小野柄通(おのえどおり)は兵庫県神戸市中央区の町名。現行行政地名は小野柄通一丁目から小野柄通八丁目。郵便番号は651-0088。
地理
旧・葺合区東部、国道2号の南、阪神神戸三宮駅の南東に位置する。商業地域で商業ビルや集合住宅が立ち並ぶ。『角川日本地名大辞典』(1988年)によれば映画館がある[1]としているが、これは六丁目の地下に1999年まで存在したビック映劇と称した単館系シネマで、現在は、壁面への映像投射設備を有した飲食店になっている。また、現在中央消防署がある場所にはかつて、(神戸市立小野柄小学校)が立地していた。
東は生田川を挟み(新生田橋=国道2号、他1橋で接続)北本町通、南は御幸通、西はフラワーロード(県道新神戸停車場線)上に加納町、北は国道2号を挟み雲井通。東から順に一~八丁目が設置されている。
六丁目と七丁目の間を神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)が走る。『角川日本地名大辞典』によれば、一丁目に生田川公園、二丁目に小野柄派出所、四丁目にNTT葺合電話局・NTT神戸支社局外工事部、五丁目に浄土真宗本願寺派浄教寺、関西電気ビル(公団三宮アパート)・公団三宮第二アパート、七丁目に日本生命三宮駅前ビル・三宮ビル(北館)、八丁目にそごう神戸店(現:神戸阪急)があり、県道神戸明石線の地下に商店街さんちかタウン(現:さんちか)・阪神神戸三宮駅があるという[1]。阪神本線は町域の北西端にある三宮東交差点で国道2号が南へ90度向きを変えるまで同国道の下を通り、そこから先は兵庫県道21号神戸明石線の下を走る。
歴史
小野とは新生田川と旧生田川に挟まれた南の平野地で、「生田の小野」と呼ばれた歌枕の地であった。
町名は江戸時代後期の歌人・(加藤季鷹)の詠んだ「分け入りし生田の斧の柄もここに朽ちしや果てむ布引の滝」に依ったといわれており(『(西摂大観)』)、『神戸の町名 改訂版』によれば、この和歌は中国の昔話を題材に「幾多(生田)の人々が斧(小野)の柄が朽ち果てるのも知らず滝に見とれるだろう」と地名を読み込んだという[2]。町名がついたのは明治32年(1899年)の事で、区制施行する昭和6年までは「葺合」を冠して葺合小野柄通と呼ばれた。
沿革
- 明治36年(1903年)、雲中尋常高等小学校が熊内町三丁目に移転し、跡地に生田川尋常小学校開校、葺合技芸女学校(後の(赤塚山高校))を併設、昭和9年小野柄小学校に合併。
- 明治38年(1905年)、北側に阪神電気鉄道が開通。
- 明治43年(1910年)、2丁目に小野柄尋常小学校開校(後の(神戸市立小野柄小学校))[3]。
- 大正元年(1912年)、神戸電気鉄道(後の神戸市電)布引線の開通。
- 昭和6年(1931年)、国鉄(現JR)三ノ宮駅が近隣に移転。
- 昭和8年(1933年)、阪神三宮駅が地下に設けられる。同年、十合呉服店(現そごう)神戸支店移転。
- 昭和10年(1935年)、市電東部国道線が開通。
- 昭和11年(1936年)、阪神急行電鉄(現阪急電鉄)も近くで高架で乗り入れ。
- 昭和38年(1963年)、県下初の精神薄弱養護学校・青陽養護学校創立。昭和47年(1972年)、小野柄分校が独立して(青陽東養護学校)と改称。平成5年(1993年)に灘区岩屋北町6丁目に移転。
- 昭和56年(1981年)、神戸新交通ポートアイランド線が開通。
- 昭和60年(1985年)、神戸市営地下鉄西神・山手線が開通。
- 平成8年(1996年)、小野柄小学校、中央小学校に統合される。
- 平成13年(2001年)、神戸市営地下鉄海岸線が開通。
- 2019年(令和元年)
- 9月30日 - そごう神戸店が閉店。
- 10月1日 - 旧そごう神戸店が阪急阪神百貨店に移管。
- 10月5日 - 神戸阪急が営業開始[4]。
人口統計
施設
- 三宮ビル北館 - 7丁目1-18
- 本社
- いかりスーパーマーケット神戸三宮店
- 神戸阪急(阪急百貨店) - 8丁目1番8号