» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

斎藤邦唯

斎藤 邦唯(さいとう くにただ、1929年11月17日 - )は、日本の俳優映画プロデューサーである[1][2][3][4][5][6]扇映画プロダクション代表[7]テレビ映画テレビドラマの出演者として知られていたが[1][6]、映画製作者に転向、渡辺護を監督に抜擢、渡辺のデビューから第9作までを手がけた[8][9][10][11]

さいとう くにただ
斎藤 邦唯
本名
生年月日 (1929-11-17) 1929年11月17日(93歳)
出生地 日本 東京府
職業 俳優映画プロデューサー
ジャンル 劇場用映画現代劇時代劇成人映画)、テレビ映画(現代劇)、テレビ放送劇演劇新劇新国劇
活動期間 1949年 - 1966年
所属劇団 文学座
新国劇
事務所 (綜芸プロダクション)
(衣笠プロダクション)
扇映画プロダクション
主な作品
映画
あばずれ(製作)
テレビ映画
『(警視庁鑑識科学シリーズ 決め手)』(出演)
(テンプレートを表示)

別字である藤 邦唯、誤記である斎藤 邦でクレジットされたこともある[2][5][6]

人物・来歴

舞台俳優からテレビ俳優へ

1929年(昭和4年)11月17日、東京府(現在の東京都)に生まれる[1]。本名は同じ[1]

第二次世界大戦初期の1942年(昭和17年)4月に旧制中学校に入学、戦後の1947年(昭和22年)3月に卒業した[1]文学座巣鴨に附属演劇研究所を開校した1949年(昭和24年)[12]、同劇団に入団する[1]。同年に入団した俳優に高木均[13]、同じく文芸部員には矢代静一[14]がいた。その後、同団を退団して島田正吾辰巳柳太郎新国劇に移籍、次いで、演劇畑を歩んできたが、(竹井諒)(1901年 - 1970年)が1949年に設立した(綜芸プロダクション)に移り、映画界に転向した[1]。当時の同プロダクションの作品は、嵐寛寿郎主演の『(鞍馬天狗)』を中心とした時代劇剣戟映画が中心であった[15][16][17]。その後、1954年(昭和29年)に製作を再開した日活に入社する[1]。この時代の出演作についての資料は残っていない[1][2][3][4][5][6]

1957年(昭和32年)には、日本テレビ放送網16mmフィルムとVTRを駆使して製作し、日本で初の刑事ドラマとされる『ダイヤル110番[18]に出演した[1]。次いで同年10月7日に放送を開始した朝丘雪路の主演作『(すいれん夫人とバラ娘)』に出演[1][6]、同作は、渥美清のテレビデビュー作として知られる[19]。『テレビ大鑑 1958』によれば、同書が発行された1958年(昭和33年)6月20日時点では、(衣笠プロダクション)に所属しており、東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)に住んでいた旨の記述がある[1]。当時の民間テレビ局は、16mmフィルムを媒体として製作するテレビ映画に力を注いでおり、斎藤は、中部日本放送(現在のCBCテレビ)が主体となって中央映画貿易とともに製作、1959年(昭和34年)5月17日に放映を開始したテレビ映画『(警視庁鑑識科学シリーズ 決め手)』に助演した[6][20]。同作の監督の(都成潔)は東宝[21]から、テレビ映画の宣弘社プロダクションと渡り歩いた人物であり[22][23]、斎藤はさらにフィルムの世界に進んでいった[2][3][4][5][6]

折込広告社(現在のオリコム)が製作し、前年4月1日に放映を開始した連続テレビ映画『まぼろし探偵』が人気を博したため、映画化が決まり、(三東映画)が製作し、新東宝が配給、1960年(昭和35年)2月14日に公開された劇場用映画『(まぼろし探偵 地底人襲来)』に「橋本」役で出演した[3][4][5]。同作は、テレビ版に引き続き吉永小百合が出演していることでも知られる[24][25]。同年7月5日からは、連続テレビ映画『アラーの使者』が放映を開始、同作に「宇野刑事」役で出演した[6]。同作には、のちに斎藤が製作した渡辺護の監督作『(情夫と牝)』(1965年10月公開)、『(浅草の踊子 濡れた素肌)』(1966年1月公開)、『(うまず女)』(1966年3月22日公開)、『(絶品の女)』(1966年7月12日公開)に出演した(武藤周作)が「紅とかげ団四号」役で出演している[6][26]。「紅とかげ団一号」役を演じた(福島亨)は、のちに(メトロ芸能社映画部)で『(女のふくらみ)』(監督鶴巻次郎、主演桂奈美、1966年7月公開)を製作した[27]。その後、斎藤は、映画の製作スタッフに転向した[28]

映画製作者に転向

渡辺護の回想によれば、1964年(昭和39年)、渡辺が助監督を務めた『(悶える女子学生)』(監督南部泰三、同年11月公開)では、斎藤は、同作の製作を務めていたという[28]。同作の宣伝ポスターには、「斉藤邦雄」の表記(誤記)で出演者としてクレジットされている[29]。満35歳であった1965年(昭和40年)4月には、扇映画プロダクションを設立、製作を開始する[7]。設立第1作は同年6月に公開された『あばずれ[30]、同作は抜擢された渡辺護の第1回監督作品でもあり[26]、斎藤は「製作」にクレジットされた[31]。同作は旧・新東宝関西支社の後身である新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給したが、出資者は俳優の伊豆肇であったという[32]

1966年(昭和41年)8月23日に公開された『(女子大生の抵抗)』(監督渡辺護)をもって、扇映画プロダクションは活動を停止した[9][33][34]。同社の活動停止以降、斎藤邦唯の活動は不明であるが[2][3][4][5][6]、生前の渡辺護(2013年12月24日死去)は、斎藤とは「まだつきあいがあります」と語っていた[28]。その後も存命であれば2015年(平成27年)には86歳になる[1]

フィルモグラフィ

特筆以外すべて「出演」である[1][2][3][4][5][6]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、(デジタル・ミーム)等での所蔵状況も記した[2][35]

1950年代

  • ダイヤル110番』 : 企画(北川信)、製作日本テレビ放送網、1957年9月3日 - 1964年9月6日放送(連続テレビ放送劇・全364回) - 1957年に出演[1]
  • 『(すいれん夫人とバラ娘)』 : 演出不明、原作中野実、脚本(若尾徳平)、主演朝丘雪路、製作日本テレビ放送網、1957年10月7日 - 同年11月11日放送(連続テレビ放送劇・(中野実アワー)・全6回) - 出演
  • 『相棒』 : 演出不明、原作(加茂七三朗)、主演長門裕之西村晃、製作日本テレビ放送網、1957年10月23日放映(テレビ放送劇) - 出演
  • 『(日本の歌)』 : 演出(池田義一)・緒方勉・(北川信)、製作日本テレビ放送網、1957年 - 1958年放送[1](連続テレビ放送劇・回数不明) - 出演(回不明)
  • 『(蛮茶物語)』 : 演出不明、脚本北條誠、主演北原隆、製作日本テレビ放送網、1957年12月30日 - 1958年3月31日放映(連続テレビ放送劇・全14回) - 出演
  • 『(特ダネをにがすな!)』 : 監修(岡田録右エ門)、監督(小松達郎)、脚本長谷川公之窪田篤人・(山口純一郎)・(西島大)・久板栄二郎、製作KR電通企画第一部、1956年10月19日 - 1959年5月29日放映(連続テレビ映画・全134回) - 1958年に出演[1]
  • 赤西蛎太』 : 演出(安藤勇二)、原作志賀直哉、脚本川内康範、主演田崎潤、製作日本テレビ放送網、1958年1月7日 - 同28日放映(連続テレビ放送劇・山一名作劇場・全4回) - 出演
  • 『(警視庁鑑識科学シリーズ 決め手)』 : 製作(星野登)、監督(都成潔)、脚本(咲坂比呂志)・(松田伊佐夫)・荒木芳久、主演天津敏、共演里木三郎・(大木弦介)、製作中部日本放送中央映画貿易、1959年5月17日 - 同年11月8日放映(連続テレビ映画・全26回) - 出演

1960年代

  • 『(まぼろし探偵 地底人襲来)』 : 製作(松村高勇)、企画(山部徹郎)、監督(近藤龍太郎)、原作桑田次郎、原案関沢新一、脚本柳川創造、主演加藤弘、製作(三東映画)・(竜映)、配給新東宝、1960年2月14日公開(映倫番号 11804) - 出演・「橋本」役、原版が現存・VHSが発売
  • アラーの使者』 : 企画(佐藤正道)・(松丸青史)、監督近藤龍太郎、原作川内康範、脚本(松原佳成)、主演千葉真一、製作東映テレビプロダクションNETテレビ、1960年7月5日 - 同年12月27日放映(連続テレビ映画・全26回) - 出演・「宇野刑事」役、30分尺の第1話のみ現存・東映チャンネルが放映[36]
  • 少年ケニヤ』 : 企画(中井義)、監督仲木睦、原作山川惣治、構成松浦健郎、脚本松浦健郎・(朝島靖之助)、主演山川ワタル、製作東映・NETテレビ、1961年5月4日 - 1962年2月8日放映(連続テレビ映画・全41回) - 出演・「アルマス」役
  • 特別機動捜査隊』第10回『強奪の果て』 : 監督不明、主演波島進、製作東映テレビプロダクション・NETテレビ、1961年12月20日放映(テレビ映画・(日立ファミリースコープ)) - 出演
  • 『目撃者』 : 演出(安江泰雅)、作(有高扶桑)、主演(土方弘)、製作NHK教育テレビジョン、1962年8月11日放送(テレビ劇映画・(創作劇場)) - 出演・「アル中」役

1965年4月の扇映画プロダクション設立以降のフィルモグラフィは、

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q キネ旬[1958], p.137.
  2. ^ a b c d e f g 斎藤邦雄(誤記)東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年5月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 斎藤邦唯文化庁、2015年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 斎藤邦唯KINENOTE, 2015年5月29日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 斎藤邦唯斉藤邦唯日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 斎藤邦唯斉藤邦唯斎藤邦雄(誤記)テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
  7. ^ a b 田中[1976], p.85-86.
  8. ^ 年鑑[1967], p.325-333.
  9. ^ a b 年鑑[1968], p.317.
  10. ^ キネ旬[1973], p.26, 59-60, 69, 86, 93, 107, 115.
  11. ^ 渡辺護1931-2013(前)、井川耕一郎、2014年7月21日付、2015年5月29日閲覧。
  12. ^ 文学座とは、文学座、2015年5月29日閲覧。
  13. ^ 高木均、コトバンク、2015年5月29日閲覧。
  14. ^ 矢代静一、コトバンク、2015年5月29日閲覧。
  15. ^ 1951年 公開作品一覧 216作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  16. ^ 1952年 公開作品一覧 287作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  17. ^ 1953年 公開作品一覧 321作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  18. ^ 日テレ[2005], p.114.
  19. ^ 佐藤[1992], p.27.
  20. ^ 中日[1960], p.330.
  21. ^ 都成潔、東宝、2015年5月29日閲覧。
  22. ^ 都成潔 - テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
  23. ^ 都城潔 - テレビドラマデータベース(誤記)、2015年5月29日閲覧。
  24. ^ まぼろし探偵、テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
  25. ^ 吉永小百合 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  26. ^ a b 渡辺護 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  27. ^ 福島亨 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  28. ^ a b c d 『悶える女子学生』を製作したやつは斉藤邦唯って言って、まだつきあいがありますけど、井川耕一郎、2013年8月3日付、2015年5月29日閲覧。
  29. ^ a b 悶える女子学生、(高千穂映画)・センチュリー映画社、1964年11月。
  30. ^ 1965年 公開作品一覧 509作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  31. ^ 渡辺護 はじまりから、最後のおくりもの。、神戸映画資料館、2014年12月付、2015年5月29日閲覧。
  32. ^ 渡辺護『あばずれ』の照明は村瀬栄一、井川耕一郎、2013年2月14日付、2015年5月29日閲覧。
  33. ^ 1966年 公開作品一覧 486作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
  34. ^ 大蔵映画黎明期プログラムリスト、PINK HOLIC, (トライワークス)、2015年5月29日閲覧。
  35. ^ フィルムリスト検索結果、(デジタル・ミーム)、2015年5月29日閲覧。
  36. ^ アラーの使者 #1、東映チャンネル、2015年5月29日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

画像外部リンク
 
1964年11月公開
((高千穂映画)・センチュリー映画社
  同上
 
1965年6月公開
扇映画プロダクション新東宝興業
 
1965年6月公開
(扇映画プロダクション・センチュリー映画社)
 
同上
(扇映画プロダクション・(日本セントラル映画))
 
1965年10月公開
(扇映画プロダクション・ムービー配給社
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。