地理
中原区の北部に位置し、多摩川に面している。域内には等々力緑地が広がっており、その中には、川崎フロンターレのホームスタジアムとなっている等々力陸上競技場や川崎市とどろきアリーナなどの施設が所在している。
等々力は北端で多摩川を挟んで東京都の世田谷区玉堤・大田区田園調布と、南東端で小杉陣屋町・小杉御殿町と、西端で宮内と接している(特記のない町域は神奈川県川崎市中原区)。
歴史
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった[7]。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている[8]。江戸時代には(旧河道)の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている[9]。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された[9]。
大正末期、多摩川に堤防が築かれた後には当初は酪農なども行われた。その後当地が旧河道で大量の砂利が埋もれており[10]東京横浜電鉄によって陸地からの採掘が行われ、「七つが池」と呼ばれる池ができた[9]。昭和30年代にはその七つが池も埋め立てられ住宅地となっていったが、それと並行する形で等々力緑地の整備も進んでいき[9]、現在見るような都市公園となっていった。なお、等々力緑地内に現在も残る釣池[11]は、「七つが池」のうちの五号池が残ったものである[9]。
地名の由来
対岸にある谷沢川が多摩川と合流する地点、あるいは谷沢川の途中にある不動の滝での水の轟音が由来と考えられている[7]。戦国時代の文献には「とどろ木」や「兎々呂城」の形で残り、江戸時代に「等々力」の字が当てられた[7]。
沿革
- 1551年(天文20年) - 吉良頼康判物に「とどろ木」の形で見える。
- 1717年(享保2年) - 小杉村との間に境界争いが起き、宮内村の立ち会いで解決させる。
- 1725年(享保10年) - 田中休愚により多摩川の瀬替えが行われ[7]、当地は多摩川の対岸にある飛び地となった。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により玉川村が成立。当地は東京府荏原郡玉川村大字等々力字向河原、字立返となる[7]。
- 1912年(明治45年) - 府県境が多摩川で引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災が発生。復興の建設ラッシュに合わせ、多摩川の砂利が採掘されていった。
- 1925年(大正14年) - 中原村と住吉村の大半が合併して、中原町を新設。当地は中原町大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1932年(昭和7年) - 中原町が川崎市に編入される。当地は川崎市大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1936年(昭和11年) - 二子橋以南(当地を含む)の河原からの砂利採掘が禁止される。当地では陸掘が行われ、「七つが池」ができた。
- 1959年(昭和34年) - 当地に水道が開通する。また、等々力町内会が成立する。
- 1966年(昭和41年) - 等々力陸上競技場が開場。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市中原区大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1988年(昭和63年) - 川崎市市民ミュージアムがオープン。
- 1992年(平成4年) - Jリーグが開幕。ヴェルディ川崎が等々力陸上競技場をホームスタジアムとして参入(2001年に東京都へ移転)。
- 1994年(平成6年)10月17日 - 住居表示が実施され、川崎市中原区等々力となる[6]。
- 1995年(平成7年) - 川崎市とどろきアリーナがオープン。
- 1999年(平成11年) - 等々力陸上競技場をホームスタジアムとして川崎フロンターレがJ2に参入。
町域の新旧対照
等々力は、1994年10月17日に住居表示が実施されているが、その際に宮内字中河原耕地・字下河原耕地、小杉字堤外も等々力に編入されている[12]。
世帯数と人口
2022年(令和4年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 485人 | [13] | |
2000年(平成12年) | 507人 | [14] | |
2005年(平成17年) | 491人 | [15] | |
2010年(平成22年) | 451人 | [16] | |
2015年(平成27年) | 425人 | [17] | |
2020年(令和2年) | 412人 | [18] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
交通
鉄道
2018年現在、当地に鉄道は存在しない。川崎縦貫高速鉄道が当地を通る計画があったが、2015年度を持って計画が休止となっている。
バス
東急バス、川崎市交通局の2事業者が、川崎駅、武蔵小杉駅、武蔵中原駅、武蔵溝ノ口駅などの各方面へバスを運行している。
道路
施設
- 等々力緑地
- 等々力陸上競技場 - 川崎フロンターレがホームスタジアムとしている。
- 川崎市等々力球場
- 川崎市とどろきアリーナ
- 川崎市市民ミュージアム
- 等々力緑地釣池
おもな出身者
- 松島勇気 - ミュージカル俳優
その他
日本郵便
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[22]。
番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 中原警察署 | 小杉交番 |
関連項目
脚注
- ^ “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2018年5月22日). 2021年12月12日閲覧。
- ^ a b “令和4年町丁別世帯数・人口 6月30日現在” (XLS). 川崎市 (2022年7月25日). 2022年7月25日閲覧。 “令和4年町丁別世帯数・人口 6月末日現在”
- ^ a b “等々力の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ Google Earthより
- ^ a b “区別町名一覧表(中原区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年4月2日閲覧。
- ^ a b c d e 日本地名研究所編「川崎地名辞典(上)」川崎市、2004年、P258~261。
- ^ 神奈川近世史研究会 編 (1994.1). 江戸時代の神奈川―古絵図でみる風景. 有隣堂. pp. 39
- ^ a b c d e 日本地名研究所編「川崎の町名」川崎市発行、1991年、P121~122。
- ^ この頃、多摩川の河川敷から砂利を掘ることは河川保護のため禁止された。
- ^ 等々力緑地釣池(フィッシングセンター) 川崎市観光協会、2011年10月9日閲覧。
- ^ 住居表示新旧対照案内図 No.64 等々力 川崎市、1996年。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “中原区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2021年4月1日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “中原区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2021年4月1日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2021年度版” (PDF). 日本郵便. 2022年2月28日閲覧。
- ^ “交番案内”. 中原警察署. 2022年3月20日閲覧。