梅溪家(うめたにけ)は、村上源氏久我流の公家である。(家格)は羽林家。江戸時代前期の左近衛中将久我通世の子・季通を祖とする。江戸時代の石高は150石[1]。3代(通条)の女・幸子は、将軍徳川家重の側室となり将軍徳川家治の生母となった至心院。明治維新後は、9代(通善)が子爵に叙せられた。12代通虎は貴族院子爵議員を務めた。通虎の三女・保子は華道家の池坊専永の夫人となり衆議院議員当選5回の政治家[2]。
墓所は大徳寺塔頭の一つの昌林院。ただし、昌林院は明治時代に廃寺となり黄梅院に統合された[3]。住所は京都市北区紫野大徳寺町17-3で、建勲神社前交差点から船岡東通を大徳寺の方面に入り、4本目の道を曲がると正面に見える。周りは住宅街で、上記の代々の当主の墓がある。
系譜
- 実線は実子、点線(縦)は養子。
幕末の領地
脚注
参考文献
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2008年1月24日アーカイブ分)
- 梅溪家(羽林家) -(世界帝王辞典)