有栖川宮職仁親王(ありすがわのみやよりひとしんのう 正徳3年9月10日(1713年10月28日) - 明和6年10月22日(1769年11月19日))は、江戸時代の皇族。有栖川宮第5代当主。霊元法皇第17皇子。いわゆる有栖川流書道を創始した。享保元年(1716年)に、有栖川宮の第4代当主正仁親王が嗣子なく没したため、有栖川宮を相続した。享保11年(1726年)に親王宣下・中務卿となる。寛延2年(1749年)5月に一品に叙せられる。霊元天皇の皇子としては兄尊賞法親王に次ぎ歌道に優れ、桃園・後桜町・後桃園の3天皇をはじめとして300名に伝授した。父から受け継いだ書道にも造詣が深く、有栖川流書道の創始者として知られる。
妻室・子女
- 妃:(二条淳子)(1713-1774) - 二条吉忠娘
- 第1王子:(音仁親王)(1729-1755)
- 第2王子:叡仁入道親王(1730-1753)(三千院)
- 家女房:越前(松岩院)
- 家女房:菖蒲小路(後藤温子) - 後藤左一郎娘
- 家女房:藻塩(賀茂茂利) - 山本廉顕
- (養子、実は音仁親王の子女)
妃の(二条淳子)の父方の祖母は霊元天皇の第3皇女・栄子内親王(1673年生)で、職仁親王の40歳上の異母姉であり、職仁親王と淳子は同年生まれではあるものの、大叔父と大姪の結婚である。嫡男・(音仁親王)が早世したことにより、まだ寺に入っていなかった末の王子・織仁親王が後継となった。
第1王子:(音仁親王)
第2王子:叡仁入道親王
第3王子:(覚仁入道親王)
第4王子:増賞入道親王
第6王子:常仁入道親王
第7王子:織仁親王
参考文献
- 『新修有栖川宮系譜』 高松宮藏版、(1940年)