宮内(みやうち)は神奈川県川崎市中原区の町名[6]。現行行政町名は宮内1丁目から宮内4丁目で、全域が住居表示実施済区域[7]。
地理
宮内は川崎市中原区北部の多摩川下流右岸、(多摩川低地)の中央部に位置する[6]。一部多摩川左岸の河川敷にも領域が及ぶ。北部で高津区下野毛、多摩川越しの北東部に東京都世田谷区野毛・玉堤、東部で等々力、南東部で小杉御殿町、南部及び西部で上小田中、北西部で高津区北見方に接する。多摩川と二ヶ領用水に挟まれた(溝の口デルタ)にあたり、土地は肥沃である[6]。東西に国道409号及び多摩沿線道路が貫いている。近年再開発が著しい武蔵小杉近辺地域の一角である住宅地が占めるが、二ヶ領用水側及び高津区との区境付近には機械・電機・食品・金属などの中小工場群がみられ、1991年(平成3年)の時点では中原区内で工場数の最も多い町である[6]。
河川
地価
住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、宮内1丁目17-6の地点で276,000円/m²となっている。[8]
歴史
近世以前
地内の春日神社・常楽寺一帯は前方後円墳であると言われている[6]。室町時代には武蔵国橘樹郡に属し、『小田原衆所領役帳』には後北条氏小机衆(曽根外記)の所領として「二十貫文 同宮内之郷之内」と記述されている[6]。江戸時代には武蔵国橘樹郡の村となり、天領となった。村高は『(武蔵田園簿)』では443石余・『元禄郷帳』では408石・『天保郷帳』では568石余・『旧高旧領取調帳』では570石余となっている[6]。名主は石井家の世襲であり、家の軒数は取り決めで36戸と定められていたが、安永年間よりその定めが破られたとされ、明和7年(1770年)には62軒であったと『(橘樹郡案内記)』に残されている[6]。江戸時代の主な産品は(稲毛米)と呼ばれる(将軍献上米)にも使われた良質な米と花卉が挙げられるが、明和3年(1766年)に池上幸豊の申し出により関東郡代伊奈忠宥によって甘藷の苗が配布された[6]。多摩川の河岸に位置するため水害に見舞われることも多かった[6]。
明治以後
明治元年(1868年)には神奈川府を経て神奈川県の所属となり、1889年(明治22年)、町村制施行により橘樹郡中原村の大字となった[6]。この時期はゴボウ・大根・葉菜類や柿・桃等の果樹類が換金作物として栽培されていた[6]。この産品はこの時期当地に設置されていた(宮内の渡し)で運ばれた[6]。宮内の渡しは当地のほか大谷戸(現・上小田中)から東京方面への交通路として利用され、丸子橋が1935年(昭和10年)に建設されるまで利用された。1925年(大正14年)には橘樹郡中原町の大字、1933年(昭和8年)には川崎市、1974年(昭和47年)には川崎市中原区の大字となっている。昭和40年代から昭和60年代にかけて急激に宅地化が進み、1960年(昭和35年)には597人だった人口が1970年(昭和45年)には2,504人、1991年(平成3年)には9,611人、2008年(平成20年)には11,995人と増加している。
1993年(平成5年)2月22日に宮内全域に住居表示が実施され、現在の宮内一丁目-四丁目が成立した[7]。
地名の由来
神社や寺院に囲まれた土地を指す説の外、嵯峨天皇の時代に雨乞のため宮内卿藤原朝臣某を奉幣使としてこの地の春日神社に遣わしたところ、旱魃が止んだためその官職名に由来するとする伝承が『新編武蔵風土記稿』に記されている[6][9]。
世帯数と人口
2022年(令和4年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
宮内1丁目 | 1,161世帯 | 2,570人 |
宮内2丁目 | 1,344世帯 | 2,719人 |
宮内3丁目 | 1,876世帯 | 4,206人 |
宮内4丁目 | 1,944世帯 | 3,769人 |
計 | 6,325世帯 | 13,264人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 10,027人 | [10] | |
2000年(平成12年) | 10,151人 | [11] | |
2005年(平成17年) | 11,416人 | [12] | |
2010年(平成22年) | 12,536人 | [13] | |
2015年(平成27年) | 12,729人 | [14] | |
2020年(令和2年) | 13,279人 | [15] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
宮内1丁目 | 93事業所 | 865人 |
宮内2丁目 | 148事業所 | 2,154人 |
宮内3丁目 | 30事業所 | 257人 |
宮内4丁目 | 82事業所 | 917人 |
計 | 353事業所 | 4,193人 |
施設
史跡
交通
鉄道
当地内に鉄道は通っていない。最寄りの駅はJR東日本南武線武蔵新城駅または武蔵中原駅である。
路線バス
道路
その他
日本郵便
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[20]。
丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|---|
宮内1丁目 | 全域 | 中原警察署 | 宮内交番 |
宮内2丁目 | 全域 | ||
宮内3丁目 | 全域 | ||
宮内4丁目 | 全域 |
関連項目
脚注
- ^ “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2018年5月22日). 2021年12月12日閲覧。
- ^ a b “令和4年町丁別世帯数・人口 6月30日現在” (XLS). 川崎市 (2022年7月25日). 2022年7月25日閲覧。 “令和4年町丁別世帯数・人口 6月末日現在”
- ^ a b “宮内の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ Google Earthより
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典』角川書店、1991年9月、P848,1106。
- ^ a b “区別町名一覧表(中原区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年4月2日閲覧。
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2022年7月10日閲覧。
- ^ 「宮内村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ64橘樹郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763984/22。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “中原区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2021年4月1日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “中原区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2021年4月1日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2021年度版” (PDF). 日本郵便. 2022年2月28日閲覧。
- ^ “交番案内”. 中原警察署. 2022年3月20日閲覧。