子33人)
- 2013年5月時点 - 2,799人(うち女子51人)
- 2014年5月時点 - 2,629人(うち女子69人)
- 2015年5月3日時点 - 2,545人(うち女子84人)
- 2016年12月31日時点 - 2,357人(うち女子98人)
- 2017年12月31日時点 - 2,339人(うち女子109人)[2]
- 2018年12月31日時点 - 2,330人(うち女子123人)[3]
- 2019年12月31日時点 - 2,325人(うち女子135人)[4]
- 2020年10月1日時点 - 2,363人(うち女子152人)[5]
- 2022年9月1日時点 - 2,376人(うち、S級677名<S班9名・1班212名・2班456名>、A級1,524名<1班506名・2班521名・3班497名>、L級(女子)175名)[6]
競輪選手になるには
男女とも競輪選手になるには、国家試験である競輪選手資格検定(以下、資格検定)に合格する必要がある。資格検定に合格するには、日本競輪選手養成所[注 1](以下、養成所)に入所し、同所で研修・訓練を受けなければならない[注 2]。選手養成所の入所試験の合格倍率は、男子は概ね5〜6倍[8]・女子は概ね2〜3倍程度[9]であり、競艇選手を養成するボートレーサー養成所の20倍[10][注 3]、オートレース選手を養成するオートレース選手養成所の約40倍[12]と比較すると、公営競技の中では競争率は最も低く最もプロ選手になりやすいと言える。
資格検定は年2回実施され、毎年度12月が第1回[13]、翌年3月が第2回の試験となり、選手候補生はそのいずれかを受験することになっている。但し、12月の第1回試験については、原則として養成所から早期卒業候補者として特別に認められた場合のみ[注 4]受験が可能となっており、通常は3月の第2回試験を受験する。なお、12月の第1回試験の受験者がいなかった場合はその第1回は実施されず、翌年3月の第2回試験が当該年度の第1回試験として行われる[15]。また、2020年度以降はコロナ禍の影響で一時外出や一時帰省を実施しておらず通常より履修カリキュラムの進行が早くなったことで、第2回試験は前倒しで2月上旬から中旬のいずれかで4日間かけて実施している[15]。
資格検定に合格し養成所を卒業したあと、全国いずれかの選手会に所属することで選手登録され、JKAより競輪選手であることを証明する選手登録証[注 5]を交付されることで、晴れて競輪選手となれる。
登録名は本名が原則だが、結婚などにより改姓しても登録名を変更せず旧姓(通称)のままで選手活動を続けることもできる。特に女子選手の場合は結婚によりほぼ改姓しているが、中には変更せず現状のまま(旧姓使用)としている選手も見られる。ただ、女子選手でも現姓に合わせて登録名を変更した選手も見られているほか、男子選手でも婿養子となりながらも選手名を変更せず旧姓で通している選手もいる。なお、競輪が始まった初期の頃の選手の中は、登録時の審査が甘かったこともありきょうだいの名前で選手登録し、それが通ったため引退までそれで通した選手もいた[注 6]。
現在では、男女ともに養成所を卒業したあと、5月に萬福寺(以下も参照)にて3泊4日の新人宿泊研修を受け、4月末から6月にかけて新人選手のみで行われる『競輪ルーキーシリーズ』が実質のデビュー戦となる(2020年より)[17]。そしてその成績を基に競走得点が算出され、それをもって下半期期初となる7月以降に本格デビューすることになっている。
なお、養成所での競走成績が優秀で養成所が定める「早期卒業基準」に該当し、かつ候補生自身早期卒業の意思がある場合は、特例で通常より半年早く1月にデビューすることも可能となっている[18]。
養成所の受験方法・在所時の生活などについては、日本競輪選手養成所の項目を参照のこと。
競輪選手の生活
まず、競輪を開催する施行者(各競輪場)より委託を受けたJKA(旧・日本自転車振興会)の各地区本部がJKAあっせん[注 7]課に対しあっせん依頼を行い、あっせん課はスケジュールや脚質など公正に勘案した上で選手に対しあっせん通知メールを送信する。基本的に、毎月27日前後に2か月先の斡旋のメールが選手宛てに送信され、それを受信した選手はメールの内容(あっせん先の競輪場・開催期日など)を確認し、参加・不参加に関わらず意思表示をしたメールを返信することで、改めて開催施行者から参加通知メールが送信される[19][20][21]。これで施行者と選手との間で契約成立となる[注 8]。このように、選手側からすればあっせんは受け身の立場となるが、次の出走予定との間が長く空いてしまう場合や、中々あっせんのない競輪場で出走したい場合などで、選手の側から選手会を通してあっせんの要望を出すことも可能である(但し、施行者側がそれを受け入れるかは別の話であり、選手の側からの希望は滅多に通らない)。
ちなみに先頭誘導員のあっせんについても同様に、メールの送受信により契約となるが、競走参加依頼のものとは異なり不定期である[21]。
選手はあっせんされた競輪場へ前検日(開催前日)の13時(先頭誘導員の場合はレース当日朝9時)までに赴き[22]、選手登録証と通信機器を窓口に提出したあと、その日のうちに身体・車体など所定の検査を受けて「異常なし」と判断されれば、翌日以降の競走に参加できる。仮に身体や車体に「異常あり」と判断されればその場で契約解除となり競走には参加できず、規程により「前日検査不合格」により欠場という扱いとなる[注 9]。なお、配送を委託した部品や自転車が前検日に競輪場に届かず検査が受けられない場合なども契約解除となるが、選手の責任を問えないと判断された場合は通常の欠場扱いとなる[24]。
あっせんされた開催に対して出場・欠場ないし不参加の判断は自由であるが、最終的に一定期間内で義務付けられている「最低出走回数」は原則クリアしなければならず、特に男子はクリアできなければ級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ、降級・降班となることもあるなど不利になる[注 10]。一方、女子(ガールズケイリン)は現状は全員がL級1班のため降格はないものの、ガールズグランプリなど特別競走では選考期間中の最低出走回数を満たさなければ選考から除外されてしまう規程があり、やはり不利となる[注 11]。
競走の公正確保(八百長防止)の観点から、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで[注 12]、選手全員が競輪場併設の選手宿舎[注 13]に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり[注 14]、携帯電話や通信機器など[注 15] も前検日に競輪場に必ず預けなければならない。競走参加中に、通信できない状態であっても通信機器を所持ないし届け忘れが発覚すれば競輪場から即日契約を解除され[25]、かつ一定期間のあっせん停止など厳しい処分が課せられ[26]、更に使用が発覚した場合にはより重い処分となり、過去には手島慶介などがこの処分を受けている[注 16]。
選手宿舎は、12畳1室で4人相部屋となっている。居室は概ね、共用の座敷(談話室、テレビ・冷蔵庫などが置かれる)と個別の就寝スペース(通称「巣箱」[27])で構成されており、就寝スペースはカーテンで仕切ることが可能。選手の宿舎内での生活は、基本的に、食事・風呂・トレーニング・同室の仲間との会話がほとんどである[28][29]。ただ、通信機能のない電子機器は持込可能なため、現在ではポータブルDVDプレイヤーで映画等を見る選手[30]や、未だにゲームボーイアドバンスでゲームを楽しむ選手もいる[注 17]。また、かつてはカメラの持ち込みについても禁止とはされていなかったため宿舎内の様子を帰宅後に自身のブログにアップしたりした選手もいたが、現在はカメラの持ち込みも禁止としている[31]。この宿舎内での選手の生活については、競輪業界に題材をとった漫画『ギャンブルレーサー』などに詳しい描写がある。
- 2020年以降は、新型コロナウイルス感染症対策への観点から、選手宿舎の運用が一部変更されている。具体的には「本来4人部屋のところを1人[32]または2人[33]で使用する」「一部の選手は近隣のホテルに分宿する」「宿舎・ホテルでの飲酒禁止[34]」といったもので、特にホテルへの分宿については「シングルルームなので喜んでいる」向きもある一方で[33]、「時間の制約が厳しくコンディショニングに悪影響が出る」「次の日の朝まで自分の走りすら見ることができない」といった不満を漏らす選手もおり[35]、賛否両論がある。
基本的には開催初日から最終日まで毎日1走する[注 19](5日間ないし6日間開催のGIレースでは休み日を挟むこともある)。レース終了後、競輪場にて選手登録証と受け取り用の印鑑を窓口に提出すると、賞金・手当が支給される[16][注 20]。ただ、レースで失格と判定されたり違反行為が発覚したときは、開催途中であってもその時点で競輪場からあっせん・参加の契約を解除(“追放”)され(即日帰郷)となる。また、グレードレースでは、準優勝戦開催日の一般戦で成績不良の選手については、最終日を待たず帰郷とすることもある[注 21]。このほか、出走したレースで落車し怪我を負ったり成績が振るわなかった場合、選手が自らの判断で以後の競走は棄権し途中帰郷することもある。
競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2 - 3回ほど繰り返す。ただ、競輪は基本的にほぼ毎日全国どこかの競輪場で開催されているため、次に出場予定の開催まで長く間隔が空いている場合、出場予定の選手が急遽欠場したため数合わせで『追加』として、他にも開催中に出場選手が失格などで途中帰郷し選手数が不足した場合は『補充』として、それぞれイレギュラーであっせんを受けることもある[注 22]ため基本的に休みというものはなく、特にお盆や正月には多くの開催が集中するため、競輪選手にお盆や正月はあってないようなものである[注 23]。
競輪への競走参加以外に、国民スポーツ大会(旧国体)に所属する都道府県の代表として出場する選手もいる。
競輪選手の練習
殆どの競輪選手には師匠がおり(師匠がいない選手[注 24]もいる)、基本的にはそれら師弟関係や先輩・後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。この辺りはアマチュアのロードレースチームと似ている。これがライン形成の元になる。ちなみに、師弟関係の締結については、特に決まりごとがあるわけではないが、中には専用の書類を交わしその書類に実印を押すことで正式な師弟関係の締結としているケースもある[39]。
練習内容は自転車競技選手と大差なく、競輪場や自転車競技場において周回走行やダッシュ、追いかけ合って先頭交代したりを繰り返す。このほか、「長距離を乗りこなして持久力をつけるため」や「身近に競輪場など練習できる場がないため」という理由で、公道を練習の場として活用する選手も多い(市街地では信号が多く、すぐに止められてしまうので、2桁国道に乗り出す)[注 25]。また、大概の選手は登録地の都道府県にある競輪場ないし自転車競技場、サイクルスポーツセンターを練習拠点とするが、中には自宅との移動距離の関係で登録地ではない他の都道府県の競輪場などを練習拠点としている選手も見られる[注 26]。
走行練習のほかに、自転車だけでは鍛えられない部分を補うためにウエイトトレーニングなどを行う事も一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。
函館・青森・富山・福井など北日本及び北陸[注 27]の競輪場は、冬季は積雪等の理由でバンクが使用不能となるため本場開催を休止する。そのため、当該競輪場をホームバンクとする選手の多くはその間温暖な地域に移動して練習を行う。これを「冬季移動」と呼び、ラインの形成などにも影響する[40][41][42]。
競輪選手の収入
選手の収入は、その殆どが、出走したレースでの着順に応じて支払われる賞金と手当である。なお、KEIRIN.JPなどで公表されている獲得賞金額は、本賞金のほか、副賞や手当も含んだ額となっており、GIなど特別競走における選考用賞金額とは異なる。
- 現在は全てのレースで全ての着順に賞金が支払われるが、1951年3月に制度が改正されるまでは下位の着順では賞金は支払われなかった。そのため当時の選手らは賞金が貰えなかったレースのことを『無賃乗車』と呼んだ[43](石田雄彦の項目にも同様の記載がある)。
- 2021年10月から開始した250競走「PIST6」(TIPSTAR DOME CHIBAで開催)においては、賞金は決勝戦以外のレースでは1 - 3着の上位3名までしか設定されておらず、決勝戦以外のレースにおける4着以下の選手に対しては賞金の代わりに「特別手当」(額はレースにより異なる。同一レースであれば着順に関係なく同額)が支給されるのみとなっている[44][45]。。
賞金額については、2015年度より全ての競輪場およびグレードにおいて統一されている[46][注 28]。現在の賞金額は、2019年10月、2021年4月、2022年4月、2023年4月[49]と近年はほぼ毎年段階的に賞金が増額されている。2023年12月の時点で、最高はKEIRINグランプリ1着の1億3000万円(本賞金のみ[注 29])。なお、最低はA級3班チャレンジレース初日予選およびL級1班(ガールズケイリン)予選(初日・二日目とも)の7着44,000円である[50][51][注 30]。ちなみに同着の場合は、複数合算した上で等分され支給される(2名が1着同着の場合は、1着賞金と2着賞金を合算し、それを等分した金額となる)。なお、失格となった場合にはそのレースの賞金は支払われないことになっているほか、落車などで途中棄権した場合には未着着順(棄権が自分1人の場合は9着)の賞金から20%がカットされた額[54]が「落車棄権手当」という形で支給される[55]。
約款により、開催が初日に急遽中止となった場合は、その開催で実施予定であったS級戦、A級戦、L級戦(ガールズケイリン)におけるそれぞれの総賞金の30%が、出場各選手に対し均等に支払われる[56][注 31]が、仮に1レースでも実施していれば、同じく約款により、総賞金の75%以上が支払われる[57]。但し、前もって中止が決まった場合は支払われない[56]。
賞金とは別に支給される各種手当については様々あるが、代表的なものとして、レースに出走すれば、レース毎に「出場手当」34,000円[58]及び「日当」8,000円[58]合わせて42,000円が(失格や棄権となっても)必ず支給される。これに加えて、レース中に雨や雪が降れば「天候不良による特別出走手当」(俗に言う「雨天敢闘賞[21]」)として3,000円が[58]、モーニング競輪に出走すれば「モーニング競輪手当」として4,000円が[58]、ナイター競輪に出走すれば「ナイター手当」として4,000円が[58]、ミッドナイト競輪に出走すれば「ミッドナイト競輪手当」として14,000円が[58]、正月三が日(実際には年末年始の特定開催となる)に出走すれば「(通称)正月手当」なども、出走のたびにそれぞれ支給される。そのほか、競輪場によっては規則により、「宿泊手当」や、自場でのGI開催に参加した選手に対しては「参加名誉賞」が、3日間開催で完全優勝ないしいずれも2着以内となった選手に対しては「優秀選手賞」が、開催執務委員長が特別に認めた場合には「特別賞」などが、それぞれ支給されることもある[55]。出走する選手以外にも、(先頭誘導員)資格を持つ選手がレースで先頭誘導員を務めれば、その都度誘導員手当[注 32]も支給される。なお、これら手当も賞金の増額とともに、僅かながらではあるが増額されている。
賞金・手当とは別に、自宅から競走に参加した競輪場までの「交通費」も別途支給される[注 33](但し自転車などの配送料は自己負担)。
各競輪場ごとに設定されているバンクレコード(各レース1着選手による残り半周のタイムの最速記録)を更新した選手に対しては、記録を達成した当日に主催者(開催執務委員長)から敢闘賞[注 34]が与えられることがある。例えば2014年に小田原のバンクレコードを更新したボティシャーに対しては2万3000円が支給された[61]ほか、2022年7月24日に自身が持っていた佐世保のバンクレコードを更新した中川誠一郎に対しても当日に目録が贈呈された[62]。また、タイ記録でも敢闘賞が贈られることがあり、2015年と2017年の深谷知広(川崎)には1万5000円が支給される[63]などした。
これらの賞金・手当は、原則として窓口で選手個々に帰宅時に現金で支給される[16]。そのため開催最終日には窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなく、実際に2019年の寬仁親王牌で優勝した村上博幸は、窓口で受け取った3000万円ほどの賞金を丸々鞄に詰め込んで帰宅の途についた[64](スーツケース1個あれば1億円が収まる)ほか、かつて吉岡稔真も雑誌の企画で植木通彦と対談した際、自宅近くで行われている競輪祭において「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語った[65]。ただし、高額の現金を持ち帰るのは強盗等の危険も伴うため[注 35]、選手が希望すれば、一部を現金で受け取り残金を銀行振込とすることも可能となっている[66][65]。なお、PIST6が行われているTIPSTAR DOME CHIBAでは、賞金・手当・交通費などは窓口で現金の手渡しは行わず、後日選手の銀行口座に全額とも振込されることになっている(そのため、帰宅するまで1円たりとも手にすることはできない)[67]。
2014年度までの賞金制度では売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクの競輪場が年ごとに増加していたことから、この影響から選手全体の賞金総額も過去と比べて大きく減少している[68]。特に2017年は2007年以降の過去10年間で最低となる235億1,123万円であった[69]が、2018年は236億2,511万円となり10年以上ぶりで増加となり[68]、さらに2019年は10月以降全てのレースで賞金の増額が行われたこともあり247億1,581万円と、2014年当時の水準にまで回復した[70]。
選手個人の年間平均取得額は、2010年までは1,000万円以上あった[68]が、2011年は東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から大幅に減額され[71]888万円となった[72]ほか、同年の年間獲得賞金額1,000万円以上の選手は782人に留まり、過去30年間で最低となった(最多は1998年の3,196人)[72]。ただ、2012年以降は再び上昇基調が続いており、2019年の平均取得額は10,402,280円となり、2010年以来1,000万円の大台に乗せた[70]。男子は、最上位のS級S班9人だけは平均1億462万円である一方、最下位のA級3班では平均642万円(いずれも2019年)[4]であり、上下間の格差は大きい。女子は選手数が総体的に少ないこともあり平均646万円[4][注 36]。また、2019年の1年間では、1億円以上を獲得した者が5人、1,000万円以上を獲得した選手は852人でこれも800人台は2010年以来であった[70]。2018年7月にデビューした113期(男子)・114期(女子)からは別個でデビュー年の下期(7月 - 12月)における賞金取得額上位10人が公表されており、113期が(藤根俊貴)の646万円[73]、114期が佐藤水菜の562万円[73]、115期は(坂井洋)の825万円[74]、116期は吉岡詩織の467万円[74]であった。
このほか、オリンピックでは、アトランタ大会から自転車競技にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、当初は大会毎に選手の中から代表を選び、その代表選手はオリンピック開催の数か月前から通常の競走を欠場した上で合宿を行っていた[注 37]。だが、現在では、新田祐大や脇本雄太、小林優香や太田りゆなど日本自転車競技連盟より強化指定選手として指定された選手[75]はオリンピックでのメダル獲得を目標に競輪よりも自転車競技に重点を置いて世界選手権やワールドカップなど海外のレースに積極的に参戦しており(ほかに海外合宿なども実施)[注 38]、これらの選手に対しては、金額等は不明ながら同様に一定の収入補償を得ているとみられる。また、特に大会でメダルを獲得した場合は補償と共に報奨金も支給され、アトランタ大会で銅メダルを獲得した十文字貴信には5,000万円が、アテネ大会で銀メダルを獲得した長塚智広・井上昌己・伏見俊昭には各人に4,000万円が、北京大会で銅メダルを獲得した永井清史には4,300万円が、JKAなどからそれぞれ支給された。
なお、選手は獲得賞金の約1割を選手会に支払うことになっており、その中から選手会運営費、全選手の年金や退職金が捻出されている。さらに賞金とは別に、選手は1走ごとに1万500円を選手会に納めることになっており、その内訳は7500円が退職金に、残りが年金などの共済金に充てられている[76]。
かつては、20年以上選手を務め上げれば引退する際に約2000万円の退職金が支払われ、またそれとは別に獲得賞金の一部を原資とした年間約120万円の年金が15年間支払われていた[77]が、売上額がピーク時から1/3程度にまで落ち込んだ現状では年金などの積立金は元本割れしているとされ、年金は2010年度から支給停止となり、また退職金も2014年時点で今後約20%カット予定とされた[76]。
選手は、個人でスポンサーを募ることも認められている。自転車関連のメーカーから現物支給を受けるケースや、レース時に着用するユニフォームにロゴを掲載する代わりにスポンサー料を受け取るケース[78]など形態は様々((ユニフォーム広告#その他)も参照)。なお、スポンサー付きユニフォームを使用する選手は、当該開催で使用する可能性のある色全てのユニフォームを自ら競輪場に持ち込む必要がある[79]。
歴代で年間最高獲得賞金額は、男子は脇本雄太の3億584万2300円(2022年)で、競輪のみならず公営競技初となる年間獲得賞金額3億円突破を達成した[80]。女子は柳原真緒の3095万5400円(2022年)。
競輪選手のペナルティ
競輪選手は男女ともレース中、競技規則に抵触するとペナルティとして違反点(正式には『競走違反点』)が課される。内訳は、「走行注意」(男子のみ制定)では2点が、「重大走行注意」では10点が、「失格」では30点が、それぞれ課される。これは抵触した回数ごとに加算されるため、同一レースで複数回付けられることもあり、場合によっては一人で「失格」を2つ以上与えられることもある[82][83]。これら違反点を短期間に繰り返し受けると、特に男子は級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ降格の可能性が高くなるほか、降格はない女子でも特別競走で選考除外されてしまうこともある[84]など、不利な状況となる。
累積違反点数が直近4か月間(なお、点数は毎月スライドする)で90点以上に達した場合には、関係団体(実際は日本競輪選手会)から訓練への参加通知が届き、「特別指導訓練」に参加しなければならなくなる。実施場所は日本サイクルスポーツセンターで期間は4泊5日、受講費を自腹で支払い当訓練に強制参加させられる[85]。その内容は競走参加中と同様に携帯電話や電子機器の持ち込みが不可(預かり)となり、飲酒も厳禁で、決められた時間や範囲以外の外出も禁止になる。
さらに、直近4か月間の累積違反点数が120点以上になると、JKAの規程により『あっせんをしない処置』[86](以下「あっせん処置」)という処罰の対象となる場合もあり、適用されると基本的に120点以上が1か月、150点以上が2か月、180点以上が3か月、といった間で出場へのあっせんが行なわれないことになり[85][87]、これは一定期間実戦から遠ざかり、かつ収入が途絶えることをそのまま意味している。なお競走における失格についても内容によってはこの措置が適用されることもある。競輪公式サイト「KEIRIN.JP」でも、毎月2回(上旬と中旬)『あっせんをしない処置に係る違反点数累積状況』として違反点数ワーストの順で90点以上の選手を公表している。
これとは別に、競走における失格の内容やドーピング違反のほか、逮捕されるなど私生活において特に悪質な行為に及んだと判断された選手については『あっせん停止』[88]という厳罰が下される[89]。これは最短1か月からの期間で長いものとなると1年間[89]という処分を受けることとなるが、あっせん停止にあたる事象を行なった選手について後日正式な処分が下るまで緊急にあっせんを止めたほうが適切と判断された場合には『あっせん保留』の措置が下される[90][91]。特に現状ではドーピングに対する処分は非常に厳しくなっており、ドーピングが発覚した伊藤成紀(90期)は日本アンチ・ドーピング機構より2018年7月から4年間の資格停止処分を下された[92][注 39]。
このほか、あっせん停止期間が過ぎた後もKEIRINグランプリなど特別競輪への参加や、追加あっせんを受ける権利などが一定期間取り消される。さらに、特に違反点数を累積させた選手やあっせん停止に処された選手については「お寺行き」と呼ばれる特別な訓練が課せられる。これは競輪の公式ホームページでは明らかにされていないものの、上述した漫画『ギャンブルレーサー』などで詳しい描写がなされているほか、対象となった選手[87]やチャリロト公式ホームページでも語られている[94]などしており、事実上公然のものとなっている。この「お寺行き」が命じられた場合には、京都府宇治市の黄檗宗大本山の萬福寺まで赴き、山内の施設において5泊6日の厳しい禅寺の修行を済ませなければならない。交通費も含めて自腹での参加であり、また期間中は座禅を組まされたり周辺の掃除、黄檗山から平等院まで6kmもの歩行訓練を課されるなど練習は全く行えないことから[87]、選手からも恐れられている。
特別訓練やあっせん処置およびあっせん停止などの処分対象になると、その間の収入が途絶えてしまう。また、練習不足の他にもレース勘の維持などという面や、体調管理にも悪影響を与えるため、競走への復帰後もしばらくの間は成績下降などの「後遺症」が表れることも少なくない。なお特別指導訓練の対象選手は、その累積違反点数と共に一定期間毎に競輪公式サイト「KEIRIN.JP」にて一覧で公表されており、あっせん停止の対象選手についてはJKAが広報などで公示する[89]。
その他にも、競走参加中における競輪場からのペナルティもあり、レース毎に「規定時間」(スタートから第一周回のホームストレッチラインまでのタイム[注 40] で計測)が設けられており、第一周回のホームストレッチライン通過時にこれを超過すると「タイムオーバー」となり賞金は50%カットされる[95][96]。その他、無断欠場による費用請求、レースでの失格による(契約解除による強制欠場(即日帰郷))、中長期のあっせん停止または拒否[注 41]などもあり、特に無断欠場や悪質失格を起こした場合はJKAに報告され、改めて全体的な処分が検討されることになる。
なお、これらとは別に日本競輪選手会が問題を起こした選手に対し、自粛欠場を要請する形で独自のペナルティを課すこともある(『SS11』、『松本整』の項目も参照)。
2021年10月よりTIPSTAR DOME CHIBAで行われている250競走「PIST6」においては、通常の競走と同様に失格、重大走行注意、走行注意のペナルティが与えられることがあるが、通常の競走とは競走形態、ルール、使用機材などが異なることから、PIST6においては罰金を支払う形(厳密には賞金ないし特別手当の減額)となっており、PIST6におけるペナルティは競輪の級班別審査には影響しない。ただし、ペーサー早期追い抜きや1周目完了前の並び順変更など、レースの秩序を乱す重大反則を犯しての失格となった場合は、通常競輪を含めたあっせん停止の処分となる。
選手のクラス分け
男子は実力に応じて大きくS級・A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。
- 養成所卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
- 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
- S級S班…赤のレーサーパンツ、横のラインは黒
- S級1班または2班…黒のレーサーパンツ、横のラインは赤
- A級…黒のレーサーパンツ、横のラインは緑(以前は星なしの白の3本線)
- B級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは青(以前は星なしの白の2本線)
- C級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは白の1本線
- 国際競輪に出走する外国人選手…赤のレーサーパンツ、横のラインは虹色
- S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1 - 6月、7 - 12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1 - 6月、下半期は前年の7 - 12月)の競走成績を基に決定される。
- 例えば、2022年7月 - 12月の競走成績によって2023年7月 - 12月の級班が決定される。この2022年7月期の成績が下位だったS級選手は、2023年7月期でのA級降格が決まった中でで2023年1月期はS級戦を走ることになるが、2023年1月期で好成績を収めていれば半年のA級出場後の2024年1月期でS級復帰ができる。
- A級3班で通算3期(1年半)の成績が相当な下位となった場合には、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号[98]に基づき、1回につき30人を上限(2015年後期より[99])に、対象選手に対して次の期初すぐにあっせん保留の処分を下し、出走を取りやめさせる。対象となった選手にとっては事実上の引退勧告であり、制度上はJKAが一定期間調査および審議をしたのち選手登録を強制的に消除することにはなっている[100]が、実際のところは対象となった選手が自ら引退手続き(所属する日本競輪選手会各支部において選手登録証の返納と退会届の提出)を取ることで「自主的な引退」という扱いになっている[101]。JKAや選手会ではこれを「代謝」と呼ぶこともあるなど、過酷な競争社会である。過去の名選手でも高原永伍などは、この代謝で引退を余儀なくされるまで現役生活を継続した。詳細は「(高原永伍#競輪選手としての戦績)」を参照
女子には現状は昇降級の制度がないため、全員がL級1班である。但し、男子同様に「代謝」の制度があり(2014年後期より導入)[102][103] 、通算3期(1年半)の成績が相当な下位となった場合などで、1回につき3人を上限に対象選手に対して次の期初すぐに強制的にあっせん保留の処分を下し、出走を取りやめさせることで、最終的に選手側としては自主的に引退手続きを取らざるを得なくなる。
S級特別昇級・A級2班特別昇班制度
A級1班および2班の選手が3開催連続して「完全優勝」[注 42]を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時にS級2班に特別昇級する。また同様に、A級3班の選手がチャレンジ戦で3開催連続して「完全優勝」[注 42]を達成した場合も、級班選考期間に関わらず即時にA級2班に特別昇班する[注 43]。なお、これら特別昇級ないし特別昇班については、略して「特昇」とも呼ぶ。
2008年1月から導入されたA級3班によるチャレンジ戦のシステムとなって以降、デビュー(117期以降は本格デビュー)から無傷の18連勝(6場所連続完全優勝)でS級入りを果たしたのは、深谷知広[106][107]、寺﨑浩平[104]、山口拳矢[108][注 44]、(吉田有希)[110]、(上野雅彦)[111]、中野慎詞の6名のみである[112](2022年6月時点)。このほか、(高橋晋也)はデビュー2場所目(デビュー場所は1・1・3着)から通算7場所・20連勝[注 45]でS級に特昇している。なお、117期より開始した新人戦「競輪ルーキーシリーズ」においては特別昇班の対象外としており、新人は全員が本格デビュー戦はチャレンジ戦からのスタートである[109]。
また、毎年6月と12月に、いずれかの開設記念の最終日(4日目)において、A級1・2班の成績上位9名から特別昇級3名、並びにA級3班から特別昇班3名、それぞれの枠を争う単発レース「レインボーカップ」が行われている(いずれも上位3着までの3名がレース翌日付で特昇する)。
ほかにも、オリンピックおよび世界選手権において、自転車競技トラック種目で3位までに入賞(メダル獲得)した場合も特昇する例外規程が設けられている[114](ワールドカップ、ネーションズカップは対象外)。但し、A級選手がオリンピックや世界選手権に代表として派遣されることは(実力面から見て)レアケースであり、2022年の世界選手権男子スクラッチにて銀メダルを獲得した窪木一茂が、この例外規程により2022年10月15日付でS級2班へ特別昇級した初のケースとなった[115][116]。
S級特別昇級の最高齢記録は、3開催連続の完全優勝・レインボーカップ共に、大竹慎吾が保持している(2022年6月時点)。
特別昇級・特別昇班の特典
特別昇級ないし特別昇班してから3期の間(1年半)は、降級および降班しない(昇級・昇班は可能)。
歴史
競輪選手のクラス分けは、創成期はA級・B級・C級による3層制であったが、間もなくA級・B級の2層制となり、やがて2層7班制(A級1 - 5班、B級1・2班)に変更され、その体系が長く続いた。だが、A級が5班あったことで弊害が多く出てきたため、後に1983年に行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)により、S級・A級・B級の3層9班制(S級1 - 3班、A級1 - 4班、B級1・2班)に移行した。ただ、この体系の維持も限界に達したことから、2002年4月よりS級・A級の2層5班制(S級1 - 2班、A級1 - 3班)へと改組され、現在に至っている。
過去には、KPK実施から76期(1995年デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果に基づき正式デビュー時にA級1班からB級2班に格付けされていた。だが、「新人リーグ」はファンには好評ではなかったことから、77期以降の新人は全員B級2班(2002年以降はA級3班)格付けで通常のレースにデビューする現在の形態となった(KPK実施以前も最下級からのスタートであった)。なお、117期・118期からは、7月の正式デビュー前の5月から6月にかけて「競輪ルーキーシリーズ」が実施され(実質の「新人リーグ」の復活)、これが実質のデビュー戦となる。
なお、2008年前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、A級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA級3班同士のみとなった(「チャレンジ戦」。そのため、現在のA級3班はKPK実施時のB級と同じような位置づけ)。また、特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への「特進」(特別昇班)となっている。
同じく2008年前期より、S級では1班の中で前年のKEIRINグランプリに出走した9名と、それ以外も含めた前年の獲得賞金額上位18名までが、特別に1班の上位格付けとして『S級S班』と格付けされるようになった。のち2012年前期より前年のKEIRINグランプリ出場者9名のみに限定されたが、S班はいわばトップ中のトップであり、このS班の9名に対しては特別競輪(GI・GII)の出場権利の保証(但しあっせん停止ないしあっせん保留期間中は除く)、レースあっせん希望選択、一定期間における公休などの優遇措置が与えられる[注 46]。
S級S班の概要
- 定員 9名(2012年以降)
- 選出基準(選考基準)[117]
- 適用期間中にKEIRINグランプリに出場する資格を得た選手
- (GI優勝者・世界選手権自転車競技大会個人種目優勝者・オリンピック自転車競技個人種目メダリスト・競輪祭終了時点での年間獲得賞金上位者)
- 除外規定 (2017年以降)
- KEIRINグランプリ選考委員会でGII以上の特別競輪の選抜方法による申し合わせの除外規定で選考除外となったり、審査期間中における「あっせん規制(保留)」など、S班に所属するには不適当とされる選手、また既にS班に所属している選手においても、調整委員会で不適格とみなされた選手も除外対象とし、S班所属選手がそれに抵触した場合及び次年度にS班に残留できなかった選手はS級1班への降格となる。加えて、現在はKEIRINグランプリ選考期間内におけるGI・GIIで失格を3回以上した者や、選考期間内の全レースで11条失格(過度けん制など)・58条失格(誘導員早期追抜)を犯した者(但し内容を精査の上で決定)は当該年のKEIRINグランプリ選考から除外することになっている[118]ため、S班の選出基準としては明文化されていないが、これらの失格を犯した場合も翌年はS班になれないことがある。
- 適用期間 12月27日から次の年の12月26日までの1年間
- 優遇処置
- 日取り調整会議の状況により既に開催が決まっている期間はあっせん計画を提示。それ以外の開催に希望する場合には「希望あっせん届け」の提出が出来るが、本人の希望に必ずしも添えない場合もある。ただし予め出場を希望したレース以外でも状況によって優先あっせんを行うことがある。
- GP以外の特別競輪に優先的に出走できる権利が与えられる。
- GIIIについては適正な出場間隔を考慮して、またあっせん計画の提示に基づく本人の希望を考慮して出走できるレースを調整できるようにするが、当該選手の出身地・所属地の都道府県に関しては必ず出走することが義務付けられる。
- FI(一般普通開催のS級シリーズ)の場合も適正な出場間隔を考慮して、またあっせん計画の提示に基づいた本人の希望に充分配慮して出場レースを決めるように出するが、国際競輪、KEIRIN EVOLUTION等の特別企画レースと重複した場合はそれを優先する。また最低年1回は当該選手の出身地・所属地の都道府県で行われる地元開催のレースに出場することを義務付ける。
- オフ期間 年1回・1ヶ月間まで。
- 公共交通費用にかかる特別料金支給
- S級レース(F1以上、GP除く)の開催において特別選抜予選にシード出場が約束される。また、前年のKEIRINグランプリ優勝者は、その翌年のKEIRINグランプリ直前まで、出走するレース全てで1番車(白枠)に固定される。
- ファンサービスの一環としてPR活動やファンの集いへ出演する他、S班用のユニフォームを用意する。
KEIRINグランプリ07から適用された。当初は「SSカップみのり」・「SSシリーズ風光る」というS班選手を対象としたレースを開催していた関係で定員は18名であり、また「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であった。だが、2009年は同年1月25日にS班であった手島慶介が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「SSシリーズ風光る」において出場人数が揃わなくなったことから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」[119] と規定が改正され、これにより選考時の次点であった岡部芳幸が5月1日付で2009年のS級S班に追加選出された。グランプリ出場の9名を除く9名はグランプリシリーズ初日(12月28日)の第1レース「SSカップみのり」に出走となる[120]。その後、2011年をもって上記のS班選手を対象としたレースを廃止したため、2012年以降はKEIRINグランプリ出場9名がそのままS班とされている。
なお武田豊樹はS級S班だった2013年の後期をあっせん停止によりほとんど出走していなかったが、2014年の後期はS級1班に格付けされたことから、S級S班から降格しても3期(適用期間の関係で実質1年間)はS級1班が保証されることになる。
1000勝達成選手
- 1000勝到達順に列挙
- 松本勝明(1965年12月13日・後楽園競輪場、通算1341勝)
- 石田雄彦(1972年5月7日・四日市競輪場、通算1160勝)
- 古田泰久(1973年4月8日・高知競輪場、通算1188勝)
- 吉田実(1973年8月24日・甲子園競輪場、通算1232勝)
- 中井光雄(1985年10月29日・甲子園競輪場、通算1016勝)
- (丹村喜一)(1987年4月7日・別府競輪場、通算1014勝)
なお、上記の選手は全て日本競輪選手養成所(養成所。前身は日本競輪学校、前々身は日本サイクリストセンター)が創設される前に選手となった、いわゆる「期前選手」であり、1日で2走することもあった時代にデビューしたことも関係している[36]。1日1走のみ[注 19]、また選手全員が養成所で訓練を受け一定のレベルに達した上でデビューしている現状では、1000勝到達はまず不可能となっている。なお、1000勝到達した選手は現時点では6人しかいない。
2023年2月28日時点における現役選手で、最多勝利数は神山雄一郎の899勝(当時54歳。参考に、神山は2020年に7勝、2021年に7勝、2022年に12勝をそれぞれ挙げた。900勝を達成すると史上16人目となる)[121]。
競技で活躍した競輪選手
競輪選手も自転車競技選手という側面を持つことから、短距離・中距離問わず各種の自転車競技に参加している選手が多く見られている。
元々はプロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、1996年アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。ただ、競輪選手であっても世界選手権などでは好成績を残せていないことから、現在では男女とも競輪選手を中心にJCFから「強化指定選手」[122]として指定された選手はナショナルチームに加入し、通常は競輪よりも世界選手権やオリンピックでのメダル獲得を念頭に自転車競技を優先して活躍するケースも見られるようになっている。なお、自転車競技を優先させている選手においては、本業の競輪に関しては『公休』扱いとするなど特別な配慮がなされており、GIなど特別レースにおいても出走回数不足を理由に選考除外されることはない。
以下全て、名前の後ろに*印の付いた選手は女子選手である。
世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手
オリンピック自転車競技に出場経験がある競輪選手
- 加藤忠、近成保 - 1952年ヘルシンキオリンピック
- 大宮政志、久保村寛、高貫亘弘、斎藤勝也 - 1960年ローマオリンピック
- 大宮政志、河内剛、班目秀雄、佐藤勝彦、山藤浩三、加藤武久、伊藤富士夫、高橋耕作、手嶋敏光 - 1964年東京オリンピック
- 井上三次 - 1968年メキシコシティーオリンピック
- 松田隆文、沼田弥一 - 1972年ミュンヘンオリンピック
- 町島洋一、小笠原嘉、小笠原義明、岡堀勉 - 1976年モントリオールオリンピック
- 坂本勉、中武克雄、佐藤仁 - 1984年ロサンゼルスオリンピック
- 坂本勉はスプリントで銅メダル獲得。
- 豊岡弘、三和英樹、我妻広一、佐々木一昭 - 1988年ソウルオリンピック
- 小嶋敬二 - 1992年バルセロナオリンピック
以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。
- 神山雄一郎、十文字貴信 - 1996年アトランタオリンピック
- 十文字貴信は1000mタイムトライアルで銅メダル獲得(競輪選手としては初)。
- 神山雄一郎、稲村成浩、太田真一、長塚智広 - 2000年シドニーオリンピック
- 伏見俊昭、長塚智広、井上昌己 - 2004年アテネオリンピック
- 全員日本代表チームとしてチームスプリント種目で銀メダル獲得
- 伏見俊昭、長塚智広、永井清史、渡邉一成、北津留翼 - 2008年北京オリンピック
- 永井清史はケイリン種目で銅メダル獲得
- 中川誠一郎、新田祐大、渡邉一成 - 2012年ロンドンオリンピック
- 中川誠一郎、渡邉一成、脇本雄太、窪木一茂(当時はプロサイクリスト) - 2016年リオデジャネイロオリンピック
- 新田祐大、脇本雄太、橋本英也、小林優香* - 2020年東京オリンピック
その他のオリンピック競技に出場経験がある競輪選手
高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。特に、日本競輪選手養成所入所試験における受験資格の中で年齢制限(上限)が撤廃された93期以降で転向する者が増えている。
- 市村和昭(48期) - 1980年レークプラシッドオリンピック スピードスケート
- 三谷幸宏(67期) - 1988年カルガリーオリンピック スピードスケート
- 植松仁(86期) - 1998年長野オリンピック スピードスケートショートトラック500m<銅メダル>
- 武田豊樹(88期) - 2002年ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート500m
- 牛山貴広(92期) - 2006年トリノオリンピック スピードスケート
- 西谷岳文(93期) - 1998年長野オリンピック スピードスケートショートトラック500m<金メダル>
- 羽石国臣(93期) - 2002年ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート500m
- 今井裕介(93期) - 1998年長野オリンピック スピードスケート/2002年ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート/2006年トリノオリンピック スピードスケート
- 吉澤賢(94期) - 2004年アテネオリンピック 陸上競技400mハードル
- 今村俊雄 (99期)- 2004年アテネオリンピック 重量挙げ62kg級
- 小原唯志(101期) - 2010年バンクーバーオリンピック スピードスケート1000m
- 吉澤純平(101期) - 2010年バンクーバーオリンピック スピードスケートショートトラック500m、1500m
- 渡邊ゆかり*(102期) - 2002年ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート500m/2006年トリノオリンピック スピードスケート500m
- 岡村育子*(102期) - 2008年北京オリンピック ホッケー
- 杉森輝大(103期) - 2006年トリノオリンピック スピードスケート1500m、チームパシュート/2010年バンクーバーオリンピック スピードスケート1000m、1500m、チームパシュート
- 原大智(117期) - 2018年平昌オリンピック モーグル<銅メダル>/2022年北京オリンピック モーグル
パラリンピックで活躍した選手
- 石井雅史 (72期) - 2008年北京パラリンピック自転車競技で金・銀・銅の全ての種類のメダルを獲得。2012年ロンドンパラリンピック、2016年リオデジャネイロパラリンピックにも出場。1993年8月から2004年4月まで競輪選手
- 田中まい* (104期) - 2016年リオデジャネイロパラリンピック(自転車競技)、女子(タンデムスプリント)におけるパイロットとして出場、銀メダルを獲得。
政治家
引退後ないし、選手活動を継続しながら政治家となった競輪選手もいる。
- 西田勇(期前) - 大阪府矢田村(現在の大阪市東住吉区の一部)村議(1954年〜)[123]
- 岡島正之(期前) - 千葉県県議(4期、1971年〜1986年)、衆議院議員(4期、1986年〜2000年)
- 鈴木浩之(37期) - 岐阜県北方町町議(2期、2007年〜 )
- 星野嘉寛(49期) - 三重県朝日町町議(1期、2011年〜 )
- 堀田伸一(55期) - 愛知県豊橋市市議(2期、2007年〜 )
- 池尻浩一(63期) - 福岡県広川町町議(1期、2011年〜 )
- 黒子英明(66期) - 栃木県宇都宮市市議(2期、2015年〜 )
- 米崎賢治(67期) - 徳島県小松島市市議(1期、2013年〜 )
- 馬渕紀明(68期) - 愛知県愛西市市議(1期、2018年〜 )
- 遠藤貴人(88期) - 福島県鮫川村村議(1期、2015年〜 )
- 屋良朝春(94期) - 沖縄県北中城村村議(1期、2022年〜)[124]
選手寿命
競輪選手は、数あるプロスポーツの中で、選手寿命が長い部類に入る。
過去には68歳の選手がレースに出走したこともあるなど、60歳を超えても現役を続けた選手は過去に何人も存在している。また、50歳代の選手はそれほど珍しいものではなく、2023年上期(1月 - 6月)では神山雄一郎、室井健一、齋藤登志信、(内藤宣彦)、志智俊夫、(白戸淳太郎)の6名が50歳代ながら最上位のS級1班格付けとなっている。過去には、2004年に当時45歳であった松本整がGIレースである高松宮記念杯競輪を優勝し話題となった[注 47]。また、親子(女子選手も含む)ともに現役選手という例が複数あるほか、1955年生まれの竹内久人(2007年7月引退)とその長男である竹内公亮(2022年11月引退)や、1984年のロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉(2011年6月引退)とその長男である坂本貴史は、親子で同時にS級に在籍したことがある(竹内親子は2006年、坂本親子は2010年 - 2011年上半期)。ガールズケイリンでも高松美代子が54歳11か月まで現役を続けたほか、数は少ないが門脇真由美や加瀬加奈子など40歳代、50歳代の現役選手もいる。
このように、競輪選手の寿命が長い要因として、競輪競技の特性が上げられる。競輪競技は自転車というツールを用いて行うため、他の競技と違って骨(つま先・踵)や関節(足首・膝)へ負担がかかりにくい競技と言われる。陸上競技を始め、野球、サッカー、相撲等の選手は自らの足を使ってハードに動き回るため、長年の酷使によって(また地面・アスファルトからの衝撃によって)筋肉より先に骨や関節を痛めてしまう場合が多く、30歳代半ばで足首や膝、股関節、肩、肘、腰に限界が来てしまいやすい反面、競輪選手の場合、自転車というツールが体への負担をサポートしてくれるため、落車等で怪我をしない限り体への負担は軽いことが挙げられる[注 48]。
さらに、他のプロスポーツでは致命的なハンデとなる加齢による(個人差もあるが多くは30歳代半ばを境に急激に訪れる)ハイパワーでの持久力の低下についても、競輪選手は追い込み戦法と呼ばれる戦術をとることで致命的なハンデとはならない状況を生み出せる、といった競輪競技ならではの特殊性があり、これも選手寿命を長くしている要因である。これはラインを組んでいる選手を自分の前に走らせ、最後の直線まで先頭選手を自分の風除けとすることで、持久力の消費を極端に少なくする戦法である(スリップストリーム現象により後方選手は風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れることにより、最終局面でハイパワーを維持できる距離が単純計算で2倍以上となる[注 49])。したがって、たいていの選手は加齢による持久力低下とともに、レース戦術を追い込み戦法に変えていくことになる。
そのため、この特殊要因が競輪選手の新陳代謝を阻害しているのではとも指摘されており、実際、近年トップスターの座にいる選手の中に10年以上前からトップスターだった選手が何人もいるといった状況が生じている。例えば、KEIRINグランプリ2017では出場選手9名の平均年齢は34.8歳であり、20歳代の選手は1人しかいない一方、40歳代の選手が3人いるといった状況であった。また、2021年後期では、S級S班・1班に在籍する220名のうち40歳代以上が71名おり、おおよそ3分の1が40歳代以上であった。
ただ一方で、競輪選手(に限らず自転車競技選手全般に言える)は自転車に乗る姿勢から腰や内臓(特に腹部)には負担がかかりやすく、慢性的に腰痛やヘルニアに悩まされている選手も多い[125]。アトランタ五輪で銅メダルを獲得した十文字貴信は、晩年は酷い腰痛に悩まされた上に落車して大怪我を負った影響から1年以上にわたる長期欠場を余儀なくされ、最終的にレースに復帰することなく引退した[126](現在はラーメン店を経営)。
他にも、一日の間で自転車に乗っている時間が長いため、特に女子選手で「股ズレ」[注 50]に悩まされている選手が多く、沖美穂が大学院在学中に修士論文を纏める際に女子選手100人を対象にアンケートを実施したところ、8割が股ズレの悩みを抱えており、更に全体の半数が再発を重ねるなど深刻な実態が浮かび上がった[127]。
2022年11月時点における現役選手で、最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は、1960年5月3日生まれの佐古雅俊(45期・広島)。同年6月までは1958年6月4日生まれの佐久間重光(41期・三重)であったが、佐久間は2012年6月20日以降は日本競輪選手会理事長として公務に専念するなどしていたため実質は引退状態にあった(理事長職退任とともに選手登録消除され、引退)。なお、競走実績のなかった佐久間を除くと、佐古の前における最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は、佐古と同期であった1955年10月10日生まれの三ツ井勉(神奈川)であり、以下にある通り晩年は最高齢勝利記録を更新する活躍を見せたが、2020年1月23日付で選手登録消除され引退した[注 51]。なお、佐久間の引退により、選手登録番号が4桁以下の選手は全員が引退した。また、40期台の現役選手は佐古のほかは1962年4月26日生まれの森江信行(49期)とで2人のみとなっている。
主な記録
- 格付最高齢記録
- 最高齢出走記録
- 最高齢優勝記録
- 最高齢勝利記録
- 最高齢特別昇級
- 格付最年少記録
- GP 22歳 - 吉岡稔真 (65期・KEIRINグランプリ'92)
- GI(現存する特別) 20歳 - 伊藤繁 (21期・第13回オールスター競輪)
- 現存しない特別 17歳 - 森永宏造(1期・第2回全国都道府県選抜競輪・3000m競走)
- GII(準特別) - 25歳4か月 - 清水裕友 (105期・第5回ウィナーズカップ)
- GII(ヤンググランプリ) 20歳 - 深谷知広(96期)
その他の主な記録はこちら(127 - 129頁)を参照のこと(2020年12月31日時点)。
選手会
競輪選手の労働組合または職能団体にあたる組織として、日本競輪選手会がある。
昭和期には日本競輪選手会に反発した一部の選手らで結成された『全国競輪選手会』があった(1972年に日本競輪選手会と合併)ほか、平成期にも一部のトップ選手らで設立した『SS11』が2013年12月に日本競輪選手会から脱退し新たな選手会組織として機能させることを表明していたが後に撤回している。
女性の競輪選手
昭和の時代には1949年から1964年まで「(女子競輪)」が開催されており、女性の競輪選手も多数存在した。
女子競輪は人気薄などの事情から廃止されたが、のち平成に入り、2012年(平成24年)から女子競輪が「ガールズケイリン」として復活し、女性の競輪選手も48年ぶりに復活した。
また、2014年4月の田口守と三輪梓乃を始めとして、これまで数多くの競輪選手同士での結婚も見られているほか、ガールズケイリン選手の中には産休・出産後にレースに復帰し活躍を続けている選手もいる。
開催指導員
選手の中には開催指導員という肩書を持つ者もいる。これは主にベテランの選手の中から競輪場毎に1名ずつ選ばれるもので、当該競輪場の本場開催の際に必ず競輪場に詰め、毎レースの様子を確認すると共に、審判の判定に不服を持つ選手への説明を行うなど、選手と主催者の間の仲介役を務める。そのため、競輪場には必ず指導員の控室が設けられており、選手への説明用に審判カメラの映像を見るためのモニター等が設置されている[137]。代わりに、開催指導員となった選手は原則として当該競輪場での開催に出走することはない[138]。ただし、当該競輪場とは別の施行者の主催による借り上げ開催の場合(ミッドナイト競輪でよく見られる)は、その借り上げた施行者の競輪場を担当する開催指導員の選手が開催指導員を務めるため、例外的に出走することもある[139]。ちなみに、誘導員資格を持っていても開催指導員となっている場合は同様にその競輪場で誘導員をすることはないが、やはり借り上げ開催の場合は例外的に誘導員を務めることもある[140]。
安全装備
競輪では、レース中の選手・自転車同士の接触や、雨天時の濡れた路面でのスリップなどにより落車が発生することが少なくなく、その結果大きな怪我を負うことや、時には死去(殉職)に至る例もある。しかし、選手の安全装備についてはヘルメットの装着が義務化されている[143]程度で、その他のプロテクター等については選手が任意に装着するものとされている。
競輪で使用できるヘルメットは、他の自転車部品同様にNJS規格に適合したものとされており、2020年現在は主にアライヘルメットと(DICプラスチック)(DICの子会社)の2社が供給している[144]。
プロテクターは基本的に上半身(ユニフォームの下)に装着するが、特に規格化はされておらず、選手によってはオートバイ用のものを改造したり、複数のプロテクターを合体させたりしている者もいる。ただ自力型の選手は、プロテクターの重量増を嫌ってあまり装着しないため、使用するのは主にマーク屋の選手だという[145]。なお下半身については、競走実施規則上レーサーパンツ(下着は着用可)・短靴・靴下もしくはシューズカバー以外の着用が認められていないため[146](レース前のいわゆる「脚見せ」では、冬季はロングパンツを穿いて走行する選手もいる)、プロテクター類の装着は事実上困難である。
その他・特徴
- 過去には競輪選手自身が自転車競技法違反の容疑で検挙された事例もあったが、平成に入ってからは発生していない。なお、競輪選手が引退(選手登録消除)後に競輪の車券を購入すること、現役時代も含めて馬券(競馬)や舟券(競艇)を購入することには問題はない。
- 競輪が創設された当初は爆発的な競輪人気を受けて全国各地に競輪場が新設されたものの、その分選手の絶対数が不足しており、本人が自転車振興会連合会(当時)を直接訪ねて申し出れば即座に選手登録ができ即プロの競輪選手になれるというような状況にあった[147]。アマチュアでの自転車競技の経験者が多かったが全く未経験の者もおり、玉石混淆の状態であった。そのため選手個々の能力差も大きく、中には適性を欠く者や不正行為を働く者も見られ、それが各地で発生した騒乱事件の原因ともなり、一時は全国的な開催自粛や賭式についても6枠制から4枠制への変更を余儀なくされる状況に追い込まれた。また過去には覚醒剤(ヒロポン)などの違法薬物に手を出し、薬物中毒死した選手も存在する[148]。この事は社会的な問題ともなったため、1950年に日本サイクリストセンター(のち、日本競輪学校。現、日本競輪選手養成所)を設立、同年9月より適性審査や選手資格の検査基準を導入した結果、資質に問題のある選手は淘汰されていった。
- 昭和30年前後に、進駐軍のアメリカ人伍長が、休暇中に競輪に参加した記録がある。
- 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生で、社会人であっても多くは20代半ばまでの青年であるが、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者が多い。ただ、全く異分野のアマチュアスポーツ・プロスポーツからの転向を志す者も見られるほか、自転車競技の経験を全く持たずに競輪選手を志す者も少なからずおり、代表的なところではプロ野球選手や(プロサッカー選手)を経験した後に競輪選手へ転向した者がいる[注 52]。他にも、学生野球・陸上競技・ラグビー・大相撲・オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。変わった例としては、一般企業の会社員であった素人時代に参加した競輪場でのイベント「素人脚自慢大会」で優勝を果たしたことを機に競輪選手を志して実際に選手になった阿部康雄[注 53] や、競技スポーツ歴は一切なかったが芸能活動で競輪のイベントに携わるうちに競輪選手を志すようになり実際に選手になった元グラビアアイドルの日野未来[注 54]などがある。
- 競輪選手は成績不良で強制的に引退させられる以外にも、年1回必ず課される身体検査に合格しなければ、同様に登録を消除され強制的に引退させられる。ただ、疾病や負傷、妊娠など配慮すべき要因があり認められた場合は『あっせん保留』となり、身体検査は最長3年まで延期することができる。だが、それ以上の延長は認められていないため、選手会公務など特別な事情がない限り、3年間一度も出走しなかった場合は競輪選手としての登録を消除され強制的に引退させられる[149](女子には最長3期(1年半)で産休制度があり、猪頭香緒里や遥山夕貴のように、妊娠・出産・育児により産休制度を活用して3年を超えて欠場した例もある)。また、疾病や怪我、妊娠などで6か月以上欠場を続けた場合は復帰試験(走行能力調査。1000m独走によるタイム計測)を受けなければならず、これに合格しなければレースに復帰できないことになっている[150]。
- 実績を重ねた選手に対しては、JKAからの表彰制度もある。男子では選手登録日から10年以内に通算300勝[151]を、また達成時の年数は問わず通算500勝[152]ないし通算700勝[153]をそれぞれ達成した場合、女子では選手登録日から7年以内に通算300勝[154]を、また達成時の年数は問わず通算500勝ないし通算700勝をそれぞれ達成した場合、後日地元地区の競輪場(原則はホームバンク)にてファンの前で表彰式が執り行われる[155][156]。
- 競輪は開始から70年以上が経過しているため、女子選手も含めて親子二代で競輪選手という例は多数あるほか、『山口啓(7期、引退)、<子>山口幸二(62期、引退)・山口富生(68期)、<孫>山口聖矢(115期)・山口拳矢(117期)』など三代で競輪選手になったという例も少なからず見受けられる。特に、『川口八百一(期前、引退)、<子>川口武雄(8期、引退)、<孫>川口浩貴(48期、引退)・川口秀人(57期)、<曾孫>川口雄太(111期)』は四代で競輪選手になったという唯一の例(2020年時点[157])である。ガールズケイリンは2012年開始で日が浅いため母と子が競輪選手という例はまだないが、福田礼佳は父、祖父のみならず祖母も昭和期の女子競輪選手であったという唯一の例である。
脚注
注釈
- ^ 2019年5月1日付で「日本競輪学校」より改称[7]。
- ^ 資格検定は養成所に入所しなくても受験が可能だが、養成所に入所せず資格検定だけを受験し合格した者はいない。このように、事実上はまず養成所の入所試験に合格し同所で研修・訓練を受けた上で卒業することが選手となるための大前提となる。
- ^ 但し、ボートレーサー養成所においても途中でふるい落としがあるため、選手になれるのは実質的に50倍程度となる[11]。
- ^ 例外的に、前年度の資格検定に合格できず留年ないし「浪人生」となった選手候補生がいた場合、その選手候補生も同時に受験できる場合もある[14]。
- ^ かつては選手登録証を兼ねた選手手帳と、前検日に受ける身体検査の結果などが記載された選手健康手帳とがそれぞれ交付され、選手は競走参加の際に競輪場にともに持参していた。のち2019年12月より選手登録証はICカード化され、そのICカードに選手手帳と選手健康手帳の内容も含めて全ての情報が記録されている[16]。
- ^ (昭和期の女子競輪選手)であった松下五月(選手登録番号女子404)は、本名は松下(現姓・安田)利津子であったが、一刻も早くデビューしたかったため姉の名前で登録申請したところ、それが通ってしまい、結局引退まで「松下五月」で通したという。
- ^ 競輪では「斡旋」とは書かず「あっせん」と平仮名表記である。それに倣い、以下「あっせん」で統一する。
- ^ これらはかつては往復葉書による書面にて行われていた[20](漫画「ギャンブルレーサー」でもその描写がある)。
- ^ 身体測定では、血圧が上が170を超えると競走に参加できない[23]。なお、KEIRIN.JPなどでは「その他欠場」として扱われている。
- ^ S級S班の9人に対しては、予め届け出ることで年1回・最長1ヶ月間の公休が取得できる優遇措置がある。
- ^ 男女とも、オリンピックや世界選手権、ネイションズカップなど世界規模の自転車競技大会のレースに出走する場合、またはそれに向けての合宿に参加する場合は『公休』扱いとされ「最低出走回数」に対する配慮がなされる。
- ^ 通常は4日間ないし5日間。最長は男子の日本選手権競輪、高松宮記念杯競輪、オールスター競輪、競輪祭の各GI開催期間中の7日間。
- ^ 川崎競輪場や岸和田競輪場など、一部の競輪場では競輪場の敷地外に選手宿舎を設けている例もあり、これらの競輪場では選手は専用のバスで競輪場と選手宿舎の間を移動する。
- ^ 近親者の急逝など余程の特別な事情が発生している場合は例外だが、その場合でも競輪場を通じて呼び出してもらい、施行者側職員が通話に立ち会うこととなっている。
- ^ 参考に岸和田競輪場の場合、『携帯電話』、『パソコン』、『トランプ』、『通信機能の付いたゲーム機』(Nintendo Switchなど)、『飲食店からの出前』は宿舎内持込禁止となっている。
- ^ 競輪のみならず公営競技全般において、宿舎内への通信機器の持ち込みは厳しく禁じられている(マスコミ関係者など部外者も同様)。ちなみにオートレースでは、過去に参加中における通信機器の常用が発覚し選手登録消除(一般にいう解雇処分相当)に処せられた選手がいる。
- ^ 持ち込み可能とされているゲーム機は、ゲームボーイ、ゲームボーイブロス、ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト、ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSP、ゲームボーイミクロの7種類のみ。なお、ゲームボーイカラーは赤外線通信が可能なため持ち込みは認められていない。また、以前は据え置き型ゲーム機の持ち込みも可能であったが、昨今は通信機能を備えるために一律で持ち込めなくなった。加えて、ソフトにおいても「桃太郎電鉄」シリーズなどの対人ゲームも選手同士の賭博の原因となるとして禁じられている[28]。
- ^ 最初期では1日2走することもあった[36]。
- ^ a b 競艇とは異なり、1日に2走以上することはない[注 18]。但し、TIPSTAR DOME CHIBAで開催されている250競走「PIST6」では出場選手は2日間で1日2走ずつ(計4走)する[37]。また、先頭誘導員は原則として1日2走することになっている。
- ^ PIST6では例外的に賞金・手当・交通費などは全て開催終了後の選手個人の銀行口座への振込とされており、選手は手ぶらでの帰宅となる。ちなみに選手宿舎での物品の購入についても、代金はその振込代金から差し引かれることになっている。
- ^ 開設記念(GIII)では最終日に単発の企画レースとしてルーキーチャンピオンレースなどが行われることがあり、その場合は成績下位の9名が原則帰郷となる。なお、一部のGIレースでは帰郷をやめて最終日も敗者戦を実施するケースも出てきている。
- ^ 補充については、時間の余裕がないため施行者(競輪場)から直接連絡がいく[38]。但し、現状ではコロナウイルス感染拡大防止対策でPCR検査を受けさせる必要があるため、補充は開催期間中に出走予定のない選手に対し予め「補充の可能性あり」を伝えた上で待機してもらっており、レースカットが発生しない程度に最小限に留めている。
- ^ 競輪選手のみならず、競輪場・場外車券売場の管理・運営に携わるスタッフや競輪新聞の関係者なども同様にお盆や正月の休みは無いも同然である。
- ^ 師匠が引退したり、師匠とは師弟関係を解消したりして師匠がいないというケースのほかに、デビュー当初から師匠がいない選手も稀にいる。
- ^ 但し、ブレーキのないピストは公道では使用できないため、ロードバイクを使用する(ピストにブレーキを装着して使用するケースもある)。
- ^ 実際に、登録地は大阪府だが練習拠点を奈良競輪場としている選手がいるほか、過去にも登録地は大阪府だが練習拠点を兵庫県西宮市にあった甲子園競輪場としていた選手などもいた。
- ^ 競輪では、富山は中部地区に、福井は近畿地区に、それぞれ属している。
- ^ 2014年度までは、事前に決定されるGIなどのグレードレースを除き、各競輪場の賞金は前年度の売り上げ実績により翌年度のレース毎の賞金支給額が変更されていた。そのため同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なっていた[47](なお、競艇では現在もこの制度が維持されており、同じグレードのレースでも競艇場により賞金額が異なることがある[48])。
- ^ 毎年、ほかに副賞500万円を加えて支給されており、副賞込みでは1億3500万円となる。
- ^ なお、新人戦である「競輪ルーキーシリーズ」では、予選(初日・二日目とも)7着は男子は31,000円[52]、女子は28,000円[53]である。
- ^ L級戦(ガールズケイリン)の場合、3日間の総賞金額が320万8000円(誘導手当は除く)[51]であるので、うち30%に当たる96万2400円が、出場予定であった14名に対して均等に支払われる(1名あたり68,742円)。
- ^ 手当の額はレースの格による。最低は一般戦の3,000円で、最高はKEIRINグランプリの20万円[59][50]。なお、先頭誘導員に対しても、レースに出走する選手同様に、「天候不良による出走手当」「ミッドナイト競輪手当」などの諸手当も併せて支給される[21]。
- ^ S級S班所属の9人に対しては、通常の交通費に加えてグリーン料金などの特別料金が加算されて支給される。
- ^ 平成20年度の場合、記録賞や優秀選手賞と同様に金額の範囲が定められ、敢闘賞は「2万3000円以内」となっていた[60]。
- ^ 実際に同対談では、手っ取り早く金を稼ぎたい人間にとって「吉岡に一発食らわせたほうが早いかもしれない(笑)」と語った植木に対し、吉岡自身「そう考える人はいるはずですよ」と真面目な顔で答えており[65]、当時から選手間では強盗に襲われる危険性について認識していたようである。
- ^ 2018年は638万円[3]、2017年は666万円[2]。
- ^ そのため欠場中は特別な配慮がなされ、規定が定められて一定の収入補償がなされていた。
- ^ 新田祐大や小林優香は、2019年は競輪には年間で僅か13走しか出走しなかった。
- ^ のち伊藤には『あっせん保留』の処分が下された[93]が、同年11月より競走に復帰している。
- ^ 333mまたは335mバンクは51秒以内、400mバンクは60秒以内、500mバンクは68秒以内。
- ^ いわゆる『出禁』。武田豊樹は過去に高知競輪場でのレースで敢闘精神欠如と見做され悪質失格したことにより、高知では一時期『出禁』とされたことがあった(本人の項目も参照)。他にも、北津留翼は小倉でのレースで誘導員早期追い抜きで失格したことにより、即日帰郷かつ小倉競輪場において向こう半年間出場停止の処分が下された[97]。
- ^ a b 予選・準決勝・決勝と全ての出走レースにおいて1着となる(俗称「ピン・ピン・ピン」)こと。要するに9連勝以上。
- ^ 原則として、達成日の翌日付け[104]に特別昇級(班)するが、達成したレースが期末日当日(6月30日あるいは12月31日)である場合は、当日付けで昇級(班)する[105]。
- ^ 2020年5月から行われたルーキーシリーズ(特別昇班の対象外[109])を含めると24連勝。
- ^ 18連勝が懸かった2019年10月3日の西武園決勝戦は当日朝発生した(システム障害)の影響で開催打ち切りとなり、この時点での特昇はなくなった。ただ、その次の別府にて3連勝したことで、通算3開催連続優勝を果たし特別昇級した[113]。
- ^ S級1班の定員は220名で、その220名のうち最上位の9名がS級S班となっている。
- ^ これは、現在も続くGIレース最年長優勝記録。ちなみに、松本は直後の優勝記者会見で現役引退を表明し、別の意味でも話題となった。
- ^ 例えば松谷秀幸は、プロ野球選手としては僅か6年間かつ一軍での出場なく引退したが、競輪選手としては2009年のデビュー以降10年以上続けているだけでなく記念でも優勝するなどトップレーサーに上り詰めている。
- ^ 例えばS級の追い込み選手の場合、時速60数キロを維持できる距離が2倍以上になる。バンク半周⇒バンク1周以上など。
- ^ 股の内側などに生じる皮膚や粘膜の異常や障害で、レーサーパンツや自転車のサドルとの摩擦などで起きる。腫れて痛みが出たり、ひどい時には陰部がただれたりすることがある。
- ^ 45期はほかに1961年1月29日生まれの長谷井浩二(東京)も長く現役を続けたが、こちらは先に2019年1月15日付で選手登録消除。
- ^ 養成所が日本競輪学校であった時代は、特に第92期生までは受験時点で満18歳以上満24歳未満という年齢制限があり、現役プロ野球選手が競輪選手に転向するには球団を早期に退団する必要があったことから、転向例は僅か数名に留まっていた。だが、第93期生以降は年齢制限のうち上限が撤廃されるなど受験資格が大幅に緩和されたことから、実際に競輪選手へ転向する例が増えており、特に松谷秀幸(元プロ野球選手)は開設記念で優勝するなどトップレーサーに登り詰めている。また、養成所においてもプロ野球球団など他のプロスポーツ(養成所が認めた競技団体に限る)経験者に対しては、退団年とその翌年までの2年間に限り受験科目の一部免除を行っている。2008年11月11日に横浜ベイスターズ総合練習場で行われたトライアウトでは日本競輪学校(当時)のブースを設営しており、その知名度も含めて選手として有望な人材の獲得に動いたこともあった。
- ^ 新潟商業高校ではリザーブながらも全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場したことがあり、競技スポーツの経験はあった。
- ^ ほかに馬渕智史、安彦統賀、田中麻衣美、亀川史華、山路藍、太友花などが、競輪選手になる前に何らかの芸能活動の経験がある。
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関連項目
- 競輪の競走格付け
- 競輪の競走一覧
- 競輪選手一覧
- ガールズケイリン(女子競輪)
- ガールズケイリン選手一覧
- トラックレース(自転車競技)
- (日本の高校野球#甲子園出場をした主な著名人)
- (全国高等学校ラグビーフットボール大会#その他)
- (兄弟スポーツ選手一覧#競輪)
- 自転車競技法
- (スポーツに関する日本一の一覧#競輪)
- 日本のスポーツに関する資格一覧
外部リンク
- 一般社団法人日本競輪選手会
- 一般財団法人全国競輪選手共済会
- 財団法人JKA
- 競輪選手を取り巻く現状(PDF) - 経済産業省・産業構造審議会車両競技分科会競輪事業のあり方検討小委員会(第3回)の配付資料。2010年12月15日