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島津忠弘

島津 忠弘(しまづ ただひろ、1892年明治25年)10月18日[1] - 1922年大正11年)10月13日)は、日本華族男爵。通称は諄之介

人物・略歴

忠弘は薩摩藩第12代藩主にして最後の藩主・島津茂久(島津忠義)の六男である。母は側室の菱刈久であった。

妻は岩倉具定の娘・季子で、季子との間に一男二女をもうけた。

のちに長男の(島津斉視)は家督を継いで男爵となり、久邇宮朝融王第二王女・久邇朝子を妻とする。長女の弘子は(松平近義)(農学博士)の妻、次女の淑子東宮女官長となった。

1895年(明治28年)には分家し、その際父の勲功により明治天皇から男爵を授けられている。

宮内省に入省し、式部職の式部官や主猟官を務めたが、1922年(大正11年)10月13日に31歳で卒去した。

若くして亡くなったため、関係する資料も非常に少ないようである。

栄典・授爵

親族

  • 父:島津忠義
  • 忠義 正室:暐子(てるこ、1851年 - 1869年、斉彬三女)
    • 長姉:房子(1869年 - 1871年、長女であったが夭折したため系譜から省かれていることが多い)
  • 忠義 継室:寧子(やすこ、1853年 - 1879年、斉彬五女、近衛忠煕養女)
    • 長兄:(忠宝)(1879年、長男であったが誕生から3か月で夭折のため系譜から省かれていることが多い)
  • 忠義 継室:棲子(すみこ、? - 1886年、板倉勝達の次女)
  • 忠義 側室:山崎寿満子(1850年 - 1927年)
  • 忠義 側室:菱刈 久( - 1960年)
    • 五兄・(忠備)(ただみつ、1891年 - 1928年、分家して男爵)
    • 長弟・久範(ひさのり、1894年 - 1944年、島津忠麿(旧佐土原藩主家)養子、伯爵)
    • 次弟・(康久)(やすひさ、1895年 - 1972年)
    • 長妹・為子(ためこ、1897年 - 1989年、徳川頼貞室)

脚注

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.732

出典

  • 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 鹿児島県姓氏家系大辞典』(鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会、角川書店1994年
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
島津家(宗家分家)初代
1895年 - 1922年
次代
(島津斉視)
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