» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

日産・セフィーロ

セフィーロCEFIRO)は、日産自動車が生産、発売していたセダンである。日本国内での販売期間は1988年から2003年

日産・セフィーロ
3代目 後期型
概要
製造国 日本
販売期間 1988年2003年
ボディ
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアステーションワゴン(2代目のみ)
系譜
後継 日産・ティアナ
ローレルと統合
(テンプレートを表示)

概要

初代モデルはスカイライン・ローレルとシャーシを共通するFR(後輪駆動)車。2代目以降はFF(前輪駆動)となり、2代目にはステーションワゴンの設定もあった。

これらは後継車であるティアナの海外輸出のネーミングで使用していたが、現在は使用していない。


初代 A31型(1988年 - 1994年)

日産・セフィーロ(初代)
A31型系
 
前期型 フロント
 
前期型 リア
 
インテリア
概要
別名 日産・ローレル(6代目)
販売期間 1988年 - 1994年
設計統括 守屋真
デザイナー 和田智
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FR/4WD(後期型のみ)
(パワートレイン)
エンジン (RB25DE)型 直6 2.5L
(RB20DET)型 直6 2.0L ターボ
(RB20DE)型 直6
(RB20E)型 直6 2.0L
変速機 5AT/4AT/5MT
サスペンション
前: ストラット(2WD)/マルチリンク(4WD)
後: マルチリンク
車両寸法
ホイールベース 2,670mm
全長 4,690mm
全幅 1,695mm
全高 1,375mm
車両重量 1,360kg
その他
ブレーキ 4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル 2.0クルージング 4AT(前期型)
(テンプレートを表示)

発売数週間前からの、中沢新一和田勉斉藤由貴井上陽水中村敦夫出演のティザー広告を経て1988年9月1日に発売。糸井重里考案の「くうねるあそぶ。」のキーワードが話題になった。当時S13型シルビアのオプションパッケージなどでしか採用例のなかったプロジェクターヘッドランプ[1]を標準で採用した斬新なフロントマスクが特徴的であった。流麗なデザインながらボディ形状はプレスドアを採用した4ドアセダンである。[注釈 1]

駆動方式はFRで、1989年5月にモデルチェンジしたスカイライン、1989年1月にモデルチェンジしたローレルとは基本コンポーネンツを共有する姉妹車[2]である。発売当初はDUET-SS装着車を除いてマニュアルトランスミッションが選択可能、エンジンは2LのRB20系エンジン3種(EGI付SOHCのE、EGI付DOHCのDE、EGI付DOHCターボのDET)を搭載。RB20DEは無鉛プレミアムガソリン仕様、RB20DETはR31スカイラインに搭載の180psから205psにパワーアップした仕様であった。

生産工場は、当時、姉妹車のスカイライン・ローレルなどを生産していた村山工場と、サニー・プレセアなどを生産していた座間工場[注釈 2]であった。

初期のキャッチコピーは「33歳のセダン。」[2]であり、当時のDINKs層、つまり20代から30代の男性を主なターゲットにした販売戦略が取られていた。ユーザーが自らの嗜好に沿ってエンジン、サスペンション、トランスミッション、内装生地、内装色、外装色などを組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式「セフィーロ・コーディネーション」を導入。発売当時の組み合わせは810通りあった。組み合わせた仕様の詳細はセンターコンソールボックスのふたの内側に貼られた仕様書で確認できる。なお、メカニズムの仕様による価格差は存在しても、快適装備類に差異はほぼ存在しない。外装には特に表記されないもののエンジンとサスペンションの組み合わせを表現する名前があり、RB20E搭載車には「タウンライド」RB20DE搭載車は「ツーリング」RB20DET搭載車は「クルージング」、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS装着車には「コンフォート」、4輪操舵システムHICAS-II装着車に「スポーツ」の名前がつけられていた。CMや広告写真にはHICAS-II装着のRB20DE搭載車「スポーツツーリング」が多く使われた。

発売当時のセフィーロ・コーディネーション
搭載エンジン
サスペンション
RB20E
(SOHC)
RB20DE
(DOHC)
RB20DET
(DOHCターボ)
トランスミッション 内装生地 内装色 外装色
標準
サスペンション
タウンライド ツーリング クルージング 4速E-AT/5速MT ダンディ/
エレガント/
モダン
オフブラック/
ブラウン
9色
(注文色2色)
電子制御
DUET-SS装着
コンフォート
タウンライド
コンフォート
ツーリング
コンフォート
クルージング
4速E-AT
4輪操舵
HICAS-II装着
スポーツ
タウンライド
スポーツ
ツーリング
スポーツ
クルージング
4速E-AT/5速MT

1989年8月、スエード調人工皮革「エクセーヌ」を内装に採用した特別仕様車「エクセーヌセレクション」を、ラグジュアリーグレード「コンフォート」系に設定。

1990年1月、標準車のRB20DETターボエンジン搭載グレードのクルージングをベースとし、日産の特装車専門の子会社オーテックジャパンで、エアロパーツ、エンジンチューン、コノリーレザー製本革シート、オリジナル品の本革巻ステアリング、PIAA製アルミホイールなどチューニングを施した「オーテックバージョン」が追加設定され、1990年8月にマイナーチェンジされた中期型以降も引続き設定されていた。

しかしながら、直接的なライバル車であるトヨタ・マークII/チェイサー/クレスタの販売攻勢[注釈 3]や、斬新で尚且つ奇抜なフロントフェイスの好みが分かれた事などもあり、大きな話題性の割に人気が低迷気味になり、1990年8月、最初のマイナーチェンジで中期型になったのを機に、前期型で設定されていたセミオーダーメード方式の「セフィーロ・コーディネーション」が廃止され、保守層を対象としヘッドランプをオーソドックスなフォグランプ内蔵異型角型2灯式ハロゲンタイプに改めたNA車専用の「Nシリーズ」なども追加された。R32型スカイラインGT-Rに搭載の4WDアテーサE-TSシステムとR32型スカイラインと共通の4輪マルチリンクサスペンションを移植しRB20DETと組み合わせた、国内向けセフィーロでは最初で最後の4WDモデル[注釈 4]「アテーサクルージング」(後期ではSE-4)の追加も試みられた。

1991年8月、全車にサイドインパクトドアビーム採用等の安全対策の向上及び、断熱グリーンガラスを採用。運転席SRSエアバッグシステムのメーカーオプション設定。同時にタウンライドNとツーリングをベースにエクセーヌシート、シルバーポリッシュアルミロードホイールを特別装備したSVシリーズを発売。

1992年5月、再度のマイナーチェンジの後期型では2,500ccのRB25DE搭載モデルの追加があり、同時にRB20DE搭載車、RB25DE搭載車に5速ATが追加となる、他のエンジン搭載車は4速ATが継続。バンパーの大型化で3ナンバー化される。前回のマイナーチェンジで追加されたNシリーズが廃止され、全車プロジェクターヘッドランプに戻る。新グレードとして、本革/エクセーヌ混成シート、C33ローレルと同素材のマホガニー材の本木目ATフィニッシャー、スーパーファインコーティング、シルバーポリッシュアルミロードホイールを装備した「25SE-Mセレクション」を追加。

CM出演者は井上陽水から仲谷昇に変更。

姉妹車のスカイラインやローレルと共用する部品が多く、手軽にチューニングでき4ドアで実用性に優れることからチューニングカー、特にFRということもあってドリ車のベースとして一部に人気を博した。

海外輸出販売も好調で、これまでのローレルに代わり、東南アジア・オセアニアでは「セフィーロ」、中東とラテンアメリカでは「ローレルアルティマ」のネーミングで売られていた。日本国内仕様との違いは、フロント部のロゴマーク(海外向けは日産のロゴマーク)が異なるのとメーターが220km/h(日本向けは180km/h)対応であること。また、ローレルアルティマには専用のRB24Sエンジンが搭載されていた。

通常、日産の新規車種では車両型式の末尾は「0」から始まるようになっているが、「A30」は(3代目グロリア(タテグロ))で既に使用されていたため「A31」から始まっている。

1994年7月[3]、生産終了[出典無効]。在庫対応分のみの販売となる。

1994年8月、2代目と入れ替わる形で販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は14万1278台[4]

2代目 A32型(1994年 - 2000年)

日産・セフィーロ(2代目)
A32型系
 
前期型
 
後期型
 
2.5 Sツーリング(後期型)
概要
別名 日産・マキシマ(4代目)
日産・アルティマ(2代目)
インフィニティ・I30(初代)
販売期間 セダン:1994年 - 1998年
ワゴン1997年-2000年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアステーションワゴン
駆動方式 FF
(パワートレイン)
エンジン (VQ30DE)型 V6 3.0L
(VQ25DE型) V6 2.5L
(VQ20DE)型 V6 2.0L
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
前: ストラット
後: マルチリンクビーム
車両寸法
ホイールベース 2,700mm
全長 4,760mm
全幅 1,770mm
全高 1,410mm
車両重量 1,340kg
その他
ブレーキ 前: ベンチレーテッドディスク
後: ディスク
データモデル 25エクシモ
(テンプレートを表示)

1994年8月24日、発表[5]マキシマとの統合により従来型のFRから一転、(FF)となった。生産が日産追浜工場に移管された。エンジンは国内車種第一号となった新開発のV6横置きのVQエンジンが搭載され2,000ccのVQ20DE、2,500ccのVQ25DE(日本のみ)、3,000ccのVQ30DEが設定された。

グレード構成はディッシュタイプのアルミホイールや足踏み式パーキングブレーキ(MT除く)、クロームグリルなどを装備したラグジュアリー志向の「エクシモ(含イニシア)」と、スポーク形状のアルミホイールやリヤトランクスポイラー、エアロパーツ、レバー式サイドブレーキ、カラードグリルなどを纏ったスポーティー志向の「Sツーリング」の2シリーズ構成とした。運転席SRSエアバッグを全車に、ABSを上級グレードに標準装備(それ以外ではオプション)とし、安全性を訴求するとともに各デバイスの低価格化への礎を築くきっかけとなった。J30型マキシマ譲りの広い室内、シンプルかつクリーンなエクステリア、それにしなやかな乗り心地を披露するリヤマルチリンクビームサスペンション(B14型サニーと基本構造は同じ)を採用したことも功を奏し、A32型は販売的にも日産のアッパーミドルクラスセダンとしては大成功を収めた。また、ブラウン内装や助手席側エアバッグなどを装備した「デュアルセレクション」ならびに「デュアルセレクションII」もモデル途中に発売されて人気に拍車をかけた。先代とはターゲットの年齢層が若干上昇しており、30代から40代の夫婦層やファミリー層で、CMもその年齢層を意識していた。

1996年1月、特別仕様車「デュアルセレクション」を設定。25エクシモ / 20エクシモをベースに運転席&助手席エアバッグやABS、本革巻きステアリングなどを装備する。

1996年6月10日、オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」を発売[6]。25Sツーリング / 20Sツーリングをベースに専用前後エアロバンパー、サイドパネル、リヤスポイラー、専用アルミホイール(R33型スカイラインと同デザインの16インチ)などを装備。

1997年1月13日、マイナーチェンジ(オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」のみ2月7日発売)[7]。全車にABSとフロント両席エアバッグが標準装備となった。ファインビジョンメーター(上級グレード)やマルチリフレクター式ヘッドライト(Sツーリング系はブラックインナー、エクシモ系はクロームインナー)ならびにマルチリフレクター式リヤコンビネーションレンズを採用し、ドアトリムとパワーウインドーの形状を変更、センタークラスターの木目調パネルの面積を拡大するなど高級感の向上が図られた(反面、リヤの番号灯が2個→1個となり、灰皿のクローム加飾が廃止されるなどコストダウンも敢行された)。上級グレードにSRSサイドエアバッグを標準装備するなど安全面の向上も図られた。同時に、Sツーリングに装着されるアルミホイールが15インチから16インチにサイズアップされた。新グレード「25SツーリングJ」と「20エクシモG」が追加。前年6月発表のエアロセレクションはマイナーチェンジに対応して継続、2.5L車のベースグレードが25SツーリングJに変更された。モデル途中、ブラウン内装やインフィニティ・I30と同形状のグリルなどを採用した「ブラウンセレクション」も発売され話題を呼んだ。後期CM出演者は、中山美穂桃井かおり西村知美

1997年6月、国内市場専用のセフィーロワゴン(WA32型)登場。歴代で唯一のワゴンモデルである。

1998年 韓国ルノーサムスン(当時の三星自動車)が「SM5」という名称でライセンス生産を開始。

1998年1月、小改良。セダンの25SツーリングJ、イニシアが廃止される。

1998年5月19日、セフィーロ誕生10周年記念車「20エクシモ 10th ANNIVERSARY」を発売[8][注釈 5]。20エクシモをベースに、10周年記念オリジナルキー、アルミホイールを特別装備。

1998年11月[9]、セダンの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1998年12月、セダンはA33型にフルモデルチェンジし、販売終了。(ワゴンはWA32型が継続生産された)販売終了前月までの新車登録台数の累計は6万6120台[10]

2000年8月、ステージア・プリメーラワゴン・アベニールに統合される形でワゴンを販売終了(セフィーロワゴンはセドリックワゴン/グロリアワゴンの受け皿でもあった)。

2代目以降はFFになったため、リヤサスペンションの特性上、4WDの製作が難しかったため後継車ティアナが出るまでFFのみであった。

A32型は当時の日産の世界戦略車種として位置づけられ、北米へは「マキシマ」や「インフィニティ・I30」、ヨーロッパやロシアへは1995年より「マキシマQX」として投入されるなど、世界各国で広く発売されていた。また、台湾の裕隆汽車公司でもA32型セフィーロの現地生産を行っていた。

尚、海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのはSM5のV6モデルのみで、それ以外は国内仕様のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。

台湾のセフィーロは日本におけるセドリックと同等に位置づけられる高級車(A32型セフィーロは台湾で継続生産されていたY30型セドリックの後継車種)であり、最上級グレードの名称は当時のセドリックと同じく「ブロアムVIP」であった。外観については前期は日本仕様とほぼ同じだが、後期については大型バンパーや専用リヤガーニッシュ、大型フロントグリルを用いる改良を受けている。

3代目 A33型(1998年 - 2003年)

日産・セフィーロ(3代目)
A33型系
 
(前期型 1998年12月-2001年1月)
 
後期型(2001年1月-2003年3月)
概要
別名 日産・ローレル(8代目)
日産・マキシマ(5代目)
日産・アルティマ(3代目)
インフィニティ・I30/35(2代目)
販売期間 1998年 - 2003年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FF
(パワートレイン)
エンジン (VQ25DD)型 V6 2.5L
(VQ20DE)型 V6 2.0L
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
前: ストラット
後: マルチリンクビーム
車両寸法
ホイールベース 2,750mm
全長 4,785mm(前期型)
4,920mm(後期型)
全幅 1,780mm
全高 1,440mm
車両重量 1,470kg
その他
ブレーキ 前: ベンチレーテッドディスク
後: ディスク
データモデル 25エクシモG(後期型)
系譜
後継 日産・ティアナ
ローレルと統合
(テンプレートを表示)

1998年12月22日、A33型にモデルチェンジ[11]。ワゴンはWA32型が継続生産。内外装デザインはイルカをモチーフとして取り入れた。キャッチコピーは「イルカに乗ろう」。他社に先駆けユニバーサルデザインを多く取り入れている。搭載するエンジンはV型6気筒DOHC VQ25DD型直噴およびVQ20DE型リーンバーンの2機種。グレード体系は先代A32系同様、エクシモ系とSツーリング系の2系統を持つ。

2000年1月7日、装備を充実させた「Lセレクション」、オーテックジャパン扱いの「AUTECH(オーテック)」を発売[12]。共にエクシモ / 25エクシモがベース。同時に一部仕様変更し、ボディカラーの「ブルーイッシュグレーパールメタリック」を「エクセレントブルーパール」に差し替えた。

  • Lセレクションは、共通で本革巻ステアリングホイール&シフトノブ、2.5L車は15インチアルミホイール、2L車はスーパーサウンドシステムCDセレクション等を標準装備とした[注釈 6]
  • AUTECHは、光輝モール付きの専用前後バンパー及びサイドガードモール、サイドシルプロテクター、専用アルミホイール(FY33型シーマと同デザインの16インチ)、専用オフホワイト色シート[注釈 7]等を装備。

2000年3月、ヨーロッパ向け「マキシマQX」を第70回ジュネーブモーターショーに出品。

2001年1月29日、マイナーチェンジ[13]。海外向け車種のインフィニティI30と同様の前後バンパーの変更により全長がセフィーロ史上最長の4,920mmに延長された。同時に日本国内では法制上不要なサイドマーカーも装備された。エクシモGのアルミホイールを16インチにサイズアップし、グリルを新意匠のものに変更[注釈 8]するとともに、初代以来続いていた(CEFIROの)頭文字「C」と末尾文字「O」をモチーフにしたマークを廃止、代わりに日産のブランドロゴのエンブレムをセットした。また、これを機にSツーリングは廃止されエクシモ系のみとなった。同時にオーテック扱いの「AUTECH」は名称を「AX」に変更。25エクシモGは本革シート[注釈 9]を標準化。一方でコスト削減の一環からサンルーフ、車間距離レーダー[注釈 10]、アクティブヘッドレスト、アクティブダンパーサスペンションの設定を廃止。

2002年1月8日、特別仕様車「NAVIエディション」を発売[14]。エクシモ / 25エクシモをベースに、DVD方式のTV/ナビゲーションシステム(6.5インチワイド液晶モニター)と上質感のある木目本革コンビステアリング、本革巻シフトノブを装備し、お求めやすい価格とした特別仕様車である。

2002年8月、平成12年排出ガス規制に適合しない2,500cc車が廃止され、2,000ccのみとなる(5MTも廃止)。「エクシモNAVIエディション」を追加。VQ20DEの出力もリーンバーンからストイキに変更され、レギュラーガソリンに対応したことで160ps→150psとなった。エクシモGには本革シートのメーカーオプションが追加された。

海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのは台湾・タイ仕様のA34(後述)、インフィニティ・Iで、それ以外は国内仕様前期のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。

2003年2月[15]、前月で販売を終了したローレルとの統合により、国内市場向けモデルの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

2003年3月[16]、在庫対応分が完売し販売終了。2008年末までの新車登録台数の累計は5万7225台[17]後継車はティアナ

ただし、タンチョン・モーター・マレーシアSDN.BHD[1]などでは引き続き生産、カタール[2]サウジアラビア[3]などではマキシマの名前で生産されていた。また、台湾においては日本での生産が終了した後もフロントマスクを大幅に変更したものが「A34型」として発売されていた。

前期・後期ともに警察の覆面パトカーとして納入されている。

車名の由来

スペイン語で「そよ風」「地中海に春をもたらす西風」の意味で、英語のzephyr(ゼファー)と語源が共通する。この意味としてのスペイン語"céfiro"ではセにアクセントがあり、フィロと発音する方が近く、フィーと伸ばすことはない。

エピソード

  • 発売された直後の1988年、初期のCMキャラクターに井上陽水を起用。最初期のCMは、林の中の道を走るセフィーロを後ろからカメラが追いかけ、併走した瞬間セフィーロの助手席に座っていた陽水がパワーウインドウを下げてカメラに向かって「みなさんお元気ですか?失礼します」と話しかけるものであった。これはこれで話題になったのだが、その放映を開始して間もなく昭和天皇下血するなど体調を崩したため国内は一気に自粛ムードとなり、このCMも放映中止が真剣に検討された[注釈 11]。ただ発売直後でありそういうわけにもいかず、苦肉の策として、映像はそのままCMソングの音量を上げて「みなさんお元気ですか?失礼します」の部分は消音したバージョンが放映されたことから、これがまた話題となった。なお自粛後のほぼ同時期に放送された「今夜は最高!」ではタモリ(陽水と同郷のお笑いタレント)が「みなさんお元気ですか?」を連発していた。後に陽水がセフィーロのそばでホースで散水する新バージョンのCMが急遽制作され、1988年12月以降はこれを使用した。
    • ちなみに当初は陽水本人に運転させようと検討していたが、彼が運転免許を持っていないことが判明したため、助手席に座っていた。陽水はこの車のCMに1990年頃まで出演しており、彼はずっと助手席に座っていた。CM放映終了後、陽水は1991年、42歳の時に免許を取得した。
  • 元々はS13型シルビアの4ドア版として販売する予定であり、車名も同じシルビアとして販売する予定であったが、売れないのではないかという社内の声から、急遽セフィーロに名前を変更して発売されたという。そのためシルビアとシャーシはともかく、ダッシュボードやシートなど多数の部品に互換性があったという。
  • 魔法騎士レイアースでは、主人公たちが召喚された異世界の国名に使用されている。

出典

  1. ^ “主流となりつつあるプロジェクターヘッドライトとは?マルチリフレクターとの違いと構造は?”. MOBY (2016年4月29日). 2020年4月5日閲覧。
  2. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p89
  3. ^ “セフィーロ(日産)1988年9月~1994年7月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年4月5日閲覧。[出典無効]
  4. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第65号5ページより。
  5. ^ 『新型セフィーロを発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1994年8月24日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-ea2ada92a067df51a78ce3a3b2089024-19940824-j2022年3月16日閲覧 
  6. ^ 『セフィーロ、マーチの特別仕様車を発売』(プレスリリース)株式会社オーテックジャパン、日産自動車株式会社、1996年6月10日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-a8a987160a53b8df938002e30c0ca2cc-19960610-01-j2022年3月16日閲覧 
  7. ^ 『セフィーロをマイナーチェンジ』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1997年1月13日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-832261c25e9d6fa480b83b275d44550a-19970113-01-j2022年3月16日閲覧 
  8. ^ 『セフィーロ10周年記念車を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1998年5月19日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-ea2ada92a067df51a78ce3a3b2648cf2-19980519-j2022年3月16日閲覧 
  9. ^ “セフィーロ(日産)1994年8月~1998年11月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年4月5日閲覧。
  10. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第14号15ページより。
  11. ^ 『新型「セフィーロ」を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1998年12月22日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-d1aec88139c3fdb0f209700bba0191ed-19981222-01-j2022年3月16日閲覧 
  12. ^ 『セフィーロに「Lセレクション」を追加』(プレスリリース)日産自動車株式会社、2000年1月8日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-0032ff05aa6577577d36a0990c01e448-20000107_1831-j2022年3月16日閲覧 
  13. ^ 『「セフィーロ」をマイナーチェンジ』(プレスリリース)日産自動車株式会社、2001年1月29日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-98d6b3cf13cd03ed1ec834397bb8d2a0-010129-012022年3月16日閲覧 
  14. ^ 『セフィーロの特別仕様車「NAVIエディション」を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、2002年1月8日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-7fb1c8b44d8ae7f9775b3a6e5aecc2aa-020108-012022年3月16日閲覧 
  15. ^ “セフィーロ(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年4月5日閲覧。
  16. ^ “セフィーロ(1998年12月~2003年3月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月18日). 2020年4月5日閲覧。
  17. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第24号15ページより。

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ A31型セフィーロの登場に伴い、ローレルのセダンモデルはC32型をもって廃止となり、ローレルはハードトップのみのラインナップとなった。
  2. ^ 座間工場で生産されていたA31型セフィーロの車体番号は、最初に8が付いたA31-800001番 - とCA31-800001番~になっている。
  3. ^ 最量販グレードの白色モデルを大量に見込み生産し、即納・大幅値引きを図った。
  4. ^ 2・3代目はFF車になったことでリヤサスペンションの機構上、4WDの製作が困難であったために後継のティアナ登場までは4WDの設定なし
  5. ^ ワゴンにも設定されていたが、内容は全く異なるものだった。
  6. ^ 但し、後席の仕様が
    1. 3席ELR付き3点式シートベルト→中央席のみ2点式化
    2. 3席上下調整式ヘッドレスト→左右席ピローのみに
    3. 分割可倒式トランクスルー機能廃止
    とグレードダウンされていた。
  7. ^ 表皮は2.5L車が本革(前席のヒーター及びパワーシート機能はなし)、2L車はディンプルスエード。
  8. ^ 本体自体はインフィニティI30(前期)と同一品である。
  9. ^ 前席ヒーター機能は廃止。
  10. ^ 車間距離監視機能のみで、クルーズコントロールの設定はない。
  11. ^ 「みなさんお元気ですか?」のフレーズが陽水の独特な発音により「宮さんお元気ですか」と聞こえてしまい不謹慎と判断されたため。

関連項目

外部リンク

  • 日産ミュージアム「セフィーロ」
  • WEBカタログバックナンバー セフィーロ(A33・前期型)
  • WEBカタログバックナンバー セフィーロ(A33・後期型)
  • セフィーロ CM情報
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。