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大石神影流

大石神影流(おおいししんかげりゅう)は、大石種次(進、後に七太夫、武楽)が開いた剣術の流派。大石流とも呼ばれる。福岡県大牟田市柳川市に現存する[1]

大石神影流
おおいししんかげりゅう

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使用武器 日本刀
発生国 日本
発生年 江戸時代
創始者 大石種次
源流 新陰流
大島流
主要技術 剣術
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概要

開祖は大石進種次(武楽)、2代は大石進種昌といずれも「大石進」と名乗っており、またいずれの大石進も江戸に出ているので、この両者を混同して大石進という一人の剣客と誤解されていることが多い。

大石進種次は、吊した鞠を竹刀で突いて、突き技を磨いたと伝えられる。その後、父親から神影流剣術大島流槍術を継承した後に、大石神影流を開いたとされる[1]

1832年天保3年)、種次は江戸に出て、53の長竹刀を遣い、突きと胴切りで、江戸の名だたる剣術師家を倒した。この時に、『一刀流極意』によれば白井亨のみが種次に勝ったとも、千葉周作が樽の蓋を鍔にして引き分けたともいわれる[2]。翌1833年(天保4年)には男谷信友に突き技で勝ったという。勝海舟も当時のことを「御一新以上の騒ぎ」と記しており、その後長竹刀が流行した[3]

種次の子である種昌も、大石神影流を継承した後、江戸に出て、5尺3寸の長竹刀で江戸の名だたる剣術師家を倒した[4]

種次、種昌二人ともに江戸で目覚ましい戦績を残したことによって、剣術修行の目的地に大石道場のある筑後柳河藩を目指す者が多く出て、大石神影流は多くの地域に伝わった。大石道場で修行した他藩の者の中に土佐藩士・(樋口真吉)、(甚内)兄弟がいた[5]

樋口真吉は土佐藩で無外流剣術高木流槍術を修行していたが、独自に竹刀防具の工夫や技の改良を行い、他流試合を行ったので破門された。1837年(天保8年)、樋口は廻国修行に出て、柳河の大石道場に入門した。樋口真吉は剣術だけではなく槍術も大石進に学び、入門後28日で皆伝を授けられた。[注釈 1]この後も樋口真吉は何度も柳河へ赴き大石進のもとで修行した。樋口兄弟が皆伝を得て土佐に帰ったことにより、大石神影流が土佐藩に伝えられた。また、大石進が高知に招かれ、大石神影流が土佐藩の藩校で指導されるようになった[4]

このほか、日向国高鍋藩でも藩命で大石神影流を学ぶ者がおり、(柿原宗敬)は柳河藩に来て大石神影流を学んだとされる[6]

大石種次の墓は恵日寺にある。第6代宗家は大石英一、第7代宗家は平成26年4月20日、大石馨に継承された。

特徴

流儀の特徴としては、剣尖を敵の喉に向け、左肘を曲げて水平に構えるという、まるで槍術の構えを思わせる「附」(つけ)という構えから、左片手突きを繰り出すのが得意な流派である[1]。これは大石種次が大島流槍術の指南でもあったことから、槍術から発案したものと思われる[7]。大石進は5尺3寸の長竹刀を遣ったが、流儀の定寸は各自の胸の高さまで(これでも当時の基準では長い竹刀だが)である。二刀の形や「鞘之内」と称する居合小太刀術も含み、すべての剣技は型の応用変化であるとして、その数は80ほどある。

大石種昌

大石種昌(おおいしかずまさ)(1824年―1878年)は大石種次の次男。大石新影流2代目。柳河藩士。大石進種昌とも[8]

脚注

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注釈

  1. ^ 森本邦生はこの皆伝について「真吉が短期間で全てを習得したのではなく、大石進が樋口真吉の廻国修行の事情をくんだと考えるのが妥当であろう」としている[5]

出典

参考文献

  • 綿谷雪 『日本剣豪100選』 秋田書店
  • 森本邦生「樋口真吉第一回廻国修行日記について -大石神影流の土佐への伝播-」『武道学研究』第42巻別冊、日本武道学会、2009年、5頁、doi:10.11214/budo.42.5、ISSN 02879700、NAID 130004565484、OCLC 9660115596、CRID 1390001205361923712、2023年4月23日閲覧 
  • 兒湯郡教育會『兒湯郡郷土誌』児湯郡教育会、1925年、311頁。 NCID BA51579988。OCLC 8142545251。CRID 1130282273345737856https://books.google.co.jp/books?id=2x03KNP9t6cC&pg=PA311#v=onepage&q&f=false2023年4月23日閲覧 
  • 大牟田市『大牟田市史』大牟田市、1944年、398-401頁。doi:10.11501/1042253。 NCID BN10368586。OCLC 673676830。(国立国会図書館書誌ID):(000000666605)https://dl.ndl.go.jp/pid/1042253/1/2202023年4月23日閲覧 
  • 小沢愛次郎『皇国剣道史』田中誠光堂、1944年、171-172頁。doi:10.11501/1125968。 NCID BA42744926。OCLC 674138371。(国立国会図書館書誌ID):(000000685235)https://dl.ndl.go.jp/pid/1125968/1/932023年4月23日閲覧 
  • 森本邦生「大石神影流『諸国門人姓名録』について」『武道学研究』第40巻別冊、日本武道学会、2007年、43頁、doi:10.11214/budo1968.40.supplement_43、ISSN 02879700、NAID 130004574339、OCLC 9660686642、CRID 1390282680425730432、2023年4月23日閲覧 
  • 石畑匡基「資料見聞 諸国門人姓名録」『岡豊風日 : 高知県立歴史民俗資料館だより』第98号、高知県立歴史民俗資料館、2017年、1頁、OCLC 852462598、CRID 1130000793554317952、2023年4月23日閲覧 
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