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東武矢板線

矢板線(やいたせん)は、かつて栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)の新高徳駅と同県矢板市矢板駅間を結んでいた東武鉄道鉄道路線である。

矢板線
概要
現況 廃止
起終点 起点:新高徳駅
終点:矢板駅
駅数 9駅
運営
開業 1924年3月1日 (1924-03-01)
廃止 1959年7月1日 (1959-7-1)
所有者 下野電気鉄道→
東武鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 23.5 km (14.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)(新高徳-天頂間)
電化 全線非電化
(テンプレートを表示)
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
(凡例)

路線データ

  • 管轄:東武鉄道
  • 区間(営業キロ):新高徳 - 矢板 23.5km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化

歴史

矢板線は、現東武鬼怒川線を開通させた(下野電気鉄道)によって、高原山麓沿線の木材や天頂鉱山の鉱物資源を搬送するため[1]に建設された鉄道路線である。今でも、駅跡近くには製材所の面影を残す構造物が見られる。

下野電気鉄道は太平洋戦争中の1943年昭和18年)5月1日陸上交通事業調整法に基づき東武鉄道に買収され、矢板線も鬼怒川線とともに東武鉄道の路線となった。しかし、鬼怒川線が日光線と接続して浅草駅からの直通列車が走るようになったのに対し、メインルートから外れた矢板線は近代化も行われず、1959年(昭和34年)6月30日をもって廃止された。最後まで蒸気機関車混合列車を牽く昔ながらの運行形態が続いており、矢板線の廃止をもって、東武鉄道における蒸気機関車による旅客列車は2017年のSL「大樹」の運転開始まで姿を消した。

年表

  • 1919年(大正8年)9月8日 下野軌道に対し鉄道免許状下付(塩谷郡藤原村-同郡矢板村間)[2]
  • 1924年(大正13年)3月1日[3] 下野電気鉄道により高徳 - 天頂間開通[4]。軌間762mm
  • 1929年(昭和4年)10月22日[3] 天頂 - 矢板間開通により全線開業[5]、軌間1067mmに改軌、高徳駅を新高徳駅に改称、東武鉄道より蒸気機関車3両、客車2両、貨車2両を借り入れ下今市 - 矢板間直通運転開始
  • 1930年(昭和5年)
  • 1943年(昭和18年)5月1日[3] 東武鉄道が下野電気鉄道を買収。同社矢板線となる
  • 1959年(昭和34年)7月1日[3] 新高徳 - 矢板間廃止

駅一覧

新高徳駅 - 西船生駅(にしふにゅう) - 船生駅(ふにゅう) - 長峰(ながみね)荷扱所[駅 1]- 天頂駅(てんちょう) - 芦場駅(よしば) - 玉生駅(たまにゅう) - 柄堀駅(からほり) - 幸岡駅(こうおか) - 矢板駅

  1. ^ 塩谷山地の森林資源を取り扱う林用手押軌道との接続駅

接続路線

事業者名は東武矢板線廃止時点のもの

運転

晩年は5往復運転されていたが、始発・最終は新高徳=玉生間のみの区間運転で、全線直通する列車は日中の3往復のみであった。このため、玉生=矢板間の運行本数は3往復のみである。本数が少ないうえに折り返しに充分な余裕があるために1編成のみで賄う事は可能であるが、実際に何編成の列車が使用されていたのかは定かではない。明治生まれの古典蒸気機関車(ピーコック)を使用していたため、矢板より幸岡に向かう旧国道4号(現県道30号)越えの高架橋の坂、幸岡の丘陵越えの坂にさしかかると止まりそうなスピードになり、乗客が降りて列車を後押ししたという。地元では下電の「ポッポ汽車」と呼び親しまれていた。

車両

  • キハ1.2 - 矢板線用に1930年に汽車製造により製造されたガソリンカー(半鋼製単車、定員52名)。戦時中に客車化されキハ1は矢板線で1954年5月廃車され、キハ2は船橋線、越生線で使用され1953年4月廃車。
  • コハフ10形(11-13) - 昭和30年頃から廃線まで使用された木製ボギー客車。元は東武鉄道初の電車であるデハ1形を出自とする。同形車が東武博物館に保存されている。

代行バス

矢板線廃止にあたっては、同線が塩谷町の主要生活路線としての機能も一部有しているとして、東武バス転換バスを矢板 - 新高徳、日光今市鬼怒川温泉間で運行させることとなった。しかし、採算性が悪かったため後に撤退し、その後は東野交通、さらに塩谷町代替バス(関東自動車委託)に引き継がれるも2003年3月で撤退した。

2003年4月からは藤田合同タクシーしおや交通が一般路線バス事業に参入する形で、矢板 - 新高徳(しおや交通は西船生まで)間で運行を開始した。主に国道461号を経由している。 しかし、 同路線の矢板 - 矢板高校間にしおや交通が無料バスを運行((矢板無料バス事件)[6])したことや塩谷高校の統廃合もあり経営が悪化、しおや交通は2013年頃に休止、藤田合同も2014年5月21日に突然全線運休[7]。12日間の空白期間の後、6月2日から5日まで日光市と塩谷町が運行し、6月6日以降は日光市・塩谷町・矢板市の3市町が運行(しおや交通に委託)している[8]。矢板市内は本町経由から塩谷病院経由に変更された。

ギャラリー

脚注および参考文献

  1. ^ 大野雅美『郷愁の野州鉄道 栃木県鉄道秘話』随想舎、2004年、260-263頁。ISBN (4-88748-103-9)。 
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1919年9月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b c d e 今尾 (2008)
  4. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年3月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年11月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「矢板無料バス事件について」白石忠志(ソフトロー研究第21号 p139-)
  7. ^ . MSN産経ニュース. (2014年6月2日). オリジナルの2014年6月2日時点におけるアーカイブ。. 2021年9月25日閲覧。 
  8. ^ . MSN産経ニュース. (2014年6月22日). オリジナルの2014年6月22日時点におけるアーカイブ。. 2021年9月25日閲覧。 
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 3 関東1、新潮社、2008年。(ISBN 978-4-10-790021-0)。 
  • 中川浩一「多彩をきわめた気動車群」『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション23 東武鉄道 1950-60』130頁

関連項目

外部リンク

  • - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
  • 廃線跡-東武鉄道矢板線 - 廃線跡を旅する
  • 猫と鉄道-東武鉄道矢板線1
  • 猫と鉄道-東武鉄道矢板線2
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