概要
愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅を結ぶJR飯田線の中間駅(途中駅)の一つである。新城市の北東部に位置する。利用者はごくわずか(1999年度時点で乗車人員は1日平均約20人)であり、一部の普通列車も通過する。
開業は1950年(昭和25年)のことで、日本国有鉄道(国鉄)によって設置された。1987年(昭和62年)にJR東海に移管されて現在に至っている。なお現在の駅は2代目で、鳳来寺鉄道時代に初代柿平駅が存在した。
歴史
柿平駅には初代と2代目がある。初代は1929年(昭和4年)5月、現在のJR飯田線中南部にあたる大海・三河川合間を当時運営していた鳳来寺鉄道によって開設された。正規の名称を「柿平停留場[1]」といった。1943年(昭和18年)8月に鳳来寺鉄道の鉄道路線が買収・国有化されて国鉄飯田線の一部とされた際、この柿平停留場は廃止された。
2代目の柿平駅は、初代廃止から7年後の1950年2月に、国鉄によって設置された。初代の廃止前は小学校の児童の利用があり、戦後になって新制中学校の生徒の利用も見込めることから再設置の必要性が高まり、そのため当時の長篠村が隣村の七郷村の協力を得て1947年(昭和22年)6月より再設置を求める陳情を行っていた[2]。用地と経費は地元が寄付している[2]。
2代目も初代と同じく開業当初から旅客営業のみの旅客駅で、貨物は取り扱っていなかった。大きな変化がないまま1987年4月の国鉄分割民営化を迎え、JR東海に継承された。
年表
駅構造
ホームの豊橋寄りに出入口が設置されている[4]。無人駅(駅員無配置駅)であり、(管理駅)(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[5]。
駅周辺
駅があるのは柿平という、豊川の支流宇連川(三輪川)の右岸に位置する集落である。駅前に宇連川を渡る橋があり、それを渡ると国道151号(別所街道)へと出る。国道を西へ向かうと三河槙原駅南東にある名越という集落へ抜け、東へ向かうと名号という集落へ出る。