伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
略歴
岐阜県大垣市出身。岐阜県立岐阜高等学校、東京大学経済学部卒業。
<社内>
- 1977年4月、日本国有鉄道入社
- 1985年3月、同新潟鉄道管理局(現・JR東日本新潟支社)総務部人事課長
- 1987年4月、国鉄民営化に伴い、東海旅客鉄道株式会社入社
- 1989年3月、同総合企画本部経営管理部管理課長
- 1991年5月、同人事部企画担当課長
- 1992年6月、同人事部勤労課長
- 1994年6月、同人事部人事課長
- 1996年6月、同総務部次長
- 2000年6月、同総務部長
- 2002年6月、同取締役人事部長
- 2006年6月、同常務取締役秘書部長
- 2008年6月、同代表取締役副社長
- 2014年4月、同代表取締役社長
- 2018年4月、同代表取締役会長
- 2023年4月、同取締役相談役
<社外>
人物
- 実家は、岐阜県大垣市にある真宗大谷派の久遠寺[2]。副社長時代には中部経済同友会の筆頭代表幹事を務めた。現在は中部経済連合会副会長を務めている。
- 大学では、武田隆夫ゼミに所属。のちに東京海上日動社長を務めた北沢利文、みずほFG社長・みずほ銀行頭取を歴任した佐藤康博らとゼミ活動。野尻湖や水上高原などでのゼミ合宿で野外活動を楽しんだ。
- 九州旅客鉄道会長の唐池恒二、同社社長の青柳俊彦とは同い年で、国鉄での同期に当たる。
- 趣味はテニス、ゴルフ、クラシック音楽鑑賞。大学時代は応援部吹奏楽団に所属し、ユーフォニウム奏者で責任者を務めた。神宮球場で東京六大学野球に出かけた[3]。
- 国鉄10年を含む長年の人事職の経験から「人」を大事にし、「人が満足感を持って働けることができることが、安全確保の前提条件」という[4][5]。長期勤続を奨励し、JR東海の離職率は1%程度と低い[6][7]。「10人の1歩は1人の10歩に勝る」とチームワークを大事にする。
- 柘植の社長就任後は、それまでのJR東海の方針を一部転換した。
- 中古車両の他社譲渡は新幹線車両のJR西日本への仕様統一目的での譲渡以外は行っていなかったが、キハ11形のミャンマー国鉄への譲渡をはじめ、119系電車(えちぜん鉄道)、371系電車(富士急行)への譲渡を積極的に行なっている。
- 製作協力についても鉄道模型や一部の鉄道グッズ、テレビドラマの製作を除いて拒否していたが、柘植以降は「シンカリオン」や「君の名は。」、「ゆるキャン△」などアニメについても協力を行っている。
- ゲームに関しては使用許諾を一切行っていなかったが、社長就任時の2015年に「A列車で行こう9」にて「A列車で行こう9 JR東海パック」として使用許諾を行ったほか、会長就任後の2019年11月には「電車でGO!」についても許諾を行い中央西線が配信されている。
- インターネットを活用した中古鉄道車両部品通信販売サイト「JR東海鉄道倶楽部」の開設や、エクスプレス予約の規定を緩和した(スマートEXサービス)の開始、既存車両の有効活用ながら観光列車の運行など、実質的に「古巣」であるJR東日本のスタイルを取り入れている。